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トラブルド・ウォーター(前編)

 僕ンちはいわゆる父子家庭というやつで、親父はそこそこ大手の商社に勤める万年平社員だ。戸建て住みだけど、そこまで裕福というワケではない。親一人子一人で、いろいろ躓きつつも倹しくここまでやってきた。

 母がいなくなったのは、僕が生まれてほんのすぐの事だったらしい。一歳の誕生日を迎える前に忽然と姿を消した母の顔など、僕は写真でしか知らない。

 母の消えた理由は、結局わかっていない。親父は捜索願を出したそうだけど、15年たった今でもその消息は杳として知れない。子供のときはそんな母を恨んだことも多々あったけど、今となっちゃもう、どうでもいいかなって思ってる。正直肉親と言っても、顔も知らない相手の事だ。僕にとっては限りなく他人だ。

 親父が万年平社員なのも、結局仕事と子育てを両立しようとして失敗したからだ。当時はまだ取る人のほとんどいなかった育休制度を使って、試行錯誤しながら僕を育ててくれた。でも育休を使いきって会社に戻ってみれば、その期間は厳然たるハンディキャップとして親父にのしかかった。

 それからはずっと苦労のし通しだ。働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る。小林一茶じゃないけれど、まさしくそんな状況が数年続いたんだそうだ。

 僕が保育所に通っているころには定時に一度帰ってきて、僕を寝かしつけてからまた会社に戻って仕事をしていた。小学校にあがってからは、夜に親父の顔を見ることすら少なかった。朝、疲れたように朝食を作る親父を手伝いたくて、僕は家事を覚えた。最近、ようやく職場での地位も落ち着いてきたようで、帰宅の時間は早くなっていた。2年を取り返すのに15年かかった、と親父は最近そうよく言って笑う。

 親父の苦境を作っていたのは、間違いなく僕だ。返さなきゃならない恩はエベレストをはるか超え、成層圏を突き抜けて月に届くほどに山積している。僕は高校を出たら働くつもりだが、親父はどうも僕を大学にやりたいらしい。あと2年の猶予は、長いようで短い。親父とは、ちゃんとそういう事について話す席を設けるべきだろうな、とは常々思っている。

 と、まあそんなくだらない身の上話を促されるままに滔々と語っていると、気づけば村雨ちゃんが潤んだ瞳でこちらを見つめていた。


「大旦那様、さぞおつらかったでしょうね……」


 村雨ちゃんは袂からハンケチを取り出して目元をぬぐう。僕は苦笑して、


「まあ、実際大変だったと思うよ。この家のローンだってあっただろうし、僕は第一子だったから子育ての経験なんかもなかっただろうしね。まあ、だからその、非常に言い出しにくいんだよね、アレ……」


 僕の視線の先にあるのは、傷だらけになった玄関と膾切りにされた玄関戸だ。さっきサクッと調べてみたけど、あのタイプの扉だと本体だけで10万チョイ、施工費と玄関の修繕費なんかもコミコミでざっくり計算したら100万は確実に超過する。ポンッと出せるようなはした金じゃない。大金にもほどがある。


「あ、あの、その件につきましては、私の配慮が至りませんで……」


「ああもう、顔上げる。村雨ちゃんには十分謝ってもらったから、とにかくこれからどうするか考えよう」


「お心遣い、痛み入ります……」


 床にこすり付ける寸前だった頭を上げてくれた村雨ちゃんだったけど、そのまま床にぺたんと座ったまましゅんとした様子だった。かわいい。じゃなくて。


「でもホントにどうしようか……」


 玄関のほうに目をやるたびに、暗澹たる思いが胸中を渦巻く。この辺の治安はすこぶる良好だけど、かといって玄関をフルオープンで眠ったり、家を空けたりできるほどの度胸はない。いくら貧乏とはいえ、貴重品と言えるようなものは置いてあるわけだし。登記簿とか通帳とかハンコとかパソコンとかさ。

 ちらりと村雨ちゃんを見やる。いまだどこかしゅんとした表情で、床に「の」の字を書いていた。どうもまだ、家をぶっ壊した責任を感じてひどく落ち込んでいるようだ。

 とはいえ村雨ちゃんがいなかったら僕は切り殺されてたろうから、そこまで責任を感じる必要はないんだけどな。……しかし、これはどうもいけない。とてもいたずら心をくすぐられてしまう。


