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海のキャンバス  作者: 魔桜
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持たざる者 vol.1

 中学生が放課後することといえば、ほとんどが部活動だ。

 他には、塾に行ったりとか、友達と道草食ったりとかだが、俺は部活には無所属の――有り体にいえば――帰宅部だ。

 家に帰宅してもこれといってすることがない。することといえば、読み飽きた漫画で時間を潰すか、悪魔のような姉に、使いパシリにされるぐらいしかない。

 工藤は、バレー部では鬼神の如き活躍らしい。

 あまりの球威に、女子では練習相手にならず、男に混ざって練習しているらしいが、違和感が全くないのは流石というべきか、可哀そうだと思うべきか。

 宮崎は放課後塾通いの毎日だ。

 今日も塾のクラス分けのテストがあって、なにやら忙しいらしい。

 まあ、あいつは教科書を一目見ただけで、全てを暗記できる天才型だから、そこまで気張る必要性は感じられないんだがな。

 そんな俺は暇つぶしに、第二美術室の扉を叩く。

「たのもー!!!」

 道場破りばりの大声で乗り込むと、そこには怪訝とした表情で振り返る、ちびっこい海野香織がいた。

 ちなみに何もしていないように見えた。ここは第二美術室で、絵を描くところじゃねぇのかよ。せめて絵具の準備だけでもしとけ。

「またあなたですか。一体何の御用ですか?」

 刺々しい言葉と、氷点下の視線に、片桐は思わず苦笑い。

長机の上には分厚いクロッキー帳。海野の足は昨日のように震えておらず、少しは俺の相貌に慣れてくれたらしい。

 昨日と違い、晴れ晴れとした空。照りつける日光は惜しげもなく美術室にも降り注ぐ。雨で湿気が酷い時には、晴れて欲しいと願ったものだが、ここまで暑くしてくれとは頼んだ覚えがない。

 廊下から第二美術室に入ると、その温度差に思わず顔を顰めたが、すぐに緩む。俺の開け放った第二美術室と、最初から空いていた窓から風の通り道ができたのか、ふわっ、と心地の良い風が吹いてくる。

 本格的に夏に入れば、この風さえも熱風となるかと思うと少し憂鬱な気分になる。

 クーラーを設置すればいいのに……。

 私立のくせに設置してあるのは、職員室など教師が使用する場所と、二年と、三年の教室だけだ。

つまり、ほとんど使われていないこの第二美術室と、俺達一年生のクラスには、なぜかクーラーが設置されていない。

 ラーメンよりも、こっちの方がよっぽど生徒会に入るきっかけになると思うぞ、宮崎。いや、宮崎が生徒会長になって今の決まりを変えるには、最低でも二年生からでないとできないから、その頃二年生になっている俺達には関係ないのか……。

 ちっ。どうせなら、今から生徒会に乗り込んで直訴してやろうか。

「別に用はねぇよ。あえて言うなら、ハンターの魔の手から逃げるためかな?」

「……なんですか、それ?」

 狩りをこよなく愛す、我がクラス担任の狩野は今日もホームルームが終わった瞬間、片桐くん、ちょっといい? と顔は笑っていても、目はギラギラで完全に俺を狙っている。

 クラスの男衆は舌打ちしたり、こっちを憎々しげに見ていたりする奴もいた。おい、こんな見てくれだけがとりえの奴に追い掛け回されるのが羨ましいのか。それなら直ぐにでも代わってやるぞ、と念を込めた視線を送ると、男共は一斉に視線を逸らす。どうやら、俺が威嚇したと勘違いしたらしい。

 そんな俺の姿を見て、工藤は微笑み、宮崎は背中を向けて表情が見えなかったが、恐らくあいつのことだから、呆れ果てていただろう。

 それから俺は脱兎のごとく走り、狩人からまんまと逃げおおせたのだが、なにもすることがない。

 昨日の宮崎の耳の痛い忠告のせいだろうか。自然とこいつのいる場所まで足を運んでしまった。

 片桐は肩をすくめる。

「いや、なんでもねえよ。それより、お前は昨日といい、今日といい、何してんだ?」

「片桐さんには全く関係ないことです。私のことなんてどうでもいいですよね」

「それは、そうなんだけど……」

 なんと言えばいいのか分からず、当たり障りない、どうでもいい世間話はないか言葉を探していると、長机の上にある物体に目が行く。

「そういや、それって何描いてんだ? 見せてくれよ」

「さ、触らないでください!」

 必死になって俺の手からクロッキー帳を奪い取る。

「解った。もう触らないから、落ち着け」

 急にヒステリックになるから困るんだよな、こいつと俺は内心で引きながら、ずるずると音を立てながら後ずさる。

「いえ、片桐さんのことなのでぇ――ああっ!」

 クロッキー帳を抱えながら、少しでも俺から離れていたいのか距離をとっていたが、海野は椅子に足が引っかかり、後ろに派手に転んだ。

 その拍子に、クロッキー帳は宙に飛んだ。紙を留めている金属器具が古いのか、それとも使いすぎているせいかは解らないが、地面に紙が散乱する。

 いっ――たい! と後頭部を擦りながら涙目になっている海野。転んだ時に捲れてしまったスカートを直した方がいいぜ、と伝えるべきか迷ったが、ギギギ、となぜか動かしにくい首を回しながら、

