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シンギン・イン・ザ・レイン 

 日本列島にどっしりと居座った低気圧のおかげで、ここ数日間はずっとしとしと雨が続いていた。

 学校帰りである。僕は安っぽいビニール傘をさして、急ぐでもない帰路をのんびり歩いていた。

 僕は、雨が好きだ。特にこういう、しとしと降るような奴は特に好きだ。なんというか、風情がある。洋服が濡れてしまうのは頂けないが、しかし一方で往年の名画のごとく傘を放り出して歌いながら歩きたくなる衝動にも駆られる。そんな不思議な天気であるから、僕は雨が好きだ。

 傘を叩く心地よい雨音に合わせて鼻歌など口ずさみながら、僕はあまり人通りのない裏通りをのんびりと歩く。表の大通りは交通量も多く、車に水を引っ掛けられる可能性が高いから、僕は雨の日には決まってこの裏通りを選ぶ。

 空はすっかり雲で覆われて薄暗く、太陽の位置なんかもわからないからいまいち何時か判然としないんだけど、通りの電燈に明かりが灯りだしたことから見て、そろそろ夕暮れ時なのだろう。雨の裏通りに煌々と光る街燈は何とも言えない侘しさを醸し出していて、非常に絵になるな、と思った。


「あの、もし……里見(さとみ)文志郎(ぶんしろう)様でいらっしゃいますか?」


 不意に、背に声をかけられた。まったくの不意打ちだ。僕は心臓が跳ねるのを感じた。もちろん驚いたというのもあるが、その声色がどこか艶めいた女性のものだったというのもその一因だった。


「えっと、はい。なんでしょ……あれ?」


 ところが僕が振り返り見た先には、どうにも人っ子一人立っていない。途端、背中にサアっと寒いものが下りた。これは、もしかしたら怪奇現象の類ではあるまいか。脳裏に、小学生の時に読んで以来軽いトラウマになっている怪談集が鮮明に浮かび上がった。雨の日、薄闇、夕暮れ時。なるほど、怪談の舞台としてはこれ以上ない。まさしくおあつらえ向きだ。


「あの。ええと、すみません」


 また声がした。今度のはどちらかと言えば困惑の色の濃いそれであったが、あいにく今の僕の精神状態ではそんな機微に気づくこともままならず、「ひっ」などと短い悲鳴を上げて半歩後ろに下がる始末だ。視線をぐるぐるとめぐらせるも、やはり声の主の姿はない。僕は一層恐ろしく思って、本格的に逃げ出したい衝動に駆られた。


「あのっ、下! もっと下です! もう少しだけ、視線を下げて頂けないでしょうか!」


 姿なき声は、今度はいっとう困ったように少しだけ声を荒げた。それは一層僕の恐怖心をあおったが、かろうじて好奇心が勝った。声の通りに視線をぐんと下におろすと、ちょうど僕の真正面の足元に、小さく動く何某かの姿が認められた。それはどうやら、僕のすね程までの身長しかない、小さな女の人だった。藍染めの着物に身を包み、丸みを帯びた輪郭に白磁のように白い肌、しなやかな黒髪をおかっぱ風にしたその風貌は、精微なつくりの日本人形を思わせる。

 それがまるで生きているかのように動き、自分に向かって声をかけてきていた。

 正直、卒倒しなかった自分を褒めたい。


「う、うわああ!?」


 だから、悲鳴くらいは勘弁してほしい。

 眼下の小美人は、頭の上から降り注ぐ大音量に「きゃあっ」と小さく悲鳴を上げて耳をふさいだ。その仕草がどうにも可愛らしかったが、正直それで気を許せるほどの器量は僕にはない。


