9曲目 オレたちじょっぱりシャモロック!
バンドに亀裂が入った次の日。
オレは部室の二階で目を覚まし、この部屋には時計がないから何よりも先にケータイを開いた。まだ、朝の六時だったので、もう一度布団に入ろうとした
「令治、おはよう」
美佐の声がした。オレは布団を跳ね飛ばして上半身を起こす。
「びっくりした?」
オレのパーカーを羽織りこたつに入った美佐が楽しそうに言った。もちろんオレは驚きすぎて声が出なくて、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせるだけだ。
「もう、そんなにびっくりしなくてもいいじゃん。勝手に入っちゃって、ごめんね」
謝っているけど、彼女は終始ニヤけていた。オレは布団から出て、彼女と向き合うようにこたつに入る。
「勝手に入ったのは気にしてないんだけど、それよりも何でここにいるんだ?」
と、オレは聞いてみた。
「浪漫と一緒に帰って話をした後に、昨日は母さんの再婚相手が家に来るから、アタシは最初から何処かに泊まるつもりだったんだよね」
頬を指でかきながら、彼女は説明した。
「それで浪漫の家に泊まらせてって言ったんだけど、どうしても一人にさせてほしいって言われたから、電車でここに戻ってきたんだよ」
そう答えた後に、母屋に行くのはお姉ちゃんに怒られそうだからねと付け足した。彼女の顔をよく見ると、目の下に隈がある。
「そうなんだ。てか、もしかして寝てない?」
すると、彼女は気まずそうに視線をオレから逸らす。
「令治が寝てる布団に入る勇気はなかったからね」
と、恥ずかしそうに答えた。美佐が隣で寝ていたらいいなとは思うが、その時に自分がどんな行動するかなんて考えつかなかった。今は想像しないでおこう。
「何言ってるんだろ、アタシ。ごめん」
そう呟いた美佐は俯いてしまった。テンションが高くなっている彼女は可愛いと思う。
「あのさ、金木はその大丈夫そうだった?」
黙っているのは気まずかったので気になっていたことを聞いてみた。
「……ああ、大丈夫だよ。一晩経てば、浪漫も落ち着くと思うし」
と、答えた彼女は眠そうに目を擦った。金木と郁美の関係は本人たちが会って解決するしかないだろう。
「金木のことは、そのありがとな。オレはもう起きるから、布団使っていいよ」
彼女はこたつから出て、フラフラとしながらこたつの横を歩いてオレの方に来た。
「ありがと。あ、お姉ちゃんが朝ご飯あるって言ってたから、もう少ししたら食べに行ったらいいよ」
さっきまでオレが寝ていたところに美佐が寝転んだ。何だかオレの匂いを嗅がれているみたいで恥ずかしい。
「あと、寒いからパーカーも借りてた。返すね」
彼女は布団の上で女の子座りをしてパーカーを脱ぎ、オレに渡した。長袖Tシャツだけでは肌寒かったのでオレはそれに袖を通すと自分のパーカーなのに美佐の匂いがした。
変な気分だ。
「寝顔見ないでね」
彼女はそう言うと布団に寝転がり、頭まで被ってしまった。
オレは音を立てないように階段を降りて、母屋に向かった。
篤人しか起きていなくて、朝食は叔母さんが作り置きしていったカレーライスだった。美味しかったけど、美佐のお姉さんの手料理だって言っていたじゃないかと篤人を睨む。
「何だよ、令治。俺を見ても献立は変わらないぞ。これを食べきらないと怪しまれるし」
と言った篤人は大盛りカレーを食べ始めた。
「それもそうだけど……篤人の彼女はどこにいるんだ?」
オレが聞いたら、篤人は照れ臭そうにする。
「まだ俺のベッドで寝ているけど、一緒に寝たわけじゃないぞ。俺は床に布団を敷いて寝たからな」
「そこまで聞いてねえよ」
と呟き、オレもカレーを食べ始めた。
朝食の後は身支度を整えることにする。それが終わった頃に母屋に郁美がやってきたんだけど、彼はフランス人形のように濃いメイクをして黒のダッフルコートを着ていた。
まるで部室で初めて会った時みたいな取っつきにくい感じがする。
「何だよ、私の格好に文句でもあるのか?」
オレと顔を合わせた途端に彼は吐き捨てるように言った。オレは首を横に振って答える。
「そうか。今日の練習は午前中だけなんだろ。早く部室に行くぞ」
彼は歩き出し、オレはその後を追った。会話は無くて、固まった雪を踏むザクザクとした音だけが響いた。
郁美が部室のドアを開けると、二階へ上がる階段の前にある美佐の靴を見付けたようだ。
「美佐が二階で寝てるんだけど、お前はその格好でいいのか? 学校の人に見られるのは嫌なんだろ」
オレがそう言う。
「もう気にしねぇし、明日のライブもこの格好で出てやる」
郁美はコートを脱いで、黒を基調としたゴスロリ服を見せつけてきた。たった一晩で彼の考え方が変わってしまったように感じた。
「お前がそれで良いなら、オレは何も言わない」
それからオレと郁美で演奏してみたが、彼の演奏はいつもより冷静だ。
もっと暴走してしまうと思っていた。
郁美がどんな感情でその格好をして、演奏しているのかがオレには分からない。音量は寝ている美佐のために小さめで三曲を続けて演奏した。
「明日は午前の内に楽器運ぶんだっけ?」
郁美が聞いてきた。
「古寺先生の車で運ぶから、ここのアンプと、ギターとベースの予備を積んでもいいってさ。ドラムはクォーターにあるやつを使うって話になってるみたい」
オレは篤人から聞いていた情報を伝えた。
「じゃあ、今日はこっちのベースを置いて帰ろう」
肩から下げた光沢のある黒いベースのボディを愛おしそうに撫でながら彼は言った。その様子が様になっていて、ベーシストらしい細長い指もあり、人形のような美しさがある。
