キャンプめし
当日は雲一つない絶好のキャンプ日和だった。俺たち男子組は奥田の親父さんの高そうで快適な七人乗りのSUV車に乗って目的地にたどり着いた。渓流沿いのあまり有名でない小さなキャンプ場で、それだけに知る人ぞ知る穴場のキャンプ場らしい。
山の空気は清冽で、どこまでも長閑な山と空と川。車を降りた途端、まるで意識が入れ替わったかのように、煩雑な思考が遠のいていく。
「おおー」
「んんーっ」
「空気んめー」
車中で縮こまっていた状況からの開放感のあまり、大きく息を漏らしたのは俺だけではない。みな一斉に伸びをしたり深呼吸して、山の新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
キャンプ道具を貸してくれ、送迎までかって出てくれた奥田父は、根っからのアウトドア派で、車の中でもテントの設営方法や、バーナーの扱い方、炭火の熾し方などを丁寧に俺たちに教えてくれた。現地に着くと、今回はあくまで俺たちが主役となるよう、まずは全部自分たちでやってみなさい、と荷物運びから一切手を出そうとはせず、足りないところだけを指示してくれるやり方は逆に頼もしかった。もっとも、父と一緒にキャンプを重ねてきたという奥田陽も手慣れたもので、父親の出る幕など実際ほとんどなかったのだが。
女子連中は俺たちがテントを設営している最中にハセミナ父の車で到着して、合流した。俺たちはテント泊だが女子たちはバンガローを借りるらしい。荷物をバンガローに運び込んだあとで、俺たちのサイトにやってきた。
「こんにちわー」
「今日はお世話になりまーす」
高城修子と、新田遥菜が同時に奥田父と吉野父に挨拶。少し遅れて後からやってきたのが長谷川美奈子とその父、御蔵島梢子、そして柚原美梨花だった。
みなそれぞれ挨拶を済ませて、その後思い思いの位置にキャンプ椅子を設えたり、シートを敷いたりして座った。
総勢十三名が揃い、とりあえず乾杯のあとキャンプ飯の準備をはじめることとなった。
まずは定番のバーベキューの支度。男子たちは火を熾し、女子たちは野菜を刻む。誰が采配するでもなくそんな役割に自然となる。だが十人も居れば誰かは仕事にあぶれることになる。正直、火熾しに男手五人は不要である。というか俺たちがちょっと戯れているわずかな間に、奥田がたった一人でテキパキと作業を遂行していた。
俺は近くによって、筒のようなものの中で赤々と熾った炭火を眺める。
以前親戚の兄ちゃんとキャンプをしたときはバーベキューの準備ができているのに炭に火がなかなか着かなくてみながイライラしていたことを思い出す。
「手慣れたもんだな」
「こんなの放っておいたって着くさ」
「僕、魚釣ってきたいんすけど」
西本がとつぜん名乗りをあげて立ち上がる。さて俺はどうしたものかと恐る恐る柚原を見れば――。
これ以上気まずいことはないという表情を俺に向けている。
俺はキョトンとして柚原を覗き込む。
そうこうしているうちに、なんだか必死な形相の西本はどこかへびゅーっと走り去っていった。
柚原はそれを目で追いながら、こんどは俺にも目をきつく瞑ったりして、しきりにヘコヘコしているので傍に寄っていって野菜切りを手伝いながら、
「何、どうしたの?」と小声で遠慮がちに聞く。
「実は……さ」柚原が決まり悪そうに「ミナコが聞いてたらしくてね」
「何を?」
「だから、あのときのわたしとユウイくんの会話を」
「あのとき?」
「したでしょ、その……岩魚、の話?」
「えっ、あの時いたの? ハセミナが?」
その会話をしたとき確か周囲には誰もいなかったと思うが。
忍者か。
「ハセミナって呼んでるんだ」
「いや、吉野がね」
「……まあいいわ。でミナコがたまたま――たまっ、たまよ? 西本くんにそれを話してしまって……」
「なぜ西本なんかに。仲いいの彼ら?」
