空蝉
《本日未明、○○町△△マンション六階から一人の男性の遺体が発見されました。警察は一連の事件と関係があるとみて、捜査を進めていく方針を示しており、 ……》
ガチャ――――
リビングに続くドアが開き、いかにも風呂上がりといった様子の男が出てきた。男は、首に巻いていたタオルで乱暴に頭を掻き回しながら、テレビのリモコンを手に取る。そして、チャンネルを回すが、時計の短針が真上を指す時間の為、ニュースか深夜の低俗な番組しか放送していなかった。しかも、どのニュース番組も同じ事件で占領されている。
「最近は物騒な事件ばかりだな」
男がつまらなそうに、ため息交じりに呟いた。
人が死んでいるといっても、それは所詮他人事。そう思っている男にとって、唯一の趣味であるテレビ鑑賞を、面白味のないニュースに奪われたことの方がよっぽど重大なことだった。
原因となっているその事件とは、巷で連続殺人事件と騒がれている一連の事件ことである。被害者に共通点はなく、しかし、無差別というにはあまりにも犯行が計画的に行われ過ぎていた。それ故、平和ボケした我が国の警察は、事件の動機や先が予測できずに手を焼いているのだ。
コンコンコンコンッ――――
夜も更け、星々が手を取り合って踊り騒ぐ時分。些か誰かを訪ねるには不躾な時間帯だが、男の家のドアは確かに叩かれた。
「はいはい、どなたですか? こんな夜遅くに」
首に巻いていたタオルと手に持っていたリモコンを無造作に置き、男は玄関へ向かう。
といっても、男は独り暮らしの身。住んでいる家は小さく、テレビのあるリビングから玄関まで大股で歩けば十歩もかからない。今だって、たったの一秒あまりで玄関に着いた。
ギィーと男にとっては聞き慣れた、しかし、世間一般的には不快とされる音を響かせながら、ドアが開く。
「こんばんは。夜分に失礼します、私は空蝉 不無と申すものです」
「は、はぁ……」
男がなにかを言う前に、ドアを叩いた誰かは口を開いた。
戸惑いと驚きが入り交じって、男は思わず立ち尽くす。開いた口が塞がらない、まさにそんな状態だ。
「あの、どのようなご用件で……」
「貴方様が御手洗斗眞様とお見受けしておりますが、間違いないでしょうか?」
「……はい」
空蝉と名乗った男は、丁寧な言葉遣いとは反対に、此方に必要以上の口を利かせない傍若無人ぶりを発揮する。それなのに、有無を言わせない何かがあり、男は多少の苛立ちを感じながらもつい答えてしまった。
空蝉は男の態度が当たり前だと言わんばかりだ。
「本日私がどのような用件で参りましたのかと申しますと、御手洗様に主人から言伝を承っておりまして。それをお伝えするために私は伺った次第でございます」
「伝言……? いや、それよりその主人とはどなたなのですか? 私の知り合いには、召し使いを雇うような人はいないはずだが……」
余りに想定外な出来事に、男は正直なところ状況がほとんど把握しきれていなかった。けれど、自分なりに頭を猛スピードで働かせ、なんとか空蝉との会話を試みようとする。
「失礼ながら、申し上げることはできません。主人から堅く禁じられていますので」
それなのに空蝉は、こちらの思いは一切知らないとはいえ、何の躊躇いもなく一刀両断した。
悔しいやら悲しいやらで、男は衝動の赴くままに頭を抱えたくなる。もちろん、いい年をした大人なのだからそんなことはしないが。
「そう、ですか……」
頑張りも虚しく早手詰まりになってしまい、かつ理解の範疇を超えた現状に、男のこめかみの辺りが痛んだ。それにも関わらず、空蝉は男の様子などお構いなしに話を淡々と進めていく。
「では、主人からの言伝を申します。
【私の言伝を、貴方様に話にきた召し使いを殺してください。殺しても、貴方様は罪に問われることはありません。そして殺せた暁には、成功報酬として一生遊んで暮らせるような金額をお支払いすることをお約束します。】
とのことです」
「なっ!?」
男は絶句した。当たり前のように淡々と話した空蝉に対しても、あまりにも突飛すぎる話の内容に対しても。
「か、からかうのも止してください」
なんとか回らない頭を働かして言うも、相手の表情は不変。それが、言外に話の信憑性を語っていた。
