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海のキャンバス  作者: 魔桜
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喧嘩の美学

 人が吹っ飛ぶ光景を何度見ただろう。

 腕力だけに重点を置かずに、殴るテクニックにも注意を払う。

 相手の攻撃の間隙を縫い、自分の拳と相手の拳を交差するように突き出す。そして、相手の顎に向って拳を内側に抉りこむ様に突き出す。その時重要なのは、殴る対象物の、更に奥に的があると仮定すること。そして、躊躇なく拳を振り抜くことだ。

 一番大切なのは、下半身に力を入れること。

 軸足は地面を掴むように踏ん張り、もう片方の足は、力いっぱい踏み出す。

 それらの要素が見事に合致させることができれば、全ての力はどこかに逃げていかず、相手の身体に衝撃が吸収される。

 だが、相手の拳が先に届けば、手痛いどころでは済まない。

 ハイリスク・ハイリターン。

 退屈な日常を紛らわすには、刹那の快楽も必要だ。人をグチャグチャにすることができれば、俺の身体がどうなろうと構わない。

 俺は何の格闘技も習っていないが、幸か不幸か、路上での喧嘩は常勝無敗。喧嘩した中には格闘技の経験者もいたが、小細工なしで打ん殴る。それだけで、全ては終わる。

 だけど、殴れば殴るほどに心が荒んでいく。高揚し終わった後に、憂鬱になる。それでも、家に引きこもっているよりは有意義だ。

 家に居ると、姉の説教が煩わしい。それに……思えば、会話らしい会話もここ数年していない。

 そうなると、必然的に自室に籠ることになる。

 そして俺は、灯りをつけずに何時間も体育座りをしている。

 何をするわけでもなく目を瞑っている。そして遅ればせながら、殴った相手の、恐怖に脅えた表情を思い出す。自己嫌悪に陥りながら、いつの間にか寝入っている。

 いつも、そんな日々をひたすら繰り返す。

 自分でも何がしたいのか分からないが、他にやることも思いつかない。

 夜中の裏道をふらふら歩いていれば、酒に酔って吐瀉物をコンクリートにぶちまけている奴か、度胸試しに突っ掛かってくる奴がいる。どこにいても、そういう屑は、湧いて出てくるように居る。

 そして、難癖をつけた奴等だけを、半殺しにする。どうせそいつらも俺と同じだ。存在そのものが邪魔。殴っていても、誰も止めようともしない。

 三日月よりも細い、なんと呼べばいいのか分からない不恰好な月は、夜空が笑っているようにも見える。

 俺みたいな屑人間をケラケラ嘲笑しているのだろうか。もしも、月に、あの空に手が届くなら、この手で思いっきりぶん殴ってやりたい。

 見覚えのない薄暗い裏道。古びた街灯は、灯りが点いたり消えたりし、眼がチカチカする。

 名前も分からない小さな虫は、点々と立っている電灯に向かって体当たりしていき、生命力の弱い虫から地面に墜落していく。電灯にぶつかり、死ぬ前に耳障りな音を残す。一寸の虫にも五分の魂とは、よく言ったものだ。

 街路樹も同じように、何本も直線に植えられていて、今は人通り少ない。昔は、そこそこ活気のある場所だったのかも知れない。それとも、夜という時間帯で、ひと気がないだけか。……俺にとっては、どうでもいいことだが。

 いつも人を殴りたい、という衝動に駆られるわけじゃない。今日は単純に、喉の渇きを潤す為に、コンビニへと足を運んだ。

 こまめに水分を補給しないと、本当に倒れそうになるぐらいの暑さ。梅雨が始まったばかりだというのに、このままじゃ、先が思いやられる。

 夜風に当たり、少しは暑さを紛らわすことに成功したが、面倒事に巻き込まれてしまった。

 コンビニで、お目当てのコーラを購入。そこまでは何事もなかった。

 その帰りの道中。中年のサラリーマンのおっさんが、この路地に連れて行かれるのを、俺は視認してしまった。

 見た目からして、高校生の不良集団。

 恐らくカツアゲだろう。

 面倒なことこの上ないが、純粋な親切心から、おっさんを助けてやることにした。

 基本的に俺は他人に優しく、自分に厳しい人間だ。

 初対面であるおっさんの為にここまでするなんて、俺はなんていい奴なんだ。ふっ……。

 それに、弱い奴らが徒党を組んで、弱者を一方的にいたぶるのは気に食わない。俺は、一人の人間が、自分より強そうな連中を打ん殴ることこそに、喧嘩の美学を感じる。

 ――てぇ。

 痛みを感じ、自分の拳を見下ろすと、皮膚の表面が切れて流血している。不良の顔面を思いっきり、殴打し、前歯が突き刺さった痕だ。潰れたトマトのような皮下組織が、露わになっている。