「あ、あの、おちついて! おちついてください! わたし、お化けじゃないです。お化けじゃないですから!」


 足元で小人が何やら必死に僕を宥めているようであったが、もはや逆効果である。正直酔っ払いが酔っぱらってないと言い張るよりも無理があった。

 結果、僕は逃げた。傘を放り出し、踵を返して、スプリンターもかくやってレベルで駆け出した。


「あ、待って! 待ってくださぁい!」


 後ろで何やら小人が叫んでいたが、振り返る余裕はなかった。さっきまで心地よかった雨が、今ではひどく鬱陶しく僕の体を叩いた。



「ハァっ、はぁっ、はー……ま、まさかマジで怪奇現象に遭遇するとは……」


 あれから全速力で家まで走り、ほうほうのていで玄関に転がり込んだ。すかさず鍵をかけて、今は精根尽きて床にへたり込んでいた。準備も何もなしに急に体を動かしたものだから、呼吸が随分と荒く、苦しい。

 結局びちょびちょになってしまった洋服が、肌に引っ付いて非常に気持ちが悪い。できることならシャワーなりなんなり浴びて早いところ着替えたいところなのだが、正直いろいろ疲れすぎて玄関から動けないのが現状だ。


「はー、あー……でもこれで、何とか……」


 追ってくる様子はなかった。何とか振り切れたようだ。安堵から、大きく息を吐いた。


「あの、傘、置いて行かれましたよね」


 フラグだった。立って速攻回収された。

 さっき遭遇した小人が、身の丈の何倍かはある傘を抱えて、何の脈略もなく僕の目の前に立っていた。さっきと違って僕は座り込んでいたから、ばっちり目が合った。

 僕は悲鳴すら出ず、ただ後ずさった。どん、と背中にドアの当たる感触があって、絶望感がひしひしと押し寄せてきた。僕を守ってくれるはずだったドアは、今では僕の逃走を阻む枷でしかない。意味深な笑顔を浮かべたグラサンのおっさんと妙に耳に残るテーマソングが頭の中でリフレインした。


「終わった、もうおしまいだァ……」


 がくがくと震えながら口から零れたのは、そんな情けない諦めの言葉である。


「あ、あのっ、えっと、そんなに怯えないで! 落ち着いてください、とにかく、とにかく説明だけでも聞いてください! お願いします! どうか!!」


 そんな醜態をさらす僕を前に、小人は非常に焦って見えた。最後なんて傘を横に置いて、正座して頭を下げる始末である。見るからに必死だった。

 玄関の土間に額をこすり付ける小人の姿を見ていると、僕の中の恐怖心が若干薄れていくのを感じた。それはあまりにも滑稽だったからだし、僕に対する害意がこれっぽちも感じられなかったからというのもある。


「え、ええと、じゃあ、説明だけ……」


 そのときの僕のセリフは、まんまキャッチセールスに引っかかる典型的な日本人と化していた。




「スーパー聖剣&魔剣大戦……ねえ」

「はい。……あの、信じて頂けませんか?」

「いや、確かに俄かには信じがたいんだけど……うーん」


 現在僕と小人さんは、場所をキッチンのテーブルに移していた。雨に濡れて冷えた体を温めようと淹れた玄米茶がふんわりと香り立つ中、僕は不安そうに小首をかしげる小人さんを前に、ひどく悩まされている。

 小人さんの言うところには、今現在日本含む世界中でスーパー聖剣&魔剣大戦なるイベントが開催されているらしい。主催は神様だそうだ。正直「どこのモンスターエンジンだよ」と突っ込みを禁じ得ない。なんでもそのスーパー(以下略大戦とやらを勝ち抜き、最後の一人になれば願いをなんでも一つ叶えてくれるとのこと。で、僕が本人の意思に関係なく剣の担い手として登録(エントリー)されてしまっているのだそうだ。

 そして目の前の小人さんは、剣の精霊であるらしい。

 いやはや、まったく突飛で信じがたい話だ。信じがたいのだが、それを僕に語って聞かせている小人さんがすでに突飛な存在の代表格なので、信じたくないが信じざるをない。少なくとも、目の前で不安そうに僕の返事を待っている小人さんはマジもマジの大マジらしいというのはよくわかった。


