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じょっぱりシャモロックR  作者: 四条半昇賀
2/10

1曲目 令治、思うままに

 オレが中学一年生の時だった。

 ある日、姉さんが大きな荷物を持って帰ってきた。


「おかえり、姉さん!」


「ただいま。令治、ちょっとこれ持ってて」


 大きな荷物を渡された。なんか、大きなテニスバッグみたいだ。

 オレはテニスのグリップみたいに細くなったところを持った。ラケットとは比べ物にならないくらい重い。

 その間に姉さんは玄関に腰かけて、靴を脱いだ。


「姉さん、この鞄って何が入ってんの?」


 姉さんは靴を下駄箱に入れてから、答えた。


「鞄じゃないよ、ギターケース。エレキギターが入ってるの」


 エレキギターって、こんなに薄いのか?


「父さんの持ってるギターは厚いじゃん」


「あれはアコースティックギターだよ」


 と、言われたけど何が違うか分からない。オレはギターといえば父さんのヤツしか実物を見たことがなかった。


「もしかして、わかってないの? 練習するとこ見せてあげるから、リビングに持って行ってて」


 オレは言われた通りにギターケースを持って、居間へ向かう。

 姉さんが高校に入ってから、一緒にいられる時間が本当に少なくなった。去年までのように一緒に登校することもないし、姉さんが高校の軽音部に入ったせいで帰りも遅い。

 だから、そんな風に声をかけられて正直嬉しかった。


「さあ、練習するよ。令治」


 一度、二階の自分の部屋へ行っていた姉さんが居間に来た。スピーカーの付いた箱みたいなやつとケーブルを持っている。


「なにそれ?」


「まあ、見ててよ」


 姉さんはギターケースからギターを取り出した。テレビで見るバンドマンみたいでカッコイイ、真っ赤なギターだ。父さんのヤツとは全然違う。


「カッコイイでしょ? でも、ほら、普通に弾くと父さんのギターみたいな音は出ない」


 ドヤ顔でエレキギターについて教えてくれた。


「ケーブルじゃなくて、シールドっていうんだけど、それをアンプに刺す。それからギターを弾く」


 姉さんがギターの弦を上から順に弾くと、スピーカーからカッコイイ音が聞こえてきた。

 オレが歓声を上げると、姉さんはしたり顔で胸を張った。ギターとそれを抱えた姉さんが、小さい頃に憧れたヒーローよりも格好良く見えた。


「オレもギターを弾きたい!」


「このギターは私のだから貸してあげないよ」


 姉さんはギターを抱きかかえるように持ってちょっと怖い顔をした。


「違う。そうじゃなくて、オレもギターが欲しい!」


 オレがそういうと姉さんは笑って頷いた。


「いいね。でも、ギターって高いんだよ。私はバイトしてお金を貯めて買ったけど、令治まだ中学生になったばかりでバイト出来ないから、父さんに買ってもらうしかないね」


 そんな話をしていると、父さんが帰ってきた。二人で父さんを説得して、二ヶ月後のオレの誕生日にギターを買ってもらうことになった。

 だけど、一つだけ条件をつけられた。父さんのアコースティックギターで『さくらんぼ白書をもう一度』という曲を弾けるようになったらというものだ。


「楽譜は私の音楽の教科書に載っているから、一緒に頑張ろう」


 それから夏休みごろまで姉さんからギターの基本を学ぶことになった。

 姉さんと一緒に過ごせたのは、二人が学校から帰ってきて、晩ご飯を食べるまでの少しの時間だった。でも、オレにとっては宝石みたいに貴重な時間だった。


「指の長さが足りなくて、Fが押さえれない」


「そういう時は、こうやって六弦を押さえないで人差し指で一弦と二弦を押さえるといいよ」


 姉さんの声が今も耳元で聞こえるようだ……。



 今日は金曜日。明日は休みだ。普通ならテンションマックスで、帰りのホームルームが終わるのが待ち遠しくてしかたがないところだが、オレは睡魔に囚われて、机に突っ伏していた。

 おかげで懐かしい姉さんの夢を見ることができたのが、ちょっと嬉しかった。


 それにしても、物凄く眠い。昨晩は、動画サイトに投稿するために、深夜までギターを弾いて録画していたんだ。まあ、このクラスにはオレの趣味を知ってる奴なんていないけどな。

 そう言えば、ホームルームが始まって何分経っただろうか。ずっと寝ているけど先生からは何も言われていない。オレの前の席には真っ赤な髪をした赤坂がいるからだ。うちの学校には髪の色についての決まりはないから、何色に染めようと勝手なんだけど、他にこんな派手な奴はいないから、先生も彼女が気になってしまうようで、後ろの席のオレはほとんど無視されている。

