オープンキャンパスとグリモワール(魔導書)
好奇心に忠実に恐怖に向かっていく、それは本当の勇気なのだろうか?
目の前には古めかしい扉。「魔導書保管庫」というプレートが打ち付けられている。そして、手の中には、これまた古めかしい鍵が握られている。こうなれば、やることは決まっている。
「やめようよ、勇人」
そういう桃香を横に、好奇心と怖い物見たさとがないまぜになった気持ちの中で、鍵を鍵穴に差し込む。なにより、ここまで来てやめにする、なんて、勇の字を持つ男子の名折れだ。
どうしてこうなったか、って? 今一度振り返ろうじゃないか。
俺は近藤勇人。地元の大学のオープンキャンパスに来ている。高校2年の夏休み、そろそろ大学受験に向けて動き出そう、ってところ。隣にいるのは幼馴染の佐藤桃香。明るいキャラだけれど、恐がりなところがある。
大学の中は、地元にあるのに全く知らない世界だ。趣向を凝らした出し物に、体験講義、びっくりする実験。夏休み、日差しがまぶしい。キツイ暑さも、気持ちを熱く高揚させる。
さて、次は、と。文学部第二別館、ここに行こう。といいつつ、うーん、だれもいないな。
「きっとオープンキャンパスの範囲外だよ」
「なに、まだ何かあるかもしれない」
別館の中は、ひんやりとした空気が漂っている。廊下の途中、ふと一つの扉が目にとまる。「西洋文化研究室」。ここ、とりわけ空気が冷たい、けれど、何か惹かれるものがある。ノックしてみる。反応がないけど、入ってみよう。
扉の中には通路があり、さらにいくつか、扉が並んでいる。通路を歩いていくと、古めかしい扉が目に入った。「西洋魔術文化研究室」「魔導書保管庫」
「面白そう。何かのイベントかな。大学にありそうにない非科学的な名前だな。きっと、ゲームデザインコースの出し物だ」
ドアノブを回してみると、びくとも動かない。鍵がかかっている。こういうとき、アイテムは宝箱の中にあるものだよな。と、横を見ると、いかにもな、装飾を施された箱が目に入る。ダイヤル式の錠前がかかっているけれど、なんとなく回してみると、
「開いた」
きっと、雰囲気出すためのもので、全部開くんだ。中からは、これまた古めかしい鍵。迷わず手に取った。
で、扉の前、鍵を片手に立っている、という訳だ。
「ねえ、勇人、やめよう」
腕を引っ張る桃香に
「桃香は怖がりだな」
「立入禁止って書いてあるよ」
「それも雰囲気出すためさ」
がしゃり。鍵が回される。扉が開け放たれた。
中に歩みを進め、背後で扉が閉まる音がする。真っ暗、さすがに暗すぎだ。と思うや、足元が光り始める。複雑に絡み合った光の文様が浮かび上がり、まっすぐに通路を作った。
「すごいアトラクション」
興奮して顔が熱くなる。怖そうだった桃香も、きれい、とつぶやきながら、幻想的な光景に見とれている。
「さ、行こう」
光の道を、部屋の奥へと進んでいく。
周囲の闇が一層濃くなり、光の文様は一層きらめく。祭壇みたいな、ぼんやりと光る台の上に、一冊の本が置いてある。表紙は古い革張りで、細密な模様で埋め尽くされている。アニメに出てくる、魔法使いの本みたいだ。
「何だこれ、これが魔導書?」
さらに一歩。突如、本が浮かび上がった。ひとりでにページが開き、光が満ちる。気が付くと、銀色の光を放つドラゴンが本の中から体を乗り出していた。輝く鱗、光を宿した瞳、どんな彫像より精巧だ。
「よくぞ、われのところに参ったな」
「しゃべった! すごいホログラムだ」
「ホログラム? われは幻影ではない」
「反応してる。面白い技術、AIも入ってるのかな」
「われは作り物ではない」
ドラゴンの声に怒りが混じっているようだ。さっきまで部屋の光景に見とれていた桃香は、泣きそうになっている。
「ふん。ここまで来たのだ、若造よ。お前の願いを叶えてやる、と言ったらどうする。叶えられる願いは五つだ」
「三つじゃないんだ。太っ腹。それでも、最後の願いは、叶う回数を無限に増やしてください、で」
「そう願う欲深い人間は多いが、それは駄目だ」
「ケチ」
ま、それはそうと、話は聞いてみるか。
「面白そう。やってみせろよ」
「その代わり、お前の一番大切なものをもらっていこう」
一番大切なもの、部屋にある限定プラモかな、いや、この前買ったゲームとか?