「お前って予備のギターあったっけ。もし弦が切れてたら、どうするんだ?」
「オレは姉さんのギターを使うよ。テストの後に弦を張り変えてるから、弦が切れるとは思わないけどな」
それを聞いた郁美が酷く驚いた顔をしていた。オレが姉さんのギターを使うなんて思いもしなかったんだろう。
「私はお前がどうして、祭さんのギターを弾けるようになったのかが分からねぇよ」
「ああ、オレもお前がどうして女装してライブに出ようと思ったのか分からねぇよ」
顔を見合わせて笑った。
九時を過ぎた頃に部室のドアが少しだけ開いた。金木がそこから部室の中を覗いている。
「寒いから早く入れば?」
郁美が金木と視線を合わせずに言ったら、申し訳なさそうに彼女は入ってきた。いつもは革ジャンなのに今日はクラシックコートを羽織っていて、ズボンじゃなくてスカートだった。
「お、おはよう」
強気というか男気の溢れるいつもの彼女は何処へ行ったのだろうか。というか、誰だ、コイツはと思っている。
「郁美、僕の格好ってどうかな。変じゃない?」
これが前に郁美が言っていた女の子らしい金木なのか。アイツが一目惚れする理由も分かる気がした。
「何でそんな格好なんだ!」
さっきまでの強気はどこへやら、珍しく郁美が焦っていた。金木も郁美の女装を近くで見て目を輝かせている。
「何でって、昨日電話で告白されて、初めて郁美と会った頃を思い出したからね。郁美の女装も気合い入ってるじゃん。のれそれ、可愛いよ」
金木は郁美をべた褒めした。それより、告白されたとか言ったか? あとで郁美に聞こう。
「スカートじゃドラム叩く時に見えるだろ! 早く着替えて来いよ」
郁美が頬を赤らめていた。金木もそれには気が付いていたみたいだけど、笑うだけだった。
「もう郁美は何を考えてるのさ。もちろん、着替え持ってきてるよ」
金木は二階へ上がっていった。郁美は右の手首にあるヘアゴムでいつものように髪をポニーテールに整えてから、深呼吸をした。
「明日のライブは絶対に成功させようぜ、令治」
人形ように生気のない顔をしていた郁美が、生気に満ちた表情をしている。
「もちろん。やっと郁美らしさが戻ったな」
オレと郁美は拳を合わせた。だけど、モヤモヤした気持ちでは練習に臨めないから、オレははっきりと聞くことにした。
「昨日、告白したのか?」
郁美は視線を逸らして頷いた。
「だけど、まだ付き合ってないからな。ライブが終わったら付き合う」
郁美の口からハッキリとそれを聞けて、嬉しかった。
「おめでとう」
「お前もな」
そこに着替えた金木が二階から下りてくる。
「さあ、練習しよう」
いつも通りの声を上げた。今まで一番力が入った練習が出来ていると思う。郁美の声は出ているし、オレの指も軽やかに動いている。
金木はオレの視界に入っていないから分からないけど、リズムもいつも以上に決まっているから金木も絶好調なんだろう。
今は三曲目の『かちゃくちゃね』の最後のサビだ。失敗せずに演奏を終えた。
二階で寝ていた美佐も目が覚めたらしく、気が付いたら階段に腰かけて演奏を聴いていたみたいだ。だけど、前みたいに拍手は聞こえてこなかった。その代わりにオレの元へ駆け寄ってくる。
「ねえ、ベース弾いているのって、郁美君でいいんだよね?」
と耳打ちしてきたから、オレは頷くだけにしておく。
「私は郁美だからな。こんな格好なのは……その気にしないでくれ」
オレと美佐の様子を見て郁美が察したらしく呟いたのだが、彼の前にあるマイクのスイッチがオンになっていたから、部室にいる人には聞こえていた。
最近は空気が乾燥していて風邪も流行っているから郁美の喉を労わって、後一回だけ通して終わることにした。
「お疲れ、郁美は女装のまま帰るの?」
金木がステックを持ったまま伸びをしながら郁美に話し掛けた。
「着替えは持ってきてないからな」
と、郁美が答えたら、金木は少し考える。
「じゃあ、僕と一緒に帰ろうよ。知り合いに会ったら、僕の親戚って誤魔化してあげる」
そう提案した。郁美は無言で頷く。
何だか良い雰囲気だな。明日のライブは心配なさそうだ。
金木と郁美が帰った後、オレと美佐は二人きりになった。
「お昼ってどうするの?」
「だぶん、篤人の母さんが作り置きしていったカレーがあるからそれを食べる」
すると美佐はホッと胸をなで下ろす。
「良かった。お姉ちゃんが料理するって聞いてたから、ちょっと心配だったんだよね」
「え、料理下手なの?」
話が違うぞ、篤人。俺の彼女は料理が旨いって言っていたじゃないかよ。
「違うよ。お姉ちゃんは誰かと一緒に作らないと、勝手にアレンジしちゃって不味くなるんだよね」
そう言った美佐は何かを思い出して笑っていた。
その後は母屋に昼ご飯を食べに行ったのだけど、篤人が彼女と喧嘩していたから部室の二階にカレーを持ってきて食べることにする。
「なんかごめん」
「アタシもごめん」
なんてオレと美佐は謝りあっていた。関係ないのにオレ達も気まずくなる。
「ねえ……まだ家に母さんの再婚相手がいるから、今日はここに泊まっていい?」
そう美佐に言われた。驚いてオレのカレーを食べる手が止まる。付きって二日目で二人だけで泊まるとは思いもしなかった。
「こたつを挟んで布団敷くなら」
隣に布団を敷くとか一緒の布団で寝るなんて考えられない。
「ありがと」
と安心したような声で彼女は言った。カレーを食べ終えて食器を返しに行った後、美佐の分の布団を持ってきた。
ちなみに篤人と彼女はまだ喧嘩していた。喧嘩の理由は知らないけど、付き合うって大変なんだな。オレと美佐は良い関係を続けられるだろうか。