「あーあ、しょうがねぇなぁ、何やってんだよ」

 自分の足元に落ちた絵から順に拾っていく。眼福だったとか思っていない。もう少し見ていたかったとかも思っていない。拾った絵を見ると、そこに描かれていたのは、俺がよく知る人物だった。

「だめぇええええええ!」

 金切り声を上げながら、海野は俺の手から紙を奪うが、そんなものは今更手遅れなのは海野自身分かっているらしい。

「見ましたか? ……見ちゃいましたよね」

 海野は溜め息混じりに、がっくりと肩を落とす。

 ばら撒かれた紙には海野が邪道やら、ありえないとか、散々批判していた人物画が描かれていた。

 紙の全てをよく目を凝らして観察してみると、全部同じ人物。全て遠くから描かれたのか、後姿や横顔ばかりで、正面アップの絵は一つも無かった。

 見慣れていた筈のその顔は、描き方のせいか全く違う人物に見えた。その……凄く、格好よく見えた。これは絵を描く人間の特徴として頻繁に挙げられる、あれなのだろうか。

 もしかして、海野は――。

「お前、俺のこと好きなのか。悪いな、俺はいま、自分自身とは何者なのかを考えるのに忙しくてよ。だから、誰かを好きになるなんてできない。そんなもんに興味ないし、余裕なんてないんだ」

 工藤が好きなくせに何言ってんだ、俺。だが、それでも、こいつが出来るだけ傷を作らないように気を使って、キッパリと断るのは当然だ。

 海野は無言で全ての紙を回収し切る。そしてそれを纏めてファイリングしたクロッキー帳を抱え、競歩並の速度でこちらに向かってくる。俯き、唇を噛み締めている海野の表情は見えないが、羞恥心のせいか、頬が紅潮している。

 床に恨みでもあるのか、象のように力強い足踏みで近づいてくる。そのまま俺の一歩手前で止まり、俺の眼前に一枚の絵を突きつけ、海野は叫んだ。

「私が好きなのはあなたじゃありません! こっちです! ……あっ……」

 海野は、あなたがとんでもなく莫迦な発言するから、つい言っちゃったじゃないですか……とクロッキー帳を脇に抱えながら、両手で顔を覆う。

 海野は俺の隣にいた人物を思いっきり指差していた。ふぅむ。赤く染まっていた頬は、羞恥なのではなく、怒りのせいだったらしい。

 三人一緒に肩を組んでいる絵。その中の一人に海野は指を指していた。

 そいつは、俺の親友で、海野への評価が散々だった宮崎京だった。

 ただ、今はそんなことよりも、調子に乗って海野が俺に惚れたと勘違いして、色々言ってしまったのが恥ずかしすぎる。自分の浅薄さに、床をのた打ち回りそうだ。

 このままじゃ精神が保てないので、矛先を自分から、恋する乙女に向ける。

「おい。お前は知らないかも知れねぇけど、宮崎はもう――」

「知ってますよ! ……宮崎さんが工藤さんと付き合ってることくらい。だけど、でも、宮崎さんの傍にいられなくたって、好きな人を遠くから眺める権利くらい私にだってあるじゃないですか……」

 海野の意中の相手がばれたせいか、開き直った海野は耳たぶまで真っ赤にしながら、自分の想いを語る。

 そして、自分の好きな人間が、他の誰かを好きという事実に悩まされ、泣きそうな顔をしているのは、海野だけじゃない。

 海野の瞳から写るのは、歪んだ俺の顔。

 きっと海野も俺と同じで、好きな奴を困らせるのが嫌で、自分の想いを募らせているんだな。

 ……なあ、どうして俺達は自分のことを好きになってくれる奴を、好きになれなかったんだろうな。

 この世界には無数のカップルがいて、そのカップルの数だけ相思相愛ってことだ。……どうしてそんな簡単にみんな付き合えるんだ。妥協なのか、それとも本当に運命の相手なのか、付き合ったことのない俺には何も分からない。

 俺だって、工藤が宮崎と付き合ってから、今までに何度も諦めようって思ったんだ。けど、そんな器用に生きられない。自分の気持ちに嘘をつけない。もしも今望みが叶うとしたら、誰でもいいからこの気持ちを塗りつぶして無かったことにして欲しい。頼むよ……。



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