「分かった」
えーっと、大学合格、いや、これはこれから叶えてもらう願いか。と考える間も、泣き出しそうな桃香。
「ねえ、勇人は私のこと、何があっても守ってくれるよね」
「なに言ってるんだよ、大げさだな。もちろんさ、世界で一番大切な桃香のためなら、何だって……」
「そうか、お前の一番大事なものはその娘で、桃香というのだな。その娘、われがいただこう」
ぱっと、ドラゴンが魔導書から飛び出すと、桃香の方に飛びかかる。
「桃香!」
見る間に桃香の中に入っていく。魔導書がぱたりと落ちた。部屋が薄暗くなる。
「最後は趣味の悪いホログラムだったな。女性をもらおうなんて、セクハラもいいとこだ」
振り向くと、隣では桃香がぼんやりと立っている。
「桃香?」
気が付けば、今いる部屋は、薄暗いだけのただの部屋、天井の照明も、普通の蛍光灯だ。
「どういう仕組みだったんだろう」
ま、いっか。扉のすき間から差し込む光に向かって戻っていく。
「なあ、桃香?」
部屋から出ても、ぼんやりと立つ桃香。視点が定まらず、宙を見ている。そりゃショックだよな、いくらホログラムでも、あんな演出じゃ。
「さ、帰ろ」
桃香はこくりとうなずく。いつもは明るく活発な桃香だけれど、今は何か変だ。いつもの笑顔はどこへやら、だ。ま、そのうち戻るでしょ。心の奥底で、何か嫌な予感がするけれど。
オープンキャンパスも終わりに近づき、退場を促す放送が流れる。さて、帰ろうか。一緒にバスに乗る。いつものバス停に着くまで、一言も発しない桃香。降りると、そのままふらりと、影のように帰途へつく。ヤバい、よね。あ、ヤバいといえば、明日は模試だ。
「やべ、模試。全然勉強してないや」
また明日な!家に向かって駆ける。
翌日、模試の朝、滑り込みで教室に着く、セーフ。桃香の方を見ると、いつもは快活な桃香が、まだぼんやりしている。クラスの女子たちが何かひそひそと話している。俺の方に来ると、
「桃香、話しかけても上の空なんだ。近藤君は何か知ってる?」
「い、いや、分からないな」
桃香、例の件、引きずりすぎだろ。
「模試を始めます」
試験官が入ってくる。
ちらちらとみると、ぼんやりとしていた桃香は、問題に向き合っている。大丈夫。ってカンニングに間違えられたらいやだな。手元の問題に向き直ると。ダメだ、全くわからん。全然勉強してなかったんだから当たり前だけど。あーあ、この模試解きたい。夏休み明けの面談が。
<そんな願いでいいのか?叶えてやろうか>
ふと、頭の中に声が響く。何だ!? 冷静さを失いかける。幻聴、いや、あのドラゴンの声だ。
<われは作り物でも幻聴でもない>
や、そんな訳ないさ。桃香を心配したせいで、昨日の出来事を思い出しているだけだ。振り払おう、どうせなら、ものは試し、願ってみるか。(この模試、全問解かせてください)
<よし、契約履行だ>
突如、難しかった模試の文章が、すっと頭に入ってくる。手が勝手に動いているかと思うほどの速さで、解答用紙が埋まっていく。
「解け、た……」
いや、火事場の馬鹿力というし、俺も実力が出てきただけ。ふと桃香をみると、こちらを向いて、笑みを浮かべている。けれど、その薄い笑みは、いつもの桃香じゃなくて、目の奥に不気味さを帯びた、
「……ドラゴン、だよな」
背筋が凍るってこのことだ。
家に帰っても、頭の中は昨日からの出来事でいっぱいだ。全く勉強が手に着かない。
「明日から夏期講習なのに」
苦手な数学教師に指名されることが決まっている。けれど、それどころじゃない。桃香のこと、ドラゴンのこと、悶々としながら布団の中で目が冴える。
翌朝、目の下に大きなくまを作って、登校の時間を迎える。
「近藤、課題の問題、板書してみろ。」
サボりました、なんて言ったら大目玉だ。
「もちろんやってきました」
黒板に向かう途中で思ってしまう。なんとかこの窮地を救ってください。
<そうか、これで二つ目だが>
ドラゴン、出てきやがった。これでさらに桃香は。うん、ここでは願いは叶えないでおこう。
「おい近藤、まさかやってないのに、ウソついてないよな」
