美少女おっさんの家出娘
いつも読んでいただきありがとうございます。
今日の仕事が終わり、背伸びをする。
私の元々の中年の体ならバキバキという音が聞こえるような気がしたが、この新しい体は全くと言っていい程滑らかで、ただ美少女が背伸びをしているだけになってしまった。
冷蔵庫を開けると、前に買った白ワインの残りがもう少なかった。
こりゃ買い出しだな、面倒だから近くのコンビニでワンカップ酒を買おう。ワンカップ酒を侮るな。菊水のふなぐちはめちゃくちゃ旨いんだ。生原酒だから甘みや味が濃いし、缶に入っているから劣化も少ない。これは本当に金を出して買う価値のあるワンカップ酒だ。
私は明日のために、今日の嫌なことを全部忘れてしまうために、コンビニに行って酒を買おう、そうダメな大人代表が大手を振って言いそうなことを考えながら、玄関の扉を開けた。
玄関の扉を開けると隅に人影が見えた。
それは、地べたに体育座りをして顔を伏せていた。
なんだこいつ、と身構えて、様子を見る。
紫のインナーカラーで染められた黒色のロングヘア、どこかで見たような中学校の指定の紺色ベースで縁等が赤色のセーラー服にクリーム色のカーディガンを羽織っていた。
小柄で華奢な感じの少女に見えた。
家出だろうか。
まあ、家出少女を匿って汚い大人の世界にようこそシナリオは大体警察のご厄介になるし、美人局というパターンもあり得る。仮に、そんなことない優しい世界でも、妻にこの子と自宅にいるところを見られたら、説明がつかなくなり、離婚届待ったなし。
今日は静かにYouTubeでも見て寝よう。どうしても酔いたくなったらみりんを飲むか。
私は何も見てない、何にも関わらないとボソボソ呟きながらドアを閉めようとした。
「お父さん、流石にそれはないっしょ!」
閉めようとしたドアを、座り込んでいた女の子は腕を伸ばして止め、私を見た。
「……あんた誰? あ、えーと、ここ302号室ですよね」
座り込んでいた女の子は、妻を若く、幼くした感じにとてもよく似ていた。ちょっと吊り上がって大きな瞳は猫を想像させる可愛らしさがあり、声も妻に似た声だった。ええ、どう見ても私の長女の由紀です。本当にありがとうございました。
「ソウ、302ゴウシツデス。ワタシ、ヒコシテキタバカリ、ユキノコト、シラナイ」
「ああ、そうですか……なんで私の名前知ってるの?」
私は謎の外国人ムーブで乗り切ろうと思ったけれど、既に子供の名前をうっかり口に出してしまったので、明らかに不審者丸出しである。
ここで、私は過去に読み漁ったTS物の漫画や小説の展開を思い出した。
よくあるパターンは、その人にしか知り得ない話をして、信じられないことだけど信じてもらう作戦というパターンだ。そして、よき理解者になってくれることが多いのだ。
これを使う他ない。そうしなければ謎の外国人の女が、父の家に入り込んでいると通報されて大変なことになる。
「由紀、私だ。お父さんだ」
「え……と、大丈夫ですか? 救急車呼びましょうか」
「緑色の救急車なんて呼ぶ必要はない。ほら、由紀、私はお父さんだ。鈴木宏だ。いろいろあってこんな体になったが、お前のお父さんだ」
由紀が私の話を話半分聞きながら携帯電話を操作していた。指の動きを見ると、1、1、0、とじゃねえよ。救急車ぶっ飛ばしてパトカーじゃねえか。
私はコールボタンを押される前に、由紀の右手を抑えた。
「マジだ。マジなんだ。どう説明すれば信じてもらえるだろうか……ほら、おむつ替えてやっただろ」
「放してください。おむつ替えるのは親なら当然でしょ。あなたのおつむは大丈夫なんですか」
大丈夫なわけないだろう、特にこのピンク色の髪の色を見てみろよ。大丈夫だと思うか。
とにかく、二人ならわかるエピソードだ。それを言えばわかってもらえるに違いない。
「落ち着け、由紀。ほら、お兄ちゃんが小学1年生のころに、由紀がお化けに変装して驚かせたら、びっくりしておしっこ漏らしたの覚えてる?」
「100歩譲ってさ、お父さんの知り合いなのはわかったけどさ、あのさ、そんなセンシティブなお兄ちゃんの黒歴史とか平然と言わないで。というか、お父さんはあんたにそんなことを教えているの?」
これはヤバい。お父さんの好感度が軒並み下がっていっている予感がする。
話題を思いっきり間違えた。
「いやいや、私がお父さんなんだよ。ほら、由紀が幼稚園に通っていたころさ、お父さん大好きとか、お父さんのお嫁さんになるとかいいながら、わたし、〇〇くんがすきなんだ、って言ってたの覚えている?」
「だからさ、黒歴史系はダメだって! 思い出さすな!」
「あと、うちの家ってさ、母さんとお兄ちゃんはさシチューはパン派だけど、私と由紀はシチューはお米にかける派でしょ」
「そうそう、そういう系で話しようよ。お茶の間で聞いて変な雰囲気にならないやつ。でもさ、お父さんの知り合いとしか思えないよ。あり得ないでしょ。こんな可愛らしい子がお父さんとか。あんた、お父さんの何なの? お父さんの不倫相手……にしてはこんな子に相手してもらえるとは思えないし……もしかして……お父さんの……隠し子? いや、お父さんの遺伝子を引き継いでいたらこんな顔にはなってないと思うから、お母さんの隠し子で、ひっそりとお父さんが面倒見ているの?」
由紀ちゃん、お父さんディスりまくりじゃね?
