3曲目 うたうたいたい
オレは人前で演奏できるだろうか……って頭で考えても始まらない。そう思い、顔を上げると篤人が厚いクリアファイルを持って立っていた。
「そうだ、令治。これがうちのバンドでやってる曲のTAB譜だ」
篤人から渡されたのは日焼けもしてないし、折れてもいない真新しいギター専用の楽譜だった。
「レッドハーツくらい簡単だから、すぐに弾けるだろ」
それはレッドハーツに失礼では?
そう思いつつオレは新しい楽譜を前にすると、心が躍る。新しいおもちゃを前にした時の子供みたいな感じだ。
「じゃあ、俺はちょっと用事があるから。がんばれよ、令治」
と、言って篤人は部室を出て行った。立つ鳥跡を濁さずというべきか、格好いいなあと思っている。、
「部長の用事って、デートだろ」
キャンプで使うような折り畳み式の椅子に内股で座っていた郁実が気怠そうに言った。
ちゃんとスカートの中が見えないようにしているのがオレの神経を逆なでする。
「え、そうなの?」
と、思わず口から出た。
「なんか久しぶりに格好付けてたよね。いつもなら、ニヤニヤしてデートしてくるって言うくせにさ」
金木の方を見ると、ドラムの椅子に座っている。スカートの中が丸見えになるような感じで。見えているのはスパッツだけど。
「僕は笑っちゃいそうだったよ……もう無理」
金木はドラムのスティックを握ったまま、クハハとちょっと変な笑い声を上げていた。
こうして、篤人の化けの皮は、簡単に剥がされてしまった。
赤坂のお姉さんとデートなのか……オレもさっき赤坂と一緒にいたけど、周りから見たらデートに見えたかもしれないな。などど、考えてしまった。
郁実は金木に憐れむような視線を向けてからオレの方を向くと、
「浪漫は笑うと長いから、練習を始めていいぞ」
チューナーに繋いだベースを抱えて、座ったままチューニングを始める。
一方、金木は腹を抱えてまだ笑っていた。初めて見た時から一時間も経っていないのに彼女の印象が変わった。
最初は取っ付きにくそうだったのに、今では面白い奴に見える。こいつとは仲良くできそうだと思う。
ただ、郁実のほうがちょっと気がかりだった。
郁実とは、姉さんが亡くなった後にバンドを組んだものの、中学二年の文化祭ステージでオレが大失敗をやらかしたあと解散した。それから疎遠になっていたからだ。
とりあえず、軽い感じで話し掛けてみよう。さっきも普通に話してくれたし、きっと大丈夫だろう。
「郁実、チューニングが終わったら、チューナー貸して」
と声をかけたのが、
「まあ……いいけど」
郁実はこっちを見ようともせず、ぼそっと呟いた。
なんか、貸すのは嫌だなという気持ちが滲み出ている気がする。どうしよう、まず郁実との仲を良くしないと軽音部を一つに出来ないか。そんなことを考えていた。
「チューニングは、まだ終わらないから二階に行って部長のチューナー探してくれば?」
郁実は相変わらずそっぽをむいたまま、冷たい声で言った。
そこまで貸したくないのかとちょっと頭に来たけど、本音を口にしたらバンドを続けていけない。
「わかった、ありがとう」
苛立ちを堪え、思ってもいないことを口にした。
それから梯子みたいな階段に近づく、その前には簀子が敷いてある。そこで靴を脱いで二階に上がった。
二階には少しチクチクする古い絨毯が敷かれていたそれに押し入れと小さな冷蔵庫といくつかのカラーボックスが置いてある。
チューナーを探すために、まずカラーボックスを覗き込んだ。そこにはバンドスコアとバンド物の漫画が置いてあるだけで、チューナーなんて見付からない。
一体、どこにあるんだと思っていると、金木が階段を上ってきた。
「あー、令治君、チューナー見付かった?」
彼女は笑い過ぎてお腹が痛いのか、脇腹を左手で擦っている。オレの前で格好付けている篤人がよほど面白かったんだろう。