「これで、心臓を一刺しして下さい。大丈夫です。再び申し上げますが、罪に問われることはありません」
「あっ……う、わ……」
どこからか、獲物を狙って爛々と輝く刃物が差し出された。手を伸ばせば直ぐに届く距離だ。
男は動転した。口から漏れるのは、言葉にならない声。
しかしそれも仕方のないこと。
急に赤の他人に殺害を要求され、刃物を向けられ。動転しない人などいないのではないだろうか。
「さあ、早く」
空蝉によって強制的に刃物を手に握らされ、刃先を向けさせられる。手が震えて、狙いが定まらない。これでは、心臓を一刺しなど無理であろう。
それでも、早くと急かされる。
男にとって、一生遊んで暮らせるような大金はとても魅力的だった。それは、男がしがないただのサラリーマンでしかないからだ。独身で恋人もおらず、小さなアパートの最上階である五階で独り暮らし。会社では、出世とは無縁の仕事ばかりをしていた。だから、中年といわれる年齢になっても、給金は新人の若い人たちとあまり変わらない。悲しいことに、その程度の給金では、気晴らしに遊びに行くこともできやしないかった。
そんなつまらない人生を、男はもう何年も歩んできていた。
だから、大金は喉から手が出るほど欲しかった。
けれどまた、平凡な男には、人を殺す度胸など無かったのだ。
「無理だっ! わ、私には貴方を殺すことなど出来ない!! 他の人を当たってくれ!」
男は叫んだ。緊張から、声は掠れていた。
「……」
しかし、空蝉の表情は変わらない。無言でただ、早く、早く、と急かしていた。
「貴方はそ、それでいいんですか?! 死んでもいいんですか?! さっきから殺せ殺せと言うけれど、貴方は本当に死にたいんですか?!」
「…………」
「主人の命令だからって、それで納得できるんですか?! 生きたくないんですか?!」
「………………」
「と、とにかく私は引き受けられません!!」
「……………………」
男はぜえぜえと荒い息を吐きながら、いつの間にか下を向いていた顔を上げた。そして、驚愕する。なぜなら、今まで一ミリたりとも動かさなかった表情を、空蝉が微かながらも歪ませているからだ。
男は呆然とした頭で、ああ、空蝉も人間なんだなと思った。
機械的な受け答えに、何もうつさない表情。それが、男にとっての空蝉不無であった。そして、それはまるで人間そっくりの機械のようで。男は正直な話、空蝉の正体を密かに疑っていた。ここまで人間にそっくりで高性能な機械など男は聞いたことがないが、この世は自身の知らないことであふれている。もしかしたら……、なんて創造を膨らませていた。
顔を歪ませるなんて人間らしい反応を空蝉がしたことは、男にとって衝撃的で、同時に深い安堵を与えた。
相手が人間であるならば、交渉の余地があるはずだ。
男はそう思った。
「私も死にたいわけでありません」
空蝉は、先ほどよりも若干沈んだ声で、ぽつりと零した。
「なら!」
「しかしながら、私は随分昔から主人のお世話になっております。このご恩はとても返しきれるものではないのです。ですから、私はせめて、主人の命には忠実に従うのです」
次いで、意志が籠ったはっきりとした口調で言い切る。
「……」
「私目のことに気を使っていただいてたいへん恐縮ですが、これはもう、決めたことなのです」
いよいよ男に逃げ道はなくなってしまった。
召し使いのこんな話を聞かされてしまっては、もう断るにも断れないではないか。
男は、真っ白になった頭で刃物を構えた。力を入れて、たった三十センチ動かせば、空蝉の心臓に突き刺さる。そうすれば、男はもう何もしなくてもよかった。
自然と傷口から血が少しずつ溢れだし、空蝉の顔が青白くなり、体が倒れ、ひんやりと冷たくなっていく。
それでいいじゃないか。空蝉にとっても、男にとっても、それが最善のはずだ。
「大丈夫です。刺してください。それが主人の、そして私の望みです」
男は、深呼吸をひとつした。
そして刺した。素早く、力を込めて。
男は空蝉の心臓に刃物を突き刺した。
「ぐっ、……は、ぁっ」
赤がゆっくりと溢れ出て、零れる。ポタリ、ピチャリ、グチャリ。足元が染まる。
「あ、あ、あ、」
そして、空蝉の体が、ゆっくりと傾いた。