「まあ、あんまり信じたくないけど信じることにするよ」

「そうですかぁ! よかったぁ、物分かりの良いお方で助かりました」


 小人さんは胸の前で手を組んで、とてもうれしそうに笑った。今更ながら相当可愛いな、この子。


「あっと、ところでさ」

「はい、なんでしょう」


 急に湧き上がってきた照れ心をごまかすように切り出すと、小人さんはそういって小首をかしげて見せた。実に可愛い。


「えっと、君が何で僕ンとこに来たかってのはわかったんだけど、そもそも君はなんていう剣の精霊なんだ? いつまでも君、じゃ呼びづらいし」

「あ! すみません、私ったら一番大事なことなのに……」


 いつまでも小人さんではアレなので、さっきから気にはなっていたのだ。僕が名前を聞くと、小人さんは見るからにワタワタとした。超かわいい。

 小人さんはひとしきり慌てた後、テーブルの上にピシッと正座をした。小人さんの身長が20㎝くらいなので、少し見下ろす感じにするとちょうど目が合った。


「これまでのご無礼をお許しください。私は「村雨」。旦那様と主従の契りを結ぶため、天上より罷り越しました。不束者ではございますが、なにとぞよろしくお願いいたします」


 そう言って、三つ指ついた完璧なほど整った礼をした。


「あー、えっと。まずは顔を上げて、村雨さん?」

「私に敬称などはもったいなく存じます、文志郎様。どうか、お呼び捨てくださいませ」


 そういって、村雨さんはかたくなに頭を上げようとしない。ずいぶんと古風というか、なんというか。しかしこれは弱った。僕はどうも、初対面の女の人を呼び捨てにできるほど神経が太くないんだ。男ならまだいいんだけど……


「じゃあ、村雨ちゃん。どうか顔を上げて」


 と、まあこれが僕なりに最大限の譲歩だ。ちゃん付で呼ぶってのも、これでもどこかむず痒いんだけどね。呼び捨てにするよりは、ハードル低い。

 村雨ちゃんは、ようやく頭を上げてくれた。しかし、村雨。村雨かあ。なんか因果を感じるなあ。


「村雨ちゃんって、アレだよね。曲亭馬琴の南総里見八犬伝で、志乃が持ってる刀の。「抜けば珠散る氷の刃!」ってやつ」


「まあ、ご存じなのですか!?」


 村雨ちゃんは、さも驚いたといった風に口に手を当てていた。かわいい。


「え、そんなに驚くこと? かなり有名でしょ」


「えっと、ありがとうございます。ただ最近の若いお方には、よく村正さんや正宗さんと間違えられるので……」


「ああ、確かにちょっと紛らわしいよね……って、ああ、別に村雨ちゃんを悪く言ったわけじゃないよ!?」


 たしかにウィザードリィだとムラサマブレードなんて言う名前にされてたもんなあ。しかも正しいのは村正の方だったという……なんて何の気なしに口にしたら、村雨ちゃんが若干涙目になってた。どうやら地雷を踏んだらしい。慌てて謝ると、彼女は「お気になさらず」と慌てたふうに目じりの涙をぬぐっていた。