軽音部での篤人は、一体どんな奴だったんだろうと想像してしまった。
「いや、まだだけど。どこにあるか知っている?」
と、聞くと彼女は腕を組んで難しい顔をした。
「確か、あの押し入れの中にあったと思う。部長……じゃなくて篤人先輩はチューナー無しでやってたから、使ってるとこを見たことないんだ」
それを聞いて、オレはまだまだ未熟だと思った。オレは絶対音感はあるのだが、いまひとつ自分の音感を信じることができない。
だから、ギターを弾いていても、ピッチがズレているような気がして仕方がなくて、チューナーを使うようにしている。
言われた通りに押し入れを開けると、軽音部と書かれた大き目の段ボールが出てきた。
「たぶん、これだ」
段ボールの中には広辞苑くらいの大きさのギターアンプが一つ、シールドが二本、そして目当てのチューナーが入っていた。
チューナーは電池で動くタイプだったから、長い間使っていなくて動くのかな、と心配しながら電源を入れると、ちゃんと動いた。
すると、金木が真面目な顔をして話しかけてきた。
「でも、これだけは言わせて、郁実は意地悪であんな事を言った訳じゃないよ」
この二人なの仲の良さが伝わってくる。
「実のチューナーはベースとギターを切り替えるボタンが壊れてるんだ。それを知られたくなかったんだと思うの」
それを聞いてほっとした。まあでも、そのことは郁実には黙っていた方がいいな、と思っていると、金木はさらに秘密を暴露した。
「郁実は新しい可愛い服を買って、チューナーを買い替えるお金がないのよ」
なるほど郁実らしい。アイツは格好付けたいだけでベースを始めたら、才能が開花した男だからな。
「分かってるって、バンド組んでたし、小中も同じだったから」
「あとで、そのバンドの話を詳しく聞きたーい」
と、金木は言ったが、オレは何も答えずに階段を降りた。
一階に降り、階段に腰かけて靴を履いていると、チューニングしていたはずの郁実が近付いてきた。オレが見上げていた彼の顔は怒っているように見える。
「お前、人前に出て演奏出来るのか?」
郁美は口紅で彩られた唇を動かし、低い声で言い放った。その言葉がオレの心に突き刺さったのだ。オレは喉の奥から絞り出すように声を上げて、
「あれから演奏したことないから……分からない」
と答えるのが精一杯だった。申し訳なさと後ろめたさから、アイシャドーの後押しを受けた力強い郁美の目と自分の目を合わせていることも出来なくなり、オレは俯いた。
「なんだよ、それ。なんか言えよ」
郁美の声が聞こえてきた。オレには彼の顔が見えていないが、不機嫌なのは火を見るより明らかだ。何かを言わないと、そう思うが言葉が出て来ない。その時だ。
「令治君、僕も下に降りたいから、そこをどいてくれないかな?」
二階から金木の声がして階段を降りる音が聞こえてきた。オレは慌てて立ち上がり、そこからどいた。Tシャツ姿の金木がギシギシと音を鳴らして階段を降りながら、
「まあ、郁美もそんなに怒らないでよ。とにかく令治君に弾かせてみたらいいじゃん」
と言う。彼女がいなかったら、何も言わないオレに郁美が痺れを切らして、オレを殴っていたかもしれない。
「じゃあ、弾いてみせろよ。私達二人の前でも弾けなかったら、お前がライブなんて出来ねえってことの証明になるからな」
郁美の言葉がオレを焦らせる。急いでギターケースからギターを取り出し、アンプと繋ぐ。
チューナーを使わずに自分を信じて、音を合わせた。ストラップを肩から掛けて、立ったままギターを構えた。後は演奏を始めるだけだったが、何を弾けばいいんだと頭を悩ませている。
「お前が好きな曲を弾けよ」
郁美が言ったからだろうか、オレが失敗した時の曲『小さな愛のうた』を弾こうとした。出だしのコードに指を置いた時にピックを持っていないことに気が付く。
しゃがんでギターケースのポケットからピックを取り出した。
よし、弾くぞ!
