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「集団の幸福」と「個人の幸福」の衝突

2020年初頭、中国の武漢を発生源とする「新型コロナウイルス感染症」が世界中に拡散された。様々な説が飛び交っているものの、概ね、「2019年12月頃に最初の感染者が発生し、武漢市内で流行し、2020年1月になると中国全土に拡散されていった」という風に推定されている。


特に、1月下旬から春節(旧正月)が始まり、中国人が世界中に旅行に出かけたことがパンデミックを引き起こす直接的な原因となった。もし、春節がなければ、世界中にウイルスが拡散されることがなかったかもしれない。


ただし、台湾のように、春節の前に中国大陸からの人の流れをシャットアウトして、防疫に成功した地域も存在する。日本も実行しようという政治の意志があれば、春節前にシャットアウト可能だったはずだ。


しかし、現実は、春節中に90万人以上の中国人が観光目的で日本に入国してきた。春節期間中としては、過去最多の数らしい。その中の数%がコロナ感染者だったとした場合、数万人が日本各地でウイルスをばらまいていったと推測される。


もちろん、「進んだ時計の針を過去に戻す」ということは不可能だ。時間を巻き戻したくても、巻き戻せないのが現実だ。だからといって、「過ぎ去った過去のことをどうこう言っても仕方がないのだから、水に流し、これからのことを考えよう」という態度が全面的に正しいとも思えない。


少し、どぎつい表現になるが、「レイプ犯罪者によって妊娠させられた」という状況を考えてみて欲しい。そして、そのレイプ犯が、「お前、妊娠したんだって?じゃあ、中絶手術してやろうか?」と言ってきたとして、「ありがとうございます」と感謝できるだろうか?


できるはずがない!「ふざけるな」と言う人が殆どだろう。


現在の日本の保健当局(厚生労働省や保健所)は、「春節での中国人入国」という大きな判断ミスを追及されないまま、国民に対し、強権を行使している。感染者は意に反して強制的に隔離され、濃厚接触者は追跡され、無理やり検査されている。そして、陽性ならば、無症状でも強制隔離だ。


何故、我々、一個人は、国家の過ち(中国人を春節に大量入国させたこと)の責任を負わされないとならないのか?何かがおかしい。何かが間違っている・・・。


右派も左派も「春節前に中国からの人の流れ」を止めなかったことへの責任を追及していない。右派は「首相の意思決定に対する批判をすると政権批判になるのでやめておこう」という忖度。左派は「中国への差別につながりかねないので、春節で受け入れたことの問題を指摘しないでおこう」という忖度。


そして、右派も左派も、「もっとPCR検査を強制し、もっと強制隔離しよう」と大合唱している。右派が国家権力の強権行使を賛美するのは分かる。しかし、本来、「国家権力の強権行使」という人権侵害に慎重であるべき左派・リベラル系までもが、同じ主張をしているのだ。


国家権力を憎む者にとっては、絶望的な状態だ。しかし、この絶望の中でも、何とか国家からの自由を獲得したい、国家権力の魔の手から逃れたいと思う人もいることだろう。この物語の主人公も、そんな一人だ。

21世紀。


誰もが「疫病など過去の話」と思い込んでいた。


「中世のヨーロッパでペストが流行し、大勢が犠牲になった」と世界史で習ったことがあっても、大昔の話であって現代では無関係の話だと。


ところが、2020年初頭、突如、世界は疫病に覆い尽くされた。


疫病の原因は、中国の武漢で発生した新型コロナウイルスだ。


ウイルスは瞬く間に世界中に拡散し、多くの生命を奪い続けている。


アメリカも欧州も日本も例外ではない。


世界中の国家が緊急事態を宣言し、人権の制限が行われている。


感染者を発見したら強制隔離、濃厚接触者の追跡・検査・・・「検疫のため」という理由であれば、個人情報保護法の例外となる。


イベント参加者の名簿、航空機などの搭乗者名簿・・・様々な個人を特定するための資料が保健当局に接収され、接触者の特定に利用される。


「防疫」という錦の御旗を前にすると、「人権」という理念は脆いものだ。

いつ新型コロナウイルス感染症の流行が終息するのか、誰にも予測できない。

人類初めての経験であり、対処法など存在しない。


そんな中、「公衆衛生」「防疫」という概念を錦の御旗に掲げ、個人の人権の制限を正当化する論理が猛威を振るっている。


「公衆衛生のため、個人が強制隔離されるのはやむを得ない」

「防疫のため、個人の人権など無視して、国家権力が強権行使すべきだ」


そのような言説が飛び交い、法体系も保健当局による強権行使(濃厚接触者の追跡、強制検査、感染者の隔離)を正当化する。


「集団」の利益を考えると、それは一理ある。しかし、「個人の人権」という崇高な理念はどこにいったのであろうか?国家のために、一個人は犠牲となり、粗末な体育館のベッドの上に監禁され、監視下で死ぬまで、不自由な生活をさせられるのは正しいのだろうか?もっと、人権を重んじた防疫方法は存在しないのか?


読者の皆さんに考えていただけるとありがたく思う。

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