宮井米子の覚醒
なんか米子先輩が主人公でいいんじゃね?って気がしてきた。
すっかり日も暮れた夜、弓道道場はお開きとなり、生徒はそれぞれがぞろぞろと帰宅していった。
掃除も済ませ、綺麗になった道場に一度お辞儀をして帰って行く。
最後に残ったのは、師範代の代わりを任されていた米子と、掃除当番の実だけだった。
ガチャガチャとモップを戻しながら、実が汗を拭った。
「先輩、やっぱり話してはくれないんですか?」
「言わないって何度も言っているでしょう。しつこいわよ」
ジロリと睨みながら、米子は点検を終える。実がケチ、とぼやいたが聞こえない振りをした。
「別に僕は知らない人なんだから、名前くらい聞いてもなにも恥ずかしくないでしょ」
「…あなたには言いたくないのよ」
「へ?なんです?」
小さくつぶやいた言葉に実が聞き返したが、米子はなんでもないと言い張り、彼に出るよう促した。
「いいから帰るわよ。けっこう遅くなっちゃったわね……」
つぶやいて何気無く窓の外を見て、米子は声を失った。
「……ッひ…!?」
「先輩?」
首を傾げる実になにも言えず、ただ口を抑えて立ちすくむ。
そこには、無数の手が、足が、顔が、腕が、人間が…こちらを見ていた。窓に張り付いた無数の人間の体がこちらに入ってこようとうごめいていた。
幽霊だ。
すぐに米子は彼らが生きていないと理解した。なにせ、実が全くの無反応だ。
今までだって、道すがらに幽霊を見たことは何度もあった。
けど、これは…
(数が多すぎる…)
今まで見たこともないほど大量な幽霊たちがこの弓道道場に集まっていた。
よくみれば、他の窓のいたるところに張り付いている。
「……なんで…!」
米子はあわてて開いているドアをバタンと閉める。
後ろにいた実がギョッとした声を出した。
「せ、先輩?どうしたんです?なんでドアを、」
「近づいてはダメ!!」
言いながらドアに近づこうとする実を必死に止める。
実はぽかんとしてドアの手前で立ち止まる。
「なんなんです?帰らないと…」
「ここから出てはダメ。お願い。おとなしくしていて。私がいいというまで、ここにいて」
実は困惑した表情だったが、米子の切羽詰まった声に何かを感じ取ったのか素直に頷いた。
米子はありがとう、とお礼を言ってから窓を見渡す。
全ての窓を覆いつけしている幽霊たちに眉を寄せる。
(いったいどうしてこんなにたくさん、ここに集まるの?いえ、それよりもどうして入って来ないの?結界もなにもない、ただの道場なのに…)
疑問が次から次へと湧いてくるが、答えてくれる者はいない。
今はとにかく、実を守るためにもここから出ては危険だということしかわからない。
しばらく均衡状態が続き、その間に幽霊はどんどんと増えていった。
すでに数は百は超えただろう。
米子は吐き気を必死に堪えながらひたすら耐えていた。
米子には霊感があり幽霊が見えるが、見えるだけだ。
なにもできない。
自分には、なに一つ…
(それでも、)
「先輩…まだですか?てか、なんか寒くないですか?」
突然の先輩のわけのわからない命令を、きちんと忠実に守ってくれる優しい後輩だけは、なにがあろうと守らなければならない。
米子はそれだけを考えて必死に自分を奮い立たせる。
と、ざわざわとうごめいていた幽霊たちに変化があった。ざっと横にそれてなにかを待っているようなそんな空気が流れる。
やがて、暗闇から何重にも重なった人の声が聞こえた。
『もういいかな。やっちゃっていいよ』
「…え」
その声を合図に道場の電気がフッと消え、空気が一気に冷えていった。
「先輩!停電ですかね!?うわ、真っ暗でなにも…」
背後から実の声が聞こえたと思う間もなく、強い嫌悪感が押し寄せてきて米子は立ってられなくなった。
人の恨み、憎しみ、恐怖、負の感情が一気に襲いかかってくる。
耳障りな声がいくつもいくつも頭に叫びかける。
ーーーねェ…なんであんたは生きてるの?私たちが見えるんでしょう?助けてよ…タスケテヨ…タスケテ!!
「いや……っ!嫌だ…!やめて…っ」
間違いなかった。入ってきたのだ。無数の幽霊たちが。
目を開けたくなかった。
必死に目をつむり、耳を塞ぐ。
なにも見たくない。なにも聞きたくない。
(誰か……!)
「ーーー先輩」
ふと、実の声が聞こえた。
米子は目を開けて背後を振り返る。そこには、虚ろな瞳の実がフラフラと近寄ってきていた。
「実くん!」
米子はあわてて駆け寄る。
実の肩を掴み、揺さぶる。
「大丈夫?気持ち悪いの?みの…ッ」
ガッと首を掴まれる。
そのまま締め付けられて息が出来なくなる。
「みの…る、く……ッッ!」
実の表情がよく見えない。
(誰か、別人のような…ッ)
実の力強い腕にしがみついて必死に引き剥がそうとするがビクともしない。
「…はッ……あ……!くッ……」
「……なぁ、お前はなぜ生きている?俺は死んでいるのに…なぜお前は……!」
力がどんどんと強まっていき、意識が消えそうになる。
(乗り移られてる…!そんな、どうすれば……!)
