気安く呼ぶな
打合せのあと、皆で廊下を歩いていると、その噂のジェネ子とハセミナと柚原美梨花が連れだってやってきた。
「おっと」
慌てて避ける。わざとらしい声が出たのはさきほどまで男子の間に蔓延していたジェネ子敬遠の雰囲気を悟られないようにという意識のせいかもしれない。彼女たちは一瞬不審そうな表情をするも、何事もなかったようにすれ違っていこうとする。
「あっ……」
と溜息にも似た声を発したのは柚原。すれ違いざま、忘れていたことを思い出したときのようなその声を俺は背中で聞いた。おそらく俺に向けて発したのは間違いないと振り向けば、
「ユウイくん!」
「ああ」
と俺も溜息をもらす。
手を額に当てて、おそらくは柚原とは違う意味で。
人前でその呼び方は、やっぱりよして欲しかった、と。
見渡せば案の定、生白い視線が男どもから俺に一点集中しているではないですか。特に西本、白い目どころか真っ赤に血走っている。
俺が恨めしげな表情をしていることに気がついたのだろう。悪戯な目をした猫はニッと口角を上げた。
「……ナンダヨ」
「明日、よろしくねっ」
と恣意的な態度満開である。
よろしくなんて言われたって、三阡圓なんていう無駄な出費は僕には不可能です。月子さんの資金援助は断ってしまいましたからね。というか昨日スーパーYASUIで海苔茶漬のモト、もう買っちゃいました。もちろんトイペの税も含め自腹でです。だから大人しく安い茶漬を堪能してください。
あれ、ところで今思い出したが、茶漬の素はたしかそっちが用意するとか言ってたような言ってなかったような?
「うむむ……まあいいか」
柚原は明日よろしくと言うためだけに俺を呼び止めたのか。いや、本能的に悟った。これはあれだ――人前で俺が柚原に名前呼びされてどういう反応をするのかを確かめたかったのだ。一緒にいた女子ふたりは俺と柚原の距離感をわかっていない。よもやあらぬ誤解などはしていないだろうが、柚原が俺を『ユウイくん』と呼んだことに何の違和感も抱いていない様子。この猫娘は俺に際どいことを言って反応を楽しむという行為を日常的に行なっているだけなのだ。これ以上この女に遊ばれてはたまらんと俺はやや本気モードで柚原美梨花を睨みつけると、当の本人はあさっての方向を向いてハセミナと何やらヒソヒソ話をしている。
必然、浮いた格好になった残りの女子が俺の目線を正面から受け止めて、
「何よ」
と言った。そう。どういうわけか目が合ってしまい折角なので何かひとこと。
「えーと、御蔵島さんも……あ、明日はよろしくね」
「気安く呼ぶなっ!」
そうしてジェネ子はまるで気分を害したように一人その場から離脱し廊下を去って行った。
うん。たぶん、気分を害したんだろう。
「……」
見れば柚原が口を手で押さえて笑いを噛み殺していた。
女子たちが去るのをニコニコと見送ったのち、背後から亡霊のような声が響く。
「ユウイくん? キミの首、絞めてもいいかナ?」
血走った西本がワナワナしていた。