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米子先輩と有望株の後輩

「…ということがあったのよ。どう思う?」


カッという軽快な音とともに的に矢が吸い込まれるように突き刺さる。少しずれているが見事な腕前だ。

弓道部道場で、姿勢良く弓を下ろす仲間を見ながら、心の中で賞賛を送る。

できることなら、全力で駆け寄ってやりたいが、今はそれは不可能なことだった。

目の前に座り込んだ先輩が先ほどから整った顔を歪めて愚痴ってくるのだから仕方が無い。


「ね?最低だと思わない?確かに汗臭かったりしたかもしれないけど、あんなはっきり言うことないじゃない…」


「…そうですねぇ」


遠い目をして仲間の綺麗な立ち姿を見る。


(いいなぁ、俺もそこに行って弓引きたい)


(みのる)くん、話聞いてる?」


上の空でいると、鋭い先輩に現実に引き戻された。

実は息を吐いて、弓道部の期待のエースの顔を見上げた。


「聞いてますよ米子先輩。つまり、初対面の男子にいきなり臭いと言われて傷ついたんですよね」


宮井米子先輩がうんうんと勢いよく頷く。


「なんなのあいつ…!本当に最低よ。たとえ本当に匂っても言わないことがマナーでしょう?」


「…まあ先輩からはとくに異臭はしませんが、そうですね」


実の言葉に米子がぱあっと喜びの表情になる。


「本当に?私、臭くないわよね?」


「えぇ。フローラルな香りがしますよ」


実の返しに米子は心底ホッとした顔をした。

どうやらそれなりに気になっていたらしい。


実は弓を触りながら、肩をすくめた。


「で、話ってそれでおわりですか?なら、僕は弓道をしたいんですが」


「ま、待って。本題はこれからなの」


(今までのは、なんだったんだよ…序章か?)


げんなりしながら、仕方なく実は床に座り直す。

今日は決まったトレーニングの弓道道場のスケジュールが、いつも目を光らせている師範代が出張なので、自由時間となっている。

生徒は自由に練習できるため、普段のような緊張感漂う空気はどこかにいってしまい、皆仲のいい奴と駄弁りながら弓道を楽しんでいる。

実も、そうしたいのは山々だったのだが、いきなり先輩の米子に話があるのと詰め寄られ、こうして愚痴を聞かされ続けていた。


普段は誰よりも練習に打ち込み、人に教えてまでいる熱心で真面目な先輩だが、今日に限ってまるで弓道をやろうとしない。

先輩に問うと、こんな心が乱れた状態では的に擦りもしないと断言するのでそれほどの事態なのかと実が心して聞いていたのだが、聞けば聞くほどアホらしい内容に違いはなかった。

米子先輩は本気でムカついているらしく、しきりに最低を繰り返しながら、その男の話をしばらくしていた。


米子先輩と実では、高3と、中3で、4つは離れているが、今の米子先輩は実よりも子供に見える。

実は、呆れながら広い道場内を見回した。


この弓道道場は町内唯一の弓道を教えてくれる道場だ。

下は中学生から上は大学生までの子供達を対象に師範代が丁寧に厳しく弓道のしきたりから、作法までをしっかり叩き込んでくれる。

塾のようなものだ。

実はここに、中学生1年の時から通い続けて、もう2年が経つ。

長いようで短かった期間、自分はそれなりに上手いと思っていた自信をものの見事に打ち砕き続けてくれたのが、この宮井米子先輩だった。


彼女は、それはもう文句のつけようがないほど綺麗に的を射抜いては、誇らしい顔をするどころか澄まし顔のまま立ち去る、とにかくエースだった。

何度も大会で優勝している実力は確かで、実が叶わないと認めたごくわずかな人の1人だ。

そんな自分の認めた相手が、思いつめた目でこちらを見るので、実は先ほどのようなアホらしい内容ではないことを祈りながら、しぶしぶ本題という話を聞くことにした。


…が、聞けば聞くほど呆れて物が言えなくなった。



「………で、その人を見るたびに胸がこう、キューッてなってね…」


「先輩…」


「なに?」


しばらく話を黙って聞いていた実だったが、ついに耐えきれず口を挟んでいた。

米子先輩はキョトンとしてこちらを伺う。

実は少なくとも、この宮井米子先輩は天才だと思っていた。

普通の人では決してたどり着けないはるか彼方にいるような、彼女はここにいるようで、手の届かない遠くにいるような気さえしていた。


それが今や、彼女がただの女の子だと言うことがはっきりした。


不器用な、ただの恋する乙女だ。


「先輩、それは恋ではないでしょうか」


後輩の言葉に米子先輩は再びキョトンとした。

一瞬の沈黙のあと、面白いほどに顔を赤らめる。


「ばばば、馬鹿にしないで頂戴!な、何を言ってるのよ…!」


「呂律回ってませんよ先輩」


「うるさいわね…!これが、こここ…っ」


「だから恋ですって」


実が言うたんびに米子先輩は真っ赤になる。


「ち、違うわ!」


「なんでです?だって、その人を見ると動悸がするんでしょ?」


先輩がこくりとうなずく。


「話してるとまた動悸が激しくなるんでしょ?」


再びうなずく。


「何気無い日常でその人のことを考えてたり、会えるとうれしくなったり」


米子先輩は驚愕の表情になった。


「ど、どうしてわかるの…?」


実は呆れてしまった。

弓道の天才であるこの人は、初恋すらまだだったらしい。


「だから、そうゆうのを恋っていうんですよ。先輩はその人のことが好きなんですよ」


「すすす好き…!?で、でも、まだ数回会っただけよ?」


「回数なんか関係ありませんよ。恋は落ちるものですから」


実の言葉に衝撃を隠せないのか、固まってしまった米子先輩を見ながら、実は内心にわずかな好奇心が芽生えていた。

実自身は米子先輩に対して、尊敬意外にプラスになる感情は一切持ち合わせていないが、周りの弓道道場の何人かは確実に先輩に惚れて通ってきている奴らがいる。

美人なのだからおそらく学校でも、かなりモテるだろう。

それでも彼女の浮ついた噂は一切聞かなかった。きっと告白されても、普段のあのクールな返しでばっさり切り捨ててきたのだろう。

そんな先輩が、今、どこかの誰かに恋している。

しかも、この様子だとかなり本気みたいだ。

気にならない訳がない。


実はニヤリとほくそ笑む。


「先輩。それで一体誰を好きになったんです?」


「へ…!?そ、それは…」


石化から立ち直り、どもる米子先輩に実は人のいい笑顔を向ける。


「大丈夫ですよ。僕に言っても、わかりませんから。この弓道道場の生徒なら別ですけど、違うんでしょう?」


「…え、えぇ」


先輩は目を泳がせながら頷く。


(なるほど。じゃあ学校の誰かだな)


カマをかけた成果はあったが、学校の誰かなら本当に実には誰だろうとわからない。

少し楽しみが減ったなと思いながら、先輩を見ると先輩はまだ顔を赤らめたまま首を振った。


「言えないわ…」


「え、でも本当に僕にはわかりませんよ?」


「と、とにかく言えないの!」


頑なに言おうとしない先輩に実は眉を寄せながらまぁいいですけど、と返す。



実は知らなかった。


彼の名字の"山手"という名前が彼女の想い人と同じだということに。


そして、彼女は知らなかった。


名前が同じだけでなく、山手和也はまぎれもなく山手実の兄であるということに。


二人がその真実を知るのは、そう遠くない未来のことだったが、今はまだ、2人は何も知らない。


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