「……村雨ちゃん」


「は、はい! なんでしょう旦那様」


 僕は努めて意味深長に、にやけないように気を付けて村雨ちゃんを呼ぶ。村雨ちゃんはハッとしたように顔を上げ、僕の尋常ならざる険しい顔(当社比)を認めて表情を引き締めた。僕はそれを確認すると、重々しく口を開く。


「村雨ちゃん、今、刀の姿になることはできるかい?」


「はい。問題なく。……刀になれば、よろしいのでしょうか」


「たのむ」


「畏まりました」


 村雨ちゃんが恭しく頭を下げたかと思うと、次の瞬間にはその姿を一振りの刀に変えていた。僕はそれを拾い上げると、するりと鞘を払った。

 蛍光灯の青い無機質な光に照らし出されたのは、妖しく光を反射する白銀の刀身と、その腹に施された見事な龍の彫り物だ。意図的につけられた凹凸が眩く光を乱反射して、それはキラキラと輝いて見えた。


「本当にきれいだ」


 本当に、何度見てもそう思う。村雨ちゃんの照れたような感情が、剣を通して伝わってくるのがどこかこそばゆい。それを考えるとこれからすることはひどくむごいことのように感じられるけど、若干僕の鬱憤晴らしも入っているので迷わず決行に移された。


「……本当に、見惚れるほどの大業物だもの。質にいれれば玄関の修繕なんて、ついでに廊下の張替えをやってもおつりが来るだろうな」


 ぼそりと、囁くように、あくまで独り言の装いで、僕はつぶやいた。ピクリ、と剣が鳴動した気がした。


(へ、え? だ、旦那様? あの、一体それは)


 村雨ちゃんのおびえたような声が伝わってきた。僕は笑いをかみ殺すのも精いっぱいに、さらに続ける。


「……うん、村雨ちゃんも今回の件は責任を感じているようだし、刀の状態の君を質に入れて玄関修繕費を補填しようかなって」


(ええええ!? そんなっ、旦那様っ、何卒お考え直しください! 私にできることでしたら、なんえも致しますから……ッ!)


 縋りつくような懇願の感情が伝わってくる。いやはや、予想通りの展開だ。たいがい僕の性格も悪いな。薄く笑って、その流麗な刃を鞘に納めた。


「冗談だよ」


「そんな、冗談だなんて……! え、冗談?」


 僕が村雨ちゃんをテーブルに立てかけると、彼女はすぐさま人の姿に戻った。どこかきょとんとした顔だ。


「そ、冗談。大体僕みたいな子供が行ったって質屋は取り合ってくれないし、今の日本には銃刀法なんて法律もあるから、下手すりゃ警察沙汰だよ。それにそもそも、このへんに質屋なんてないもの」


「もうっ、冗談でもそんなこと言わないでください!」


「めんごめんご」


「めんご……?」


「ああいや、ごめんね」


 ようやくからかわれたのだと気付いた村雨ちゃんがプンスカとふくれっ面を作った。可愛いなあホント。


「まあ、それはホントに最後の手段だね。とりあえずそんなことにならないように、村雨ちゃんもしょげてないで知恵を貸してよ」


「は、はい……」


 と、ちょうど話も纏まったというか、開始地点に到着した頃合を見計らったかのように、居間に据えられた古めかしいプッシュホンが甲高い電子音をかき鳴らした。


「はい、里見です」


「ちょっと! 何自然に電話取ってるの!」


 流れるような動作で村雨ちゃんが電話に出た。今の彼女は女中ルックだから、非常に絵になるっちゃあなるのだが、僕は慌てて彼女の手から受話器をもぎ取った。


『もしもーし、おーい、聞こえてるか―』


「ハイもしもし、里見です……って、親父ぃ!?」


 受話器から聞こえてきたのは、まごう事なき親父の声だった。思わず背中に電流が走る。まだ言い訳の一つだって完成していない現状、親父と話すのは非常に気まずかった。くわえて先ほどの村雨ちゃんである。


