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海のキャンバス  作者: 魔桜
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同族 vol.1


 夕焼けは二つ。空に浮かんだ半熟の卵焼きのような、輪郭の曖昧な円を描く夕焼けと、海に反射して映った、更に歪な形状な月がもう一つ。

上はそのまんま目玉焼きのよう。下の卵焼きは、目玉焼きを作る際に失敗して、卵黄が潰れてしまったかのようだ。

 邪魔な靴と靴下をそこら辺にぽいと脱ぎ捨て、足を砂に着けると、ひんやり冷たくて気持ちいい感触。流石に、鞄には貴重品も入っているので、投げ捨てはしない。

 砂浜に建てられた、粗末で小さな木製の休憩所は、高床式倉庫のように、ぶくぶくと太っている丸太が土台を支えている。

 今は誰もいないが、猛暑になれば、海に泳ぎに来た家族連れやカップルが避暑の場所として、ここを頻繁利用する。

 休憩所には、海のように深い瞳の色をした海野が、マスコット人形のようにちょこんと座っていた。

 こじんまりとした海野が休憩所にいると、いつもは窮屈な休憩所も、広く見えて良さげだ。

 小柄で、黙っていれば、あどけない無垢な小学生にしか見えない、海野の相貌。ギャップを感じざるを得ない、強烈で真剣なその眼差しに、思わず見惚れて立ち尽くす。

 俺はそれから無限のような、刹那のような時間、海野を呆然と眺めていた。そうせざるを得ない厳かな雰囲気は、緊張していながらも、どこか心地よさを感じていた。

 海野は瞬き一つせずに、夕焼けに照らされた海をクロッキー帳に描いていく。シャ、シャと、淀みなく、軽快にすすんでいく鉛筆の音は、耳障りがよく、穏やか波が寄せては引いていく音も相まって、自然と瞼を閉じる。

 ふぅー、と嘆息した音が片桐の鼓膜を揺らす。片桐が視線に気が付いて開眼すると、海野とばっちり目が合う。

「……そこにいたのなら、声ぐらいかけてくださいよ。気が付かなかったじゃないですか」

 集中すると周りが見えなくなる奴はたくさんいるだろうが、海野程集中力がある奴は厄介だ。以前もまた同じような状況があった。

 その時は大声で怒鳴るように呼びかけたのが、海野は全くといって反応しなかった。肩を叩いて呼んだら、虫が止まったかのように、無言で払われた。

 それからは、諦めてしぶしぶ海野の顔を眺めるのに徹することにしたのだが、この女は、自分のした不遜な態度を失念してしまったのだろうか。

 有沢に第二美術室を追い出され以来、海野は放課後毎日こうしてデッサンを描いている。別に片桐さんが気にする必要ないです。どうせこの件がなくても、海の絵を現地で描こうと思っていたから丁度いいです。

 ……なんて強がってだけど、放っておけるわけねぇよな。

 まあ、ちょうどいい暇つぶしにもなるしな。

「あーあ、どうして私、片桐くんと一緒にいるんでしょうね。もしもこれが、宮崎くんだったらどれだけ幸せだったか」

 ひでぇ言われ様だ。

「悪かったな、俺が宮崎じゃなくてよ」

 最近、海野とばかり一緒に居る気がする。そのせいで宮崎に、あいつだけは止めとけ。危険な奴だ……と、耳がたこになるまで咎められている。

 ……そういえば有沢も似たようなことを言っていた気がするが、それは、海野の本質を見ていないだけだ。

 こいつは、他人に対して、積極的に害を為すような独特な趣味は持ちあわていなし、そんなくだらない軽挙な行動をするなんて、未来永劫ありえないだろう。

 そりゃあ、俺に向かって罵詈雑言を浴びせることはしょっちゅうだし、明確な根拠を提示できる訳でもない。

 だけど、気兼ねなく悪口を交わせるのは、ある意味では俺たちの仲の良さを証左していることなんじゃねぇかなって最近思うようになったんだ。

 だって俺は、宮崎や工藤にすら、ここまで心を許したことがないような気がするんだ。肩肘張らずに自分の本音をぶつけられる相手ってのは、それだけで稀少で、それだけ俺にとって――特別な存在なんじゃねぇかなってな。

 認めなくねぇし、口が裂けても海野本人の前では明言できねぇだろうがな。

 だが、だからこそ毎日のように「宮崎くんだったら」みてぇに同じセリフをリピートさせられれば、辟易するのは自明の理だ。そのせいか、海野の口から宮崎の名前が出ると無性に腹が立つ。

「宮崎には告白しなくていいのか?」

 自分で言っていて莫迦らしくなってくる。お前こそどうなんだ? 工藤に想いを告げなくていいのか? そんなことできっこないっては、自分自身が良く分かっている。ただ単純に俺は、海野が困る姿を見たかっただけなのかも知れない。

 効果は覿面。海野が苦しそうに眉を顰めるのを見て、自分の愚行を即座に後悔する。普段勝気なこいつが、沈んだ姿を見せるなんて卑怯だろ。

 すぐに頭を下げられない、俺の無駄に高いプライドが絡み付いて、身動きが取れない。そんな風にしていたら、もう謝るタイミングを逃してしまった。

「そんなの、できっこないです。私が何より一番恐れているのは、宮崎さんにふられるって、そんなことじゃないんですよ……」

 伏し目がちに話す海野は、今にも泣きそうなぐらい声が震えている。

「私が一番恐いことは、私が告白して、その結果、宮崎さんを困らせてしまうことです。どうすれば上手くこの子をふることができるんだろうって、少しは考えるじゃないですか……。そんな困惑している宮崎さんの姿、想像もしたくないですよ」

 宮崎はお前のことを嫌っていて躊躇なくふるからそんな心配しなくていいぜ、と軽快に話し出すほど俺も無神経じゃない。

 そうだよな、俺が工藤に告ったところで、マイナスこそあれ、プラスな点なんて一個もない。あるとすれば、自分では抱えきれない想いが解消されるってことぐらいか。そんな利己的なことは、好きな相手なら尚更できない。

「それに、告白できない理由はもう一つあるんです。それは、私が自分の気持ちを吐露した後、きっと、三人の関係が気まずくなると思うんです。宮崎さんと、工藤さんと、片桐さんが今までのような関係でなくなるかも知れません」

 どうしてだろうな、少しだけ微笑が零れる。

 ……そうか、嬉しいんだ。海野は自分だけでなく、俺達のことも考えてくれている、たったそれだけのことでこんなにも嬉しいんだ。

 単純で単細胞だって? ははっ、そうかもな。


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