第三十四話 忍び寄る帝国 Ⅰ
砂漠越えを始めてから一夜が過ぎた。
彼らは日の出と共に岩場を出発した、その間格別変わったことは無くて砂漠ということを除けば日常と変わらない程静かな朝だった。
アデルを先頭に置き、レイが最後部に陣取り走る。その際レイの法術により追い風を発生させて全体の移動速度を僅かだが上昇させる。
この日、雲一つない晴天で容赦なく日差しが彼らを照らし続ける。体力は徐々に奪われ始め移動から一時間程で七人のうち六人がばててしまった。レイだけは法術で体温調整を行っているおかげで比較的体力面でのダメージは少ないものの、逆に精神面。つまりエーテル分でのダメージはそれ相応ではあった。
「あっちぃなぁ!」
アデルが帽子をとって団扇替わりに仰ぐ、その後ろでガズルもニット帽を脱いでパタパタと仰ぎ始める。
「舐めてたわ、砂漠舐めてたわぁ! 暑い暑いとは言うけどこれじゃまるで地獄だ!」
「だから言ったじゃないか――」
嘆くアデルに一番後ろのレイが涼しい顔をしてそう切り捨てた。全体を見ていたレイは少なからず全員の疲労を見ることができていた、その中でもアデルの消耗は激しかった。
「ガズルさん、砂漠を超えるまであとどのくらいですか?」
中央にいたミラが投げかける、フードをかぶって直射日光から頭を守るガズルも息を切らしながら膝に手をついている。
「そうだな、後どの位だろう。おい、アデル」
「あ?」
右手で額の汗を拭うとアデルの肩を叩いた、何事かとアデルが振り返ると満面の笑みを浮かべるガズルの顔がそこにはあった。
「お前、ちょっと飛べ」
「飛べって、何いって――」
そこでアデルは気付いた、この笑みの理由がなんであるか。するとガズルはアデルの胸倉をつかむと体を捻って反動をつけた。胸倉をつかまれたアデルの体はグッと引っ張られ宙に浮く。そのままガズルの周りを一回転して空へと投げ飛ばされた。上空五十メートル程飛ばされたアデルはジタバタと手足を動かしてバランスを取ろうとした。
「てめぇガズル!」
「良いから周囲を見ろボケナス!」
理不尽だ、そう上空で一言つぶやいて左手で飛ばされそうになる帽子を押さえた。
落下する直前でようやく体のバランスが取れ周囲一面を見渡した、見えるのは砂、砂、砂。まだまだ長い砂漠のはるか外に荒野が見えた。
「あそこまで後何キロ有るんだチッキショウ――ん?」
遠くに見えてる荒野を凝視していたアデルには一瞬だけ砂が舞い上がるのが見えた。
何もないはずの砂漠に砂煙が上がるはずもなく、そこに何かがいるとアデルでも分かる。それが一体何かが分からない。砂煙が上がった場所を直視しながらまっすぐ足から落下していく。
「なぁ、あそこに砂煙が上がった――」
落下速度が徐々に加速し砂に首まで埋まる形で着地した。思わず口が止まって発せられていた言葉に詰まる。それが他の六人にはとても面白く見え一同は大笑いする。
「なぁ、それ冗談でやってるのか?」
「馬鹿言うな! そんなことより伝えたいことが有るんだがひとまず引き上げてくれ。身動きがとれねぇよ」
笑いすぎて涙目になったガズルとレイの両名は砂に埋まっているアデルの両脇を抱えて力任せに引っこ抜いた。エルメアに入り込んだ砂が一気に下へと流れ出していく、それがまたレイとガズルの眼下に映って笑いがこみあげてくる。アデル本人は至って真面目な顔をしているから尚可笑しかった。
「やめてよ、只でさえ砂漠で体力消耗するのに笑わせないでくれアデル」
「だから笑わせてる訳じゃないって言ってるだろレイ、それよりお前らここから十一時の方角に砂煙が上がってた。ちょっと飛んで確認してみてくれ」
右手で涙を拭き取りながらレイは真剣に語るアデルの顔を見た、ガズルもまた同じくしてその表情を見て冗談でこんなことをしてるのではないと察する。互いの顔を見合わせた後同時にその場を飛んだ。
「十一時の方角って言ったよね」
「あぁ、あっちだな」
空中に飛んだ二人は同時にアデルの言う方角を見る、すると確かに砂煙が上がっていた。それはゆっくりとだがこちらへと近づいてくるような気が二人はした。
最初こそ小さく見えたソレはゆっくりと彼ら七人のほうへと進んでくる、徐々に大きくなる砂煙にガズルの顔は一気に青ざめる。
「何かこっちに来るぞ!」
叫んだ、その言葉に下にいた五人は一斉に戦闘準備へと移行する。
上空にいる二人は徐々に加速して接近してくるそれの正体を確認しようと目を凝らす、見えるのは砂煙。彼らの移動速度より早いソレは確実に迫ってきていた。
「ガズル、なんだと思うアレ」
「砂蚯蚓じゃ無い事は確か、砂中を移動するからあんな煙りだして激しく移動することは無い。となると後は砂漠と荒野名物だった――」
二人が地面に着地すると同時にレイの法術で互いの体が一瞬だけ浮いた、そして砂の上にゆっくりと足をつけると両名も戦闘態勢へと移行した。そして
「砂漠大盗賊団!」
小さな砂煙だったそれは七人の目の前まで到達し、大群で迫ってきた砂漠大盗賊団の一角が見えた。かつてレイ、アデル、ガズルの三名によって討伐された一段の成れの果て。海上商業組合より盗賊団の情報も得ていたガズルはその存在を認識していた。
「っ!」
