第三十五話 約束 Ⅰ
物々しい空気が満ちていた。
本国より送られた兵隊の数は二万を超え、着々とメリアタウンを包囲し始めていた。レイ達が街を出て二日目の事だった。帝国は彼等が居ないことに勝機を見出し、ここぞと現有勢力の半分を投入することを決定した。これに対しメリアタウンも覚悟をもって警戒にあたっていたが、偵察部隊が第一報を報じる前に壊滅、第一次防衛ラインをいとも簡単に突破されてしまう。
命からがら生き延びた偵察部隊の一人が第二防衛ラインへと到達するが時すでに遅し、たった一人の将校によって防衛ラインは崩されていた。それは後に白い悪魔と呼ばれた。
メリアタウン本部へと伝達が入るころには目の前に帝国兵が迫りくる勢いであった、第二防衛ラインより伝達を受けていた本部は至急住民の避難と部隊の編制へと動く。第一第二と突破されたメリアタウンだが本部の守りはラインの非にあらず。強固な城壁が組まれ上には大量の砲台。これを突破することは今の帝国でも至難の業である。故に睨み合いが続く。白い悪魔と呼称された将校は第二防衛ラインを突破後本国の部隊に後を任せ、皇帝より受けし勅命に動いていた。
結果、それが功を成す。
本国の部隊とて多くのそれらはショットパーソルを持った一般兵、後方に数名の法術士が控えているが城壁の効果もあり戦力は奇しくも均衡。しかし、増援が送られてくる帝国と違って現有戦力しかないメリアタウンは削られる一方だった。
「彼等が帰還するまで絶対に落としてはならん!」
メリアタウン本部統括のレナードが叫ぶ、中央に陣取った司令部から各方面へと次々に指示が飛ぶ中、用意をしていたとはいえ奇襲を受けたメリアタウンのダメージは予想を超えていた。住民街にダメージが無いのがまだ幸いしてるとは言え負傷者の数は右上がりで増えていく。
「レナード司令、医療班が足りません!」
「泣き言いってんじゃねぇ! 何とかして持たせろ! 彼等は必ず帰ってくるっ! それまでここを落としてはならん! 回復の法術士を前線から少人数抜いて後ろに回させろ!」
唇を噛みしめながら悔しそうにそう言った。
城壁の上から見下ろした光景はまさに絶望、大量の帝国兵が押し寄せてくるのをはっきりとレナードは目撃した。
第二次メリアタウン防衛線、彼等が旅立ってから一週間後の事だった。
時は遡り、第二次メリアタウン防衛線より五日前。
ホバーウォーマーを手に入れたレイ達はオーバーヒート寸前になる程の出力をだして先を急いでいた。結局見つかったウォーマーは一台だけ。その一台にレイとミトが乗る。レイは氷法術で機体の中に随時溶解寸前の氷を生成し、機体の熱で水へと変換させて蒸気を確保。ミトは消耗するレイを回復させながら必死に捕まっていた。
残りの五人はというと、機体にロープを張り体を引っ張られながら砂の上を滑っていた。その調子で半日ほど移動を続けると砂漠を超えることに成功した。残りは荒野とカルナック家へと続く山道のみであり、そう時間はかからなかった。
結局カルナック家へと到達したのはこの日の夕暮れ付近になる。
「まったく君達は……」
ボロボロの彼等を見たカルナックがぼやく。
全身砂まみれで衣服もボロボロ、アデルに至っては他の六人より一段と汚れていた。玄関の前で申し訳なさそうに笑うレイとアデルにアリスがため息を漏らす。
「あのね君達、ここは洗濯風呂付の宿場町じゃないのよ?」
「ごめんなさいアリス姉さん、これには深い事情があって――」
「口答えするんじゃないのレイ君!」
今までシャンとしていたレイがタジタジになっている姿を初めてみたミト達は思わず笑ってしまった。同時に目の前に居るカルナックに対しても畏怖を感じていた。
ファリックはまだしも、ミトとミラは類まれな法術使いである。レイとアデルを見た時も異常な程のエーテル量を感知し驚愕していたが、目の前に居るカルナックはこの二人を遥かに凌駕する。まだこの二人が成長段階であるとはいえ、このカルナックは既に完成された精神力と肉体。
ガズルが化け物クラスと言っていた意味が良く分かった瞬間だった。
「それで、後ろの三人が例の?」