「でもさ、なんか因果を感じるよ。僕の名前、里見文志郎だろう? ほら、両方君と関係ある単語なんだよ。親父も、わかっててつけたわけじゃないと思うんだけどさ」


「あっ、八犬伝と蝉しぐれですね! 本当、今まで気づきませんでした」


「ああ、担い手って別に名前で決まるわけじゃないんだね」


「ええ。なんというかこう、相性? みたいなものが基準になっていると聞き及んでいます」


 小首を傾げながら村雨ちゃんが答える。どうやら彼女自身も人選の理由は教えられていないようだ。そして可愛い。僕は頬が緩むのをごまかすためにずずっと玄米茶をすすった。


「そうなんだ。それで……えっと、契約だっけ。それってどうすればいいのかな」


「契約していただけるのですか!」


 がたっという効果音が付きそうな勢いで村雨ちゃんは立ち上がった。心なしか、鼻息が荒い。これこそ、そんなに驚くことなのだろうか。僕は首をかしげた。


「え、そこ、そんなに驚くところなの?」


「あ、い、いえ。失礼いたしました。あの、ほかの刀剣からは、契約を渋る方が多いと聞いていたもので……」


「そうなの?」


「はい。命のやり取りにかかわることですから……」


「あー、なるほどね。確かにそれは怖いなあ。……でもゲームとかアニメとかネット小説だと、だいたいこういう場合って契約しなくっても襲われる可能性あるんだよね」


「……ご明察、です。担い手の情報は、すべての刀剣で共有されますので」 


 村雨ちゃんが、心なしかしゅんとして言った。無理やり巻き込んだことに対する申し訳なさみたいなものがあるんだろう。僕的には、それを知れただけでも収穫だ。


「それでも、契約渋るやつもいる、と」


「……はい」


 新聞とか保険の勧誘みたいなもんなのかな、と思う。するとなんだろう、特典としてテーマパークの優待券とか洗剤とか持ってきてたりするんだろうか。なんてバカみたいなことを思ってたら、村雨ちゃんが急にもじもじとしだして、だいぶ消え入りそうな声量で続けた。


「あんまりにも渋られたら、あの、その……最後は体を差し出すつもりで、夜のお相手をちらつかせて頼み込めと……」


「っ……! そ、そいつはなかなか強引かつ刺激的な勧誘方法だなあ。ちなみにそれ、誰に聞いたの?」


「えっと、エクスカリバーさんです」


「英国って紳士と淑女の国じゃなかったのかよ……!」


 そもそもそのエクスカリバーの精霊とやらが男なら完全なセクハラだし、女ならそれはそれでちょっとアレだぞ……


「あー、えーと、分かった。とりあえず、ちゃちゃっと契約しちゃおう」


「あ、はい。それでは、右手をこちらに」


 ちょっとした気まずさを紛らわすため、僕は居住まいを正した。促されるままに右手を村雨ちゃんに預けると、彼女はそれを自身の胸に押し当てた。ふにっという柔らかな質感が指先に伝わる。どきんと心臓が跳ねた。

 これ、傍から見たらどうあがいても人としてイケナイ遊びに手を出してしまった人だよな……そんな気分がして心が落ち着かない。そもそも自分で言うのもなんだけど、女の子と触れ合ったことなんて生まれてこのかた一度もないピュアボーイだからな、僕。

 気恥ずかしさから顔をそらしたくなるのを懸命にこらえて村雨ちゃんを見つめていると、彼女としっかり目があった。強い意志を感じる瞳だった。綺麗だな、と思う。同時に、その瞳の奥底に拭いきれない翳を見たのは、契約に際して彼女と感覚的に同一の存在になりつつあるからだろうか。


「……村雨ちゃん、君を信じるよ」


 僕がそういうと、村雨ちゃんはハッと息をのんだ。見透かされた、と思ったのだろう。


「文志郎様、私は……」


「いや、言いたくないことなら言わなくたっていいさ。全部が全部明け透けじゃ、人間関係なんて作れないんだ。たとえそれが、主従の関係だったとしてもね」


 村雨ちゃんの瞳に、わずかに迷いの色が浮かんだのをぼくは見た。だからこそ、僕はここで言っておかなければならない。


「村雨ちゃん、僕はそういう隠し事や、嘘をひっくるめて君を信じるよ。だから、できれば村雨ちゃんも僕を信じてほしい」


 少しばかり気障に過ぎたろうか。とは思ったけれども、村雨ちゃんは数秒の逡巡の後、しっかりとうなずいてくれた。言って良かった。

 村雨ちゃんが光に包まれる。とてもじゃないが、直視できないレベルの光量だ。

 目を瞑ったのは一瞬だったけど、その一瞬のうちに明確な変化があったことを感じる。右手の甲にピリッとした刺激があって、指先に伝わる感覚が硬質なそれに変わった。


(……契約、完了です)