そう意気込んだが、指が動かなかった。やっぱり人前で弾くのは無理なのか?
郁美と浪漫の視線がオレに向けられているのが分かると、頭の中が真っ白になっていった。オレにバンド活動する資格はないのか。それともギターを弾く資格はないのか。
「ちっ……弾かねえなら帰る」
郁美はベースをケースの中にしまって、半開きのシャッターを潜り部室から出て行った。
「え、ちょっと待ってよ、郁美」
金木が半開きだったシャッターを大きく開けて郁美の後を追いかけていく。オレは一人で冷たい風が吹き込む部室に残された。
ちくしょう……人前は無理でも、今まで通り一人なら弾けるはず。第六弦から第一弦の順にピックで弾いてみると音もズレていた。人前だと音感も働かないようだ。
オレはチューナーなんて使わずに自分の音感を信じてチューニングした。バンドでやったことはないけど、演奏するのはメタルカの『エンターサウンドマン』にしよう。かなり思い入れのある曲だし、今まで一番演奏している曲だ。
折り畳みの椅子に腰かけて、右足でコンクリートの床を叩いてリズムを取り始める。すると、オレの指はさっきとは別人のように動き出した。頭の中も真っ白にならずに、人前で演奏できなくなった時のことを思い出していた。
姉さんが亡くなった後の夏休みはほとんど家から出ないで、自分の部屋に引き籠っていた。
そのため、テレビもパソコンもないオレの情報源はラジオだけだ。一日中つけっぱなしのラジオだけが、時計代わりでもあり、カレンダー代わりでもあった。
スピーカーからブツンとアンプと楽器を繋げたような音がして歪んだギターの音が聞こえてきた。ということは午後の十時か。
ラジオに集中できれば、姉さんのことを忘れられた。というか、頭の片隅に追いやることができた。それに、このラジオ番組は話題のバンドの曲も流してくれるし、学生のリスナーが多いので紹介される内容も共感できるものが多い。
たぶん、一番集中出来る番組だと思う。
『今日、最初の書きこみは東京都、十三歳、ラジオネーム赤髪のMAさんから』
同じ歳のリスナーだ。この番組は高校生のリスナーが多い気がするので同じ中学一年生の書きこみというのは、珍しいと思う。
このラジオで紹介されるメッセージはこのラジオの掲示板に書きこまれたものから選ばれるからだ。
『お父さんが病気で入院しています。お父さんを少しでも元気つけたいのですが、何をしたらいいと思いますか?』
と、これについて二人のMCが話し合い、結論を出した。
『娘がお見舞いに来てくれるだけで十分だと思うよ。赤髪のMAさん聞いてくれてるといいな。じゃあ、次の書きこみ』
MCが次の書きこみを読み始める。オレは頑張れ、赤髪のMAさんと応援していた。この番組が終わった後もオレは起きていた。
ラジオから眠たくなるようなバラードが流れ始めると、オレは一階へ降りて、台所へ向かう。
明かりをつけると、両親が起きそうだから暗い廊下を歩いて、窓から微かに入る街灯の明かりを頼りに階段を降りた。一階の廊下も手探りで進み、台所と繋がっている居間に入ると明かりをつけた。
脇目も振らずに歩いて台所に入ると、すぐに冷蔵庫を開け、作り置きの麦茶を飲んだ。水分を取らず、ご飯も食べずに死んだら姉さんのところへ行けるだろうか、と一度は考えたことがあった。
だけど、そんなことで姉さんが喜ぶわけがない、そう思い直した。
自分の部屋に戻る時も居間を通る。その時は家族で使っていたパソコンが目に入った。オレはさっきのラジオ番組の掲示板を開いていた。赤髪のMAと検索をして、紹介された書きこみにレスをする。