「え、はい。そうです」
開いているのか閉じているのか分からない目でカルナックは三人を見た、一瞬だけ敵意が向けられ萎縮する。余りにも咄嗟の出来事でファリックが脊髄反射で銃を構える。
「――良い反応速度ですね」
薄目で三人を見た。
「記憶を無くされても体が覚えている――貴方たちも凄まじいほどの場数を踏んできた事が分かります。何故記憶が失われているのかは分かりませんが安心してください。きっと何かの拍子で思い出すこともあるでしょう」
にっこりと笑みをこぼしながらそう告げた。向けられた敵意は直ぐに収まって張り詰めた空気が解除されたのがミト達には分かった。それと同時に目の前に居るこの男が人のソレではない感覚だと言う事もほぼ同時に悟った。
「貴方……本当に人間なのですか?」
「失礼な、きちんと人ですよ」
「にわかには信じられない程のエーテル量です、今まで感知した事の無い位」
ミラが堪らず口を開いた。この時代に現れてからレイというほぼ化け物に近いエーテル量を感知しながらもそれ以上の存在を目の当たりにした。敵意を向けられた時もそうだったが解除された今もまだ足の震えが止まらないでいる。それはミトも同じだった。
顔面蒼白で手足は震えている、隣に居るレイも心配そうに横目でその様子を伺っているが収まる気配はまだ見当たらない。
「それで先生、何とかなりますか?」
「レイ君、私を何でもかんでも解決できる便利屋さんとでも思ってるのですか? 流石の私も記憶に関してはどうにもできません。なので――」
カルナックの後ろに轢けていた小さな女性が顔を覗かせる、レイとアデルは見た事も無い女性が突然現れた事に少し驚く。ファリック程の身長で小柄の女性がそこに居た。
「紹介します、彼女は――」
「お主らがこの馬鹿弟子の弟子かの?」
顔を覗かせた女性はゆっくりとカルナックの背中から姿を現すとゆっくりと歩いてくる。フード付きのマントを羽織り右手には杖を持っている。
「ほほう、面白いのぉおぬしら。特にそこの青髪の小僧――中に何を飼っている?」
その一言でレイは思わず霊剣を幻聖石から具現化させる、咄嗟の事だった。常人では感知することも出来ない存在を一目で看破されたのだ。
「貴女は……いったい?」
一歩下がるとレイの前にアデルとガズル、ギズーの三人が立ち塞がるように女性の前に立った。
「おやっさん、こいつ一体誰なんだよ。イゴールの事話したのか?」
「いえ、一言も話してはいませんよ。この人こそ「人ならざる者」ですからねぇ」
笑顔のままそう答えた。
女性はパーカーを脱ぐとカルナックの横に立つと一つため息をついて改めて自己紹介を始める。
「儂はシュガー、「シュガー・リリック」。おぬし等の師カルナック・コンチェルトの師匠じゃよ」
ドタバタした自己紹介から一時間後、庭でミトとミラ、ファリックの三人が魔法陣の上に立たされていた。
「信じられねぇ、おやっさんの師匠筋とか居たんだな」
「この時の為に西大陸からお越し願ったんですよ、普段は決して人目に触れる事は無いのですが事情を話した所興味を持たれてね。それにしても魔法とは本当に便利な物です」
カルナックの師匠、シュガーは西大陸で静かに生きる魔族の生き残りである。今は数も減って殆ど人目に付くことは無いが、こうして時々現れては難事件を解決したり、帝国との戦闘で猛威を振るったりとしている。現在の西大陸で行われている帝国との戦闘の殆どは魔族との衝突であり、それを指揮しているのがシュガーでもあった。
「魔族の生き残りねぇ、通りでイゴールに関しても見抜いた訳だ。エーテルの質が魔族と人じゃ全く違うからな」
「と言ってもアデル、君のエーテルもレイ君のエーテルも人のソレでは無いんですがね。それ以上に厄災の純粋なエーテルに反応したのでしょう。さぁレイ君、そろそろイゴールを表に出してもらえますか?」
この一時間の間に記憶を覗く方法としてとある魔法を用いると説明を受けた彼等だったが、イゴールの魔術も用いる事も説明された。レイはあまり気乗りはしなかったがイゴールは反対しなかったため決行することになった。