『おう? ナニそんな驚いてんだ。てか、さっきの声は……』


「ああ、いや……まあ気にしないで! それで、どうしたんだよ、こんな時間に電話なんて」


『おお、そうだそうだ』


 我ながらかなり強引に話を変えた感があったが、親父は特に気にするふうでもなかった。昔から細かいことは気にしない人だ。こういう時はホントに助かる。


『いやな、傘もってきてほしいんだ。電車の中に置き忘れっちまってなあ』


「なんだ、そんなこと。わかったよ、今どこ?」


『すまん、頼むわ。駅南で待ってる。帰りにどっかでうまいもん食っていこう。……ところで、さっきの娘、彼女か?』


「えっ」


『わはは、まあいいや。そこんとこも聞かせろや。じゃなー』


 ……切られた。さっきの言葉、訂正だ。細かいことを気にしないんじゃなくて、ちゃんと気にしてるけど気にしてないフリができるだけだ。あのクソ親父は。

 電話を置いて、長い息を吐いた。いやー、なんだかなあ。


「村雨ちゃん」


「あっ、はい」


「もう勝手に電話に出るのは、やめてね……」


「すみません……」


 なんかもういろいろあれで怒る気にもなれない。村雨ちゃんはしゅんとしていた。


「あー、とにかく、これから駅に行くけど、村雨ちゃんどうする?」


「もちろん、お伴致します。旦那様は今やスーパー聖剣&魔剣大戦の参戦者のお一人、剣の担い手です。いつ何時、他の担い手からの襲撃があるともしれませんから」


「うん、わかった。じゃあ行こうか。玄関の件を説明するのにも、村雨ちゃんがいてくれた方がいいし……って、あ」


「どうなさいました?」


「いや、そうだよ玄関戸が壊れてるんだった。戸締りどうしよう」


 正直、もともと嵌まっていた戸は見るも無残に真っ二つにされているので、まったくと言って防犯効果などはない。このまま二人して出かけてしまうと、我が家は完全な無防備地帯となってしまうのである。さっきの今で、完全に失念していた。


「あっと、そうでした。どうしましょう……」


「どうしようか……」


 いっそブルーシートでも張っとくか? いやいや、どこの事故物件だよって外観になっちゃうよ。ご近所さんにドン引きされちゃう。いやまあある意味事故物件なんだけど。それに防犯効果は一切ないしな。机でも積んでバリケードでも作っていくか? うーん……


「あ、そうだ。旦那様、私にいい考えがあります」


「そのセリフは失敗フラグだけど、聞こうじゃないか」


 頭上に白熱電球を浮かべて、村雨ちゃんが提案してきた。意識したわけじゃないんだろうけど、なんかすごく嫌な予感がする。どうか外れてくれ。


「数打を使うんです。旦那様が影をお斬りになったので、今は嗾けてきた担い手の支配から脱しています。私の支配下に置きなおせば、防犯装置として十分に使えるようになるはずです」


「そんなことができるの?」


 予想に反して意外と悪くなさそうな案だ。僕はフムとうなずき、続きを促す。


「はい。こう見えて私も宝刀ですから、それくらいのチカラはあるんですよ? さすがに聖剣や魔剣のお歴々には及びませんけど……」


 村雨ちゃんは居間に無造作に置かれた抜身の数打を手にとって、その刃に白魚のような指を這わせた。村雨ちゃんの顔が一瞬だけ苦痛に歪み、白い指と対比するように赤々とした血が一滴、数打の刀身に落ちた。その瞬間、刀身がぽうっと光る。


「終わりました。これでこの子は旦那様のしもべです。何か名前を付けてあげてください。この子には今、銘がないんです。銘のない刀は、銘のある方に比べて大きく能力が劣りますから」


「銘って、刀鍛冶が刀打つ時に刻むもんじゃないの?」


「本来はそうです。ただ、この子は軍刀に徴用されたときに銘を失ったようなので、今回は便宜的なものです」


「あ、これ軍刀だったんだ。てっきり戦国時代くらいの刀だと思ってたよ」


「元はそうだったかもしれませんが、そこまではわかりかねます。すみません」


「いやいや、謝らなくっても。しかし、名前か……」


 前述のとおりウチは貧乏だったから、ペットの類は小学校の裏の池で無限に捕れたザリガニくらいしか飼ったことがなく、あんまり「名づけ」なんてことをすることがなかったから、意外と難しい。