苦労して布団を二階に上げると、ひとまず窓際に置いてあるオレの布団の隣に置いた。
「お疲れ。音楽でも聞きながら、ゆっくりしていようね。あと、篤人先輩に林檎渡された」
「じゃあ、食べようか」
年代物のCD付きラジカセから流れていたのは、激しいロックだった。休憩しようと思ったのにオレの体はリズムに合わせて、うずき出した。
美佐がCDを選んだけど、彼女の趣味のヴィジュアル系ではない。
美佐も郁美も金木も何かが変わっている。というより変わろうとしている。オレも明日のライブで姉さんのことでウジウジする自分から変わろうと決意した。
日が沈み、四枚目のCDが終わり、林檎が皮と酸化した芯だけになった頃だ。右頬を赤くした篤人が部室の二階にやってきた。
「晩ご飯だ」
「分かったけど、それどうしたの?」
オレは自分の頬を指差しながら言った。篤人は右頬をポリポリと指で掻く。
「きっとお姉ちゃんにビンタされたんだよ」
美佐がオレにしか聞こえないような声でボソっと呟いた。
篤人の彼女で美佐のお姉さんの真子先輩も加わって、四人で食卓を囲んで晩ご飯を食べたのは不思議な気分だった。ダブル家デートなのか?
それに生徒会長である真子先輩と家で見る真子先輩のギャップがある。学校では気取っていて、真面目が制服を着ているみたいで近付きにくい人だった。
今は気が抜けていて、親しみやすい人だ。
肝心の料理の味は篤人がオレ達を呼びに来た時に真子先輩が料理をアレンジしたようだ。
他は旨いのに味噌汁だけ妙に不味かったのだけど、口に出せないので会話が少ない食事だった。
晩ご飯の後は美佐と真子先輩が一緒に風呂に入った。オレと篤人は食器を洗っていた。
「明日はライブだからな。早く寝ろよ」
篤人が洗った食器を渡してくる。たぶん、美佐と同じ部屋に泊まるから変なことするなよって言いたいんだろう。
「分かってるよ。篤人も大学のバンドの助っ人で出るんだろ。早く寝ろよ」
オレは食器を受け取って、そう言った。
「今日は早く寝る」
また食器を渡してくる篤人。だけど、今日は早く寝るだって?
まるで昨日は早く寝ていないみたいじゃないか。でも、篤人は手を出してないって言ってたから、彼女と同じ部屋で寝ているから緊張して眠れなかったんだろう。
彼女達が風呂から出ると、オレと篤人はどっちが先に入るかを決めるじゃんけんをした。
結果はオレが勝ったのだけど、美佐だけが入った後の風呂ならドキドキするが、生徒会長の真子先輩も入っているのだ。至って普通の風呂だった。
そんなに長く入るタイプじゃないので、すぐに上がった。
「うわ、早いね」
洗面所では美佐が歯を磨いていた。オレはそこに裸で飛び出してしまったのだ。心臓が止まるかと思った。
「大丈夫見てないから」
美佐が急いで洗面所から出ていった。こんなドキドキはいらない。着替えてから廊下に出ると、彼女が暗い廊下で歯を磨いていた。
「居間には行かない方がいいよ。二人がイチャついてるから」
吐き捨てるように言った彼女はオレの横を通り過ぎて洗面所の中に戻った。オレも廊下で待っていると、美佐が洗面所から出てきてオレの手を握った。
「早く部室の二階に行こう」
オレは彼女に手を引かれて、玄関から外に出た。突き刺さってくるような寒さの中を彼女は俯きながら歩いて部室に入ると、オレから手を離して急な階段を上って行った。オレは彼女の後を追う。
二階では彼女がこたつの横に今日持ってきた布団を敷いていた。
「アタシはもう寝るけど、令治はどうする?」
オレに背を向けているので彼女がどんな表情をしているのかが分からない。だけど、機嫌が悪いのだけは声から分かった。
「ああ、明日はライブだし、早く寝るよ」
オレはこたつを挟んで、昨日自分が寝ていた布団を敷いた。不機嫌な美佐はオレが布団を敷いたことを確認すると電気をオレンジ色の小さな明かりにする。
「真っ暗の方が良かった?」
「これでいいよ」
そう答えてオレは布団に横になり、掛け布団と毛布を被った。布が擦れる音がしたので、たぶん彼女もそうしたのだろう。
「お姉ちゃんと先輩もさ、アタシ達がこっちに来てからイチャつけばいいのにね。家族のそういうのを見ても気持ち悪いだけだよ」
彼女が呟いた。不機嫌な理由が分かったし、それもそうだなとも思う。
「おやすみ、令治」
「おやすみ、美佐」
そうは言ったものの、オレが寝ている布団は朝に美佐が寝ていた。彼女の匂いがして、なかなか寝付けなかった。
それに冷蔵庫のブーンという音と、雪が窓に当たるパラパラという音、さらに赤坂の寝息が気になって仕方なかった。
ライブ当日の朝を迎えた。少し寝不足ということを除けば体調も良い。美佐がなかなか起きてくれなかったので、一人で母屋に行き篤人と朝食を食べた。姉妹揃って朝に弱いようだ。
午前十時くらいに古寺先生と、男の格好をした郁美と革ジャンを羽織った金木が先生の車でやってきた。
「さあ、アンプ積んじゃって」
先生のテンションが高い。オレと金木でギターアンプを運んで車の三列目のシートを倒したところに積んだ。郁美と篤人でベースアンプを運んでいたが苦労していた。どれだけ力がないんだよ、郁美は。
あと、郁美のベース二本とオレのギターと姉さんのギターも積み込んだ。
篤人以外が車に乗り込んで、クォーターへ出発した。篤人は赤坂姉妹を連れてくるそうだ。オレは郁美と二列目のシートに座っている。そしてお互いの顔は少し青ざめていた。
オレは、楽器とアンプを積んだ車に乗ったことで、ライブ会場に向かっている、今日はライブ当日だと実感して、物凄く緊張していたんだ。
