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 目の前に立つのは、確かに、陽子だった。

 佳苗は一瞬喜びに目が眩みそうになり、そして一転、彼女のその様子に違和感を覚える。

 何がおかしいのだろう。

 行方が知れなくなった時とまるきり同じように見えるから?

 いや、そんなのは、佳苗の記憶の方が間違いかもしれない

 こんな奇妙な状況なのに、薄く笑みを浮かべているから?

 いや、違う。

 何かが違うと思わせるのは、目の前に立つ少女が笑っていることではなく、その笑い方だった。

 陽子は、とても良く笑う子だ。笑っていない時の方が、珍しいくらいだった。でも、それは、こんな笑みではない。こんな人をゾクリとさせるようなものではなく、見ていると、佳苗でさえも笑いたくなるようなものだったのだ。

「あなた……誰なのよ?」

「あたし? あたしはヨウコ! ほら!」

 陽子の中にいる誰かは能天気にそう言うと、クルリと回る。それにあわせて、スカートが花のようにフワリと開いた。

「違う、違うよ!」

「ええ、何でだい? ほら、母親は認めているよ、あたしがヨウコだって」

 ゲラゲラと、およそ陽子らしくない笑い声を上げながら、彼女は虚ろな眼差しをしている伸子を指した。

「あたしが願いを叶えてやったんだ。現実を受け入れず、嘆くばかりの母親の願いを! なんて心優しいんだろう! この『命の守護者』の俺様は!」

 言葉を重ねるほどに、陽子の姿をした少女は陽子からかけ離れていく気がして、佳苗はギリ、と唇を噛み締める。

 だが、『陽子』は――『陽子』の中の何者かは、佳苗の苛立ちには頓着しなかった。構わずに自分の思考を垂れ流していく。

「けどなぁ、この俺にも、やれることには限界がある。だから、こいつはいずれ、腐り落ちちまうんだよ」

 『娘』の台詞に、伸子がヒイ、と細い声を上げた。その様に、『陽子』は悲しげに首を振る。

「ああ、哀れだ、哀れだ」

「あんた、一体何なのよ!? その陽子は何なの!?」

 佳苗の糾弾に、『陽子』はキョトンと見つめ返してくる。その顔だけ見たら、まさしく陽子そのもので、佳苗の胸には鋭い何かが突き刺さったような痛みが走る。

「アタシ? アタシは『陽子』。外身も中身も『陽子』よ?」

「ウソ! 違う! 陽子はそんな目をしない! あんたは、陽子の見てくれをした、別物よ!」

「人聞きの悪い。まあ、確かに、この身体は完全に『ホンモノ』って訳にはいかんがな。でもよ、『陽子』の一部から我が主が作り出した器に、その辺をうろついていた陽子の魂を入れ込んだものだぞ? ほら、殆ど『ホンモノ』だろ?」

 そう言って、何が楽しいのか、まるで酔っ払いのように息が止まらんばかりに腹を抱えて笑い出す。

「まったく、何に未練を残していたんだか。まあ、こうやって『生き返った』からには、青春を謳歌しないとな! でもな、さっきも言っただろ? まだ、完璧じゃないんだな、こいつは。それをもっともっと『ホンモノ』に近づける方法がある。それを、この母親に教えてやったんだ」

