持たざる者 vol.3
それから俺は校外へと連れ出された。途中で狩人に出くわさないかハラハラしたが、大丈夫だった。学校から充分離れた安全地帯まで来ると、ようやく胸を撫で下ろすことができた。
片桐は早速抗議する。
「おい、なんで有沢とかゆう奴の言いなりになってんだよ?」
そんなの、お前らしくないだろ。という言葉は飲み込む。
知り合って間もないのに、そこまで言い切るのは、なんていうか、うまく言えないが、ああもう、どうかと思ったからだ。
海野は辺りを見渡し、同じ中学の制服を着ている奴がいないのを確認すると、歩きながら話しましょう、と歩き出す。
「有沢部長の親御さんは、この中学の経済的支援者なんです。だから、誰もこの中学では彼女に逆らえません。校長先生ですら、有沢部長にはほとんど言いなり状態ですよ。美術部だって、部の規定人数を下回っているのに、活動できているのは彼女のお蔭なんですから」
まぁ、美術部員が少ないのはあの人のせいらしいんだけどね。と、海野はひとりごちる。
「今、美術部は、一年の私と、二年生なのに、部長になっている有沢部長と、幽霊部員になってしまっている三年の先輩の三人だけなんです。その先輩に聞いたんですけど、元々は美術部員多かったらしいんです。……だけど、今の有沢さんが来てから、どんどん人数が減っていたんだそうです。あの人の絶対王政で傲岸不遜な態度に耐えられなくなって、部活を辞めていった人は少なくなかった。新入生が辞めていったのは、私も見ましたけど……」
「なんだ、そりゃあ。美術部がそんなに酷い惨状なら、どうしてお前は美術部に残ってんだよ」
海野は不意に立ち止まる。
片桐も当然立ち止まり、目を閉じて、なんと言おうか考えている海野の横顔に見惚れる。こんなこと考えていい状況じゃない気がするが、不意に意識してしまった。それに、こうして改めて見ると、やっぱり可愛い。こうやって黙っていれば、可愛さはいつもの三倍増しだ。
風にたなびくサラサラセミロングヘアから、女独特のいい匂いが漂い、鼻腔をくすぐる。
海野はくりくりした目を見開くと、
「私はきっと……ただ意地っ張りなだけだと思います。ここで美術部を辞めて、逃げたなんて思われたくないんです。それに、多少の逆境で折れるようなら、結局そんなに絵が好きじゃなかったってことじゃないですか」
興奮したのか声のトーンが変わる。海野は今まで見たことのない表情をしていた。
夕日に照らされたその表情を直視するのは、今の俺にはとても困難なことだった。
「私は絵が大好き。本当に、本当に大好き。愛しています。私は、絶対にレオナルド・ダ・ヴィンチや、ミケランジェロ・ブオナローティみたいな、歴史に名を残すような画家になります。……それが私の夢です」
海野は、うわ、なんで私、こんな奴にこんな大切なこと言ってんだろと、慌てていたが、予言する。お前はこれからもっと、慌てることになるぜ。
「海野、落ち着いて聞けよ」
「な、なんですか」
唐突な俺の言葉に、海野は反応に困っている様子だ。だが俺はそんなこと意にも返さない。
「いいから、今から俺が言うことを落ち着いて聞くんだ」
「……分かりました、どうぞ」
片桐は神妙な顔をしながら、一言。
「そろそろ放してくれ」
はい? と海野は聞き返すが、今の状況を把握できたのか、雪のように白い肌を一気に赤く染めていく。
俺は海野に第二美術室から無理やりここまで連れてこられる間ずっと、腕を組んでいた。そして、ここは公園前。
いつの間にか公園の遊具で遊んでいた餓鬼共は、俺達の周りに群がっていた。そして、海野が絵に対する情熱を語っていた、大好き、愛しているという単語だけに敏感に反応し、子ども特有の冷やかしをしてくる。
海野は、組んでいた腕をぱっと離し、そのまま恥ずかしそうに全速力で逃走した。
「あっ、おい!」
俺の静止も聞かずに、一心不乱に走り去っていく。
そんな海野の姿を片桐は、太陽の日光を見たかのように眼を眇める。
夢……か。そんなものは生憎持ち合わせていない。
どうして、どいつもこいつも輝いているんだろう。
どうして、そんなに未来に期待しているんだろう。
どうして、自分自身をそんなに信じられるのだろう。
俺の中身は空っぽだ。それに、烏や小動物が案山子を避けるように、他人は俺を避けている。案外、案山子っていう称号は的確なのかもしれない。
空を仰げば、今にも雨が降りそうな暗雲が立ち込めていた。