 なんか、自分が空気になっている気がした。


「ちょっと起きて」


 近いところから、標準語が聞こえてきた。青森市の高校生は訛っているのが普通であって、綺麗に標準語を話せる奴は少ない。その一人が……。


「プリント集めているから起きろよ」


 ゆっくりと顔を上げると、声の主は前の席にいる赤髪の赤坂だった。赤坂は中学まで東京にいたから標準語しか話せないんだ。


「え、あ、うん。プリントって、進路調査のやつ?」


 オレは机の中に手を入れて、一枚の紙を引っ張り出す。それは進路調査表だ。

 ただし、肝心の進路を書く欄は空白のままだ。オレは高校を卒業した後に、何をしたいか分からない。

 いや、そもそも一体何のために高校へ来ているのかすらわからないのだから、そんなの書ける訳がないんだ。

赤坂は、オレの進路調査表を見て首をすくめると、


「アタシと中嶋のはないから、放っておいていいよ」


 前の生徒に向かって、言い放った。前の生徒は嫌そうな顔をしてプリントを前に送っていった。たぶん、最初から無いって言えと思っているに違いなかった。

 それにしても「アタシと中嶋のはない」ってことは、こいつも進路表を書いてないってことか。そんなことを考えていると。


「ていうか、中嶋が寝てるなんて珍しいじゃん。くまも出来てるし、昨日なんかあったの?」


 彼女がオレの顔をマジマジと見つめながら言った。化粧が派手だけど整った赤坂の顔が近くてドキドキする。


「いや、ちょっと動画撮っててさ」


 緊張で口が滑ってしまった。


「え、動画って何?」


 どうしよう。興味を持たれてしまった。どう答えればいいのかと悩んでいる。


「あ、傷テープ貼ってる……もしかして、料理の動画でも投稿してんの?」


 彼女が妙な解釈をしてきた。確かにオレの左手の人差し指と中指と薬指には絆創膏が巻いてある。

 彼女は、料理中に包丁で指を切ったと思い込んでるみたいだが、昨夜ギターを弾いてる最中に指の皮が剥けたからこれを貼ってるんだ。

 でも、ギターを弾いてるというのを知られたくないから、「まあ、そんなところだ」と誤魔化すと、


「へえ、料理男子なんだね。アタシは全然出来ないから羨ましい」


 彼女は信じてしまった。こいつは見かけによらず、素直な奴かもしれない。ギターだけじゃなくて料理の練習もしてみようかな、とちょっと思った。


「出してないのは、赤坂美佐と中嶋令治だけか。月曜日まで待つから、ちゃんと出すように」


 集まった進路調査表をチェックした担任が、きつい目でこっちを睨んだ。そして、


「これで、今日のホームルームを終わる。家に帰ってちゃんと勉強しろよ」


 と言い残して教室を出て行った。

 すると、教室がにわかに騒がしくなった。部活に行く人は同じ部の仲間同士集まり、遊びに行く連中はこれからの予定を話したりしている。

 オレはそんなクラスメイトに背を向け、白紙のプリントを鞄に入れて教室を出て行こうとした。


「中嶋、ちょっと話があるんだけどいいかな?」


 赤坂美佐がオレに話し掛けてきた。席が前と後ろになってからは、さっきみたいな会話を時々しているが、今回はちょっと雰囲気が違う。


「すぐに終わるなら、いいけど」


「ちょっと、ここだと話し辛いから着いてきて」


 そう言われ、どういうことなのか気になったから彼女の後を追って、教室を出た。

 ここでは出来ない話とは、もしかして告白かと考えたりもした。だけど、すぐにうぬぼれちゃダメだと思い直す。休み時間はいつも一人で過ごし、放課後はすぐに帰るオレのような男が女子に好かれるわけがない。


「ここらへんでいいかな」


 赤坂は中庭に出る扉の前で立ち止まった。ここはあまり人が来ない。今も放課後の喧騒から隔離されているみたいだ。


「中嶋ってさ、このバンド好き?」


 彼女はライブのチケットをオレの目の前に出してきた。それは、最近じわじわ人気が上昇してきているヴィジュアル系バンド、エキドナの全国ツアーの青森公演だ。


「うん、最近はよく聴いてるけど……なんでオレがそのバンドを知ってると思ったんだ?」


 オレは、そこまで親しくない人に自分のバンドの趣味を知られていたことが不思議だった。もしかして、イヤホンから音漏れしてたのか? 

 なんて考えていると、彼女はガラにもなくちょっと恥ずかしそうに笑った。


「言いづらいんだけどさ、前にエキドナのTシャツを制服の下に着てたのが透けてたから。ていうか、なんでTシャツ持ってるの?」


 オレが持ってるエキドナのTシャツは紫色でロゴのデザインも毒々しい。バンドのことを知らない人から見れば、趣味の悪いTシャツだ。てか、透けてたのを見られていたのか恥ずかしい。


「あれは、雑誌の懸賞で当たったんだ」


 オレがあっさり言うと赤坂は目を見開き、ぽっかりと口を開けてオレを見た。こいつにも、こんな顔が出来るのかと思うくらい滑稽で、可愛い顔だった。そして、満面に笑みを浮かべた。


「えええええ! マジで? 運がいいんだね。うらやましい。まあ、アタシもチケットが当たったけど」


 したり顔の赤坂は見せびらかすように、オレの目の前でチケットをひらひらさせた。


「チケットが二枚あるんだけど、ライブに一緒に行ってくれない? 一人でライブハウスに行くのは初めてだから」


 思ってもない申し出だった!