 優しいだろう? と、それは笑う。

 『陽子』の台詞を受けて、伸子が思い出したようにふらりと佳苗に向き直った。

「そう、そうなのよ。陽子を、本当に生き返らせる方法を聞いたの」

 幸福そうに、夢見るように、伸子が微笑む。

「おばさん……」

「ねえ、手伝ってくれるでしょう?」

 ――陽子が、生き返る。それが本当ならば、どんなに嬉しいことだろう。

 でも、そんなことは有り得ない。

 佳苗は、応えようがなくて、ただ伸子を見つめるだけだ。そんな佳苗に、彼女は続ける。

「あなたはあの時、陽子に助けられたんでしょ? あの子の命を使って、助かったのよね?」

 伸子のその言葉は、まさに真実だった。だから、頷く。

 途端、伸子の顔から笑みが掻き消えた。

「だったらね、今度は、その命を陽子の為に使ってよ」

「わたしの、命を……?」

「そう。陽子の今の身体は作り物だから、もう一つ、命を入れてあげないとなんだって。そうしたら、本物みたいに、ちゃんと生きられるようになるの」

 陽子が、生き返る。自分の命を使って。

 それは、佳苗にとっても、とてつもなく魅力的な言葉だった。

 そう、より生きるべき人が、生きるべきなんだ。

 使っていいよ。使って欲しい。

 そう答える前に、佳苗は両手を伸ばして襲い掛かってきた伸子に押し倒される。

 首に手をかけられた佳苗の視界の隅に、陽子から出てきた何かがどこかに飛んでいくのが、映った。


   *


「ゲイル! ようやく捕まえたわよ!」

 姿を現したその男の名を、語気荒くマナは呼ばわる。そんな彼女に、ゲイルはまったく悪びれる様子なく、ヘラヘラと笑って返した。

「水臭いな。お父様って呼んでくれないのか?」

 確かに、そう呼んでいた頃もあった。

 目の前に立つ男は、尊敬する師であり、敬愛する父でもあったから。

 彼のその言葉に、マナは、かつての師匠――そして己の父を、ギラリと睨み付ける。

「親子の縁も師弟の絆も切りました」

「つれないなぁ。オレはこんなにお前のことを愛しているのに」

「『愛している』相手に、こんな呪をかけますか?」

「ああ、そう言えば、随分縮んだな。やっぱり、悪魔の教えることは素直に受け取ったらいかんな」

「どういうことですか!?」

 あっけらかんと、まったく悪びれる素振りのないゲイルをマナは糾弾する。だが、そんな彼女の剣幕も、彼にはどこ吹く風、という風情だった。

「いや、何、お前を不老不死にしておこうと思ってな。俺はホムンクルスの身体を使ってるんだけど、お前は嫌がるだろうから、止めといた。一回目はうまくいっても、次からはさせてくれなそうだし。ほら、アイツを生き返らせるのは時間がかかりそうだったからさ。それまでにお前が死んじまったら困るし。ま、不老不死は確かだから、赤んぼまで戻ったら、また成長するんだろ」

 マナは、危うくホムンクルスに魂を移されるところだったと聞かされ、身震いする。ある意味その手段を用いても不老不死になるが、それもまた、禁忌の魔術だ。知らない間に若返る身体にされているのと、人造人間の身体にされているのと、どっちもどっちだが、強いて言うなら前者の方が、まだましだ。

「そんなことで! そもそも、母様を蘇らせようというのが間違いなんです! 母様はことわりを大事にする人でした。あなたの行動を良しとするわけがありません!」

 マナの――娘の非難の声も、彼の心には届かないようだった。

「そりゃ、そうだろうなぁ。アイツは死んで早々に、さっさと『行くべき場所』に行っちまったようでな。どんだけ魂を呼ぼうとしても、応えやしねぇ。だから、引っ張り出す方法を探してんだよ。ここでも、何人かはうまく行ったんだけどなぁ。占術じゃあ、この場所、この時、この方法で、そこそこうまくいく筈だったんだけどなぁ。ま、仕方ないか。次を探しに行くわ」

「何を言っているんですか! これ以上迷惑を撒き散らさず、おとなしくしておいてください」

「それはできねぇなぁ」

「できない、ではなく、していてもらいます。マルコシアス!」

 その名を呼ぶと、彼は一歩を踏み出す。

「おやまぁ、流石にそいつが相手じゃ分が悪い。逃げるが勝ち、だな」

 そう苦笑したかと思うと。

 彼はパチンと指を鳴らす。

 その音と共に地面に幾つも魔法円が浮き上がり、そこから何人もの人影――いや、何体ものホムンクルスたちが姿を現した。恐らく、先日戦ったのと同じようなもの共なのだろう。

