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 ――ああ、またこの時期がやってきた。

 『あの場所』にさしかかった佳苗かなえは足を止めた。

 そして、空を仰ぎ見る。

 まだ青く晴れているが、近付いてきている台風で、風は荒い。

 あの災害から二年が経ち、佳苗は高校生になった。

 そう、陽子ようこが見つからないまま、二年が過ぎてしまったのだ。陽子の母親、伸子のぶこも、先頃ついに捜索を続けることを諦めた。行動を止めれば気持ちも吹っ切れるのだろうか。あんなにも娘を捜すことに必死だった彼女は、唐突に、あっけらかんと笑うようになった――まるで何事もなかったかのように、以前の伸子に戻ったのだ。

 二年間悲しみのどん底にいた彼女に心を痛めていた近隣の者は、みな、突然の変容に違和感よりも安堵を覚えたものだ。

 振り返って、自分は、どうだろう。

 佳苗は我が身を振り返る。高校生になって、新しい環境になって。

 クラスメイトの中には積極的に声をかけてくる子も何人かいたが、佳苗の受け答えに、じきに離れていった。彼女としては、別に特段素っ気無くしているわけではない。けれども、いくつか言葉を交わすと、相手は気まずそうに去っていく。

 多分、自分は、陽子を通じて世界とつながっていたのだろうと、佳苗は思う。

 だから、彼女が傍にいない今は、全てが紗を通したように感じられるのだ。

 それは陽子と出会う前に戻っただけのこと。佳苗自身の世界は、元々、こんなもの。

 別に、どうでもいいことだ。

 佳苗とは関係なく世界は動いていくし、佳苗も周りがどうとか、気になるものではない。

 ただ、時々、ふっと思う時がある。

 こうして社会に関わるのが陽子の方だったら、世界は全然違ったものになるのではないだろうかと。あの子だったら、もっとちゃんと『生きて』いるのではないだろうかと。

 仮定の話は、するだけ無駄なことは彼女にもわかっている――わかっているのに。

 それでも、その考えは何かの拍子にふらりと浮き上がってくる。

 佳苗は、小さく溜息を吐いた。そして、次第に強まってきた風に、再び歩き出す。

 二年前の被害から、この近隣は、天候に対して過敏になった。

 今日も、まだ単に風が強いだけなのに、授業は切り上げて早退するようにとの指示が出たため、佳苗は普段よりもだいぶ早い時間に家路についている。

 その場を立ち去りかけて、佳苗は、一瞬――ほんの一瞬だけ視界をかすめた人影に、思わず振り向いた。それは、崖の遥か下。

 思わず佳苗は身を乗り出して下方を覗き込む。

 ――視線が、合った……?

 肩までのクセ毛。

 黒目がちの大きな目。

「……よう、こ……」

 小さく呟いた声が、離れている場所に立つ相手に届いたわけがない。けれども、佳苗のその声に反応したかのようにその人は身を翻し、駆けて行く。

「待って!」

 佳苗は後先も考えずにガードレールを乗り越えようとする。

 が。

 クン、と服の裾が引かれる。

 邪魔をするのはいったい何者なのかと振り返った彼女の目に入ってきたのは、この場にそぐわないことこの上ない、七、八歳ほどの金髪の少女だった。その服装はフランス人形かくや、というようなもので、ふんだんにレースがあしらわれている。

「危ないよ?」

 緩やかなカーブを描く、蜂蜜のように鮮やかな色の髪を腰まで伸ばした少女は、漆黒の目で佳苗を見上げながらそう進言する。それはまるで、道路に飛び出そうとしていた子どもに注意する大人のようで。

 当然のことながら、違和感に満ち満ちた状況に、佳苗は言葉を失う。

 少女は、片足をガードレールにかけたままの彼女に、もう一度声を掛けてきた。

「お姉さん、落っこちちゃうよ?」

 佳苗は、夢から醒めたような心持ちで、足を下ろして地面につける。彼女がしっかりと地面に立ったことを確認して、「それでいい」と言うように、少女はニコリと笑顔になった。