「あ、……あぁぁぁぁぁぁッ!!!」
それは簡単なことだった。子供だって出来る。
しかし、男は知らなかったのだ。
柔らかい肉を裂く感触を。飛び散る血の赤さを。人の顔が死に歪む様を。
男は、知らなかった。
だから、………………。
気が付いたら、男の体は宙に浮いていた。
グヂャリ――――
そして、潰れた音がした。
高いところから重いものが、そう、人間くらいの重さのものが落ちて、潰れた音が。まるで、人肉のように脆いものが落ちて、潰れた音が。
物音ひとつしない静かな夜の一時十三分に、じっとりと響いた。
その音の正体は、一体何だったのか。
知ろうとする者は、そこにはもういなかった。
星々や月が隠れ、鳥が飛び立ち、日が明ける。
男が付けっぱなしにしていたテレビが、今日もつまらない朝のニュースを流していた。
《本日未明、□□町××マンションから一人の男性の遺体が発見されました。
警察は、一連の事件と関係があるとみて、捜査を進めていく方針を示しており、 ……》
― After Episode ―
「御主人様、ただいま戻りました」
白いシャツの胸元から腹部にかけてを真っ赤に染めた空蝉は、一人の男に一礼した。チラリと空蝉に視線をやった男は、白髪混じりの長髪が印象的な、初老の男だ。
「うむ、ご苦労だったな。今回もなかなかに愉悦であった」
初老の男は、ニヤリと口端を上げ、満悦の表情を浮かべる。それは、腰掛けている、いかにも高級品といったアームチェアとは相反に、卑しい笑みだった。
頭を下げたままの空蝉の目には写らないはずだが、召し使いとしての経験故に察したのか、微かに空蝉の顔が歪む。
「それにしても、本当にお前は使えるな」
「……」
「あの男はお前が死んだと思ったのだろうが……。ふっ、とんだ笑い話だな。お前は死など無縁のモノなのにな」
「……仰るとおりでございます」
空蝉は、確かに御手洗斗眞に心臓を刺された。それも、たったの約一、二時間前に。
しかし、空蝉は死ななかった。一瞬心臓が止まりはしたが、ただそれだけ。五分もすれば体のある機能が働き、傷を塞ぎ意識は戻る。
病院に行くわけでもなく、闇医者に治療してもらうわけでもなく。それでも至極当然のことのように、空蝉不無は止まったはずの心臓を動かし、息をして生きていた。
否、生きているというと少し語弊があるかもしれない。何故なら空蝉不無は、その名の通り『空蝉』ではないのだから。『空蝉』の形をした、しかし、『空蝉』ではないものなのだから。
主人の言った通り、空蝉は恐ろしく死とは無縁のものだった。
「御主人様は、何故私を空蝉不無と名付けたのですか?」
空蝉は以前、そう主人に尋ねたことがあった。それはまだ、この世に誕生して間もない頃のことだ。
「…お前は『空蝉』という言葉の意味を知っているか?」
「いいえ。存じ上げません」
空蝉の問いに対して、主人はただ問いに問いを返す形でそう言った。まだ何も知らなかった空蝉は、その問いに答えることはできなかった。
「ならお前に課題を与える。辞書を一切使わずに、『空蝉』の意味を考えろ」
「了解いたしました」
「『空蝉』の意味が分かれば、自ずとお前の名の意味も由来も見えてくる。お前の名の意味と由来が分かれば、『空蝉』の意味も自ずと分かる」
「………………」
「そう言っておこう」
主人の課題はさほど難しいものではなく、けれど、とても意味深なものであった。
あの時から早数年、空蝉は未だにその課題を終わらせていなかった。それは現実を認めたくないが故の、馬鹿みたいな悪あがき。
けれど、それも今日で仕舞いにする。今まで幾人もの人を、御手洗斗眞のように巧妙に騙し、巧みに心を動かして、亡きものにしてきた。
ただ、主人の暇潰しのためだけに。
間抜けな人間が欲に眩んで壊れる様が見たい。
なんて悪趣味で、なんて傍迷惑な暇潰しなのだろう。けれど空蝉は、その為だけにこの世に存在する。
「御主人様、私はようやく以前頂いた課題の答えを掴むことが出来ました」
「課題……? …………ああ、そういえばそんなものを出していたな。どれ、答えを聞いてやろう」