 それらがマルコシアスとゲイルとの間に立ちはだかる。

 ゲイルは、「じゃ」と片手を挙げ、そして、一瞬にして消え失せた。

「ゲイル!!」

 呼んだところで、もう遅い。

「あの人は!」

 まさに、地団太を踏むに相応しい心境だった。

「残念だったな」

 完全に人事な口調で、マルコシアスが言う。それをキッと睨み付けたが、マナの渾身の睥睨をサラリとかわし、彼は建設的な意見を口にする。

「まあ、取り敢えずは、この状況を何とかした方がよかろう?」

「……ええ、そうね」

 ダメさ加減に磨きをかけていた親との遭遇で、マナは己を作った者の片方がアレであることに、がっくりと肩を落とした。だが、今は、脱力している場合ではない。彼女は身体に気合を入れ直し、置き去りにしていた三人に目を向ける。彼女たちは、ゲイルが現われる前と寸分違わぬ様子で立っていた。だが、マナとゲイルが遣り合っている間に、その三人にも、少なからぬ応酬があっただろうことは、容易に見て取れる。

 どう動くか判らないホムンクルスたちと、こちらもどんな関係なのか今一つはっきりしない女性たち三人。

 さて、どうしよう。

 マナが首をかしげて思案した、その時。

 突然陽子の母親が佳苗に掴みかかり、その勢いで押し倒したかと思うと、彼女に馬乗りになる。その両手は、佳苗の首にかかっていた。

「カナエ!」

 咄嗟に駆け寄ろうとしたマナだったが、生じた変化に足が止まる。

 それは、陽子と呼ばれた少女に起きたことだった。

 彼女から何かがモヤモヤと滲み出したかと思うと、彼女の姿とダブるような人影となり、次の瞬間、マナの方へと弾丸のように飛び込んできたのだ。

 衝突せんばかりだったが、マルコシアスに引き寄せられて、事なきを得る。

「ありがとう。でも、アレって……」

「うむ。我らとは流れを異にするものだな」

 マナたちの目の前に立つのは、一見紳士ふうの痩身の男だ。黒い山高帽に燕尾服としゃれた装いをしているが、よくよく見ると、それらは薄汚れ、古びている。そして顔には丸型のサングラスをかけていた。さながら、没落下級貴族という風情。

「やあやあ、ぼっちゃん嬢ちゃん、いらっしゃい」

 安っぽい興行師のような口上で、腰を折って一礼し、返す手で、男はサングラスを取る。現われた眼差しは、予想外に理知的な光を宿していた。

 陽気な口調でおどけてみせたソレは、マナの冷ややかな眼差しにあって、いかにも心外そうな顔になる。

「おや? この俺を知らねぇって? この、死者も生者もぜぇんぶ面倒見てやってる、このゲーデ様を?」

「……ゲーデ……?」

 マナは記憶を辿る。西洋魔術には出てこない名前だ。だが、聞き覚えがある。あれは、確か――

「ヴォドゥンの精霊、なの?」

 ゲイルを追いかけて西アフリカに行った時、ヴォドゥンと呼ばれる民間信仰のことを耳にした。そこでの神官にあたる『オウンガン』の話の中でいくつか精霊について出てきたが、ゲーデはとても享楽的で寛容でむら気で……要するに厄介な精霊なのだと言っていた気がする。全ての命の守護者であり、その力は死者を復活させる事も可能だとか。

 その場所では特にゲイルが引き起こした騒動はなかったのだが、いかにも彼が興味を示しそうだと思ったものだ。それと、こんなところで遭遇する破目になろうとは。

「ああ……もう! あの人は! まあ、いいわ。どうでもいいから、そこをどいてちょうだい」

「あの子たちを止めるのかい?」

「当たり前でしょう?」

「じゃ、ダメだね」

「ちょっと!?」

 眉を吊り上げるマナに、ゲーデはヘラリと笑って肩をすくめた。

「だってよ、すべてが丸く収まるじゃないか。母親は娘を取り戻す。娘は完全に近い形で生きることができる。あっちの子だって、まんざらじゃなさそうじゃないか? ほら、カンペキ」