「あなた、誰……?」

 それは、『変な』問いかけだっただろう。もっと訊くべき事があったに違いない。けれども、佳苗の頭は回転せず、この質問しか浮かんでこなかった。

 金髪の少女は屈託なく答える。

「わたしは、マナ。お姉さんは?」

「え……佳苗――高木、佳苗」

「カナエ、ね。いい名前だわ」

 そう感想を述べて、フフッと笑う。その笑みは小学校に入ったかどうか、という年頃の少女が浮かべるには、いささか蠱惑的だった。

「カナエ、余計なものに囚われてはいけないわ?」

「え?」

 少女の謎めいた台詞に、佳苗は眉をひそめる。そんな彼女にヒタと視線を注ぎながら、マナと名乗った少女は言葉を重ねた。

「あなたはあなたの現実を生きなきゃ。あなたが生きるべき場所から離れたら、ダメよ」

「どういう意味?」

「言葉の通りよ」

 やはり、解からない。

 だが、少女はそれ以上続けようとはせず、ふと視線を逸らすと佳苗の背後に向けた。そして。

「カイ!」

 名前と思しきものと口にして、その方向へと駆け出していく。振り返った佳苗が目にしたのは、飛びついた少女を受け止める男性の姿だった。黒檀の長髪を首の後ろでくくり、スワローテイルの燕尾服を身に付けた、男性の。

 二人は、生い茂る木々を背景にして、まるで一枚の絵のようだった。西欧の森の中や城などには、文句の言いようもなくマッチするだろう。

 だが、しかし。

 ここは日本の田舎の山奥だ。

 ――ナンなの、この二人。

 その時、佳苗の頭の中からは、つい今しがた見かけた人影のことはすっぽりと抜け落ちていた。

「カナエ、嵐が来るわ。早くお家にお帰りなさい」

 男性に抱き上げられた少女が、そう告げる。

 釣られて見上げた空は、黒い雲が青い空を駆逐し始めていた。

「あなたたち、――」

 何なの?

 そう尋ねようとして戻した視線の先には、もう、二人の姿はなかった。周囲をキョロキョロト見回しても、人影一つない。

「夢――?」

 そんな筈はないと思いながらも、佳苗はそう呟かずにはいられなかった。その彼女の頬に、大粒の雫がポツリと落ちる。

 納得のいかないまま、佳苗は家へと走り出した。


   *


 木々の隙間から駆け出した佳苗の背中を見守る視線は、二つ。

 マナと名乗った少女と、カイと呼ばれた青年のものだ。

「彼女、大丈夫かしら」

 カイの腕の中で、マナが首をかしげながら呟く。そうして、ネコが周囲の空気を嗅ぐように、顎をつんと上げる。

「確かにこの辺りは、ことわりを乱された臭いがしているわ。眠りを妨げられた死者――本来存在してはならないものが、存在している」

「ここは二年前に災害にみまわれ、十数名が亡くなられたようです」

「ふうん……でも、二年前? 何で、今更……って、それが『あの人』の仕業なわけね」

 マナが溜息混じりにうんざりした声を出す。

「今度は何をしでかすつもりなのかしら。死者がざわめいて――ブーネの力に近いような気がするんだけど……」

「ですが、彼は書の中、でしょう?」

「そうなのよねぇ」

 カイの確認に、マナは少し首をかしげて頷いた。

「それに、『ブーネに近い』けど、ブーネではないわ。彼の『死人使い』とは違う。ムルムルでもない。……もっと別の、何か」

 マナが用いるのは西洋魔術――特に喚起魔術である。悪魔を呼び出し、使役する術。ブーネとは死者を動かす力を持つ悪魔だ。だが、今この辺りに漂うものは、彼女が行使する魔術の力とは、根本的に何かが違う。

 少女はしばし考え込む。彼女の思案を、カイは妨げることなく、無言で待った。

 やがて再びマナが口を開く。

「あのクセ毛の子。カナエを見ていた、あの子。何だかちょっと、変だった」

「そうですね。恐らく、私に近いものではないかと……」

「ええ。ちょっと、捜してみましょう。カイ、下ろして?」

 トントン、と肩を叩きながらマナは彼に向かってそう指示を出したが、カイは穏やかに笑って答えただけだった。

「足場が悪いですから、このままで」

「でも、それを言うなら、あなただって危ないじゃない」

「私を何者だとお思いで? 間違っても、転んであなたを落とすなどということはありませんから」

 自信に満ち満ちたカイに、マナは呆れたような眼差しで小さく息をつく。

「まあ、いいわ。じゃあ、あっちね」

「はい」

 カイは頷くとマナが指し示した方へと足を向ける。

 かなりの距離を歩いた頃、ふと、マナは鼻の頭に皺を寄せた。

「あ」

「はい、ここですね。普通の人間ならば、無意識のうちに回避するでしょう」

「うう……なんか、イヤな感じ」

 進むに従って、根拠のない嫌悪感、不安、忌避感、そんなものが彼女の胸の中にこみ上げてくる。恐らく、回避の魔術がかけられているのだろう。だが、カイはまったく足の運びを緩めることなく、スタスタと歩き続けていた。マナが自分の足で歩いていたら、それが術によるものだと判っていても、速度は鈍っていただろう。