「緊張しすぎだよ。二人とももう少し気楽にいこう。郁美は初めてのライブじゃないんだし」
金木が明るく励まそうとした。郁美は首を横に振るだけだ。
「違う、車酔いだ」
郁美が呟いた。そんな気の抜けた郁実を見て、オレの緊張は和らいだ。オレは足元にあるゴミ箱を郁美に差し出した。
篤人の家から二十分くらいでクォーターに着くと、葛木達が待っていた。
「今日は頑張ろうぜ」
車から降りた郁実が葛木の前だからなのか、格好付けていた。相も変わらず顔が青い。
「郁美、顔が青いぞ。車酔いか?」
葛木には強がっているのはバレバレであった。そこにもう一台車がやってきて、それから降りてきたのは『佞武多ロックス』のドラムとベースを担当していた人達だった。
つまり、オレを中学生の頃、演奏の仕方を教えてくれた人達がそのまま大学生になってもバンドを組んでいたっていうわけだ。
「ベース師匠のバンドか」
郁美が唖然とした顔で言った。
「ドラム師匠! お久しぶりです」
葛木は目を輝かせていた。そうだった、二人は彼らに楽器を教えた人達だ。
「おはよう、新城高校軽音部の諸君。俺たちだけじゃ、チケット百枚なんて売れなかった。礼を言う」
と、ベース師匠が言った。古臭い話し方だったけど、チケットが百枚売れたなんて思いもしなかった。余計に緊張する。
てか、郁美のベースの師匠って、こんな奴だったのか。オレがギターを教わったのが篤人で良かった。
「久しぶり。ビックリしたか、葛木君」
なんか普通だ。
「篤人に、共演するのが俺達だってことを言うなって言われてたんだよ。じゃあ、これから楽器を運ぶから手伝って」
葛木のドラムの師匠は真面目な人だった。郁美とベース師匠を置いて、みんなでドラム師匠の方に着いて行った。
初めて楽屋を見てテンションが上がったり、ステージの上から見下ろしたライブハウスの中も全部が夢の中にいるように思える。
これから師匠たちのリハーサルが始まるので、オレ以外は楽屋へ行っていた。
「よう、令治君」
ドラム師匠が話し掛けてきた。
「ああ、名前は分からないよな。ドラム師匠でいいよ。高校卒業したら、うちのバンドに入らないか? 篤人には実家の農家を継ぐからって断られちゃったんだよ」
オレは美佐と一緒に東京へ行くと約束しているが、それをドラム師匠に言う気にはなれなかったんだ。
「いや、その……オレは」
だけど、気の利いた断り方も出来なかった。
「卒業した後のことなんて、高一じゃ分からないよな」
ドラム師匠はオレが言い淀んでいた理由を勘違いして、ステージ上にあるドラムの椅子に座った。ベース師匠は派手な黄色のベースを持ってステージに上がってきた。オレはステージから降りることにする。
そう言えば、ボーカルとギターはいないのかと思っていたら、帽子を被ってギターを持った可愛らしい女性とステージ袖ですれ違った。
「ごめーん。寝坊した」
今の人が師匠達のバンドのギターボーカルみたいだ。なんかポップロックとか歌いそうだな。
そんな感想を持ちながら楽屋のドアを開けると、暖房と加湿器がこれでもかと稼働していて熱いくらいだった。
「どこ行ってたんだ?」
ゴスロリ服に身を包み化粧している郁美が聞いてきた。結局、女装して出るつもりなのか。
「ちょっとトイレだよ」
「さっさと着替えろよ。髪をワックスで整えてやる」
郁美は車酔いから立ち直ったらしく、緊張もしてないようだ。葛木達は女装する郁美を遠巻きに見つつ、ボソボソと話をしていた。言いたいことは分かる。
金木はヘッドホンで音楽を聴きながら、スティックと脚でリズムをとっていた。オレは篤人から借りた『じょっぱりシャモロック』のTシャツに着替える。
黒いTシャツの左胸に軍鶏が描かれていて、背中に筆で書いたような文字で『じょっぱりシャモロック』と書いている。デザインは誰が担当したかが分からないけど、個人的には格好いい。
「Tシャツなら、けの汁ズの方が格好いいよな」
「んだな! この、家のかっちゃが作ったけの汁の写真の方がカッコイイべ」
と、葛木とイタコが話していた。あーオレには聞こえない。気にしないことにしよう。
その後は落ち着かなくて、動物園の熊みたいに楽屋の中を歩きまわっていた。
「落ち着かないのは分かるんだけどさ、髪整えるから座れよ」
郁美がオレの肩を掴んで後ろに引き倒し、椅子に座らせた。
「ライブって、わや緊張するな。中学の時もこうだったっけ?」
「あれは観客が知り合いだけだったし、体育館だったからな。私はそうでもなかった。ぶっちゃけ、今の方が緊張してるぜ……髪はこんなものでいいか?」
郁美はオレの前に鏡を持ってきた。髪がふんわりと持ち上がっている。
「これでいいよ。オレにはこういうのが分からないから」
「私も男の方はあんまり分からん。浪漫とイタコもメイクしてやるよ」
お前は男だろと言いそうになったが、グッと堪えた。郁美はイタコに近づいていく。
「え、わも化粧ばさねばまいねの?」
イタコは私も化粧しないとダメなのかと聞いた。郁美は笑いながら距離を詰める。
「私みたいに濃いメイクじゃないから、薄いメイクだから」
アイツらは放っておこう。オレも金木みたいに精神集中してみる。椅子に座って黙っているが、今日のライブには少なくても百人は来ることを思い出した。全然集中できない。
インディーズデビューすらしてないバンドなのに何でこんなに人が来るんだ。
「やめてけろおおお」
「だから、化粧するだけって言ってるだろ」
あと、郁美とイタコがうるさい。集中できないだろ。