ビビりだよ、俺。「もちろん」数学教師の声に負けて、
(この問題、解かせてください)
<契約履行だ>
例によってスラスラと手が動いていく。ああ、やっぱりだ、解き終わって振り返ると、こちらを見ているのは、爬虫類のような目をした桃香、不気味な笑みが濃くなっている。間違いない。
帰りのバス、隣にいながら何もできないことのもどかしさ。結局、いつものバス停で別れて家路につく。とぼとぼと歩く道は暗い。このままでは、きっとすべての願いを使い切ってしまうだろう、一時の衝動に負けて。
「顔が青いよ、大丈夫?」
夕食を残して、
「ちょっと疲れてるんだ。早めに寝るよ」
自室に戻る。
もちろん、寝られる訳なんかなく……。
絶望のどん底に突き落とされた気分だ。何よりも大切な桃香を、くだらない願いを叶えるために差し出して、ドラゴンの奴隷にしてしまうんだ。
(どうか桃香を返してください)
<それはできん。願いを二つも叶えてやったからな>
ダメかよ。じゃ、どうすれば。そうだ、これならいいだろう。
(この問題を解決するヒントをください)
<分かった。それなら叶えてやろう>
<契約履行>
これで桃香はまた一歩ドラゴンのものに近づいた。ヒント、といったが、それで解決できるのだろうか。
インターホンが鳴る。しばらくすると、母親が部屋の扉を開けた。
「勇人、お客さん」
入ってきたのは、黒い服を着て、長い白ひげをたくわえ、とんがり帽子をかぶった男。うん、魔法使いの格好。外歩いてたら、不審者として通報されるだろう。なんでそれがすんなり部屋に通されたか?
それはもちろん、俺の願いが叶ったから。ドラゴンに願ったことは、今まで全てすぐに叶った。ということはこれも。
「勇人君だな。幼馴染の桃香さんを奪われそうになっている」
「その通りです」
「ドラゴンに教えられて、やっと家を見つけられた。」
「禁を破ったな。立入禁止と書いてあっただろう」
それは間違いない。危険な好奇心から、桃香をこの世のものならざるものにしてしまおうとしているのだ。
「反省しているな」
これで反省しない訳がないだろう。涙がこぼれ落ちて、頬を伝う。冷静さを保てない。
「仕方がない。グリモワール、魔導書に呼ばれてしまったのだからな。君の心の弱さを見抜かれたのだ」
「あれは何なんですか? どうすれば桃香を取り戻せるんですか!」
泣き叫びながら、すがるように問いかける。
「落ち着きなさい」
一通り泣きじゃくったあとで、やっと話を聞けるようになる。
「私は神崎という。あの大学の教授で、専門は西洋文化、特に西洋魔術文化の研究だ。君が触れてしまったのは、私が資料として収集したグリモワール、魔導書だ」
「なんたってそんなものが大学にあるんですか?」
「大学は知の殿堂だからな。人々を動かしたあらゆる文物は、人文科学の研究対象だ」
「じゃ、あれは、ホログラムの実演なんかじゃなくて」
「本物の魔法だな」
じゃ、桃香は契約通り、ドラゴンに取られてしまうのだ。
「大丈夫。幸い、この魔法には、封じるための術がある」
「ドラゴンに狙われた、己の心の弱さに向き合うことだ」
心の弱さ。
「明日、桃香さんを連れて、私の研究室に来なさい。君は、君自身の手で、解き放ってしまった怪物を封じなければならない」
神崎は、大学の入構票を置いて部屋を出ていった。
天井を見つめながら思う。絶対に桃香を取り戻す。
翌日、桃香を家まで迎えに行き、大学に向かうバスに乗った。仮病を使ったことが分かれば大目玉は間違いない。けれど、これは桃香を取り戻す、最後のチャンスだ。守衛所で入構票を提示して、神崎の研究室、西洋文化研究室に向かう。ノックして研究室に入ると、例の格好の神崎が待っていた。
「君には今から、封印の儀式を行ってもらう。魔導書の保管室に入って、魔導書と向き合い、桃香さんを返すようにと、強く言いなさい。ドラゴンは拒否するだろうが、封印の呪文を唱えることだ。魔導書に閉じ込められたときの契約に縛られたドラゴンは、試練と引き換えに契約を取り消すだろう」
「その試練というのは」