『大変だと思うけど、頑張って』
と、ありふれた内容だったと思う。それから、オレも両親に会わないような時間に良く書きこむようになると、赤髪のMAさんとはお互いの書きこみにレスをするような仲になった。
その人との掲示板上でのやり取りは、オレの心の支えだったと思う。
夏休みも終わりに近づいた頃、篤人のお父さん、つまり叔父さんがオレの家を訪ねてきた。その時はオレしか家にいなかったから、仕方なく玄関にいく。
「令治の好きなキミ持ってきたぞ。悲しい時はんめぇ物ば、けば元気さなるべ」
キミとは津軽弁でトウモロコシのことで、叔父さんは悲しい時は美味しい物を食べれば元気になると言ってくれたのだ。そしてトウモロコシが十本くらい入ったビニール袋をオレに差し出した。
「……ありがとう」
オレはそれを受け取ると、予想以上の重さでふら付いてしまった。
「叔父さん、篤人は?」
叔父さんが畑で取れた物を持ってくる時は荷物持ちとして、篤人も来ることが多かった。
「篤人は今日もバンドの練習だ。祭ちゃんの葬式の後もバンドメンバーと集まって一晩中練習してたな。次の日には、いつも通りの篤人だったべな」
篤人は凄い人だと思った。叔父さんはオレの目の隈を見て、ちゃんと寝ろよと言って帰っていった。
そして八月後半に夏休みは終わった。その頃になると、赤髪のMAとのやり取りは減っていたと思う。
オレは寝不足でボロボロになった体を引き摺って登校した。食事の量も減って体重が軽くなり、目の下には隈が出来ていた。
「令治、そんな体で大丈夫なの? 今日は休んだら?」
と、母さんには心配されたがオレはそれを聞かなかったことにした。家にいるのも嫌になって、少しでも体を動かしたら鬱々とした気持ちが晴れないかなと思っていたからだ。
学校へ行き、教室に入るとオレの姉さんが亡くなったという話が広がっているようだった。
「ご愁傷さま」
「大変だったね」
などと声を掛けてきたクラスメイトもいたが、オレは寝不足で朦朧とした意識の中で頷くのが精一杯だった。葛木と郁実にも久しぶりに会った。
「おい、体調悪そうだな。大丈夫か?」
葛木がオレを心配していた。彼の隣に立っている郁実も心配そうな顔をしている。他のクラスメイトはちょっとした有名人の姉さんのことしか言ってこなかったから、二人の気づかいが嬉しかった。
「ああ、大丈夫だ」
全然大丈夫じゃないけど、口から出たのはこんな言葉だった。その後に二学期の始業式があったんだが、校長先生が話している途中でオレは倒れた。
目が覚めた時は保健室だった。体に鞭を打って、上半身を起こす。
「ああ、起きたのね。もうすぐ放課後だから、もう少し休んでなさい」
保険室の先生に言われた。声を出さずに頷いて、ベッドに横たわった。先生が生活のリズムをちゃんと直しなさいとか説教している。それを聞き流しながら、オレは篤人兄さんみたいに早く立ち直らないとダメだなと思っていた。
寝不足のまま保険室の硬いベッドに横たわり、先生の説教を思い出している。
「オレもバンドをやれば立ち直れるかな」
と、思わず口にしてしまった。すると、仕切り用のカーテンが音を立てて開く。
「え、マジで。令治もバンドやろうって考えるのか」
郁実が驚いたような顔をしてオレを見つめていた。カーテンの向こうには帰りのホームルームが終わっても教室に戻らなかったオレを迎えにきたと思われる葛木と郁実がいたのだ。
「よっしゃ、バンドやろうぜ」