「俺たちはリハーサル終わったから次は『じょっぱりシャモロック』がリハーサルだな」
ドラム師匠が楽屋に戻ってきて、そう言った。オレは自分のギターを持って立ち上がり、郁美はイタコに化粧するのを諦めてベースを持った。金木はヘッドホンを外して、三人でステージに向かった。
楽器を持ってステージ上から眺めるライブハウスは新鮮だった。エキドナのライブの時はあの辺りにいたなと思っていた。立ち位置を確かめた後。
「三曲通して行くぞ」
演奏の準備を整えた郁実がマイクを使わずに大声で言った。気合いを入れるためだと思う。
「じゃあ、いくよ。ワン、ツー」
いつもみたいに金木がリズムを取って、一曲目の『青春番狂わせ』の演奏が始まる。オレは緊張していたけど、まだ観客が入ってないんだから大丈夫だと言い聞かせたら、練習の成果を発揮できた。
そのまま二曲目の『グッドバイ青森』の演奏だ。観客がいないからかミスすることなく演奏できた。三曲目の『かちゃくちゃね』もだ。
「よし、本番もこの調子で行こうぜ」
と、郁美が言ったから、オレと金木は右手を突き上げて「おー!」と答えた。
葛木達の『けの汁ズ』のリハーサルが終わった後は、少し遅い昼食となった。『けの汁ズ』のベースの細井先輩の家であるラーメン屋が出前してくれた。十人以上いるから何処かで食べるよりも楽だった。
「これから今日のライブの確認をするぞ」
ドラム師匠が楽屋の真ん中で話し始めた。
「開場は十五時半。ライブは十六時から。夜は寒いし、今日はクリスマスイブだから、みんな予定あるだろ?」
オレは美佐のことを想い、郁美は金木を見て、金木は恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
「なんかあるみたいだな。リア充め。話を戻すぞ。俺とベース師匠がメインMCするから、機材を入れ替える時も、こっちが繋ぐ」
ドラム師匠がオレたちを見て悪態をつく。
「そうだ、順番は『けの汁ズ』『じょっぱりシャモロック』俺達だ。あとはなんか言うことあるか?」
ドラム師匠はベース師匠に聞いた。
「特にないだろう。まあ、今日は頑張ろう」
気の抜けた声で頑張ろうと言われて、こっちまで気が抜けそうだった。
青森クォーターの周りには何もないので、楽屋でお互いに緊張をほぐすためにくだらないことを駄弁ったり、予備の楽器のチューニングをして時間を潰した。そして、ついにライブハウスが開場する時間になった。
「外にどれだけ並んでるか観に行こうよ」
「んだな」
金木とイタコが楽屋を出て行った。
「アイツら、勇気あるよな」
郁美が呟くと楽屋に残っていた軽音部全員が頷いた。勢いよくドアが開き、金木が楽屋に戻ってきた。
「百人もいなかった」
がっかりしたように彼女が言った。それを聞いたオレは少しホッとした。今度はイタコが楽屋に入ってきて、
「五十以上はいたけどね」
と付け足した。予想以上だ。緊張で体が震えて、異常なくらい喉が渇く。オレは無意識の内に姉さんのギターを掴んでいた。
今は午後四時十八分。『けの汁ズ』のライブが始まって十分くらいが経った。
オレは楽屋まで聞こえてくる演奏に耳を済ませている。一曲目はマッスルガールズの『イタコラバーズ』だと言っていたけど、演奏が終わった後の観客の盛り上がりようも凄いみたいだ。ステージ袖で聞いていた金木が戻ってきて伝えてくれた。
大学生や高校生ばかりのライブで、彼らの両親が高校生くらいの時の曲を演奏して盛り上がれるなんて凄いと思う。オレ達には自分達の曲でそれが出来るだろうか。
どんどん悪いことを考え始める。オレの悪い癖なのだ。
「おい、思い詰めるなよ」
郁美に話し掛けられて顔を上げると、女装した彼の顔が目の前にあって、分かっていても驚いて椅子から落ちた。
「驚きすぎだろ。女装姿にも慣れてくれよ。だけど、緊張はとけたんじゃね?」
「とけたよ。ありがとな」
腰をぶつけたから素直にお礼を言う気になれずに、嫌味たっぷりに言ってやった。
金木が楽屋のドアを開けた。もっとライブの音が聞こえてくる。
「そろそろ出番だってよ」
と彼女が言った。郁美は黒いベースを持って、オレの背中を叩く。
「さあ、葛木たちよりも盛り上げてやろうぜ。あと、MCは任せな」
郁美は楽屋から出て行った。
「令治君も早く早く」
金木は郁美の後に続いた。オレは青りんごみたいな自分のギターを持ち、楽屋を出ようとする。思い当たることがあった。
「行ってくるぜ、姉さん」
姉さんのギターにそう話し掛けた。オレは速足でステージへ向かった。
狭い通路で葛木達とすれ違う。彼らの表情はキラキラと輝いていた。
「お疲れ」
「がんばれよ」
なんてお互いに短い言葉を交わした。
『次はじょっぱりシャモロックだ!』
『出てこいや!』
オレからステージに出た。歓声とステージを照らすライトが熱い。明るいステージの上から暗いフロアを眺めると、深い穴を覗き込んでいるようで不安な気持ちになる。青森クォーターのキャパは三百五十人で観客は五十人くらいらしいが、もっといるように思えた。
金木は手を振りながら出てきて、郁美が出てきた時には歓声が小さくなって観客がざわめき始めた。
たぶん、前から『じょっぱりシャモロック』を知っていた人達が変に思ったからだろうな。観客の気持ちがよくわかる。
『どうも、じょっぱりシャモロックです。今日はよろしくお願いします』
郁美がMCを始めると、観客が騒ぎ始めた。見た目が女だったのに声が男だったのと、謎の人が郁美だと分かったからだろう。
『一曲は青春番狂わせ』
