初恋の人 vol.3
学校近くのスーパーの外で商売をしているたこ焼きの屋台。
片桐、工藤はそれぞれ普通のたこ焼きと、たこ、チーズ、キムチ、キャベツ、豚肉インたこ焼きという、屋台のおっちゃんの悪ふざけにしか思えないものを購入した。
そして、以前にも工藤と二人で、いや、プラス同情しっぱなしだった犬一匹と来た、公園のベンチに腰掛ける。
工藤と座っているベンチに、並ぶように隣に設置してあるベンチには、年老いた老人が一人でいた。それ以外に公園にいるのは、遊戯で遊ぶ子どもぐらいしか居ない。
ご老体は口をぱっくり開け、涎を垂らしながら、ワシはやったぞ! ワシは唯一無二であるこの世の真理にたどり着いたのじゃ! これで奴らに一泡吹かせることができる! と何やらぶつぶつ呟いている。
白目を剥いて、杖で身体を支えるように座っている老人を、この人は大丈夫なのだろうかと、はらはらしながら見守る。
すると、老人の口の中に一匹の蚊が入る。老人はすぐにガムを噛むかのごとく咀嚼し、果てはごっくん、と音を立てて嚥下する。
俺が呆気にとられていると、うまくはない! こやつはただの栄養分じゃ! だとかを嘯いて杖をつき、去って行った。
……全部見なかったことにしたい。
片桐は、金魚が餌を求めるかの如く、口をパクパクさせながら工藤に自分の見たショック映像が、現実か幻視だったかをジェスチャーで問う。
工藤は気付いていなかったのか、片桐の口の開閉を、たこ焼きを喰わせてくれという動作と勘違いした。
ほい、と熱々のたこ焼きを口に放り込まれる。
口に入ったたこ焼きのあまりの熱さに吐き出しそうになるが、無理やり手で押し込む。たこ、チーズ、キムチ、キャベツ、豚肉インたこ焼きを味わうが、思っていたよりも美味い。
しかし、とにかく熱い。
少しでも冷まそうと上を向き、誕生日ケーキの蝋燭の火を百本一気に消すような勢いで息を吹く。
「そっちのも一個もらっていい?」
「おふ……おぅ……う」
まともに話せなかったが、さすが工藤。俺の了承のサインを正確に察知し、俺のたこ焼きを二個とっていく。ん? ……おかしいな、一個と一個の交換じゃなかったのか。あれ? どんどん俺のたこ焼きがなくなっていく。
「身体は資本なんだから、辛い時こそ喰わなきゃダメだよ。……それで、どうしたの?」
ほんとうに美味しそうにたこ焼きを頬張る工藤を見て、すっかり片桐は毒気を抜かれる。
張りつめていた神経も緩和され、真剣な眼差しで俺が言葉を紡ぐのを信じきっている工藤の眼を見つめ返す。
しょうがねぇな、と躊躇いながらも自分の心情を語りだす。
「海野香織の話は、したことあるよな。そのことなんだけど」
なんて言えばいいんだ。工藤と別れたばかりの宮崎は手が早くて、もう海野といい感じで楽しそうだったぜ。そして、なんだかそんなの腑に落ちなくて、ちょっとイライラしてるんだ。……なんて言えない。
そんな無神経な莫迦にはなりきれない。好きな相手なら尚更だ。
「……気づいてた? 片桐最近、海野さんの話ばっかしてるんだよ」
達観しているような、悲哀のような笑みを工藤は浮かべる。
切なそうに見えるのは俺の目の錯覚だろうか。それでも、なぜか、今、この瞬間の表情の工藤を今までで、一番綺麗だと思った。
「いやー、妬けちゃうね。片桐がそんなに想ってくれる海野ちゃんってどんな人なんだろ。ちょっと、会ってみたくなっちゃった」
工藤は、アツい、アツい、といつものおちゃらけた調子で、右手を団扇代わりに扇ぐ。
ちがう、そんなんじゃない。何言ってんだ。俺が好きなのはお前だ! と思わず自分の気持ちを口走りそうになるが、工藤は、
「どうすればいいかを考えるのはきっと大切なことだよ。……けどさ、それで何も考えつかないことだって、絶対に人生の中で何度も何度もある」
工藤はいつも自信満々で、どんなこともやってのけて、悩みなんてないものだと思っていた。けれど、本当は俺と一緒で何かを悩んでいたのか。いや、そんなはずない。俺の悩みに比べたらっ! なんて思ってしまう自分がいる。
「――だって、私の十三年という年月の中でも、既に数えきれないぐらいあるからさ」