こうして変なテンションのままバンドが出来てしまったのだった。
最初は二学期最大のイベントである文化祭で初ライブをしようと思っていた。
しかし、オレ達にはお金がなかったから楽器が買えなかった。集まっても、バンド名と何の曲をコピーするかなどの話をするしかなかったが、オレは姉さんのことを考える事が減っていた。
決して忘れた訳ではない、日々郁美と葛木の二人とバンドのことを考えていたからだ。そうしている内に中学一年の文化祭は終わってしまったんだ。
九月の中旬、久しぶりに掲示板を見ると赤髪のMAさんの書き込みはなくなっていた。
近い目標がなくなってしまい、三人のモチベーションが下がった。冬休みに入るまでバンドのことには、あまり触れなくなっていた。
「オレにはギターがある。葛木と郁実はどうするんだ?」
冬休みの初日にオレは二人にこう言った。郁実はニヤリと笑い、
「ああ、初心者向けのベースセットをお年玉で何とかするぜ」
と親指を立てた。
「これに今月のお小遣いを足せば、電子ドラムが買える」
葛木は貯金箱を取り出して言った。楽器を手に入れる算段が付いてやる気が出てきた。中学二年の文化祭では絶対にライブをやるぞと円陣を組んだ。
楽器を手に入れたものの全員素人だ。そこで篤人兄さん達に時々教えてもらうことになった。月曜と金曜にオレが篤人からギターの弾き方を学んだ。
「まずはコードを覚えるんだ。まずはそれからだ。その次は楽譜の読み方を教えるからな!」
篤人兄さんはオレがバンドを始めたのが嬉しいのか、物凄く熱心に教えてくれた。オレもその期待に応えようと、やっきになって家でも勉強そっちのけで練習した。父さんと母さんもオレを応援してくれた。
郁実と葛木もそれぞれのパートの人から教わることができたのだった。
それでもオレと葛木は演奏するだけで精一杯だったが、音楽が得意でピアノを習っていた郁実が何とか歌いながらベースを弾けるくらいの腕前になっていた。
文化祭当日を迎える頃には練習してきた曲は何とか形になった。出番が近付いてきて舞台袖から観客席を見ている。
「緊張するな」
三人の内の誰かが言ったんだ。そうすると、どうだろうか。今まで、それほど意識していなかったのに凄いことを始めようとしているんだなと思い、心臓がすごいスピードで鼓動を打ち始めた。
ふと、姉さんのことを思い出して暗い気持ちになり、緊張のダブルパンチで吐きそうだった。
ダンスを披露した先輩の女子グループが出番を終えて、舞台袖に戻ってきた。すれ違いざまに「がんばってね」と声を掛けられた。
「はい! 頑張ります」
と、郁実が元気に答えたのだった。彼はそんなに緊張していないらしい。ステージに視線を戻すと一旦幕が降りた。この間に準備をしてくれと言われている。
「いくぞ」
と、オレは小さく言って、姉さんのことを頭の片隅に押しやる。慌ただしく準備していると篤人兄さんが助っ人だと言って舞台袖にきた。兄さんの力もあって簡単に準備は終わった。
音がズレていないか確認するために音を出すと、ステージの幕の向こうから歓声が上がる。
『もう、準備ができたみたいですね。では、チームクレイのバンド演奏です、どうぞ』
MCの声とともに幕が上がった。今までは歓声を上げる側だった自分が全校生徒の歓声を初めて受ける。
脚がガクガクと震えて、覚えた楽譜が飛んでいきそうだった。
「こんにちは、チームクレイです。下手だけど、盛り上げられるように頑張ります」
