宮井米子先輩の話
ここから主人公視点でなくなります。
ザ・主人公空気ターンがしばらく続きます。
ワイワイと騒がしい昼間と違って放課後の教室は静かだ。人1人見当たらないガランとした部屋を見渡していると、普段のざわめきの絶えない教室とは違う、別の部屋にいるように感じる。
宮井米子は誰もいない教室で1人、鞄に教科書を詰め込みながら、息を浅く吐いた。
(迂闊だった…)
後藤のいうオカルト研究部があれほど騒がしい部活だったとは思わなかった。
変人の集まりだと山手は言っていたが、まさにその通りだったことに、米子は彼の助言を真面目に聞かなかった自分を反省していた。
山手と別れた後、後藤に連れられて行ったオカルト研究部には2人の変人がいた。
彼らの紹介もそこそこに、米子は妖怪を見たことはあるかとか、悪魔を見たことはあるかなどのわけのわからない質問攻めにあったのだ。
2人はその後、目を回す米子に構わず、邪魔をするな、そっちこそ、と罵詈雑言を繰り返した大げんかをし始めたため、どうしていいかわからず右往左往してしまった。
後藤はいつものことだと笑ったが、止めに入る気はなかったようで、まだあと2人いるんですけどと米子にすまなそうに告げてきた。
あとこんなのが2人も?と米子は目の前が白くなるのを感じ取り、適当な嘘をついて退却したわけだが…
そうは言っても、もう約束してしまったのだし、いまさら逃げても仕方が無いと再びため息を吐く。
自分はいつもこうだ。
周りからは、成績優秀だとか、眉目秀麗だとか言われ続けているが、その評価をもらったところで米子は少しも嬉しくはなかった。
米子が自分に本当に求めているものはそんなものではない。
米子は鞄のチャックを閉じて立ち上がる。
夕暮れが教室を赤く染め上げ、その中にいる米子も一緒になって赤くなる。
(私が、求めていたものを彼は持っていた…)
ずっと、弟とどこかでずれているとわかっていた。
長い間、弟の本心がわからず、うまくコミュニケーションがとれていなかった。
なにか言わなければ。
けれど何を言えばいいのか。
なんと言えば、内海は救えるのか。
ずっとその答えを知りたかった。求めていたのだ。
人と向き合える強さというものを。
米子は弟と向き合って拒絶されることを恐れて、逃げ出した。
見ないようにして、そのせいで弟が苦しんでいることも、その原因が自分だということにさえ気がつかなかった。
けど、彼は、救ってくれた。
山手は逃げなかった。
内海に真っ正面から向き合い、内海を救ってくれた。
その光景を見た時、米子は悔しさに唇を噛んでいた。
(本当は…私が、救いたかった)
たった1人の弟を救う役目は、姉である自分が果たしたかった。
だから悔しくて、そして、ホッとした。
山手が『お前はお前のままでいい』と言ったとき、米子は心の底から安堵した。
あぁそれだ。内海を救う言葉はそれだったんだ、とすとんと胸の中に山手の言葉が落ちてきた。
同時に、自分も救われた気がした。
幽霊が幼い頃から見えることが、変わっていて嫌だった。
内海の気持ちに気がつかずに、何度も愚痴をこぼしていた。
いらない。いやだ。こんなの欲しくなかった。
その時の内海がどんな気持ちだったかも知らずに…でも、それが米子の本心だった。
変わりたいと思っていた。
普通になりたい、と。
だからこそ、山手の言葉は衝撃的で、あの時、米子は泣きそうになっていた。
そのままでいい。
そんな単純な一言を、米子もずっと誰かに言ってもらいたかったのだろう。
すう、と息を吸い込み、赤い部屋から出て行く。
この感情はなんなのだろう。
あれ以来、お礼を言いたくて何度か一年生の彼のクラスに立ち寄った。
だけど、なぜだか彼を見るたびに胸が苦しくなり、声をかけられなかった。