「振り返るなの禁、というものだな。人の好奇心を試すもので、多くの神話に出てくる。多くの場合、主人公は振り向いてしまうことで、ヒロインを失ってしまう。今回のドラゴンは、君と、君の幼馴染の精神を乗っ取りにくるだろう。そうなったら、君たち二人を、魔導書に封じなければならない」
神崎は保管庫の鍵を手渡す。
「覚悟はできたかな」
扉の前に立つと、足の震えが止まらない。自分がこの世のものならざるものになり、魔導書に封じられるかもしれない。桃香のためとはいえ、恐怖はますます強くなる。けれど、己の弱さに打ち克つんだ。鍵が差し込まれ、扉が開け放たれる。
光の祭壇に向かって、魔法陣の通路が延びる。きれいなホログラムだと思っていたそれも、自分を乗っ取るかもしれないと思うと、まがまがしく見えてくる。魔導書の前に立つと、桃香からドラゴンが出てくる。
「ふん、恐れをなしたか」
「いや、俺は桃香を取り戻しにきたんだ。己の弱さに打ち克って」
「今さら契約は取り消せん」
「アンゲルス・コラーティクム、イヴィル・ドラコ・イン・グリモワール・カピオー!(勇気の天使よ、邪悪なドラゴンをグリモワールに捕らえ給え)※」
勇気の天使に祈る。俺なら、きっと己の弱さに勝てる、信じるのは己の心だ。ドラゴンを封印しようという、何より大切な桃香を救おうという、強い気持ち、それを魔導書にぶつける。決して諦めない。
「分かった。全く、なんたってあんな契約をしたものか。魔導書に封じられるとき、天使に命乞いの契約をしたのだ。完全に封じない代わりに、己の勇気を試す者、罪を認め、強さを取り戻そうとする者にはチャンスを与えるなんていう。契約通り、一度だけチャンスをやろう。娘を返してやる。お前の弱さ、恐い物見たさという危険な好奇心を乗り越えられたら、お前の勝ちだ」
ふらり、と桃香が倒れる。慌てて支えると、恐がるその姿は、オープンキャンパスのときに戻ったようで。
「ねえ、恐い、帰ろうよ」
「うん、引き返そう。桃香は目をつぶって、俺の背に背負われて」
「急に何? 大丈夫だって、恥ずかしい」
「いいから」
決して振り向いてはいけない。優しい桃香のことだ、俺が後ろだったら、俺を心配して、必ず後ろを振り向くだろう。だから、俺が前、桃香が後ろだ。
「準備はできたか。始めるぞ」
ドラゴンの声が響く。俺は、桃香の温かさを感じながら、一歩一歩歩いていく。本当は後ろを振り返りたい。桃香は本当にもとに戻ったのか、ドラゴンに取られていないのか、この目で確かめたい。けれど、その弱い心を振り払う。果てしなく長いようだ。一歩、また一歩。「桃香、俺のことを信じて」
さあ、あと少し、手を伸ばす。扉にたどり着き、それを開いた。
日の光が戻ってきた。後ろ手に扉を閉める。
「さあ、これで大丈夫だ」
神崎の声がする。がしゃり、と扉に施錠した。
「よくやった。君は己の弱さに、危険な好奇心に打ち克ったんだ」
不思議そうに神崎を眺める桃香。
「この人は誰?」
神崎のこと、グリモワールのことを説明する。信じられない、という顔をする桃香に、デジタル時計の日付と、壁にかかったカレンダーを見せる。ね、日付が進んでる。乗っ取られていたんだ。青い顔をする桃香。けれどそれは、そのうちに真っ赤に変わり、
「私を巻き込んで、なんてことしてくれたの!いいとこ見せたいなんて、かっこつけて!」
謝ると、
「けど、世界で一番大切なものは、って聞かれて、私って答えてくれたんだ。そして、私のために戦ってくれたし。赦してあげないこともないかも」
やっぱり好きなんだ、愛は全てに勝つ、そう感心する神崎に、二人して顔を赤らめて大声を出す。
「そもそも、神崎教授がこんなもの日本に持ってこなければ、こんなことにならなかったんです!」
話しながら思う。勇気とは、やみくもに危険を冒すことじゃない。己を律し、人を信じ、弱さに立ち向かうことだ。俺はその勇気を手に入れることに向かって、一歩成長したんだ、って。
※呪文はいつもどおり、ふんわりです。正しい表現が分かる方は、優しく教えていただけると嬉しいです。
Thanks20th企画、間に合いました。小説家になろう20周年おめでとう!