 遠目からは、不良の返り血が手にベットリついていて、そんな傷は見えないぐらいに、拳は血に染まっている。他に目立った外傷もないので、今回も病院に行かないで済むことに胸を撫で下ろす。

 医者もプロなのだから、殴った跡、殴られた跡はすぐに分かる。一度、警察を呼ばれそうになった苦い思い出があるので、極力病院は避けている。

 自室には自分専用で、必要最低限に抑えている医療キットがある。もしもの時の為のもので、あまり頻繁に使用はしないが、今回は一応、消毒ぐらいはしといた方がいいだろう。

 足に違和感があると思ったら、かつあげされそうになっていたおっさんが、俺の足に縋り付いていた。

「ひぃぃぃ、たす、け。たすけてくださあああいい」

 擦れた声で泣き叫びながら、おっさんは財布を俺に差し出してくる。みっともない土下座のオマケつきで。

 俺の見た目からか、不良共の仲間割れとでも勘違いしたのだろう。こんな風に自分が善意でやった行動が、報われないことは大して珍しくもない。だけど、こんな風に本気で脅えられると、正直いい気分がしないのも確かだ。

 露骨に舌打ちし、おっさんに唾を吐く。

 生意気にも顔についた唾をスーツの裾で拭く姿に、自分の中の何かがぷっつり切れる。

 おっさんの頭をサッカーボールに見立てる。

 センターラインから蹴るかのように、とてつもない威力の蹴りを、浴びせる。血反吐を吐いて、顔の原型が分からなくなるぐらい。ぐちゃぐちゃに、自分の靴が赤く染まるまで、何度も、何度も、何度も。

 許しを請うおっさんは、痛みのあまり、悲鳴すら次第に上げなくなっていく。

 それでも満足できない俺は、今度は腹を蹴りだす。身体の上から順番に。最初は胸からシュートしようかと思ったが、腹の方が蹴り易い。一通り身体を蹴り終わったら、胸も蹴ろう。そう計画すると、安心して腹を蹴る。

 あは、あはははははははは。

 ――というのは、勿論頭の中だけで留めておく。

 実行したいのが本音だが、流石に少年院送りは御免被る。

 なにより、このおっさんの反応は正しい。

 冷静に考えて、俺のやったことは世間的に見れば、正しい行為とは言えない。普通なら、普通の人間なら、警察を呼んで、助けを待つ。それが一般的で、消極的で、想像力の欠如したやり方だ。

 警察を呼んで、それでおっさんは救われるのか? 携帯を持っていない俺は、ひとまずコンビニに引き返さなければならない。そして、そこのコンビニの電話を借りて、警察を呼ぶ。

 だが、ここに到着するまでどのくらい時間がかかるだろうか。生まれてから地元に住んでいる、俺ですらこの場所は分かりづらい。

 ましてや、交番に配置される人員は、完全にランダム。交番勤務を任されたばかりの新人なら、敢えて地元以外の地に派遣される。春が終わったばかりの今なら、確実にこの場所を把握しているとは思えない。

 それに、杓子定規なお役所仕事のあいつ等は、ここぞという時に、臨機応変な対応をしてくれない。電話越しの事情を訊く時点で、数分はかかるだろう。それは今までの経験で明らかだ。

 サラリーマン風のおっさんを恐喝していた男三人は、地面に伏したまま、ピクリとも動かない。その近くには、買ったばかりのコーラの空き缶が倒れていた。

 不良を殴った際に、握っていたコーラはへ込んだ。中身は完全に空っぽ。

 突風のような、一際強い風が吹く。

 夏に入ったばかりで、半袖では少し肌寒い。その風は、コロコロ空き缶を転がす。

 ふいに零れた嘆息は、きっと一口も飲むことが出来なかったコーラが原因だ。そうに決まっている。

 もう一度おっさんの顔を見る。その顔からは怯えの表情しか読み取れない。

 遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。任意同行、または補導される前に、俺はとっととその場から遁走した。



何か意見があったら、気兼ねなくおっしゃてください。

よろしくお願いします。

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