第四十五話 敗走 Ⅰ
血流が止まっている感覚、どっちが上でどっちが下なのか定かではない。途切れた意識の中瞳に焼き付いて離れないのはグラブの笑顔だった。
「シュガ――ん、どう――」
「話――じゃ、こち――おぬしらに――べき事柄が多すぎて――がつかん。全く――」
届くはずのない声が脳に直接入り込んでくる、動く事の無い思考に緩やかに加速が掛かる気がしていた。
消えなかったのは恐怖でも畏怖でもない、失うかもしれないという喪失感が少年の体を動かしていたのだ。もう一度あんな気持ちを味わう事になるのかと脳が拒んだ。限界を超えて力を酷使すればどうなるかは分かり切っていた、それでも少年はそうするしか手が無かった。
「カルナックさんは、――のですか」
「だから――後じゃ、とりあえ――つらを安全な所まで――下がるぞ。――そこの坊やは無茶したみ――だしのぉ」
少年は悔やんだ。
悔やんでも悔やみきれない、師の言いつけを破り力を酷使した代償がコレだ。誰の目にも同じように映っただろうその姿は人ならざる者、それ以外に方法が無かったと言え少年は力を使ってしまった。
己の未熟さ故に。
悔いては遅い、時の流れを戻すことは出来ぬそれが世の理。
彼に油断があったとは言わない、ただ相手の方が一枚上手だっただけの話。それだけの良く有る話。
だが、それが生死を分ける分岐点となるのは子供だって知っている。強さとは単純明快で上か下か。ソレだけである。
少年は下だった、相見えた者と比較すれば下だった。力量はほんの僅差っだであろう、それが明暗を分けたのだった。
ソレだけの話と片づけてしまうのは余りにも酷な出来事だったと誰もが思うだろう、まだ大人にもなり切れない体に鞭を打って戦った少年に誰がそんな事を言えるだろうか。
否。
言えるはずがないのだ、大人達は託してしまった。彼等少年達に未来を託してしまったのだから。重過ぎる責任は彼等の小さな背中にはあまりにも大きすぎて、重過ぎたのだ。
それでも彼等は前に進むしかなかった、自ら進んで乗った道なのだから泣き言を言える様な事は出来なかった。この戦いが苛烈さを極めればどうなるか分かっていただろう。泣き言を言うのは違う、弱音を吐くのも違う。理由はただ一つ、ソレを分かって始めたのだから。
故にシュガーの目にはこう映っていただろう、馬鹿者共が無茶しおってと。
レイとグラブの死闘から一時間、蒸気機関に乗り込んだミト達はレイ達の治療に手を焼いていた。一人だけならまだしも瀕死の重傷を負っているのは二名、続いてシュガーの腹部裂傷とダメージが多い。アデルとミラに関しては気絶しているだけにも思えた。
中でも酷いのはやはりレイの体だった、外傷は大した事が無いがエーテルを酷使した事により精神面へのダメージが大きいと推察される、グラブに関してはレイと逆に外傷がやはり目立つ。
「やはり問題はその小僧じゃのぉ、限界ギリギリまでエーテルを酷使した痕があるのが分かるか?」
シュガーが自身の治療中にレイの髪を指さした。
「――白く変色してる」
「そうじゃ、限界ギリギリまでエーテルを使うとこの様に頭髪に変化が生まれる。まだ一部分じゃから大したことは無さそうじゃが……これが髪の毛全体に行き渡ると――」
ミトは息を呑んだ。まだほんの数パーセント程度でしか見られない白色化、具体的にどのように進行していくのかはシュガーですら見たことは無いという。
「でもエーテルバーストを引き起こした人は過去に何人もいるって」
「その通りじゃが、白色化を引き起こす前に大体は異形へと変わってしまう。だからこそ珍しい現象なのじゃが」
シュガーはそこで一息飲んだ、文献以外で初めて見た現象だったのだ。知識としてはあっても実際にその目で見る事は適わない。理由はシュガーが述べた通りであるからだ。
「その小僧、本当に何者なんじゃろうなぁ」
腹部の治療が一段落した段階でアデルの懐から煙草を拝借し、咥える。
「まずは小僧共が目を覚ましてからじゃな、本当に大変な事になったぞ」
「聞きたい事は山ほどあります、でも察しが付くのです。シュガー様がお一人で戻られたという事は」
「そうじゃのぉ、そこから先は儂とて絶望する内容じゃ。そしてこれから先おぬし等を待ち構えている事象を考えるとゾッとする」
否定されなかった事でより一層ミトの不安が的中している気がした。
出来れば言葉にしたくはない事、出来れば考えたくはなかった事。出来れば嘘であって欲しい事。出来れば――。
「――カルナックさんは」
同じ言葉を切り出そうとした。が、全てを言い切るだけの覚悟がまだない。ミトの瞳はレイを見つめながら濡れていた。また、シュガーもその表情を見た後右目を閉じて深くため息を付いた。
「カルナックさんは、どうされたのですか」