 驚きすぎて、言葉が詰まる。他のクラスメイトに比べたら、たぶんオレは赤坂とよく喋る方だけど、まさかライブに誘われるとは夢にも思っていなかった。


「じゃあ、考えておいて。連絡先交換しよう。あと、このことは他の人には言わないでね」


 それから、飾りっ気のない赤いスマホを取り出す。オレもスマホを取り出した。


「なんかあったら、連絡して。またね」


 彼女はパタパタと内履きを鳴らして玄関へ向かった。 一方、オレはその場で立ち尽くしていた。高校生になってから、女子と連絡先を交換したのも一緒に遊びに行く約束をしたのも初めてだった。

 なにより、赤坂が今まで思いもしなかった可愛らしい一面を見せたことに驚き、胸の鼓動が激しく十六ビートを刻んでいた。


「何してらの?」


 今度はキツい方言を使う女子の声が聞こえてきた。はっと、我に帰る。いくら青森市の高校生でも普通はここまでは訛らない。

 目の前にいたのは、スネアドラムを抱えた女子だった。確か軽音部の子だ。


「いや、何でもない」


「んだが。これがら、中庭さ機材を運ぶはんで、よけてけろ」


 そういえば中庭にあるステージを使って、軽音部が練習しているというのは前から聞いていた。

 音楽室は合唱部が使っているので、ここでせざるを得ない。

 大きい音を出す部だから他の部活から苦情がこないのかと思ったけど、部長の中嶋篤人が人望があるのでなんとかなっているらしい。

 そのとき、オレを押しのけて中庭に行こうとしていた子がふと足を止めてオレの方を見た。


「な、もしがしで中嶋令治だが?」


 いまのは標準語にすると「お前は、もしかして中嶋令治か」という意味だ。『な』なんて津軽弁使う女子高校生を初めて見た。それはともかく、こいつはどうしてオレの名前を知っているんだ。何故か、嫌な予感がする。


「部長が探してらよ」


 やっぱり嫌な予感は当たった。


「わかった」


 と、ただ一言だけ答えて、オレは軽音部の部長である従兄の中嶋篤人に見付からないように帰宅した。



 ところが家の前に着くと、その篤人が待ち構えていた。予想はしていたが驚いた。


「よう、令治。そろそろ人前でギターを弾けるだろ?」


 ナイロン製のソフトギターケースを背負って、いつものおちゃらけた顔とは違う真剣な表情で語り掛けてくる。

 こいつはオレをバンドに誘っているんだ。それに今日が初めてではない。そして、オレは誘われるたびに断ってきた。


「だから、オレは無理だって言ってるだろ」


 篤人は高校三年生で、軽音部の中心になっているギタリストだ。お盆に会った時にそろそろ軽音部を引退すると言っていた。

 だから、自分の代わりにギターが弾けるバンドメンバーを躍起になって探しているらしい。高校に入ったときに、一度だけ軽音部に来ないかと誘われたことがある。

 オレはギターは好きだけど、バンドを組むなんてごめんだったから断った。

 その後も顔を合わせるとバンドを組もうと誘うから、滅多に会わなくなってしまった。


「いつまでも、祭姉さんのことを引き摺ってんなよ。ばあちゃん、お前が学校終わってから、すぐに帰ってくるって心配しているんだぜ」


 胸がチクリと痛んだ。母さんが心配してただなんて、今までちっとも気が付かなった。ああ、最低だな、オレ。


「これ、預かってた祭姉さんのギターだ。そろそろ返すぜ。俺よりお前の方が持ってた方がいいだろ」


 いかにも歳上らしい、諭すような声で言いながら篤人はソフトカバーのギターケースを差し出してきた。確かに篤人の言うことも一理ある。

 姉さんの形見のギターを篤人に預けてまで、あの事から逃げているオレが悪いのだ。

 オレはまるで賞状を受け取るかのように手を出すと、篤人はその上にギターケースを載せた。

 ずっしりとした重みが両手に伝わっきて、なんとも言えない気持ちが湧き上ってきた。オレは首の据わってない赤ん坊を抱く用にギターケースをしっかりと抱いた。でも、言っておかなければならないことがある。


「オレは、今でも人前じゃギターを弾く自信がない。だから、軽音部は無理だ」


「だから、乗り越えなきゃいけねえんだ。へば、よく考えてくれよ」


 最後はいつもみたいなおちゃらけた表情をして、嵐のように去って行った。

 篤人は姉さんが亡くなった後に強くなったと思う。あの時は高校一年生だった篤人、中心メンバーだった祭姉さんがいなくなった後も、自分より年上ばかりだったバンドメンバーを束ねて、活動を再開したくらいだ。