マイクはオレと郁実の前に置いてあったのだが、郁実がノリノリでMCをした。オレはその内容をほとんど覚えていない。ただスポットライトが当たって熱かったのは覚えていた。
「一曲目、カンフーマスターで閃光のロック」
ギターが目立つイントロから始まるこの曲。オレはそこに全神経を集中させる。すると、熱かったはずのスポットライトも関係なくなった。
オレのギターに葛木のドラムと郁実のベースが入ってきて、曲がさらに盛り上がる。そして郁実が中性的な見た目とは裏腹に力強い声で歌い始めた。
ステージを見上げる生徒が思い思いに体を揺らしている。これが自分達の演奏で起こったことだと思うと、感無量だった。
会場のボルテージを上げたまま、光のロックが終わった。
「あと、二曲だ! 全力でいくぜええ」
ドラムの葛木が立ち上がり、わざわざオレのマイクを奪って叫んだ。会場が笑いに包まれる中でオレは何気なくギターを見た。スポットライトがこの日のために磨き上げられたギターのボディーに反射している。そこに姉さんの顔が写った気がした。
その顔が……棺の中で横になっていた姉さんの顔みたいだった。
まるで昨日が葬式だったかのように鮮明な映像が頭の中をグルグルしている。汗が拭き出し演奏どころではなくなっていた。
「おい、令治」
隣にいた葛木の声が我には返ったけど、次の曲がまるで思い出せない。
「香港八百で小さな愛の歌」
と郁実が言った。これはみんな知っていると思ったから、合唱するつもりだったはずだ。そんなことを考えている内に始まってしまった。
遅れたものは仕方がないと二小節くらい後から入ろうと思ったが、どうにもコードが思い出せない。ベースとドラムの音色だけで曲は進んでいった。
挽回ができない! と、オレはパニックになっていた。
そんな状態になっているオレを察したのか、ステージの照明が消える。郁実だけがスポットライトで照らされた。
生徒の視線が郁実に集中している間に何とか弾こうと思ったが、今はどこを弾いているか分からない。ギターから両手を離し、ストラップだけで支えた。もうダメだと諦めたんだ。
今までの練習したことが全然できなかった。オレにはギターが向いてないのかな。涙が零れそうだった。
そんなオレを見るに見かねた篤人兄さんが舞台袖に引っ込ませた。
「あとは任せろ。初めてのライブは、緊張するもんだ」
と兄さんがオレからギターを借りてステージに戻っていった。『佞武多ロックス』のギターが飛び入りで参加したものだから会場はもっと盛り上がっていた。
オレはそれを舞台袖の闇の中で膝を抱えて聴いていた。
この出来事のせいでオレは人前で演奏出来なくなった。ギターのボディーに姉さんの顔が浮かんでいるような気がして演奏どころではなくなってしまう。だからオレは姉さんのギターを兄さんに預けたんだ。
エンターサウンドマンの二番のサビが始まった時に、ふと視線を感じた。顔を上げると、入り口の影から浪漫がオレを見ている。もしかして、人前で演奏できていたのか?
「わや上手いね! てか、僕の前でも弾けるじゃん」
金木は目をキラキラとさせている。
「今は、途中まで見られているのに気が付かなかったから」
と、オレは言ったが、彼女は首を横に振った。
「チューニングしてた時から見てたよ。やっぱり絶対音感持ってるんだね。弾いてる姿も様になっていたし、カッコよかったよ」
ほぼ最初から見られた。
一応人前で演奏できたのか……というか面と向かって褒められたのも久しぶりだ。何か恥ずかしい。でも、見られていることを意識しなかったら、弾けるということなのか?