 村雨ちゃんの声は、耳を介さず直接意識に作用した。目を開けると、今まで村雨ちゃんのいたテーブルの上に、漆塗りの美しい鞘に納まった一振りの日本刀が顕現していた。

 僕はその柄に手をかけると、一思いに引き抜いた。

 白々しい蛍光灯に照らされた3尺ばかりの刀身には、見事な倶利伽羅竜の彫金があった。素人目に見ても、大変な業物である。


「なんていうか……綺麗だ」


 口をついて出たのはあまりにも陳腐にすぎる言葉だったけど、偽りない本心だった。人を斬るなどという無粋な道具というよりは、まさに芸術品の趣があった。


(ありがとうございます、旦那様)


 村雨ちゃんのはにかんだような感情が伝わってきた。しかし、旦那様と来たか。これは、なかなかにくすぐったいな……


「あれ、でも村雨ちゃん……というか村雨丸って言ったら、水気滴る刀身だよね? しっかり乾いてるけど」


(あ、あの、それはですね……)


「いや、でもよく考えると刀と水分って結構相性悪いよね。錆ちゃうし。もしかして、錆防止とか?」


(い、いえ。そういうわけでは……。その件に関しましては、また後程お話し致したく)


「ん、わかった」


(ありがとうございます、旦那様)


 僕が慎重に刀を鞘に納める。鍔と鯉口が、チィンと澄んだ音を立てた。

 すると刀は再び光を放って、一瞬のうちに人の姿の村雨ちゃんに変身した。さすがに変形とは言いたくない。なんかグロいから。しかしその変身後の姿に、僕はちょっとだけ面喰っていた。


「えっと、村雨ちゃん……だよね?」


 さっきまでは手のひらサイズより少しい大き目、というくらいだったのが、今では150センチくらいだろうか。成人女性としてもおかしくない背たけにまで伸びていた。僕が170センチくらいだから、ちょっとだけ見下ろす感じになる。また服装もさっきまでは藍染めの着物だけだったのが、今は白い前掛けにたすきを追加して、女中さんのような装いにコスチュームチェンジしていた。


「契約すると、人の大きさにもなれるんです」


 僕がその変化に驚きながらも観察していると、村雨ちゃんはそう言ってほほ笑んだ。夜の相手がどうのってのは、こういう事か。僕もちょっとゴネれば……いやいや、何考えてんだ。いやしかし、大きくなっても可愛いな。


「あー、いや。うん。すごくよく似合ってると思うよ」


「本当ですか? わ、ありがとうございます」


 さっきから陳腐な言葉しか出力できない低性能な脳みそをもどかしく思うも、村雨ちゃんはとても素直に受け取ってくれたようだ。首を揺らした拍子にしなやかな黒髪が一房はらりと落ちて、白魚の如き指先がそれをかきあげる。それは官能的なまでの美しさがあって、僕ははっきりと息をのんだ。

 しなやかな黒髪と白磁の肌の対比は研ぎ澄まされた刃文のごとく見事で、僕は彼女が剣の精霊であることを再認識してしまったほどだった。正直、見惚れてしまっていた。

 と、その時である。


 ピンポーン


 玄関のチャイムが鳴った。村雨ちゃんに見とれてた僕が我にかえるのにちょうど良い刺激だった。こんな時間に来客か? と、玄関を振り返る。


 ピンポーン


 まただ。2回目のチャイムである。ピンポンダッシュというわけではないらしい。僕はすっかり温くなった玄米茶を飲み干して立ち上がった。


 ピンポーン


 3回目だ。


「はいはーい、今行きますよ」


 ずいぶん短気な客だなと思いながらも玄関に向かう。村雨ちゃんが何やら難しい顔をしてついてきたが、好きにさせた。玄関でサンダルを引っ掛けて、さっき掛けた鍵を外してドアノブに手をかけた。