 オレも篤人ぐらい心が強ければ良かったのに。もっと強い心を、神様に授けてほしかった。

 そう思いながら、家の中に入った。


「おかえり。令治……」


 いつものように出迎えてくれた母さんは、ギターケースを背負ったオレを見た途端、びっくりしたように瞬き、胸のあたりで拳をギュッと握りしめ、絞り出すみたいな声で言った。


「篤人くんが言ってたとおり、部活を始めたのね。母さん、嬉しいわ」


 あの野郎、母さんにまで手をまわしやがったのか。

 呆れたけど、ここで否定して母さんを悲しませたくない。


「いま考えてるとこで、まだ入部したわけじゃないから」


 と、言って自分の部屋に逃げ込んだ。

 篤人のペースに飲まれている気がする。オレがギターケースを持って帰ってきたら、母さんはまたバンドをやり始めたんだと知って喜ぶだろう。そしたら、オレの性格だと母さんを落ち込ませるような事はできない。だから、部活に入るしかない!


 ここまで篤人が読んでいたなら、恐ろしい。


 篤人から渡されたギターケースを前にオレは考え込んでいた。このギターにはさまざまな思い出がある。

 もし手にしたら、すぐに弾きたくなるはずだ。いっそのことケースから出さないで押し入れにしまい込もうかと考えた。だけど、やっぱりそんな事は出来なかった。 ためらいながら、林檎のストラップが付いたチャックを開けてギターを取り出す。

 林檎みたいに真っ赤なテレキャスターだ。テレキャスターはギターボーカル向きのギターだ。

 コードを弾いて、さりげなくアドリブを挟むのに向いているが、高音が強調されやすいのでパワフルなギターソロには向かない。

 オレはそれを手に持って構えてみた。自分のギターと比べて、ほんの少し軽い。姉さんの魂の重さだけ軽くなったのかもしれない。


 このギターを貰ったのは、オレが中学二年生の八月一日のことだった。ギターを初めて一年目のことだ。

 その日は朝から家中がバタバタしていた。やることが沢山あったからだ。


「午前中はお墓参りに行くから、令治と祭も早く準備しなさい」


 一階から、母さんの急かす声がする。オレは急いで準備して、廊下に出た。そして、隣の部屋のドアを叩いた。


「姉さんも早くしてよ!」 


「ちょっと待っててね。今、着替えてるから」


 ドア越しに祭姉さんの声がした。いきなり扉を開けなくて、良かったと胸を撫で下ろす。

 もし、着替えてる最中にドアを開けたりしたら、しばらく口をきいてもらえなくなるかもしれない。

 そうしたら、姉さんのことが大好きなオレとしては辛いんだ。

 なにしろ姉さんは、癖っ毛でのっぺりとした顔のオレと血が繋がっていないんじゃないかと思うくらい美人でオレの自慢なんだ。


「さあ、母さんに怒られる前に行こう」


 姉さんがドアを開けて出てきた。短めのTシャツにホットパンツだった。青森の短い夏を楽しんでいるような服装だ。姉さんがバタバタと階段を降りていく。ホットパンツから伸びた細くて白い脚があまりにも綺麗でオレは思わず目を逸らした。

 玄関から出て、家の前に停めてある車の後部座席に乗る。運転席には既に父さんが座っていた。オレと姉さんを急かした母さんはまだ化粧中のようだ。


「まだ、母さんの準備出来ないの?」


「知らん」


「毎回、こうだよねー」


「んだな」


 姉さんと父さんがグチグチと文句を言っている。オレは一度車を降りて、助手席に乗った。

 今日の夜に行われるねぶた祭りの前夜祭の情報を発信しているラジオを止める。そして、父さんとオレのお気に入りのCDを入れた。


「あれ、この曲なんだっけ?」


 と姉さんが父さんに聞いた。


「メタルカのエンターサウンドマン」


 二人は愚痴をいうのをやめ、車内に流れている曲の話になった。オレはまた車を降りて、後部座席に乗り直す。


「みんな、早いわね」


 一曲目が終わる頃に、母さんは助手席に乗ってくる。父さんは無言で車を発進させた。

 スラッシュメタルが鳴り響いている車内。オレは前に座っている両親を見た。少し前に友人の両親と会ったのだが、比べるとオレの両親の方が歳をとっている。まあ、姉さんがいるから当たり前なのかもしれないけど。


「危ない!」


 母さんが悲鳴を上げた。急ブレーキが掛かる。後部座席のオレたちはシートベルトをしていなかった。オレは助手席の背もたれに頭をぶつけた。隣にいる姉さんの方を見ると運転席の背もれにキスをしている。