「そんな歪んだ『完璧』なんて、認めるわけにはいかないわ」

「みんな満足なら、ソレで良しとしなきゃ」

「わたしは、そうはできない。ことわりを違えたものは、必ずいずれ破綻する。そういうものを、たくさん見てきたわ。あの母親だって、いつかちゃんと自分の力で乗り越えてくれる。でも、変な横槍を入れたら、真の意味での回復ができなくなってしまう。ひたすら待つのは、つらいし苦しいと思う。でも、その先にこそ、本当の回復があるんだわ」

 ゲーデをヒタと見据えながらマナはそう言い放つと、両手を差し伸べる。

 少なくとも、母を失った時のマナはそうだったし、今までに巡り会った人たちも、結局は、自分自身で立ち直っていった。

 人の、その強さにこそマナは愛しさを覚えるから、汚されたくないと思うのだ。

 この気持ちは、失っても、失っても、何度でも蘇える。

「あなたが止めないと言うなら、力ずくでも止めさせる」

 そこに現われる、書。

「優美なる斑紋を身にまとう勇猛かつ英明な鬱金の獣よ。我が盾、我が剣となり、我が敵を討て」

 描かれ、光を放つ魔法円。

 顕現する、強大な力。

 輝きが消えた時、マナの前に立つのは、豹頭に筋骨逞しい人の身体を持つ勇者だった。その無骨な外見とは裏腹に、静謐な眼差しを彼女に向ける。

「マスター、御用か」

「ええ、オセ。武人としてのあなたの力を借りたいの。アレをどこかにやってしまって」

 マナは真っ直ぐにくたびれた紳士を指差す。オセはチラリとそちらに目を遣ると、軽く首をかしげて彼女を見下ろした。

「滅せずともよいのか?」

「追い払うだけで、充分」

「了解した」

 短く首肯し、彼はゲーデに向き直る。いつの間にか、その両の手にはショートソードを携えていた。

「では、我はあちらを相手にするとしよう」

 それまで無言で控えていたマルコシアスが、そうマナに声を掛ける。振り返った彼女の目には、巨大な両手剣を無造作に片手に下げた彼の姿が入った。その目は、細波のように蠕いているホムンクルスたちに向けられている。

「ええ、お願い……苦しませないように」

 彼らはただのヒトガタで、何かを感じることはない筈だ。それでも、マナはその頼みを口にした。

「相も変わらず、妙なことを気にするな。まあ、よい。いずれにせよ、我の手に掛かれば、一瞬だ」

 そうして恭しく彼女の手を取り、その指先に触れるか触れないかというほどの口付けを落とす。

「では、そなたは離れておれ」

「気を付けてね」

 マナのその一言に、マルコシアスは不敵な笑みで応えた。

「笑止。あのような烏合の衆に、我が後れを取るものか。だが、そなたに気遣われるというのは、何とも心地良いものだな」

 彼は至極満悦な顔でそう言うと、クルリと踵を返して離れていく。マルコシアスが近付くにつれ、ホムンクルスたちがざわつき、牙を剥き、唸りを上げ始めるのが見て取れた。彼の背中を一瞬見送って、マナは再びゲーデに対峙するオセへ意識を向ける。彼は、身体に絡み付いてくる蔦とも触手とも知れない何かを、鮮やかな剣捌きで次々に切り落としているところだった。

 ゲーデという精霊が、一体どんな力を持っているのか、マナにはわからない。以前に聞いた事があるのは、『死と生の精霊だ』ということだけだった。ここは、オセを信じて任せるしかないのだろう。

 マナは、戦いは両者に一任し、少女たちの姿を探す。

 彼女たちはすぐに見つかった。

 地面に押し倒された、佳苗。

 その彼女に馬乗りになっている陽子の母親。彼女の手は佳苗の首にかけられたままだが、顔は娘へと向けられている。佳苗は苦しさにもがく様子もなく、母親と同様に、陽子を見上げていた。

 三人の間に、いったい、何が起きているのだろうか。

 マナは、タッと駆け出した。

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