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前田荘777号室  作者: 吉岡 澪
前田荘に忍び寄る影
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いとしのエイゴーマン

 今から遡ること二十数年。北関東のとある街にツヨシという子供がいた。彼は地元でも有名なたいそう頭のいい子どもで中学校に入れられても余裕でついていけるのではと噂されるほどだった。


 

 ある日の午後。ツヨシ少年は母親に頼まれてお使いへ行った。ツヨシ少年はとてもしっかりした子供なので母親はついつい用事を頼みすぎてしまう。そのせいで今回も買い物袋を提げて夕暮れの土手を歩くことになってしまった。


「ふー、重い。早く帰らないとラジオ講座が始まっちゃうよ」

 どうやらかなり勉強熱心な子どもらしい。


 しかし前方以外のことを考えて歩いていたのがいけなかった。


「痛っ」

 反対から土手を闊歩してきたいかにもヤンキー然とした男にぶつかってしまったのだ。


「いってぇな! どこ見て歩いてんだ!」

 半分は自分の責任のはずなのにキレだすヤンキー。中年のベテランさんだ。


「ごっ、ごめんなさい……」

 ツヨシ少年はまだ小一のスーパーヤング。何十歳も年上の大人にビビるのも無理はない。


「お前が謝ろうが俺の痛みはひかねぇんだよ! 金出せ金!」

 とにかくカツアゲにもっていこうとする北関東スタイル。中高生、また中高年も気を付けてほしい。


「お金はもってないです……」

 こんなことならネギなど買わなければよかった。どうせ下仁田からいいのが届くのだから。ツヨシ少年の心の声は叫びをあげる。


「もう我慢できねぇ。さっさと出せよ!」

 ヤンキーが拳骨を固める。逃げようにも怖くて動けないしそもそも大人との駆け足対決ではどうしようもないだろう。


「ゴラァ!」

 テンプレな挙動ののち繰り出された拳はツヨシ少年の頭を捉えることなく止まった。


「な、なんだてめぇ!? 邪魔すんな!」

 白衣の男がヤンキーの拳を受け止めた。続けて繰り出された左手もそのまま受け止める。


「三次の子どもをいじめるのはよくないぞ。ロリショタは都条例が厳しくなる前に二次で楽しむんだな」

 妙に未来を見越したことを言う白衣。ヤンキーの怒りの火にガソリンを容赦なく注ぎ込む。


「うるせぇ!」

 白衣の腹に叩き込まれたスパイクを履いてのキック。ツヨシ少年はその痛さを想像して震えた。


「腰が入ってないな。ほら」

 白衣はヤンキーの足を取り、バランスを崩させて土手に転がした。


「痛ったったったったったったったったったったったった……」

 スタッカートが発生しているのは土手をなだらかに転げ落ちているから。声はだんだん遠ざかっていって下まで転がったヤンキーは踏まれたカエルのようにのびてしまった。


 これが俗にいう『揚げ足をとる』ということである。否、嘘だ。


「大丈夫か?」

 白衣がツヨシ少年に手を差しのべる。よくよく考えれば白衣を着てフラフラしているこの男も十分に怪しい。しかしツヨシ少年にとっては違った。


「お兄ちゃんすっごくかっこよかったよ!」

 顔をベータなカプセルですら霞むくらい輝かせる。得意気な白衣。


「おお、そうかそうか。俺は正義の味方エイゴーマンだ。君は?」

「ぼくはツヨシ。お使いの帰りだったんだ」

 明らかに本名ではないがそんなことはツヨシ少年にとってはどうでもよかった。


「なるほど。災難だったな。もうすぐ日が暮れるし『シダースの冒険』も始まっちまう。早く帰ったほうがいいぞ」」

「うん! じゃあね!」

 