金木がスティックでリズムを取って、演奏が始まる。観客の視線が郁美に集中しているせいか思ったよりも緊張しなかった。
足元にあるスピーカーから郁美と金木の演奏が聴こえてくる。これがなかったら、観客の歓声に負けてお互いの演奏が聴こえないだろう。
このスピーカーやオレはほとんど使わないけどギターの音を変化させるエフィクターなどをPAという。
練習通りの力が発揮できたお蔭だろうか、郁美に呆気を取られていた観客も一番のサビまでには音楽に乗り始めることが出来た。
自分の演奏で五十人くらいの人が動いているのが、最高だった。もっと早くバンド活動を始めていれば良かったと、後悔さえした。
『だから、こんなの俺じゃねえ』
力強い歌声で郁美が一曲目を歌い切った。観客のノリも良いと思う。オレは金木と顔を合わせて、良い感じだなとアイコンタクトをした。
『えーと……』
MCは任せろと言っていた郁美が言葉に詰まっていた。黙ってる時間が長いと観客が冷めてしまう。どうしよう、オレが何か言うべきかと思ったが気の利いた言葉が思いつかなった。郁美がドラムの金木の方をチラリと振り返る。
『メンバー紹介、ドラムスは金木浪漫。イケメンな女の子だ』
金木に振ったけど、金木にはマイクがない。彼女は短いがパワフルなドラムソロをやってみせた。観客がわっと湧く。次はオレのメンバー紹介だと思うから何かをしないと。
『ギター、中嶋令治。地味だけど技術はあるぜ』
郁美も焦っているのが分かったが、オレも焦っていた。一秒にも満たないような時間で頭をフル回転させ、思い付いたのが『津軽じょんがら節』だった。今なら弾けそうな気がする。
Aメロの速弾きやってみせるが、誰も分からないんじゃねえかと思った。だけど思ったよりも観客の反応が良かった。
「カッコいいぞ」
「地味だけど、カッコいいぞ」
なんて最前列の人達が声を掛けてくれた。あ、よく見たら「地味だけどカッコイイぞ」って言った奴は同じクラスの男子だ。見に来てくれて嬉しい気持ちと地味は余計だろという気持ちが入り混じった。
『私はベースボーカルの原別郁美だ。こんな格好だけど男』
郁美は自分の紹介をして、深呼吸した。
『次の曲はグッドバイ青森です。卒業ソングだけど盛り上がるからいいよな!』
観客が歓声で反応してくれた。それが少し収まってから、演奏を始める。これはコーラスもあるから、この前みたいに忘れないようにしないと。
そう思い、顔を上げると奥の方に美佐がいた。ちゃんと聞きにきてくれて嬉しかった。それに彼女の前は失敗出来ないな。
『グッドバイ青森』『グッドバイ青森』
コーラスは忘れなかったが、それに気を取られすぎて少しミスをしてしまった。伴奏で郁美がチラリと視線を送ってきた。オレは少し頭を下げる。二番は気を引き締めないと。
『上野駅で降りた』
二番から最後サビまでミスはなかった。後は後奏だけだ。ドラムの連打の後にベースとギターを一瞬だけ鳴らして終わる。オレと郁美は視線を合わせてタイミングを図り、ジャンと鳴らした。
あまりに力を入れてしまったせいか、ギターの一番細い弦が切れて、ピックも割れた。
心臓をギターの弦で閉めつけられているような気分だ。視界が歪む。息が苦しい。まるで中学生の時みたいじゃないか。
ギターのネックを支えていた左手から力が抜けて、首に掛かったストラップだけが緑のギターを支えられている。オレはギターの重みで前に倒れてしまいそうになっていた。割れたピックの破片は足元に散らばっている。
また失敗してしまったのか。
オレのせいでまたライブが失敗してしまうのか。
涙が出てきそうだ。
『ギターの弦が切れてしまいました。気合いが入りすぎですね』
すぐに郁美がオレの異変に気が付いてMCで時間を稼ぎ、フォローしてくれた。彼のお蔭で我に返ったオレはアンプの電源を一度切り、ギターを外してステージ袖に向かう。その途中だ。
「気にするなー!」
と観客の方から同じクラスの男子の声がした。
「大丈夫、ありがとう!」
そう答えて、オレはステージ袖に入ったら、楽屋の方から姉さんのギターを持った篤人が走ってくる。その後ろに赤坂もいた。なんで美佐がいるんだと思ったが、オレにピンチに駆けつけてくれたのかと思うと、嬉しかった。
「初ライブハウスとは思えないぜ。ちょっとのミスなんて気にするなよ。あと、弦が切れるなんて、よくあることだ」
と、篤人は励ましてくれた。だけど、弦だけじゃないんだ。
「ピックも割れたんだけど」
「マジかよ! 俺の使え、ちゃんと後で返せよ」
ポケットから出したピックを渡してきた。
「ありがとう」
オレが自分のギターと姉さんのギターを交換すると、美佐がオレの元へ駆け寄ってきた。
「あ、あのさ……すごくカッコイイよ、令治! エキドナよりも何よりも、じょっぱりシャモロックはカッコイイ!」
ステージの袖は暗くて、彼女の表情までは分からない。だけど、きっと笑顔で言っているんだろう。赤坂はオレの右手を力強く両手で握ってきた。
「だから、最後の曲もきっとカッコイイ演奏を聴かせてね!」
オレは首を縦に振り応えるとステージの方を向き戻ろうしたら、Tシャツの裾に違和感があった。まるで裾を何処かに引っ掛けてみたいな感じだ。
「あのさ」
と、美佐の声がしたので振り返ったら、彼女がオレのTシャツの裾を掴んでいた。
「いや、ごめん。何でもないから、ほら、早くいって」
トンと背中を押されて、オレはステージへ歩き出した。今のは何だったんだと思ったが、そんなことは後から考えよう。
とにかく美佐の一言で吹っ切れた。そうだ、オレ達はカッコイイんだ。じゃあ、最後までカッコイイところを見せつけてやる!