さっきの工藤らしからぬ表情だって初めて見た。
今更になって、工藤のことを少しだけ知れた気がする。
そう、本当に、今更だ。
「だからさ、解らないものは解らないままでいいじゃん。壁にぶつかってから、そんなの考えればいいんだよ」
ふふん、と腕を組み、そして胸を張る。
工藤らしく、真っ直ぐで、単純で、ガサツな物言い。それでも俺の心に突き刺さった。惚れた弱みってやつだろうか。
ああ、俺は何をうじうじ悩んでいたんだろうな。
海野がどんなことをしたって、俺にとって海野は海野だ。それは変わらない。もしも、海野が宮崎と付き合うようになったら、工藤と宮崎がカップルになった、時みたいに祝福すればいいじゃないか。
それがもしも出来なかったら、その時自分が何をすべきなのか考えればいい。
「ありがとな、工藤」
「ん。礼には及ばないって! まったく、片桐は解りやすいんだから。口に出さなくても、表情に出やすいってゆーか、今日昼飯食ってるときだって、どっか遠くの方見てたでしょ!」
「よく……そんなところ見てるな」
一たす一は二。そんな誰でも答えられる、当然のことをいうかのごとく、はっきりと工藤は言う。
「だって、友達でしょ! 私たち」
突然吹いた風に工藤の髪は揺られ、表情が読み取れなかった。
けれど、俺は納得してしまった。
そうだよな、俺と工藤は今までも、そしてこれからもいい友達なんだよな。
それが工藤の出した結果なんだ。
いつもガサツで学校の成績も芳しくない工藤だけど、実は人の機微にとても敏感で聡い。俺の思考を読んで、自分から断ち切ったに違いない。
あっさりと、そしてばっさりスパッと刀で斬られた気分。だけど、泣かない。身体を捩りたいぐらい痛くても、叫ばない。血が噴き出しても、それは毛ほどにも工藤に悟られちゃいけない。
――だって、この世で一番格好つけたい人が、俺の目の前にいるから。
「青のりついてるぞ」
「へっ、嘘!」
手で勢いよく歯をこする工藤を見て、俺は微苦笑する。
片方の手で爪楊枝を使って青のりをとって、もう一方の手で青のりをとる動作を覆い隠すとか、便所に行って青のりをとってくるとかすればいいのに、なんとも男らしい奴だ。
「ほんと、工藤らしいよ」
泣きだしそうな情けない顔を見せないように、立ち上がって、工藤に背を向けるように身体を翻す。
「もう、行くの? 片桐のたこ焼き、まだ、一個だけ残ってるけど」
「ああ、行くよ」
そっか……と残念そうな工藤の声音に後ろ髪をひかれるが、振り返らない。踏ん張って、唇を噛み締める。ここから先は、後ろを振り返っちゃいけない。
「ちょっと待って!」
「どうした?」
工藤らしくないその必死さに、振り返りたい衝動を必死で抑える。
「覚えている? 私と片桐が初めて会った時のこと」
不意を突く質問に驚く。
「……忘れたよ」
嘘だ。忘れるはずがない。
工藤と初めて会った時、俺は、下級生を虐めていた奴を打ん殴っていた。
虐めていた奴は小学校では有名な奴で、不良のような相貌で目立っていた俺に、いつも喧嘩腰だった。俺は無視していたのだが、下級生を集団でリンチしている場面に出くわし、怒り心頭に達した。
圧倒的差で、ボコボコにしていると、そいつの仲間も、虐められていた奴もいつの間にか逃げ出していた。
もう、殴らなくてもいいとは頭の中ではわかっていても、アドレナリンが分泌されていて、自分では止められない。
そんな状況で、面識のなかった工藤が臆せず俺を制止した。そのまま工藤はやり過ぎだと俺を説教した。
ここまで真正面からぶつかってきた人間は初めてで、そして、憧れた。こういう風に誰とでも分け隔てなく接したいって思った。
その感情はいつの間にか愛情へと変化したけれど、本当は勘違いだったのかも知れない。
工藤とはもう、絶対に付き合えないって解って、なにかが吹っ切れた気がする。
……きっと、尊敬と愛慕の感情を履き違えていただけなんだ。
「じゃあな」
工藤にそして、さっきまでの自分にお別れを告げる。
俺は、前だけ見続ける。
みっともない今の顔を、晒すわけにはいかない。