レイの顔ギリギリに一発の銃弾が飛んできた、髪の毛をかすめた弾丸はそのまま後方に陣取るギズーへと直進する、とっさにアデルがグルブエレスを腰から引き抜いてソレを弾いた。
「懲りねぇ奴らだな、今度はシフトパーソルなんて手に入れたのか」
弾かれて空に舞った弾丸がギズーの目の前に落ちてくると右手で掴む、握られた弾丸を見てギズーがどの種類かを瞬時に判断する。
「シフトパーソルじゃなくて長距離射程用のショットパーソルだな、量産型の安物だが殺傷能力は帝国のショットパーソルより高め。弾速からして恐らく三十年前のK78型だ」
「えーっと、つまり?」
淡々と解説するギズーにアデルが疑問で返す。そこに再びショットパーソルから発射されたであろう弾丸が彼らを襲う。
「西大陸からの横流し品で、安いから大量に手に入るって事だ」
銃弾の雨、例えるならそれが一番良いだろう。
同時多段的に襲い掛かる弾丸は瞬間的に発動させたレイの絶対零度によって作られた壁に無数に突き刺さる。一発目の弾丸発射と同時に氷結剣聖結界を発動させていた、長距離狙撃と分かった時点でこの判断は正しい。発砲音がこちらに届いてこない以上また何時打たれるか分からないのであれば最初から防御に徹していればいい。もちろんコレには問題点もある。
「さて、どうするかな」
メンバーの頭脳ガズルが腕を組んで考え出した。そう、この状況は安全であるが問題点はいくつもある。一つは向こうが弾切れ切れを起こさない限り動くことができない点。そして絶対零度の壁はレイのエーテル残量から見ても数分。向こうが仮にも弾薬を豊富に確保していたらこちらのタイムリミットを超えてしまう。
「持ってどのくらいだレイ」
「多分だけど、五分が今は限界かな」
この灼熱地獄の砂漠での使用と、昨夜からの大量エーテル消費に加えて無数の弾丸。溶けて削られる場所を瞬時に修復し続けると同時に展開し続けるだけの容量。それらを見積もってレイ本人が出した時間が五分だった。元々絶対零度はエーテルを大量に消費する法術でもある。
「五分か、よし分かった。お前ら聞いてくれ」
ガズルが作戦を伝えるためにレイの周りにメンバーを集める、手際よく各々に伝達を行い各自が頷く。銃弾が氷にぶつかる衝撃音が彼らの周りに響き渡る中淡々と喋るガズルに思わずレイが舌を巻く。
「こんな短時間に良くそんなこと思い浮かぶよね本当」
「全員の戦力はとっくに確認済みだし、大したことじゃない。んじゃぁまずはアデルから行こうか」
「アデルから行こうか、じゃねぇよ! 簡単に言いやがって」
帽子を被りなおしてグルブエレスとツインシグナルを鞘から引き抜く、同時にレイから風法術の加護を受けると一目散に走りだした。
「オラオラオラッ! こっちだ!」
氷の壁から勢いよく飛び出したアデルに一斉に銃弾が襲い掛かる、無数の弾丸はアデルの走る少し後方へとほぼ全てがずれて弾着する。
次にギズーが幻聖石からウィンチェスターライフルを取り出すと砲術弾を一発込めてコッキングする。ゆっくりとレイの隣に立ち、氷に隙間ができるとウィンチェスターをその中に入れて銃身を固定した。狙いは盗賊団中央、勢いよくトリガーを引くと一発の弾丸がまっすぐ飛んでいく。着弾。
「ちょっとズレたな」
「誤差だよ誤差」
銃身を氷の壁から抜いてそう呟いた、狙った場所より数センチずれた場所に着弾したのがどうやら納得いかないらしい。その様子を隣で見ていたレイからすればこの距離で数センチ程度の誤差であれば凄いものだと感心する。
「ミラ、後はテメェの仕事だ」
「言われた通りにするけど、上手くいくかなぁ」
法術の準備を整えたミラが着弾した弾丸へとエーテルを注ぎ込むと一面に電流が走った、この時ミラは心底驚いていた。一瞬だけ電流が走ったと思うと次の瞬間スパーク現象を起こした。
また同時にアデルに向けられた弾丸の雨はぴたりと止んで、盗賊団の半数以上が倒れた。
ガズルの作戦はこうだ、まだ先の長い砂漠越えを警戒しての最小戦力での敵陣撃破。アデルを囮にすることで絶対零度の障壁緩和、同時に万が一に備えてウィンチェスターに弾丸が命中し破損することを回避。
使用したのは雷の法術弾、だがこれは使ってみて初めて分かったことがあり運用に難点があった。一つは着弾時の法術発動ではなく弾速を可能な限り加速させる効果、それを封じ込めるために二重に法術を重ねることで弾速向上と着弾後の発動を可能にさせる。ただし、着弾後自動的に発動する事は出来ないことも実験済みで、起爆となるエーテルが必要となる。そこでミラのエーテルで起爆させる。
アデルには申し訳ないがこの中で一番体力があることも考慮して全速力で走って逃げ回ってもらう、仮に弾丸が命中するような危険性があった場合ファリックがその弾丸を打ち落とす。ミトはレイの消耗した体力とエーテルを補給。ガズル自身は相手の出方を観察して次の一手を打つために警戒していた。
「おーおー、半分以上片付いたか」
主に前線にいたのはショットパーソルを所持していた者ばかりだった、遠距離で一方的に撃てば勝てるだろうと思っていたのだろう。それが外れた今近接武器を所持している後方の三十人程がジリジリと後退し始めるのをアデルは見た。
「もう少し数を減らした方が良いな、また奇襲を受けても面白くねぇ」
そう言うと散り散りになって逃げようとしている残りの盗賊団の元へとアデルは跳躍した。