「やっぱり、何かあるのよね――あ、あれ!」

 マナは小さく声をあげ、カイにしがみついていた手を離すと前方を真っ直ぐに指差した。その先には、何もない――物体は。だが、彼女の細い指が向けられた場所は、『何か』が凝っていた。

「あれ、『門』ね。どこに通じてるんだろ」

 そこだけが奇妙に薄暗く見え、時々ふらりと歪む。

 ――と。

「おや? 何か出てきましたよ」

 カイの言葉通り、その歪みから、『何か』が数体現われた。

 一、二……三体。

 それらの形は『人』である。けれども、動きは、人間のものではなかった。四つんばいか、辛うじて二足歩行をしていても、腰を屈めて腕をだらりと下げている。

「ホムンクルスにそこらの適当な動物霊を入れ込んだのね……悪趣味」

 吐き捨てるようにマナは呟く。そんな彼女に注意を促すように、カイが軽く揺さぶった。

「来るようですよ。しっかり掴まっていてくださいね」

「え、下りるわよ」

「大丈夫ですよ、あのくらい」

 カイは事も無げにそう答えると、左腕だけで彼女を抱え、右腕を一振りする。そこには、一瞬にして光を帯びた有棘の鞭が現われていた。

「さて」

 カイが軽くスナップを効かせると鞭は命を得たかのようにしなり、鋭い音と共に空気を引き裂いた。そして、わずかに遅れて先端が地面を抉る。

 のろり、ゆらりと動いていたホムンクルスたちの視線が、その音で一斉にマナたちの方へ向けられる。

 沈黙は一瞬だった。

 直後、「ガアッ」と吼えたかと思うと土を蹴立てて躍りかかってくる。それはまさに野生の獣そのもので。

 彼らが半分も距離を縮めぬうちに、唸りを上げたカイの鞭が、その一体を襲った。視認できない速度で飛ばされたそれは、狙い違わず相手の首をなぎ払う。

 血しぶきは、なかった。

 頭と身体が離れた瞬間、それはヨロヨロと更に数歩を歩き、地面に膝を突く。と、大地に触れた部分から、溶けるように崩れ去っていった。

 仲間が消え去る様を見ても、残る二体に怯む素振りは微塵もない。

 カイは飛び掛ってきたそれらを二、三歩のバックステップでかわすと、充分に距離を取って、再び鞭を振るった。

 頭の天辺から、股まで。

 その鞭が触れたところから、まるでバターにナイフを入れるようだった。すっと真っ二つに分かれたと思うと、先ほどと同じように消え失せる。

 そして、ラスト。

 間髪を容れずに残る一人に巻きついた鞭は、カイの軽い一引きで、その中にいたものを霧散させた。

 後に残るものは、何もない。

 音も、色も、臭いも。

 カイが鞭を収めた時、まるで何事もなかったかのように、森は静けさを取り戻していた。

「門が消えちゃったわ」

 マナは失望混じりの声を上げる。ホムンクルスたちがくぐってきた『門』は、跡形もなく消えていた。恐らく、アレらは門を消すまでの時間稼ぎだったのだろう。

「申し訳ありません。もっと私が手際よくやっていれば」

「あれ以上は無理でしょう。仕方ないわ」

「ありがとうございます。しかし……あれはどこに通じていたのでしょうか。いったい、あの方は何を……」

 眉をひそめるカイに、マナは肩をすくめる。

「さあね。取り敢えずは、あれの『出口』――もしくは『入り口』を探しましょうよ。彼が何をたくらんでいるにしろ、ろくでもないことには変わりないわ。また、尻拭いをさせられるのよ、きっと。」

 それは、いかにも『うんざり』といった声音だ。カイが、彼女を宥めるように揺する。

「今度こそ、彼を捕まえられることを祈りましょう」

「……そうね。ま、今回は出直すしかないわ。この近辺にいることははっきりしたのだから、それだけでもまだマシよ」

 仕方がない、と言わんばかりにマナが肩をすくめる。

 そして。

「出でよ、七十二柱を封ぜし書よ」

 彼女が小さな両手を伸ばし、涼やかな声で告げた。自身の魔術の発動を受けて、その目は本来の色を取り戻す――アメジストのような菫色を。

 その両手の上に、革張りの重厚な本が姿を現し、納まる。それと共に、マナを抱いて佇むカイの足元に、複雑な文様を伴う真円が描かれた。

「青白き巨蛇の勇者よ。その馬の背に我を乗せ、我が望みのままに扉を開け」

 マナの言葉が終わるのと同時に、青白い馬にまたがり、蛇の尾を持ち、死人のような肌をした巨漢が現われる。

 彼が二人に向けて小さく頷いたかと思うと、二人とその異形の巨漢は――一瞬にして、消え失せた。

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