擦れ違い
曇天と混ざりあって、コバルトブルーの海は、群青色に染まっている。
バケツをひっくり返したような豪雨。スコールの叩きつけるような激しい雨の音に、いつも心やすらぐ潮騒の音は、片桐の耳に届かない。
傘を忘れた片桐のシャツはスポンジのように水を吸収し、ずぶ濡れ。砂浜に建てられた休憩所に腰掛け、シャツを雑巾のように絞る。
すると、海野が綺麗な花柄模様の傘を差しながら優々と此方に来た。その悩みのなさそうな挙動が、憎らしい。
「着替えなら、他所でやってください」
ころころ笑う海野の顔には安堵すら感じるが、それ以外の感情も同時に湧き上がる。
上半身裸の俺に遠慮してか、少し遠くに海野は座る。シャツは湿っていて、着ると気持ち悪かった。
「俺のことは気にすんな。お前は絵に専念しろ」
はい。と、はきはきと答えながら、クロッキー帳を取り出す。自分が提案したことではあるが、こんな殺伐とした海でも描くのだろうか。
波打つ海と、針のような雨。
そんな情景すら、すらすら流水のように描いている海野を見て嫉妬してしまう。自分の夢を持ち、それに向かって懸命に努力している姿を見せつけられると、息苦しさを感じる。
俺とは立っている場所が違う。
見ているものが違う。
「なぁ、知ってるか?」
「はい?」
海野は首を傾げ、言葉の続きを促す。
莫迦、止めろ。何を口走ろうとしてるんだ。
俺は、海野と向き合って、そして、自分の気持ちとも向き合おうと決心した筈だ。
その筈なのに、当の本人を見ると、どうしても揺らいでしまう。
これを言ったら本当に決定的だ。
だけど、確実に答えを聞ける。
それなのに、俺は何を躊躇っているんだ。
俺は海野とぶつかって、海野と宮崎が今、どんな関係なのか知りたかったんだろ? だったら今、そのまま思っていることを言えばいいじゃないか。何を惜しんでいるんだ。何を悲しんでいるんだ。
「宮崎と工藤は別れたんだよ、よかったな、海野。それで、宮崎は、お前のこと好きなんだよ。お前、莫迦だな。一人で勝手に困って、悩んで……。だから、さっさと告っちまえよ、きっと上手くいくぜ。俺も祝福するからさ。いや、もう告白したのか? 怒るなよ? たまたま、お前ら二人が仲良く話してるとこ見たんだ。わざとじゃないぜ」
興奮の余り、途中で立ち上がっていた。
未練も何もかも断ち切る為に、矢継ぎ早に話していた。
俯いている海野の前髪がカーテン代わりで、表情を読み取ることができないが、唇は一文字。どうしたんだよ? 嬉しくないのか?
「そうか! 嘘だとでも思ってんだろ? これは嘘でもたちの悪い冗談でもねぇよ! なんなら工藤にでも確かめてみろよ。全部本当のことだから! よかったじゃねぇか! これで、わざわざ俺に付き合わなくて済むんだからよ」
「……どういう意味、ですか?」
硬質な海野の声に、自分はとんでもないことを口走っていることに気付くが、それでも一度言った言葉をなかったことにできない。続けるしかない。
「だって、そうだろ! 海野は俺を利用してたんだろ? 接点のない宮崎に近づく為に、俺に嫌々付き合ってたんだろ? いやー、凄ぇ頭いいな、お前。でも、まっ、良かったじゃねぇか! これで、嫌な想いしなくて済むじゃねぇか。これで――」
これで、お前は幸せになれる。お前は、俺にかまわずあいつと付き合えばいい。俺は、工藤と結ばれることはなかったけれど、海野、お前は違う。
お前は、幸せになれるんだよ。と言おうとしたが、海野に思いっきり横っ面を叩かれる。
「なっ――」
「それがっ、それがあなたの思っていたことなの?」
俯いていた海野が顔を上げる。顔は朱色に染まり、憤怒の余り体全体が震えている。
ずっと、疑問に思っていた。
あの嫌がらせが趣味としか思えない、美術部の部長に耐える海野が、どうして俺を本気で拒絶しないのかということを。
そうだ。
海野は、俺を通して宮崎を見ていたんだ。最初から俺なんてどうでもよかったんだ。くそ野郎がッ。
「なっ、なんだよ! 図星を突かれて怒ったのか? ほっんと、単純だな、お前」
もう一度ビンタしようとした海野の腕を掴んで止める。くっ、と悲痛な叫び声を上げる。思わず強く握りしめてしまった。素早く放そうとするが、
「もういい! 二度と私の前に現れないで!」
俺の手を強引に振り切り、海野は土砂降りの中クロッキー帳を抱え走って行った。
俺は中途半端に上げていた腕を下げ、思いっきり砂を蹴る。勢い余った俺は、後ろに倒れ、休憩所の 床張りの板に、受け身もなしに頭をぶつける。いつかの海野のように。
「……俺、なにやってんだろーな」
ぽつり呟いたその言葉に帰ってくる返事はない。
片桐の傍には海野が持ってきた傘がおいてけぼりにされていた。
たった、それだけだった。