 ザリガニに名前は付けなかったのかと聞かれると、まあ、数日後のおかずになる奴らにあんまり感情移入はしたくないよねってことで一つ。


「そうだなあ……。じゃあ、数打だからカズってのはどう?」


 ド安直に過ぎるネーミングだが、もうこれ以上思い浮かばなかった。実際に今後出会うことがあるかもしれない刀剣の名前を付けるわけにはいかないじゃない? 僕の貧相なボキャブラリを笑え。でも、カズって良い名前だと思うんだよね。日本サッカー界の永遠のヒーローの名前だし。僕もサッカーはあんまわからないけどあの人大好きだよ。


「カズ、ですね。畏まりました。この子も喜んでいるようですよ」


「お手軽だなあ。てか、ホント勝手にこんな設定作って大丈夫なんだろうか」


「設定……?」


「いやいや、こっちの話」


 とにかく、敵さんの置き土産もこうして役に立つことがあるってこともわかった。これは収穫だ。村雨ちゃんに言われるまですっかり忘れてたんだけど、僕ってそういえばスーパー聖剣&魔剣大戦の参戦者だったんだよな。

 まあいいか。とりあえず今は親父に傘を届けに行こう。


「それじゃ急場しのぎではあるけど懸念が払拭できたところで。行こうか、村雨ちゃん」


「はい。僭越ながら、お供させていただきます」


 そんなやり取りをしながら居間を出た僕らは、ボロボロになった玄関にやってきた。正直あんまり見たくない光景だ。修繕費を思うと、頭が痛む。

 僕は乱雑に脱ぎ捨てていたスニーカーを履いた。村雨ちゃんはそういえば履物どうだったっけと思っていたら、式台から土間に下りた瞬間に足袋が長靴に変化してた。なんでも、衣類の類はその都度状況に合わせて自動生成されるんだとか。便利だなあと思う。

 しかし和服美人が抜身の刀を携えているっていうのは、何とも倒錯的で美しく、どこか狂気じみて見えるな。

 二人してポーチに出て、ここでようやくカズの出番だ。

 村雨ちゃんが小さく「すみません」とつぶやいて、カズを玄関に突き立てた。傷がまた増えた。まあ今更か。僕も納得づくだ。

 村雨ちゃんが何やらごにょごにょと呪文のようなものを唱えると、カズから黒いもやもやとした影が現れて、たっぷり十秒ほどかけて玄関戸に擬態した。なるほど、人型になれるんならドアに化けられてもおかしくはないという事か。……ちょっとその理屈はおかしいんじゃないかと思ったけど、まあいいや。そんなに重要なことじゃない。

 僕は傘掛けにかけてあった僕の傘と、予備の傘を一本取って、気づく。


「あっ、しまったなあ、傘が二本しかないや。息は良いけど、帰りどうしようか」


「そのことでしたら、ご心配には及びません。この姿になれば、旦那様お傘に入ってもお邪魔ではないでしょう?」


 この姿、の部分で村雨ちゃんは忽然と姿を消した。……と思ったら、どうやら小さい姿に変身したようだ。しかも今回は、背中に妖精のような羽が生えている。


「村雨ちゃん、とべるの? その羽」


「はい。そんなにスピードは出ませんが、歩く程度の速さなら」


「それは便利そうだ。でも、ちょっとその姿は目立つかなあ」


 いくら小さいとはいえ、見えないほど小さいというワケではない。某グッドスマイルカンパニーの出してる某フィギュア規格くらいの大きさと言えば分りやすいだろうか。わからない? ググって。

 とにかく、そんなのが僕の周りをふよふよ浮いていたら、そりゃもう怪奇現象の類だ。無駄に注目を集めること請け合いである。悪い意味で。写メられてツイッターに流されたりしたらと考えると、ちょっと背筋が寒くなる。


「その点はご心配になく。この姿でしたら、剣の担い手か、私が個別に定めたお方以外に認識されることはないですから」


「あ、そうなんだ。ならいいか」


 まったくもって、一から十まで便利な能力をそろえているなあと感心する。これで準備は万事整ったわけだ。


「それじゃ、行こうか」


「はい」


 そういって僕らは、さめざめと降り続く雨の街に繰り出した。

バトルは次回

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