「ちゃんと信号守りなさいよ! もう」


 母さんが窓の外に向かって怒っている。たぶん、車がいきなり飛び出してきたのだろう。


「いたたた、交通事故なんかにあいたくないわ。私はO型だから、輸血する血液が足りないなんてことがありそうだし」


 姉さんが顔を上げて、鼻を押さえていた。


「なんでO型の血液が足りなくなるの?」


 オレが訪ねると、


「O型って、O型の血液じゃないと輸血できないのよ。生物の授業で習った」


「へぇ、そうなんだ」


 いつもは頭が良く見えない姉さんが天才に見えた。しかし、大きい病院でO型の血液が足りなくなるなんてことがないと、後から知った。

 その後は何事もなく、お墓のあるお寺に着いた、オレと姉さんは花束とか線香を持って墓地へ向かう。


「父さん達の用事は時間が掛かるがもしんねえから、水を汲んで行って、お墓をきれいにして」


「毎年のことだから、分かっているわよ」


 姉さんと父さんが話している間、オレは好きな曲のリズムで玉砂利を踏むのに熱中していた。

 だから、父さんがいつもとは違う声で、


「あと、祭から……だろ?」


 とかなんかとか言うのが、聞こえたけど、あんまり気にしなかった。姉さんが聞いてるから、別にいいやとその時は思った。

 父さんと母さんはお寺の中へ入って行った。オレは桶と柄杓を借りて、お寺の水道で桶に水を入れる。その後、花束とお供えを持った姉さんがオレに追いついてきた。二人でお墓へ向かった。


「このお墓ってさ、父さんの兄さんが入っているんだっけ?」


 オレは水の入った桶をお墓の前に置いた。


「そうだよ、中嶋家のお墓。だから、私たちも死んだら、ここに入るんじゃない?」


 姉さんは花束を二つに分けていた。それを墓石の両側にある花を入れる所にさす。オレは柄杓でお墓に水を掛けた。


「今から火を点けるから、こっちに水をかけないでよ」


 姉さんは二本のローソク立てに蝋燭を立てていた。ライターでそれに火を点けて、その火を線香に移している。

 オレは水をかけるのを止めた。そして、持ってきていたお菓子をお供えした。


「ほら、早く持って」


 火の点いた線香を渡してきた。オレは火傷しないように気を付けながら、ローソク立ての間の砂が敷いてあるところに線香を寝かせた。


「私も置かないといけないんだから、もう少し奥に置いてよ」 


 姉さんも火傷しないように気を付けんがら、線香を置く。

 それから目を瞑り、手を合わせた。オレもそれに倣って手を合わせる。すると、急に周りが静かになった気がした。何種類の蝉の音の高さもリズムも違う鳴き声が重なり、合唱しているように聞こえた。


「そう言えば、父さんたちの用事って何?」


 カラスが荒らすからお供え物を上げたままにするなと言われていたので、オレは一旦お墓に供えたまんじゅうを食べていた。家に持ち帰って食べてもいいのだけど、その場で食べたる。


「それはその……後で教える」


 姉さんは暑くて飲み物がないのに最中を口に入れた。眉間にしわが寄っていて、面白い顔になっていた。


「そっか」


 オレは両親が来るまで手持ち無沙汰なので、墓石の周りに生えていた雑草を抜く事にした。

 近くに生えていた草を掴んで抜く。根っこだけが土の中に残ってしまった。これだと、また生えてきてしまう。掘って根っこをとっていると、


「ねえ、令治。私のギター欲しい?」


 唐突に姉さんが言った。驚いてお手は姉さんを見た。


「え、なんでそんなこと聞くの?」


「うーん……なんか言っておかないといけない気がしたんだよね。まあ、私が使わなくなったらなんだけど」


 姉さんは新しいギターでも買う予定があるのだろうか。

 でも、姉さんはボーカルで歌は上手いけど、ギターの方はコードを弾くのがやっとでライブの時は飾りのようにギターを持っているだけだった。

 今ではオレの方が上手いと思う。そんな姉さんなのに新しいギターはいるのか?