『じゃあ、戻ってきたところで三曲目はかちゃくちゃね』
郁美はオレが戻ってきたばかりなのに、始めようとした。
『待って、まだアンプに繋いでないから』
オレが自分の前にあるマイクを使って言ったら、観客は笑ってくれた。
『ああ、ごめん。そこまで見てなかったぜ』
なんか自然に漫才みたいなことが出来て、少し時間が稼げた。オレは急いでギターとアンプを繋ぎ、電源を入れる。
美佐がフロアに戻ってきたのを確認して、オレは郁美に準備が終わったことを伝えた。
『じゃあ、今度こそ三曲目のかちゃくちゃね。いくぜ!』
キャッチーでアップテンポなこの曲なら、姉さんのテレキャスターの軽い感じの音があっている。金木も得意な曲調だったようで、楽しそうにしていた。
しかし、オレの指が思うようには動かなかった。コードを押さえている左手に力が入らなくて、アンプから不協和音が出た。
オレはバンドメンバーの方へ目をやると、郁美は自分のパートに集中して気にしていない様子だったが、金木は「大丈夫だよ」と笑顔で励ましてくれた。
だけど、熱いライトと歓声とこの姉さんのギター。まるであの時のようだ。思い出してしまったんだ。
オレはそれを振り払うように頭を縦に振ったけど、脳裏に浮かんだままだった。周りから見たら、曲に合わないのにヘドバンをしているだけに見えるだろう。
『あーもうかちゃくちゃね』
郁美が歌い出した。そうだ、これは姉さんが作詞した曲だ。あの時とは違うぞ。オレはトラウマを乗り越えんだ。
オレ達のバンドはカッコイイんだと自分に言い聞かせると、だんだんと思い通りに指が動き始めた。ピックを持つ右手をさっき美佐が強く握ってくれたのを思い出すと、美佐も一緒に演奏しているように感じる。
伴奏に入って、郁美がオレと金木に視線を送った。彼の目は自分だけメンバー紹介の時にソロをやってないと語っている。
オレは自分のギターのボリュームを下げて、ベースの音が目立つようにした。ソロではないけど、これでどうだろうか。郁美とアイコンタクトするために顔を上げたら、前の方でノっている観客の中に姉さんがいたように見えた。
慌てて、もう一度そこを見ると、そこにいたのは美佐だ。後ろの方で見るのが好きと言っていた彼女が前に出てきたのである。オレは自分達の演奏が人の心を動かしたのかと思うと、中学の時のトラウマなんて何処かへ飛んで行ってしまった。
郁美は足元のスピーカーに片脚を上げて、ステージから身を乗り出すように演奏している。
伴奏が終わるとボリュームを戻して、二番と最後のサビを弾ききった。
『どうも、じょっぱりシャモロックでした』
葛木達より大きいと思う歓声を聞きながらステージ袖に戻る。師匠達が出番を待っていて、
「お疲れ、カッコ良かったぜ」
と労いの言葉を掛けてくれた。
楽屋のドアを開けると、イタコと葛木が駆け寄ってきた。
「すげぇなお前ら、わや盛り上がってたじゃん」
「んだ。わんどよりも凄かった」
それを聞いた郁美と金木は得意気に答える。
「だろ、私は凄いんだ」
「そんなに褒めても何も出ないよ」
オレは彼らの脇を通りすぎて、姉さんのギターを立て掛け、ピックをポケットにしまった。そして、脚がガクガクと震えていることに気が付いたんだ。倒れるように椅子に座りこむ。
楽屋の蛍光灯の明かりを浴びた姉さんのギターが誇らしげだった。
「ありがと、姉さん」
と、誰にも聞こえないような声で呟くのだった。
一息つくと、ダラダラと汗をかいていることに気が付いた。オレは自分の鞄からタオルを取り出して汗を拭いた。
「令治も行くぞ」
Tシャツとジーンズに着替えた郁美はそう言ってきたが、何のことだか分からなかった。
「訳が分からなそうな顔をするなよ。師匠たちのライブに決まってるだろ。私とお前以外はもう見に行ったからな」
「気が付かなかった」
オレは楽屋を出ていく郁美の後を追った。
フロアに出てると、まだ演奏は始まっていない。ベース師匠がMCで場を湧かせていた。
『さあ、我々クラクラのライブも十回目を迎えました。今回は特別ゲストも呼んであるぞ。我輩とドラムスの工藤が高校時代に組んでいたバンドのギタリスト』
ベース師匠は大きく息を吸い込んだ。
『中嶋篤人! 出でこいや!』
と言った。ステージ袖から篤人が出てきたところで、オレはピックを返していないことを思い出した。しかし、彼のV字ギターはアンプに繋がっており、どうやら登場と同時にギターソロをやる段取りだったようだ。