もうダメかもしれない…そう思ったとたん、スッとなぜか実の腕が首を離した。
「…かはっ…!ゴホッ…ッはー…はー…」
「……せ、せんぱ…い…」
自分の腕を掴み、抑え込むような格好になりながら、実はうめき声を出した。
「すみま…せん…なんか、体が…言うこときかなくて……!今は、なんとか耐えてる…かんじです…ッ」
「実…くん」
実は全身を震わせながら、ゆっくりと後退した。
「でも、そろそろ…限界みたいで、す…せん…ぱい、逃げて…!」
「………!」
首を抑えながら、米子は驚愕した。
彼は、実は、なにが起きているのかもわからない状態で、米子を逃がそうとしているのだ。
自分が助かることを考えるのではなく、米子を助けようとしている。
実は頭を抱え呻いた。
「お前が……!な、ゼ…生きて……!」
「…みのる…くん…」
再びこちらに襲いかかろうとしてくる実を見て米子は息を吐き出した。
今日は最悪だ。
変人に囲まれるし、帰り際に変な人に会うし、おまけに後輩に助けられている。
(ほんと…)
米子は実を睨みつける。
「先輩、舐めんじゃないわよ」
首にかけてあった御守りを握りしめ、思い切り、腕を振り上げる。そして、それを全力で実に向けて投げつける。
「いっけえぇええ!!」
御守りは実にいきおいよく当たり、床に落ちた。たったそれだけだったが、しかし、その後に実の体に変化が起きた。
「ガッ…ァア…!なに、を……ッ」
全身をかきむしり、苦しみ出した実に米子はニヤリと笑った。
「魔除けよ。それがそばにある限り、実くんには乗り移れない…」
「ぅ…あぁあアああァあ!!」
断末魔のような悲鳴を上げて、実の中から何かが抜けた。そのままバタリと気を失ったように倒れる。
米子はホッと息を吐く。
これでひとまずは彼は無事だ。
しかし、魔除けを手放したことにより、米子自身に乗り移ろうとする幽霊の動きが手に取るようにわかった。
先ほどよりも無数の悪霊たちが周りにいる。
死ぬかもしれない。
漠然とそう感じたが、後悔はなかった。
あの御守りがあれば、実は無事なはずだ。
米子は息を吸って叫んだ。
「あんたたち、殺したいなら私だけにしなさい!!」
死にたくない。
まだ生きていたい。
恐い。
誰か、助けて…
全ての感情を抑え込み、米子は腕を広げる。
彼に気を向けてはいけない。
奴らの気を引くためにも私は、こうしてなきゃ……
幽霊たちが押し寄せてくるのがわかる。
米子は涙を流しながら、それから逃れたい気持ちと戦っていた。
『へェ〜そう来たか。おもしろいね』
耳元で、さっき聞いた何重にも重なった声が聞こえた。
楽しそうにケラケラと笑っている。
『気に入ったよ。ねぇ君、助けてあげようか?』
声はゆらゆらと左右の耳を行ったり来たりしているように揺れていた。
それなのになぜか聞き取りにくくはなかった。
ふいにいつまで経っても襲って来ないことに疑問を感じて目を開いて見ると、幽霊たちが止まっていた。
まるで、時が止まったかのように、彼らはこちらに襲いかかる格好で動かない。
「いったい、なにが…」
『ねぇ。どうする?助けて欲しいなら君に力をあげよう。いやなら、このまま彼らはまた元に戻って君を襲う』
ねえどっちがいい?と声が愉快そうに嗤った。
「あなたは、誰…?」
『質問してるのはこっちなんだけどな。ねぇ答えてよ。彼がしんでもいいの?』
声が示す彼が実をさしているとわかった。
米子は実の方を見る。
ダメだ。
彼だけは、絶対に死なせてはいけない。
「助けて…」
米子の答えに声は嬉しそうに答える。
『いいとも。助けてあげよう。君に特別な力を与えるよ。ただし、約束だよ。力を与える代わりに、ぼくのお願いを叶えておくれ。
なあに。たったの一つさ。誓えるかい?』
米子は震える声で頷いた。
「誓うわ…」
『いい子だ』
声は笑いながら、遠ざかる。
やがて米子の前に、近くに置いてあった弓が引き寄せられた。
「これは…?」
声が告げる。
『君は弓が得意なんだろ?引いてご覧。きっと、気にいるよ』
パチンと音がして、幽霊が動き出した。
まるで時間が元に戻ったみたいだ。
「………ッ」
米子は弓を構え、矢をめいいっぱい引く。
(消えろ…)
渾身の力を込め、数百の幽霊に向ける。
(消えろ…!)
そのまま、一気に指を離した。
「消えろおぉおおおぉおッ!!!」
バシュッ!!と軽やかな音がなり、弓がしなった。一気に放たれた矢は、向かってくる幽霊を全て消し去った。
なぎ払うように全て。
「はァ…はァ…ッ…やっ…た?」
息を切らし米子はバタリと弓矢を手放し、倒れていた。
もう、体力の限界だった。
薄れる意識の中、声が告げる。
『約束だよ。願い事を一つ…必ず叶えてね。
それから、ぼくを探すのはやめてね。もし探し出したら、君を殺すから…』
それだけ聞いて、米子の意識は完全になくなった。
闇の中、楽しげに声が笑う。
『あと少し、あと少しだよ。あぁ、楽しみだなぁ楽しみだなぁ…』
子供のように無邪気に、朗らかに。