「っ、旦那様、避けてッ!」


「へ?」


 突然村雨ちゃんの切羽詰まった声が飛んできて、僕が半身ずらして後ろを振り返ったのと、ドアを開けたのは同時だった。そして、僕の目の前をぎらつく鉄の塊が横ぎったのも、同時だった。


「わあっ!?」


 鼻先三寸を擦過したのは、一振りの日本刀だった。村雨ちゃんのような装飾もない、もっと無骨で、生産性と実用性……つまり、人を斬り殺すことを突き詰めたような無味乾燥とした刀である。

 いやあ、村雨ちゃんが呼び止めてくれなかったら、ヤバかった。九死に一生をひしひしと感じながら眼前の刀の切っ先から柄へと目線を移動させると、その先にあったのは黒くうごめく何かだった。かろうじて、人の形をしているのがわかる。


「旦那様、下がって!」


 村雨ちゃんが僕と刀の間に押し入ってきたのと、黒い人影が刀を引いたのはほとんど同時だった。

 黒い人影が刀を振りかぶった。対する村雨ちゃんは無手である。明らかに分が悪いというのは、剣術のけの字もわからない僕にだっていやというほどわかる。


「村雨ちゃん……ッ!」


 影の刀が振り下ろされる刹那、僕は衝動的にその少女の名を、刀の名を呼んでいた。突き出した右手の甲が、正確に言うならばその甲に刻まれた幾何学紋様が、にわかに光を発する。

 振り下ろされた刀は、結果として空を切って、玄関の土間を割り裂いた。その鋭利な切断軌道に存在した可憐な少女は、瞬時にその本来の姿たる一振りの剣として僕の手の中に顕現したからである。


「村雨ちゃん」


(何でしょうか、旦那様)


 僕は、右手にしっかと握られた大業物に語りかける。


「ここはさ、やっぱバシッと啖呵切ったほうがいいかな?」


(はいっ、よろしいかと!)


「よっしゃ!」


 黒い人影は、土間に食い込んだ刀を抜くのに難儀してるように見えた。されどその頭ととれる部分にらんらんと灯る二つの光点は、まっすぐに僕を見つめている。睨みつけているといってもいいだろう。僕は若干怖気づきそうになったけど、女の子の手前、踏みとどまった。

 啖呵を切るなら、敵の動きが拘束されている今しかない。


「抜けば珠散る氷の刃……!」


 ほとんどこれが言いたかっただけだ。

 ベルトに差した鞘に右手を添え、左手でしっかりと柄を握り、鯉口を切る!

 竜紋あざやかな白刃が抜き放たれ、それは天井の電灯を反射して軽いハレーションを起こす。柄を両手でしっかりと保持して、正眼に構えた。


「やいやいやい! あんたが何者かは知らないが、よくも人んちにずけずけ乗り込んで滅茶苦茶にしてくれたなッ、そのツケ、しっかり払ってもらうぞ!」


 僕としては及第点をやっていい啖呵だったと思うのだが、黒い人影は応えず。ようやく刀を引き抜いて、ただ無感動に中断に構えた。

 両者の距離は約一間、踏込ひとつで刃が届く。ジリジリとした緊張感が、容赦なく僕の身と心を焼いた。


「村雨ちゃん」


(なんでしょうか)


 僕は小声で、村雨ちゃんに語りかける。


「僕、剣術の心得とか全くないんだけど、大丈夫かね」


 真剣な顔をして、語る言葉は自分でも引くくらいに情けない。しかし、村雨ちゃんはしっかりと「大丈夫だ」とうなずいた。


(戦闘時の難しい動きはすべて私が請け負います。だから旦那様、決して私をお放しにならないで……!)