「なんか、失礼なこと考えてない?」


「いや、何も」


 そんなことしていたら、両親もお墓にきた。姉さんが灯した蝋燭の火を使って、線香に火を点ける。それを両親に渡した。

 二人ともしゃがんで手を合わせ、墓に眠っている人に何か話し掛けているようだった。しばらくして、


「祭は、この後部活か? 昼飯はどうする」


 父さんが立ち上がりながら言った。姉さんはケータイを取り出して時間を確認する。


「うん、お昼は部活のみんなと食べるよ。青森駅の西口まで送って」


 父さんは、ああと短く答えて駐車場へ向けて歩き始めた。オレは桶と柄杓を持って、父さんの後に続いた。姉さんと母さんは何か話しながら、オレの後ろを歩いている。

 会話の内容は蝉の声と玉砂利を踏む音でオレの耳には入ってこなかった。

 桶と柄杓をお寺に返すと、父さんが小声で話し掛けてきた。


「祭は何か言ったが?」


「今のギターを使わなくなったら、オレにくれるってさ」


 オレはギターのことだと思っていた。ふと、父さんが驚いたような顔をしたので違う話だったのかもしれない。

 この後は、家族で車に乗った。そして、姉さんを青森駅の西口で降ろす。オレと両親は昼飯を食べてから帰った。

 その日の夕方のことだ。


「令治、ホントに明日跳ねるの? 服がないわよ」


 母さんが押し入れから段ボールを出している。今はオレが着るねぶたの衣装を探しているのだ。ちなみに、ねぶた祭りに参加することを跳ねるという。


「みんなと約束したから、ちゃんと跳ねるよ」


「そうなの。でも……」


 母さんが五つ目の段ボールを開けて中身を確認した。


「見付からないわ。あら、もうこんな時間ね。今日は祭たちのライブを見に行くんでしょ」


 そうだった。今日は、青森市の高校にある軽音部が集まるライブがあるんだ。それを友達と見に行く約束をしていた。時計を見ると、そろそろ待ち合わせ時間が迫っている。


「あ、ホントだ。行ってきます」


 オレはリビングに置いてある鞄を持って、玄関に走っていく。後ろから母さんの声がした。

「なるべく早く帰ってきなさい」


「わかったよ!」


 待ち合わせ場所へと急ぐ。だけど、遅刻しそうだった。友達の葛木と郁実と合流し、自転車で会場を目指す。

 会場はねぶたが保管されている場所の隣の公園。そこの野外劇場だ。

 自転車で二十分くらい掛けて、会場に到着した。客席で盛り上げてくれと、姉さんと篤人兄さんから頼まれているのに着いた時点でもう疲れてはてていた。


「前の方に行こうぜ」


 葛木は疲れを感じさせず先頭にたって人混みの中を進んで行く。オレと郁実は彼の後を着いていくのが精一杯だった。

 パンパンと前夜祭の開始を伝える花火が上がる。それと同時にステージ袖から姉さんがいる新城高校の軽音部が出てきた。


『こんばんは! 佞武多ロックスです』


 赤地に歌舞伎の隈取みたいなのが入っているバンドのオリジナルTシャツに身を包んだ姉さんが挨拶する。

 姉さんのパートはギターボーカルだけど、最近は篤人兄さんのギターテクニックが上がっているからギターはただ持っているだけになっている。

 兄さんを含む他のメンバーは音を一瞬だけ鳴らして存在感を出していた。会場のボルテージ一気に上昇した。


『三曲しか出来ないから、最初から全力でいくよ』


 祭さーんとか祭先輩とか黄色い声も飛ぶ。姉さんのバンドは前に夕方のご当地ニュースで取り上げられたり、FM青森の生放送に出演したりと、ご当地アイドルに匹敵する知名度になっていた。自慢の姉だ。

 前夜祭を大いに盛り上げて、姉さんたちの出番は終わった。次は工業高校の男臭いバンドが出てきた。さっきまでとは違う感じで会場が盛り上がる。激しいサウンドに合わせて、会場が動き始めた。モッシュやダイブで命の危険を感じたオレたちは、最前列から後ろへ退避した。

 野外ステージを少し離れたところから眺めていると、姉さんたちがやってきた。


「私たちの演奏見てくれた?」


 葛木と郁実は憧れであるオレの姉さんに話し掛けられて有頂天だ。


「は、はい! 高校は新城高校に入って軽音部に入部しようと思います」


「ぼ、ぼくもです!」


 何故か、敬礼する二人。姉さんはクスリと笑っていた。


「おい、令治。ずいぶん、女っ気がないな」


 オレには篤人が絡んできた。


「そっちだって、姉さんしかいないじゃないか」


 その時だ。一人の女の人が寄ってきた。

「篤人くん、チョー格好良かったよ。この後はもう出番はないんでしょ?」


「ああ、そうだぜ」


「じゃあ、今からデートしよう」


 従兄に彼女が出来ていた。しかも標準語を喋る彼女だ。その様子を口をポカーンと開けて見ているのはオレだけではない。姉さんを含むバンドメンバーも口をポッカーンと開けている。


「じゃあ、片付けの時に戻ってくるぜ。また後でな」


 兄さんと恋人は手を繋いで人混みに流れていった。その人はやがてオレ達の高校の生徒会長になるのだが、もちろんその時は、そんなこと分かるはずもない。

 ステージの上では次のバンドのボーカルが、まるで今の光景が見えていたように、


『恋人欲しいいいいいいいぜえええええ!』


 もの凄く感情を込めて歌っていた。

 この後は、姉さんたちと別れてライブを楽しんだ。でも別れ際に姉さんが奇妙なことを言っていた。


「今夜死んでも良いくらい、最高のパフォーマンスだった」


 これを聞いたのは、近くにいたオレだけかもしれない。たぶん、テンションが上がり過ぎて変になっていたんだろうと思う。

 最後は参加していた四校から一人ずつ出てきてスペシャルバンドを組んで演奏した。ボーカルはオレの姉さん。ギターは工業高校の人、ベースは女子高校の人、ドラムは中央高校の人。たぶん、青森市内で一番上手い高校生が集まったのだと思う。