 あっさりとしたやりとりののちツヨシ少年は家へと走っていった。彼の頭は本物(と彼は判断した)のヒーローに会えた興奮でいっぱい。脳内のかなりのウエートを占めていた。


 もし。ここで彼が土手にタマネギでも落として取りに戻っていたら、とあるやりとりを見ることができたのだがそれはあくまでもifの話となった。



「あっ、エイゴーマン!」

 カツアゲ未遂ののち、エイゴーマンに心酔したツヨシ少年はたびたび土手を訪れてエイゴーマンと遊ぶようになった。


 化け物じみた頭のよさのせいかツヨシ少年には同年代の友達がいなかったのだ。


「おお、ツヨシ! アリストテレス・ベーコンやろうぜ!」

 ツヨシ少年が土手に行くと必ずエイゴーマンがいて新しい遊びを教えてくれた。また、大人数でやる遊びの時はどこからともなく『エイゴーマンのファン』を自称する者たちが現れ一緒に遊んでくれたのだった。

 

 ひとしきり駆け回って汗を流すツヨシ少年とエイゴーマン達。現在ならば事案ものだが当時はそのあたりが緩かった。


「よかったら食べて」

 遊んだあとはタイミングよくやってくる『ネオエイゴーマン』を自称する謎の女性がくれるおやつをいただくのがお決まりの流れ。ツヨシ少年は彼女をエイゴーマンの奥さん、彼女がベビーカーで連れてくる赤ん坊を二人の娘なのではないかと考えていた。


「おいしい! このクッキーめちゃくちゃおいしい!」

「だろ? ネオエイゴーマンの料理スキルはテレビチャンピオン級だかんな」

「ネオ……」

 彼女はネオエイゴーマンというネーミングが腑に落ちないようだが、彼らが料理をほめるたび頬を朱に染めて照れるものだった。


「本当は儚にも食わせてやりたいんだけどなー」

 ベビーカーから手を伸ばす赤ん坊を見てエイゴーマンが心底惜しそうに言う。


「はかな? この子の名前?」

 どういう字をあてるのかまでは分からなかったが『はかない』という言葉の意味はツヨシ少年も理解していた。


「そう。朝霧儚。刹那と永劫の間という意味なの」

 さすがのツヨシ少年もこれには首を傾げてしまった。ひょっとしたら中二病にかかっていたほうが理解の助けになっていたのかもしれない。


 両親が知ったら卒倒しそうだが、ツヨシ少年はこの秘密を誰からも守りエイゴーマンたちと楽しく過ごしていた。



 しかしそんな日々が続いたのも三ヶ月ほどだった。


 夏休みが終わり始業式を迎えることとなった九月一日。新聞の地方欄にとんでもないニュースが載っていたのだ。


 一家全焼の大火事。在宅していたとみられる住人たちは全員家と運命をともにし、焼死体さえ見つかっていないというのだ。そして顔写真付きのその家族の名前を見てツヨシ少年は戦慄した。


 朝霧永劫、朝霧刹那、そして朝霧儚。


 エイゴーマンの本名が朝霧永劫だったこと。ネオエイゴーマンはその妻の刹那だったこと。はかなには儚の漢字をあてること。そしてその三人が火事に巻き込まれて全員死んだこと。非常に優秀なはずであるツヨシ少年の脳細胞が初めて受け入れ拒否を起こした情報だった。

 こんなの嘘だ。ヒーローは死んだりしない。


 その日ツヨシ少年は謎の高熱を出して倒れ、学校を休むことになった。


 それから何年もの間ツヨシ少年は想い人に会えるのではないかという希望を抱いて土手に通いつめたが、結局エイゴーマンたちがその姿を現すことはなかった。



「青野、青野、どうしたんだよボーッとして」

 ハカナに話しかけられかつてのツヨシ少年、青野剛志は我にかえった。

 朝食後の前田荘。出ていったホミカと松風を除いて皆居間に残っている。


「あの二人見てたら昔を思い出しちゃってな」

 まだなにも知らないホミカと松風。来る日も来る日もエイゴーマンを探した自分と重なったようだ。


「ふーん……また膨張薬の実験をしようと企んでたわけじゃないんだな」

 成長したのは青野だけではない。あの時赤ん坊だったハカナもすっかり大人の女性になっていた。

「あ、当ったり前田荘だ」

  実はそれも考えていた青野は口笛を吹きながら天を仰ぐ。


 そんな青野をシュロに水をやりつつ眺める斎藤。彼もまた思うところがあるようだ。

(二人ともごめんな。今じゃないんだ)

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