お祓いを依頼する時は簡単に出来たことなのに、なぜ今は出来ないのか、米子は混乱した。
今日は、なんとか話しかけることに成功したが、やはり話すたびに動悸は激しくなっていた。
「…はぁ。なんだかなぁ」
この謎の動悸のことを誰に相談すればよいだろうと歩きながら、考えを巡らせる。
やはり、ここは有望株の後輩に聞くのが一番だろうなとすぐに答えが出た。
病院に行くのはそれからでも遅くはないだろう。
問題解決、と米子がそのまま階段を降りようと廊下の角を曲がった時だった。
ドン。
同じように階段を上がってきていたらしい誰かにぶつかった。
「…あっ!?」
倒れる!…そう思った瞬間グイッと腕を引かれ誰かの腕の中に吸い込まれる。
どうやら、ギリギリでぶつかってきた相手に助けられたようで、目の前にシャツから覗く綺麗な鎖骨を見て、米子は慌てて体を離した。
「ご、ごめんなさい!えっと…助かったわ」
見ると二段ほど下に足を乗せて少し身長の下がっていても、それなりに高身長の男子生徒がぼんやりと米子を見上げていた。
はだけたシャツと、そのシャツ越しにもわかるたくましい胸板を見て米子は改めて赤面した。
あまり人とのスキンシップをしたことがないため、男子に抱きとめられるということは初めてだった。
乱れた髪を整えていると、相手がゆっくりと動いた。
「えっ…ちょ、ちょっと!?」
彼は、米子に近づきさらに顔を寄せてきたため、米子はパニックに陥ってしまっていた。
慌ててのけぞるように逃げると、相手はそれ以上は寄って来ずに思案するように顎に手を当てた。
(なんなのこの人…)
見たこともない男子生徒に米子は警戒しながら、逃げた方がいいかと考えていると、男は小さく鼻を鳴らした。
そして、一言。
「くせぇ」
「……………は?」
数秒かかって相手のつぶやいた言葉をようやく理解して米子は問いかけたが、男はもうすでに米子に興味をなくしたように米子の横を通り過ぎていた。
「曲がり角は急に曲がると危険ですよ先輩」
男は気だるげにそういいながら、米子の方を見向きもせずに歩いて行っていた。
「…待ちなさい」
米子は下を向いたまま、相手に詰め寄りながら低い声を出していた。
男がぼんやりとした顔で振り返る。
「なんですーーー」
男がなにか言う前に米子の平手打ちが綺麗に男のほおにヒットした。
パアンッといい音をたてて、男が後ろに倒れる。米子は冷めた目で倒れた男を見下す。
「…女性に対して、デリカシーのない男は最低よ」
そう言い捨てて踵を返し、階段を下って行った。
「…………」
叩かれた男はしばらく倒れたまま、ぼんやりと空を見て自分のほおに手を当てる。
ズキリとした痛みが走っていた。
「いってぇ…なんで叩かれたんだ…?俺」
誰に言うでもなく、独りつぶやいて、あ、と思いついた声を出す。
むくりと起き上がると、首に下げていたネックレスがチャリッと軽やかに鳴った。
「ひょっとして、さっきの、俺声に出してたか…?あちゃー…」
頭を抑えながら、ゆっくり立ち上がる。
男は、痛みが走るほおを抑えてため息を吐いた。
「いや違うんスよ。くせぇって言ったのは先輩の体臭に対してじゃないんスよ。むしろ、先輩の匂いはいい匂いがしましたよ。女はたいていいい匂いがしますよね。あれって、なんでだろうな…」
誰にも聞こえていないにも関わらず、言い訳をぶつくさつぶやきながら男は歩き出す。
ぼおっとしていた虚ろな目が、ふと獲物を狩る猛獣のごとく鋭いものへと変わる。
「俺がくせぇって言ったのは、奴の臭いですよ。先輩…あんた、マーキングされてますよ。なんとかしねぇと、俺と同じ化け物になっちまいますよ…」
男は、ゆっくりとぼとぼと暗くなり始めた廊下を進む。
「それはそれで、楽しいかぁ…」
ククッと愉快そうに笑いながら、男はただ1人歩き続けた。