「あ、そうだよ! きっと一緒に演奏する人がいれば大丈夫になるんじゃないかな? よし、僕がドラムを叩くからやってみよう」
と、言った金木はオレの横を通って、ドラムの椅子に座りステックを構えた。そう言われたけど。
「やる気満々のところ、あれなんだけどさ、何を弾くんだ?」
それを聞いた金木はちょっと考えて、何か分かったようだ。
「ああ、そうだよね。お互いに何が弾けるか分からないもんね。好きなバンドは?」
その通りである。だけど、ここでメタリカと答えたら、赤坂の時みたいに知らないと言われそうだと思った。
「カンフーマスターとかSCANDAYとか」
ふと、思い付いたバンドを口にした。
「SCANDAYいいよね。僕、ガールズバンドが好きなんだよ。意外に気が合うね」
きれいな笑顔を向けられてしまった。嘘をついているのが心苦しい。金木は凄く詳しそうだ。マイナーな曲を言われても困るので、最近動画にして投稿した曲にしよう。
「そ、そうだな……だったら、少女エースなら最近弾いた」
「おお、いいね。それにしよう。ちょっと待ってて、二階にバンドスコアあるから一応持ってくるよ」
金木はすぐに立ち上がり階段を上って行った。楽譜があると分かったオレは人前でもちょっと上手く弾けそうな気がする。そんなことを考えているとすぐに彼女は階段を降りてきた。
「さあ、やろう」
楽譜と吹奏楽部で使うような楽譜立てだ。
「なんで楽譜立てがあるんだ?」
「壊れかけのやつを貰ったんだよ。篤人と吹奏楽部の顧問は仲がいいからね」
篤人ならそうだろうなと納得してしまった。オレはそれを使って楽譜を立てる。
「令治君、準備できた?」
「おう」
前奏が思い出せなかったので楽譜を見ながら、ギターを構える。
「ワン、ツー」
金木の声に合わせてギターを弾き始める。鼻歌でメロディーを奏でながら、軽い気持ちで指を動かした。イントロが終わると、
『前から――』
彼女はドラムを叩きながら歌い出したのだった。ちゃんとドラムセットを見ていなかったから気が付かなったけど、どうやらマイクもあったようだ。
他人と演奏したのは本当に久しぶりだ。前に動画サイトでコラボしたこともあったけど、それは録画した動画をコラボしようと言い出した人に送って、集まった動画を一つにまとめたものだった。
実際に集まって演奏したわけじゃない。
さっき一人で演奏した時とは違って心に余裕がある。人と一緒に演奏する楽しさが湧き上ってきて、トラウマが押し流されているように感じた。
「令治君、本当に上手いね!」
間奏に入った時、金木が話し掛けてきた。彼女の方を見ると薄らと汗をかきながら、ドラムを叩いている。十一月なのにTシャツを着ている理由が分かった。オレはちょっと声を出す余裕がなかったので、コクリと頷くのが限界である。
冷たい風が開けっ放しのシャッターから入ってきた。チラリと視線を向けると、肩に着くくらいの黒い髪をなびかせて郁美が立っていたのだ!
しかもベースをストラップで肩から掛けている。手に持っていたシールドをベースアンプに刺し、電源を入れた。郁美はこの動作を三十秒足らずの間奏の間にやってのけたのだ。
二番が始まる時には唖然としてギターを弾く手を止めたオレを他所にベースの音も加わり、金木はノリノリでドラムを叩き、歌っている。
ここで負ける訳にはいかないと、オレも三小節遅れで何とか弾き始めた。途中から弾くのはかなり難しいし、まして他のメンバーと合わせてで上手くいくと思わなかった。ものすごく嬉しい。
そんな気持ちで曲が終わった。
「これを人前って言っていいのか分からない。んだけど、お前弾けるじゃねえか!」
郁美が怒っているような口調で言ったが顔は笑っていた。
「ありがとな!」
と、オレは言い返したのだった。その後、怒って帰ったのにも関わらずノコノコと戻ってきた郁美は恥ずかしくなったらしい。
「もう帰るからな!」
捨て台詞を吐いて帰ってしまった。残されたオレと金木は顔を見合わせ、
「もう部活終わろうか」
「そうだな」
と呟くように言ったのだった。
「僕、着替えてから帰るから先に帰ってて、お疲れー」
金木が額に滲んだ汗を拭いながら階段を上っていく。
「お疲れ」
と言って、オレはギターを片付けた。
だけど、一応人前で演奏できたんだ。姉さんが亡くなってから止まっていた時間が少しずつ動き出した気がする。今日は最高の気分だ。