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海のキャンバス  作者: 魔桜
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第二美術室の妖精 vol.2


 その女はハンターではなかった。しかも、ただの女でもなかった。それこそ、絵画から抜け出したかのごとく完璧な可愛さ。現実離れした容姿だった。

 身長は、俺の胸辺りのミニサイズ。そして、身長とは不釣り合いな大きさの、クロッキー帳を抱き締めているせいで更に小さく見える。その相貌も相まって、まるで妖精のようだ。

 白く極め細やかな肌は、学校指定の黒い制服によく映える。艶やかな黒いセミロングの前髪は、大きな瞳を半分隠している。その瞳には、怒り、怯え、驚きの混じった炎が、揺ら揺ら燃えている。

 勝手に絵画を触ろうとした後ろめたさで、その印象的な瞳から逃れるように俯く。すると、彼女のスカート下の、細長い華奢な足が、小刻みに震えているのが見て取れた。

 片桐は、内心怯えていた。

 また、自分の見た目で、怯えさせているのだろうかということを。

 学内を歩いているだけで、奇異の眼で見られている俺には、あることないこと囁かれている。

 誹謗中傷なんて、加害者からしたら意識すらしていないのかも知れない。すべての言動は、無意識の内に行われている。それは、いじめのようなものだ。加害者は、自身の行為が被害者にどんな影響を及ぼすのか想像もできない。しようともしない。

 そして、事件が白日の下に曝されて、初めて自己の行動の本当の意味を知る。何もかも手遅れになってしまった時に。

 そして、涙ながらに大人に反省文を書いて、各所で適当に頭を下げ、いつの間にか失念する。そういえば、そんなこともあったなぁと、成人式終わりの飲み会で、酒の肴になるぐらいだ。

 真正面から言うのは憚れるから、あいつらは陰口しか叩けない。

 いじめの標的になるような気弱な奴と違って、俺はこの通り不良に見える。

 不良に直接攻撃を仕掛ければ、それ以上の反撃をされる可能性が高い。そんなリスク冒さずに、遠回しに攻撃しようという魂胆だ。

 キレて俺が手を出せばあちらの思う壺。

 私達は何も言っていません。この人が勘違いしたんです。いきなり殴りかかってきました。と奴等が言えば、多数決の原理で、俺の意見なんて吹き飛ばされる。

 そんな有象無象で、端役の言葉なんて気にもかけない。だけど初対面の人間で、しかもこんな可愛い女子から拒絶されると、少しだけ胸がチクリとするのは否めない。

 人は見た目じゃない、中身だ。そうやって世間がどんなに綺麗な御託を並べても、先ずは、見た目が目に入るのだから仕方ない。どう足掻いても、人は視覚で人を視認する。そうして区別してしまうのは人間の性だ。そこで差別しないのは、盲目の人間ぐらいなものだ。

 片桐は、この緊張状態を打破する為に、ワザと馴れ馴れしいノリで話しかけた。

「悪いな、そんなつもりじゃなかったんだ。この絵があんまりにも綺麗だからつい、見入っちまったんだよ。ほらよ、もう触んねーから」

 片桐は諸手を挙げて、降参のポーズ。

 自分なりに現状況を真剣に受け止め、応えたつもりだったが、どうやら逆効果だったらしい。女は眉を吊り上げ、俺に対する警戒心を更に強める。

 片桐の心情は、一気に不愉快に染まる。

人一倍プライドが高いと自負している自分が、ここまで遜るなんて、四年に一回。オリンピックのペースでしかない。

「ああ? だからもう触らないって言ってんだろ、海野香織」

「どうして……?」

 ポツリ呟く海野に、片桐は親指で後ろのネームプレートを刺してやる。

 恐らく、海野自身が書いたのだろう。プラスチックに書かれた名前は、少し擦れて見えにくくなっている。プラスチックではなく、紙に書いた方がいいと思うのだが、ここで言うことでもないだろう。

