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記憶をめぐる、彼と少女の物語  作者: 葛生雪人
八、こびりついた記憶
23/49

1.

 今日もまた、ヴァールの家の前は賑々しい。

 疎ましく思いながら、家の中からのぞいていると、しとしとと雨が降ってきた。

「こりゃまずいぞ」

 気づいた村人たちは散っていく。

 体が濡れても大して気にしない彼らだが、この季節は濡れてはまずいものが村中にあふれているのだ。

 収穫した穀物。刈り取った家畜の毛、燃料となるふんも、食糧となる肉も、残した家畜のエサにする牧草も。みんなみんな、冬に向けて乾燥作業の途中なのだ。

 山のあちこちに並べた冬支度の品物が、この雨で濡れてしまってはたまらないと、村人たちは一目散に去って行く。

 カムラも例外ではなく。

 大きな忘れ物をしたことにも気づかずに、村の外からの客たちに雨宿りできる場所を案内しつつ、イモの干し場へと駆けていった。

 雨音を聞きながら、忘れ物と目が合った。

「ぬれるぞ。ぬれるぞ」

 キャッキャ、キャッキャとはしゃいでる。

 当然のように家の中へ入ってこようとするので、有無を言わさずに押し返した。

「なぜだ!!」

 予想はしていたが、己が正しいかのように食い下がられると、腹を立てずにはいられない。

「逆に聞く。何故入ろうとしている」

「だって雨が」

「帰ればいい」

 号令をかけて『回れ右』をさせた。だが必死に抵抗するビルカ。

「だってぬれるぞ!」

「今ならまだ平気だ。さっさと行け」

 強引に帰そうとしたが、空はビルカに味方したようだ。

 ビルカの体を軒下から追い出したと同時に雨が本降りになった。その雨量の唐突なこと。一瞬にして全身ずぶ濡れの、不憫な幼子ができあがった。

 強気な顔が驚きへと変わり、救いを求める切なげな表情へと転じる。

「あ、あ、雨が……」

 すがるような目つきと、現状を処理しきれずに思考停止に陥らんとしているその姿に、ヴァールは頭を抱えため息をついた。

「雨が止むまでだからな」

 ヴァールの声に怒りの色がありありと見えていたはずなのに、言葉の表面だけをさらったビルカは明るい笑顔を咲かせた。

 返事も忘れて、家の中へ侵入する。そのまま寝室に飛びこもうとしたので、襟首をつかんで台所に待機させた。

「まず『それ』をなんとかしろ」

 足もとに滴る水を指差す。

 ビルカは獣のようにぶるっと身震いをして水滴を吹き飛ばすと、被害の大きかった上着だけをその場に脱ぎ捨てた。そしてヴァールの脇をすり抜けて寝室へと忍び込む。途中で靴も放り投げる。ビルカの通り道には濡れた衣服と水たまりとが置き去りにされた。

 その後をたどるヴァールは使用人にでもなった気分だ。気になるほどの水たまりは拭き取り、そうでないものは蹴散らし、衣類は拾って刺繍を傷めぬように慎重に水気を絞る。水滴がこぼれなくなったことを確認すると今度は干し場所を探し頭を悩ませる。

 流れでそこまでしてしまってから、ふと気づく。

「どうして俺が」

 少女のために動かされた分だけいつもより余計に腹が立ち、水気を取ってシワまで伸ばした衣裳を地に叩きつけたくなった。しかし実行してしまえばここまでの作業が無駄になるのだと思うと、口惜しい気持ちもある。ヴァールは振りかぶった腕をそっと下ろした。

 ビルカはヴァールの葛藤などには興味を持たず、濡れたままの体でベッドに飛びこもうとしているところだった。

 もちろん制裁が加えられる。

 硬いゲンコツのあと、頭を押さえ痛みを訴える。その間にヴァールはビルカの体を持ち上げ、椅子の上へと移動させた。

「そこから動くな」

 そう釘を刺して、ヴァール自身はベッドに寝転がった。

 ビルカが見ている。うずうずしてる。

「言うことを聞かないなら、今すぐ追い出すぞ」

 ヴァールが言うと、偶然か、雨脚がいっそう強まって、ビルカのイタズラ心をいさめた。今度はヴァールの味方にまわったようだ。

 ビルカは不服そうな顔でヴァールを睨みつける。

 ヴァールは目を合わせることなく、そっとまぶたを落とした。

 はじめは不平不満を唱えていたビルカだったが、すぐにその声は陽気な旋律へと変わる。

 雨音に混じってビルカの鼻歌が聞こえた。

 気分に合わせ即興で歌ったようなものとは違う。彼女の中にある歌を自覚なく音に変えているようだった。

 山の民らが歌う旋律とは明らかに異なる。ヴァールにとっても耳馴染みのない音楽だ。帝都には多数の民族が集まっていたが、そこでも聞いた覚えがない不思議な旋律。しかし知らぬ音楽ではあったが、どこか懐かしさを感じる歌でもあった。

 軽快な鼻歌の合間に、別の物音が混じってきた。

 ガサゴソと。

 硬いものをどこかにぶつけたような音もある。ヴァールは片目を開けて様子をうかがった。

 目が合った。

 何かまずいことをしていたという自覚があるようで、ヴァールの視線を見つけるなり、ビルカはその場で硬直した。手には彼女の顔よりも大きい、豪華な装丁の本があった。

「う、動いていないぞ」

 たしかに。椅子の上からは一歩も動いていないようだ。ただし、そこから手の届く範囲で、好奇心の赴くままに色々なものへ手を出しているようだった。

 机の上に置かれた本、食器、工具やナイフも見つけたらしい。

 すぐに叱られなかったことで許可が得られたとでも思ったのか、ビルカは目の前に並ぶ物たちへの欲求を隠そうともしていなかった。

 どうせ今の今まで存在すら忘れていたガラクタたちだ。ヴァールの手を煩わせずに暇をつぶしてくれるというならまあ良いか、とナイフや工具という危険物だけはよけて他は大目に見ることに決めた。

 しかしその判断は失敗だったのかもしれない。



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