というかさ、由紀の想定だと、お母さんの隠し子を育てているお父さんって、めちゃくちゃ慈愛に満ちてね?
「とりあえずお母さんに聞くわ」
「スタァープ!」
由紀から携帯電話を取り上げ、ギャーギャー喚いている由紀を無理矢理自宅に押し込んだ。
ーーー
美少女tsおっさんの長女 鈴木由紀
お父さんは、仕事ばかりして、休みの日は家で眠ってばかりでどこかに連れて行ってくれるとかそういうのはほとんどなかった。
小さい頃はまだ近所の公園や遊び場、買い物にも連れて行ってくれたのに、次第にそういうのや家族での旅行もなくなってしまった。
父兄参観日なんて来てくれたことはないし、運動会や学芸会も来なかった。
仕事が忙しい、と言っていたが、私には休み取ればいいのに取らないとしか思えない。
そんなお父さんが、単身赴任になって清々したなあ、と思ったら、なんか急に胸にぽっかり穴が空いたような気分になった。
私のことなんて気にしてないと思っていたのに、誕生日には欲しかった物が送られてきた。お父さんは、ずっと前から私のことを気にしてくれているのだろう。参観日や運動会、学芸会に行けなかったこともずっと気にしているのだろう。
私も、どこかで折り合いをつけたいのに、うまくできない。
そんな時、些細なことでお母さんと喧嘩して、今思い出せば、本当にどうでもいいことで、家を飛び出した。
家を飛び出した後、家に戻ることがとても恥ずかしくなり、戻るに戻れなくなってしまった。
そんな時、最初に頭に浮かんだのはお父さんのことだった。
きっと、私が単身赴任先の家の玄関の前にいたら、何もためらうことなく家に招き入れてくれるはずだ。
そうしたら、変なピンク頭の同年代の女の子に口を塞がれて、お父さんの部屋に押し込まれた。
お父さんだ、と名乗る頭の中身もきっとピンク色の女の子は、一生懸命ラリった話をし続けて、最後には、魔法を見せれば早い、とか言ってお父さんの姿を映し出して、動かし始めた。
理解が早くなる、とかそういう以前に、全然、理解が追いつけないよ。
結局、信じる他ないな、というほど不思議な魔法の力等を見せられた。
それに、まあ、話し方とか仕草とか、本当にお父さんとよく似ていた。話をしながら、凝った肩を回したり、口を手で押さえたりする仕草は、お父さんの癖なのだ。
今月のお父さんのお給料も銀行口座に振り込まれたことをお母さんが言っていた。お父さんがどっかに消えてしまっていたら、給料が口座に振り込まれなくなるはずだから、お父さんは存在していることになる。でも、目の前の同世代にしか見えない女の子は自分がお父さんだと主張している。魔法の力で会社の人にバレないように仕事をしていると言われたけれど、本当にそうなのだろうか。キツネにつままれたような気分とはこういうことなんだろうか。
試しに、風呂入るね、とお湯を湯船に入れて、リビングで服を脱ぎ始めた。
「こら、由紀、こんなところで脱がないで。脱衣所で着替えなさい」
ピンク色の頭の女の子が、眉間に縦しわを作って厳しく声を出した。
同性の同じ年の子なら気にもせず放置すると思っていた。自分の両親の家で子供がどこで着替え始めても、他人なら咎めることはできないし、同性ならなおさらだ。
そんなふうに思っていたのだが、私のお父さんがいつも私に注意していた言葉を投げかける。
ああ、多分本当にこの子はお父さんなんだろう。
でも、実感湧かないなあ。
叱っている姿、元のお父さんと比べて異次元なくらい可愛過ぎる。
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誤字脱字報告もすごく助かってます。
今日は海の日です。
海に行きましたか?
童心に戻って海でまた泳ぎたいですね。