 片桐は嘆息しながら、茫然としている海野の様子を見て、考えを深める。

 まだ、馴れ馴れしい感じで言ったほうがいいのか? どうも、敵愾心のオーラが未だにピリピリしている気がする。

 もっと、フレンドリー精神旺盛な感じで言った方がいいのだろうか。マクドナルド店員のような、ゼロ円スマイルになるように心掛ける。

「確かにスッゲー綺麗な絵だけどさぁ、なんか寂しいよなぁ、この絵。人物画とかは描かないのかよ?」

 なにせ、描かれているのは海と砂浜ぐらいで、しかも使われている色は、全てダークな黒色に近かった。

絵を描くときには、その人物の心情が出やすいとかなんとか、美術の教師が言っていたような気がするが、どうなんだろうな。

 確かに、この絵にどうしようもなく惹かれた。だがもしも、美術の教師が言っていたのが本当なら、この女、現実の中で、理想を求めるのを諦めている奴だ。

 ――俺と同じで。

 この世界は、誰にでも優しいわけじゃない。

 才能ある者。容姿の整っている者。富豪。とにかく、なにかしらの力を保有している人間に、この世界の人間は優しい。

 不平等で不条理なこの世界。

 努力や根性なんかで覆せることは限られている。だけど、その現実を見て見ぬ振りをして、生きていくのが大人だ。自分の長所だけを見て、それを慰めにしながら自分を騙し続ける。

 だけど、こいつは誰が見ても可愛いと思うだろう。生まれ持ったものがあるだろう。この絵の、繊細で、それでいて豪快なタッチ。不断の努力の成果なのかもしれないが、ただそれだけじゃない。

 どんなに足掻いても、手に入れることのできないもの。

 それは、才能だ。

 そんな、自分にないものを持った人間が、どうしてこれだけ苦悩しているのかが理解に苦しむ。

「人物画なんて、描きません。邪道です。人物画なんて、幼稚な漫画といっしょです。最低です。頼まれても一生そんなものは描きません! あなたみたいな不良には、絵がなんたるかなんて解りっこありません!」

 だから、こんな言い方をされるとショックを受けざるを得ない。

 きっと才能を持った人間にしか解らない境地。

 自分には一生関係ない。だけど、それを認めたくない。

「あーそうかよ。俺は絵のことなんて全く、全然知らねぇよ。けどなあ、俺は、相手がどんな見た目をしているか。……そんなくだらない理由で、おまえみたいに、他人を馬鹿にしたりなんて絶対にしねーんだよ!」

 自分の才能のなさに苛立って、自分勝手に八つ当たりしてしまっているっ、ていうのは重々承知だ。その上で、俺は今叫んでいる。自分の考えを、自分が正しいと思っていることを。

 今俺のやっていることは、理にかなっていない。子供の駄々みたいなものかもしれない。だけど、俺だけが間違っているなんて思えない。

 確かに、俺の見た目は不良かもしれない。けれど、それで、あなたには何も分かりません。……なんて決めつけて欲しくない。風評で多少、人格を判断するのはしかたない。けれど、俺はいつも、自分の目で見たことで、最終的な判断を下しているつもりだ。それが俺の信念でもある。

「なっ……それ、は……」

 何か発そうとした言葉を、海野は咄嗟に飲み込む。

 そして、目を泳がせながらしばらく逡巡した結果、おそらく言おうとしていた言葉とは、別の言葉を片桐に投げかける。

「今日、初めて喋った片桐さんには何も言われたくないです!」

「ああ? どうして、お前が俺の名前知ってんだ?」

 片桐は首を傾げる。

 海野香織と、俺は面識が無い筈。

 小さいくせに、後生大事そうに抱えている体躯とは不相応な、大きいクロッキー帳。そして、童顔で海のように深い色をした瞳。

 もしもどこかで会っていたなら、こんなに特徴的な奴、忘れようと思っても早々忘れられない。

 うくっ、と言葉を詰まらせた海野だったが、即座に、

「あ、あなたが学校で有名な不良だからです。どうでもいいので、ここから出て行ってください。これから私は、絵を描かないといけないんです」

 切り替えされる。海野のその必死さに、後ろ髪を魅かれる思いで、片桐は第二美術室から退出する。

 もう少しあの場に居たかった理由は、きっと、あのムカツク女の、もっと凹んだ顔を拝みたかったからだろう。そうに決まってる。今度会うときは、もっと貶してやる。

 今日はさっさと帰るか、と片桐はスキップ気味な足で廊下を歩く。

「片桐くん。みーつーけーたーわーよー」

 油断しながら階段を降りていると、そこにはニンマリハンターが待ち構えていた。俺を捕獲できるように、ハンターの長髪が、蛸の手足のようにウネウネうねっているのは、俺が恐怖のあまり見た幻覚か。

 このまま片桐くんを逃したら、末代までの恥! でも、今のままの方法じゃ、確実に逃げられるわ。と踏んだハンターは、俺を見失った場所で待ち伏せしていたらしい。

 逃げた代償か。

 いつもより厳しい補習と、唾棄すべき感情論に、俺の心身は磨り減った。

 そして片桐は、帰宅と同時に自室のベッドに飛び込んだ。



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