『これが終わったら、みんなで花火を見て、明日からのねぶた祭りに備えようね。じゃあ、最後の曲いくよ!』


 姉さんのMCに、会場の若者が雄叫びめいた歓声を上げる、オレは、この瞬間を魂の底から楽しんだ。

 ライブが終わって、花火が始まる頃にオレと葛木と郁実は自転車に乗っていた。

 前夜祭の会場は東京で言うところの渋谷のスクランブル交差点くらいに混んでいて、落ち着いてライブの感想も言い合えないんだ。だから、オレたちは会場を離れて、海沿いにある別の公園から見ることにした。


「お前の姉ちゃんって、たげカッコイイな!」


 葛木のテンションが五月蠅いくらいに上がっている『たげ』とは津軽弁で物凄くという意味だ。彼が方言を出すことは珍しい。何故なら、彼は津軽弁が格好悪いと思っているからだ。


「絶対に新城高校に入って、軽音部に入ってやる」


 普段は女の子みたいな顔をしている郁実が男らしい雰囲気を纏っていた。後は、ライブの感想を話しながら離れたところで花火を見た。

 ところが花火が終わってから家に帰ると、真っ青な顔をして母さんが家の前に立っていた。この時はオレの帰りが遅くなって母さんを心配させてしまったんだと思った。


「令治、病院に行くわよ」


 母さんは震える声で言った。


「え、どういうこと?」


 病院と聞いた途端に嫌な予感が湧き上ってきて、オレの声も震えていた。

 母さんから詳しいことを聞く前にタクシーがやってきた。母さんはオレをタクシーに押し込むと、オレの自転車を玄関前に倒すように置いた。それから、タクシーに乗った。


「市民病院へ急いで!」


 母さんの只ならぬ様子を見た運転手は無言で頷いて、出発させた。オレは居ても立っても居られなくなった。


「どうして、病院に行くのさ?」


「祭とお父さんが乗った車が事故にあったの」


 泣き始める母さん。どれくらい酷い事故なのか。父さんや姉さんは怪我をしているのか、二人の安否を確かめたい。でも、泣き崩れる母さんを見ていると、言葉が口から出てこない。オレは姉さんと父さんは大丈夫だと自分に言い聞かせた。

 十五分くらいで、車は病院のところに着いた。


「お客さん、そろそろ着ぐはんで二千四百円払ってけろ!」


 オレ達の様子を見て、運転手のおじさんも切羽詰まっているようだった。母さんが泣き止む様子がないので、オレが自分の財布からお金を出す。ギリギリ足りた。

 オレは運転手にお金を払って、母さんと一緒にタクシーを降りた。

 そして、病院の中に入っていく。ちゃんと歩いているはずなのに足下がフワフワして、新雪の上を歩いているような気がした。受付の人もオレと母さんの様子を見て、急患の家族だと思ったのだろう。名前を聞いて、すぐに手術室の前に案内してくれた。

 手術室の前の椅子には、頭に包帯を巻いた父さんが座っていた。落ち着きがなく、いつになく険しい顔をしている。


「お父さんは大丈夫なのね。祭は、どうなの?」


 父さんの怪我は軽いように見えたので、オレは少し安心した。母さんもホッとしただろう。


「祭……祭は……」


 父さんはそう言ったきり唇をかんで黙り込んでしまった。「姉さんはどうなの、大怪我をしているの?」オレはそう聞きたかった。

 でも、さっき母さんといた時と同じで、いやあの時よりもどす黒いものが頭の中で渦巻いていて、オレは満足に口をきくことが出来なかった。

 すると、手術室のランプが消えた。出てきた医者は、大きなマスクをしていて表情が伺えない。オレたち家族の視線がその医者に集中した。


「手は尽くしたのですが……」


 全てを聞く前に母さんが膝から崩れ落ちた。オレは、自分の目で確認するまで信じられなかった。姉さんの姿を見る為に、床を蹴って手術室に入ろうとする。でも、今日一日いろんなことがありすぎてボロボロに疲れていたオレは、二歩目で躓いた。病院の冷たい床に顔面をぶつけた。

 父さんが倒れているオレを立たせる。父さんも泣いていた。それでも、オレは自分の目で見るまで信じられなくてドアに手をかけたけど、ドアは開かなかった。

 母さんは手術室の前から動かなかった。だから、オレもそこから動かなかった。父さんは電話が出来る場所に移動してしまった。

 しばらくすると、手術室から担架が出てきた。そ。の上にシーツを被った人くらいの大きさのものが載っている。だけど、それを目で追うことしかしなかった。シーツの下にあるものを確かめる気力すらない。

 看護師にロビーへ移動してと言われたので、オレと母さんは担架の後ろを歩き始めた。エレベーターホールで担架と別れて、一階のロビーに移動する。

 そこに篤人兄さんと家族がやってきた。市民病院から離れたところに家があるから、到着が遅れたのだ。

 兄さんは、オレと母さんの様子を見て全てを察したらしく、オレの隣に座って、


「かける言葉もねえや」


 と、小声で呟いた。

 しばらくして父さんが戻ってきて、この日は篤人一家の車で帰ることになった。後から知ったことなのだが、姉さんは助手席に座っていたそうだ。

 そして、相手の車は、父さんの車の左側に衝突した。それで助手席にいた姉さんは、ひしゃげたドアのパーツが腹に突き刺さったらしい、市民病院に運ばれたが、出血多量で亡くなった。