「いや、だから、選択授業かなんかでたまったま一緒になって、ポロッと漏らしちゃったらしいのよ」
「柚原が岩魚茶漬を所望していると? それであいつ俺に電話してきたのか……」
「電話? してきたの? ユウイくんに?」
「『岩魚の釣り方教えてくれ』って」
「……ほんの冗談のつもりだったんだけどな」
「いやあれ冗談にはあまり聞こえなかったけどな。うん」
「嘘……ユウイくんも本気にした?」
あれはふつうそう思うだろう。逆にそんなに瞠目されるとこっちが困惑してしまう。
「ていうか、岩魚茶のビジュアル妄想して、相当興奮しましたからね?」
「あはははっ」
「いや笑いごっちゃねえぞ」
「ご、ごめんなさい」
気づけばいつしか柚原は俺のことを自然に名前呼びしている。
くすぐったいような複雑な心もちだ。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
「ふたりとも、ご歓談中すいませんが」
はっとして見ると高城修子が対面からぐっと身を乗り出して、
「手を動かす」
「は、はいっ!」
高城は万事につけテキパキとしている。物事がスムーズに運ばないと我慢がならない質のようだ。クラスの中でも一目置かれていて、仕切り上手というのだろうか、彼女が行事の取りまとめ役になると必ずうまくいくことになっている。だから誰もが高城の言うことには素直にしたがう。
「はい安藤くんこれ洗ってきて」
とぶっきらぼうにザルを差し出す。
「り、了解」
高城からザルに入れたヤサイを受け取った俺は、洗い場に行って洗ったのち、再び戻ってきた。すると高城はすでにどこかへ行って、かわりに新田遥菜がそこにいた。
「これ、洗ってきたけど」と手渡す。
「あっ、ありがと」
高城からすでに指示を受けていたらしく、受け取って手際よく切りはじめる。
「止めた方が……いいのかしら?」
と柚原が西本の去っていった方角を見やる。
確かに、この場の雰囲気からすると、西本がとった単独行動がいささか浮いているのは否めない。仮に西本が首尾よく岩魚を釣って帰ってきたとしよう。それをこの全員の目の前で、柚原だけに差し出すのか? そのとき柚原はどんな顔をしたらいい?
いや、運が良ければ二、三尾は釣れるかもしれない。
そうしたら五等分くらいにして、少ないけど女子だけに珍しげな茶漬をふるまうことが可能かもしれない。
「わたし、お茶漬の支度なんてしてこなかったよ」
柚原が申し訳なさそうに言う。
「あーそれな」
俺はリュックから茶漬の素と山葵チューブを出してきて、黙って柚原に手渡した。
「山葵はおまけだ。糸三葉と白胡麻はないけどな」
「なんでユウイくんがこれを?」
「何か勘違いしてて、たまたまだ」
目をぱちくりさせて、柚原は丸谷園のお茶漬けの素を受け取った。
「まあ……西本は好きにさせとけよ。いいとこ見せたいんだよ」
「誰によ?」
「決まってるだろ。みんなにだよ」
本当は柚原に対してなのだ。柚原はとっくに西本の気持ちに気がついているのかもしれないが、俺の口からそれは言えない。
俺が男子連中のもとへ戻ると、奥田が飯を炊く準備をしていた。親父ーズの三人は、飯が出来る前から早速ビールをあけてウィーな状態になりつつある。
「飯盒で炊くんじゃねえの?」
奥田が取り出した飯を炊く容器は、俺のよく知っている潰れたツブれた円筒みたいなあの飯盒とは違って、取手のついた四角い弁当箱のようなものだった。弁当箱は全部で三つあった。
「今はコレが主流なんだよ」
と、奥田は拳骨の中指を尖らせ、カンカンと叩いてみせる。
「へえ……」
手に取ってしげしげと見ると、本当にデカいアルミの弁当箱に取っ手がついているだけの単純なハコだった。
「はいこれ。研いできて」
奥田からザルに入った米を渡される。この中には俺が母からもらった米も入っているはずだ。
「また洗い場に行くの?」
「早よ行け」
「へいへい」
俺はザルをもって再び洗い場に走った。