オレはポケットにある篤人のピックを取り出し、ステージ前にいる人達をかき分けて進む。しかし、篤人はそれを待たずに右手でギターのボディを持ち、左手でネックを持った。ギターの弦がある方を自分に向けて、篤人はボディで自分の顔を隠してしまった。
『出たあああああ! 悪魔に魂を売ったギタリスト、ハデヘンが編み出した歯ギターだ!』
ベース師匠のプロレスの実況のような解説が入った。その後、篤人が顔の前でギターを上下させ歯に弦を当てているんだ。
すると、エレキギターの荒々しい音色がライブハウス内に広がった。あまりにも奇抜な奏法に観客のボルテージはぐんぐん上昇していく。
オレは盛り上がる観客の間を通ったり、かき分けたりして、どうにかステージの前までたどり着いた。しかし、その頃には篤人のギターソロは終わっていた。
「篤人!」
と、オレが呼び掛けると篤人はしゃがんでニカリと笑って手を伸ばしてきたので、どうにかピックを渡すことができた。
『さあ、さっきのじょっぱりシャモロックのギターが篤人にピックを返しました。今、返してもらえなかったら、ライブの間ずっと歯ギターだっただろう』
ベース師匠が言ったら、ドラム師匠が笑っていた。
『メンバーの準備が終わったようだ。クラクラのライブを始めよう!』
唐突に一曲目の演奏が始まった。ライブで疲れていたオレは、盛り上がる観客に巻き込まれて、体をあちこちにぶつけて、フロアの後ろの方へ弾き出される。
足がもつれてフロアの後ろにあるスペースに倒れかけたが、誰かが背中を支えてくれた。
「ありがとうございます」
と、反射的にお礼をしたら、美佐だった。そうだ、三曲目の前にTシャツの裾を掴んで引き止めたのは何だったんだ?
「今は先輩たちのライブを楽しもうよ」
演奏に負けないように、オレの耳元で美佐はそう言った。だから、ギターを持ってきた時に何を言うつもりだったのかを聞くに聞けなかったんだ。
美佐に手を引かれて、ステージ前の観客の中に入りこんだ。最初の内は音楽に合わせて、体を動かしてライブを楽しんでいたがオレの体はもう限界だった。
フラフラとした足取りでフロアの後ろへ抜けると、郁美がいた。声を掛けようと思ったが、ライブの音に負けないくらいの声を出す元気もない。
オレは郁美の隣で壁に寄り掛かり立っていることにした。
三曲続けて演奏した篤人たちは水を飲んだり、息を整えている。
『盛り上がってるか? まだまだ行くぜええええ!』
篤人がベース師匠からマイクを奪い取り、叫んだ。すると、観客が激しく動き、葛木がオレの方へ弾き出された。ヘッドスライディングのように転んだ。
「おい、大丈夫かよ」
郁美が手を貸して葛木を立ち上がらせた。
『おい、後ろで休んでる後輩ども! お前らまだやれんだろ!』
マイクを通して篤人が煽ってきた。オレと郁美と葛木は顔を合わせて、ステージ前の観客の中へ突撃した。
大成功に終わったクリスマスイブのライブ。片付けを終えた頃には、オレたち新城高校軽音部の体力は限界を迎えた。
オレと篤人は来た時同様古寺先生の車で機材と一緒に送ってもらった。無理やり体を動かして機材を下ろした後、オレは部室の二階に上がる。こたつに入り、横になった。
いつの間にか眠っていたようだ。なんか後頭部が柔らかいし、良い匂いがする。でも、まだ眠くて目を開ける気にはなれない。
「美佐、ご飯できたよ」
「しー。静かにしてよ、お姉ちゃん。令治が寝てるの」
真子先輩と美佐の声がした。もしかして、オレは美佐に膝枕されているのか。
「もうラブラブだね。膝枕とか。篤人は初心だから、まだしたことない」
ここで起きるのは恥ずかしいし、もう少しこのままでいたい。寝たふりをしてよう。
「アタシの方が一歩前進だね。しかも、横向きじゃなくて縦向きの膝枕だしね。じゃあ、もう少ししてからご飯食べにいくよ」
「はいはい」
ギシギシと階段を降りる音がして、真子先輩が部屋を出て行ったのがわかった。
「ライブの時は格好良かったのに……寝てる姿は可愛い」
美佐の声がだんだん近づいてくる。
「今なら……」
おでこに吐息がかかる。オレはまだ目を閉じているので分からないが、目を開けたら目の前に彼女の顔があるはずだ。
「まあ、ライブ頑張ってたし、クリスマスだし、キスくらいしてもいいよね。いいはず」
オレは起きようと思ったのだが、間髪入れずにおでこに柔らかいものが当たる。
その瞬間、部室の屋根から雪が落ちる大きな音がした。分かっていても驚いてしまい、オレは目を開けてしまう。照れて真っ赤な美佐の顔が数センチのところにあった。
聖夜に叫び声が響いた。
終わり