 八月三日。夏休みの真っ只中に、オレは自室で学生服を着ていた。階段を降りて、一階にある和室に行くと白い棺桶が置いてある。顔が見えるように蓋が開いていた。

 そこから、棺桶の中を覗きこむ。化粧をほどこされた姉さんは、微笑みを浮かべたまま穏やかに瞼を閉じていた。声をかけたら、今すぐにでも起きてきそうだ。でも、昨日行われた通夜でも、オレは何度も呼びかけたのに目を開けてはくれなかった。


「みんな、祭ちゃんの顔は見た?」


 親戚の誰かが言った。誰も返事はしなかった。そうしている内に霊柩車が到着した。

 男たちが集まって棺桶を持ち上げて、外へと運び出す。もちろん、オレと篤人兄さんもそれに加わった。霊柩車に棺桶を積み込むと、親戚一同はマイクロバスに乗り込んだ。



 車に揺られていると、山の中には不釣り合いな煙突のある近代的な建物が目に入ってきた。火葬場だ。

 給食を運ぶエレベーターみたいな扉がある部屋に通される。そこに、さっき運んだ白い棺桶が運ばれてきた。蓋が外されて、最後の挨拶をと運んできた人が言った。

 オレは篤人兄さんと一緒に、棺桶に近づいた。

白い花に囲まれて、姉さんは相変わらず眠っているようだった。

 白い着物に身を包み、綺麗な顔で胸の前で手を組んでいる。そして、組んだ手の上には、姉さんの宝物である金属製のピックが輝いている。じっと見ていたけど、やっぱり動かなかった。オレは棺桶から、足音を立てないように離れた。

 棺桶の蓋が閉められて、扉の中に入っていった。出てくるのは一時間半後だそうだ。広いお座敷みたいな部屋で待つ。

 篤人兄さんは親戚の人に話し掛けられていた。オレは音楽プレイヤーを持ち込んでいたから、それを聞いていた。姉さんのバンドの演奏を録音したものだ。何処かに送るつもりだったデモテープをコピーしたものなので音質も良い。

 一時間半が経った。さっきの部屋にもう一度行く。扉の中から、担架みたいなものに載った白い骨が出てきた。それを箸で骨壺に入れていく。オレにも箸が回ってきた。

 もしかしたら、これは姉さんの骨じゃないのかもしれないと思った。だけど、箸で細長い骨を持ちあげた時に焼けた金属製のピックが散乱した骨の中にあるのを見付けた。これでやっと姉さんが死んだのだと認めざるを得なくなってしまった。

 お墓に骨を納めるまで見届けた。

 家に帰ると、学生服からは強い線香の匂いがして、いつまでもお寺にいるみたいで気味が悪い。

 姉さんのギターケースがオレの部屋に置いてあった。チャックに林檎のストラップが付いているので、すぐにわかった。

 とりあえず、開けることにした。チャックを動かすと、鈴の付いているストラップがチリンチリンと音を立てて揺れた。

 事故にあったのにも関わらず、真っ赤なテレキャスターは傷一つない。だけど、三弦と四弦の間に何かの紙が挟まっている。

 それを広げると、しわだらけの姉さんのバンドの楽譜だった。でも、その裏には姉さんの字で長々と文章が書かれていた。それを読んだオレは、姉さんが死んでから初めて泣いた。



 オレと姉さんは従姉だった。姉さんは父さんの兄の娘だった。でも、姉さんを産んでから両親が死んでしまい、子供がいなかったオレの両親に引き取られた。

 ちょうど同じころ母さんも妊娠していたのだけど、流産してしまった。それもあって、オレの両親は姉さんを本当の子供のように思っていたらしい。

 八月一日に両親がお寺で行っていたことは水子供養だった。でも、オレは正真正銘の父さんと母さんの子供だと書かれていた。最後の方は急いでいたのか、字が汚かった。


『産んでくれた親が違っても、私は令治のお姉ちゃんだよ。産まれてこれなかったお姉さんの分まで愛していたつもりだったけど、ちゃんと出来ていたかな。もし、私が死んだら、私のギターは令治にあげる。そして、今日みたいにライブで使ってほしいな』


 最後の方は、ほとんど殴り書きだった。


『なんで、こんなの書いたんだろう。何処かに捨てて、見付かったら恥ずかしいから、ギターケースにしまっておく』


 姉さんが虫の知らせで書いた遺言書みたいなもので、オレの元に姉さんのギターがやってきたのだった。

 ギターケースを開けた時に、まだ中に入っていたくしゃくしゃの楽譜が落ちてきた。それが原因で何もかも思い出したんだ。

 泣き腫らした顔を母に見せられない。オレは電気を消して、ベッドへ潜り込んだ。ふと、線香の匂いがする。だけど、睡魔には勝てなかったから何も考えないことにした。


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