「もとより、手放すつもりなんてないさ」


 この際だ、精一杯かっこつけてやる。契約の文句を思い出すまでもない。僕は村雨ちゃんを信じると決めたのだ。


 痺れを切らしたのは、黒い人影だった。一間一足の神速の踏み込みに、僕の体は完璧に即応した。逆袈裟に振り上げられた相手の刀をがっぷり受け止めて鍔迫り合いに持ち込み、そのまま体重を乗せて押し込む。

 相手の体勢が崩れた。無理もない、必殺の勢いで踏み込んだ一撃を、力が乗りきる寸前で止められて、さらに逆方向のベクトルで押されたのだ。

 そしてそれは、僕たちにとって明確な勝機だ。

 なおも踏ん張る相手の軸足を、真正面から蹴り砕く。剣の担い手として契約を交わしたことで大幅に上方修正された脚力は、いとも容易く敵の膝を砕いた。ゴキリ、という鈍い音が響く。確かな手ごたえだ。敵は痛がる素振りこそ見せなかったが、とにかく場を仕切りなおすために横っ飛びに転がって逃げようとした。しかしここはわずか1坪に満たない玄関である。結果、それは悪手極まる行為だった。自ら弱点を晒したようなものだ。

 僕は容赦なく、村雨を大上段に振り上げた。相手が動きを止めている、今が最大のチャンスだった。


(これでっ)

「終わりだ!」


 村雨ちゃんと僕の意識が、完全に同調した。大上段から振り下ろされた白刃は、その切っ先に極限の運動エネルギーを作用させて、一刀のもとに黒い人影を両断した。




「数打?」


「はい。戦のために粗製乱造された、無名の刀剣たちです」


 先ほどまで戦いを繰り広げていた黒い人影は、真っ二つになった途端に刀だけ残して霧散した。村雨ちゃんいわく、あれは「数打」という、いわば下っ端戦闘員のような存在なのだという。


「純粋に戦のために作られた刀たちですから、溜めこんでいる怨念は相当のものなんです。旦那様のお斬りになったあの影は、数打を作りだした怨念の塊です。ですのであれを斬ってしまえば、数打は無力化できます」


「本家に黙って勝手に設定作っちゃって大丈夫かね……」


「はい?」


「ああいや、こっちの話。続けて」


 メタフィクションというやつである。続きを促すと、村雨ちゃんはちょっとだけ首をかしげながらもつづけてくれた。


「でも、数打は自然発生するようなものではないんです。ですから、おそらく他の聖剣・魔剣保持者の放った尖兵と考えるのが妥当かと」


「なるほどね。自分が出張っていかなくても、手下でなんとかできればそれでいいってわけだ」


 確かに合理的なのだろうが、どうにもなんというか、卑怯くさい。怨念だって、人の念だ。そういうのを手前勝手に弄繰り回すなんてのは、どうにも。


「そういうの、好きじゃないな」

「私もです、旦那様」


 二人で頷き合って、村雨ちゃんが淹れなおしてくれた玄米茶をすする。今の女中ルックも相まって、それはそれは様になっていた。一仕事終えた後の一服は、何とも格別だ。村雨ちゃんも、心なしかほっこりとした顔をしている。依然として、かわいい子である。


「それにしても……」

「どうされました?」


 今まで努めて気にしないようにしていたのだけど、こうしていったん落ち着いてしまうとさすがに考えないわけにはいかなくなる。村雨ちゃんはいきなりどんよりしだした僕を見て小首をかしげている。


「……玄関、どうしよう」

「あ」


 僕の視線の先には、剣戟の応酬で切り裂かれた土間や、最後の一撃に気合を入れ過ぎたせいで数打と一緒に切り飛ばしてしまった玄関戸が無残に転がっていた。


「これ、親父にどう説明すればいいんだ……」


 僕は、長く重ーいため息を吐く。村雨ちゃんが何とかして僕を慰めようとワタワタしている姿が何とも可愛らしいのが、せめてもの救いだった。


<つづく>

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