緩慢な動きで、主人が空蝉の方へ視線を向ける。主人の愉快そうな目に、空蝉は逃げ出したくなった。しかし、それを足に力を込めて、ぐっと堪える。ここで逃げ出しては、空蝉はこれから何も変われないからだ。
「『空蝉』の意味はこの世に生きている人間。そして私の名である空蝉不無の意味は、由来は……」
「……」
「人間でない、そういうことですよね」
空蝉は、主人が暇潰しのためだけに作った、超高性能ロボットだった。だから、名前は空蝉不無。この世に生きている人間という意味の『空蝉』に、否定の意味を持つ『不』と『無』。
人間でないもの。
ただ、それだけの意味を込められた名前。
「ああ、そうだ。お前を忠実に表した名だろう? なり損ないのロボットよ」
空蝉の高性能であるところは、髪の毛から、肌の色、質感、手足を動かす仕草まで。何も知らない普通の人達は、人間と信じて疑わないくらいに本物そっくりなところだとか。
実はそういうところではない。
空蝉には、なんの因果か感情があった。
そこが、空蝉の高性能たるところだ。といっても、感情なんて目に見えるものではない。だから、空蝉の感情が、組み込まれたプログラムによってそう錯覚しているだけのものなのか。それとも本当に芽生えたものなのか。そこまではわからない。
ただ、空蝉はまるで本物の『空蝉』のように、嬉しいとか、悲しいとか、悔しいとか、感じ、表すことができた。だからこそ、空蝉は悩み、悲しんでいた。
「私は、やはり人間には成れないのでしょうか…」
「何を馬鹿なことを。成れるわけがないであろう。ただのしがないロボット風情が」
「私は…………人間に成りたいです、御主人様」
人に似て、人と非なるもの。
自分も、人間に成りたかった。
感情があり、心があるものとして、それはごく普通の憧れで、羨望だった。
「お前を作ったのは私だ。お前のことをお前自身よりも理解している」
「……」
「お前は人間ではない。お前は人間には成れない」
「っ……」
「大人しく諦めて、感情など捨ててしまえ」
「………………では、諦めます」
空蝉はずっと探していた。本物の『空蝉』になる方法を。そして、それは案外近くに隠されていた。
「御主人様に理解してもらうことを、諦めます」
異常な空気に驚愕で顔を染めた主人が、空蝉を見ようと体を捻ったその瞬間。瞬きをしていたら見逃してしまうような速さで。
「がっ、……ぐ、うぇ」
空蝉はなんの躊躇いもなく、主人の頸動脈を掻っ切った。
「………………………………」
世界が瞬く間に赤く染まる。それは舞い散って、空蝉の既に赤く染まっていた白いシャツを、さらに深く染めた。
空蝉には感情があった。だから空蝉は、彼自身を作った主人でも予測できなかったことをしでかした。
「空蝉不無って否定がふたつ付いているので、否定を否定しているんですよね?
人間を否定して人間ではない、をさらに否定して、やっぱり私は人間である。
それが、課題の本当の正解なんですよね? そうでしょう、御主人様?」
自分がロボットであることを知っている唯一の存在を、主人を消したら、誰が空蝉を人間ではないと言うだろうか。 おそらく、誰も言わない。何故なら空蝉は、主人のお陰で人間にそっくりだから。
こうして空蝉不無は、『空蝉』に成った。人間と変わらない容姿で、人間と同じような感情をもった、『空蝉』に。
空蝉不無は、人間である。
「すいませーん、隣の家の者です!何方かいらっしゃいませんか?」
「はい、いますよ」
「あ、こんにちは。って、あれ? 失礼ですけど、ここって長髪で初老の男の人が住んでいませんでした?」
「ああ、住んでいましたよ。けれど、ついこの間引っ越されて…。今は私が住んでいるんですよ」
「なるほど、引っ越されていたんですね。いや、ね。その人は、正直近所付き合いが悪くてね。もう長いこと見かけていなかったから。そうかぁ、いつの間にか引っ越されていたんですか」
「はい。彼はもう、いませんよ。……あ、申し遅れました」
少し時期尚早の蝉の脱け殻が、空蝉の視界の端に映る。それはまるで、新しい自分に成り代わった空蝉自身のようだった。
「私は、空蝉不無と申します」
― END ―
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