いわば猫的な
「おーい、ユウイ!」
学校に向かう道すがら、後ろから追いついてきたのは同じクラスの西本徳二だった。
「おー西本。お早う……」
「何だよユウイその寝ぼけ声は」
「元々こういう声なの」
「なあなあ。今度のキャンプだけどさ」
「キャンプがどうかしたか」
「柚原さん、来るかな」
「それは俺じゃなくて柚原に聞け」
「聞けるわけないだろ」
「なら聞くな」
「冷てえ、冷たすぎるよ。お前は……」
と、絶望に打ちひしがれたように、大袈裟に項垂れる。
「どう答えたら満足なんだ」
西本は俺の袖に取りすがって、
「来るかもな、くらいにとどめておけば当たり障りないだろ」
涙声にさえなっているのは何の演出か。
「お前俺に当たり障りのないことを言って欲しいのか」
「そうじゃないけど!」
「来るかもなと言うのは簡単だがそれは来ないかもなと言うのと同じことだ。何も言っていないのと一緒だ」
急に真顔に戻った西本は、
「相変わらず、理屈っぽいやつだナ」
今日はとくべつ寝起きが悪く、実はまだ目が覚めていない気分で、本調子が出ない。いつもの俺なら西本など徹底的に言葉でドツキ倒してやるところだが今日は気のりがしない。俺が寝ぼけているという指摘はあながち誤りではない。そこへまたも、同じクラスの吉野聡と奥田陽がやってきた。
吉野は小声でひそかに言った。
「おい。オッケー出たぞ、柚原さん」
「まじかっ!」
西本が細い目を限界まで見開いて輝かせた。
「まじまじ」
「くーーー。やった!」
指パッチンして喜ぶ西本。
西本は入学当初から柚原に片恋をし続けていて、言い出せぬまま現在に至る。もしもこのキャンプに誘うことが叶えば、今回こそはその機に告白するのだと重大な決意をしているようだ。
家族にはああ言ったが、次の土日に予定されている一泊二日のキャンプは、実は一年二組の男女有志による合同企画で、男子五名、女子五名、そして大人三名が参加する予定だ。むろん俺以外については、男女合同でキャンプすることを各々の両親が了承済みとなっている。
俺はちょっと説明が面倒臭くて、結局メンバーに女子がいることを言えなかった。というかあの母親と姉にそんなことを言ったら、何を勘繰られるかわからない。
そもそもこの話、吉野聡と幼馴染みで家族ぐるみの付き合いだという長谷川美奈子が言い出しっぺらしい。それで、男子側の幹事を引き受けた吉野が、キャンプ経験豊富だという奥田陽に声をかけたところ、奥田の親父さんも乗り気になって、トントン拍子に話しが進んだのだそうだ。長谷川、吉野、奥田の親父さんたち三人が参加、監督するということで女子たちの親も参加を許したようである。
ちなみに今回柚原の参加が成立したのは、柚原と仲のよい長谷川美奈子が参加していたことが大きい。『ミナコが一緒に行くのなら……』ということで、彼女も承諾したのだとか。
ほかにキャンプ参加メンバーとして吉野から報告を受けている女子は、高城修子、そして新田遥菜、の二名だった。
「で」
いつの間にか横に並んで歩いていた男子参加メンバーのひとり、三原吾郎が吉野に尋ねた。
「女子の残りの一人は結局誰なの?」
「うーん」
吉野は最後まで女子の参加メンバーの一人を内緒にしておきたいらしい。
◇
教室に入ると俺はまっすぐに自分の席へと向かった。
着席すると後ろの席の女子が声をかけてきた。
「おはよ。安藤くん」
「お早う、柚原」
俺は着席した体を九十度回転させる。そう、俺の真後ろの席に座っているのが、柚原美梨花なのである。彼女はいわゆるクラスのアイドル的存在。おそらく学年でもトップレベルの美貌を誇る人気者である。クラス内での成績は中の上、といったところだが俺は彼女がもっと『デキる』のを隠しているのではないかと信じている。まったく彼女は頭が良い。会話の端々にも機知に富んだ彼女の本心が見え隠れするし、成績などでは計れない、人としての賢さも持っている。
「オーケーしたんだってな、キャンプ」
「うん」
「柚原は行かないだろうと思っていた」
「どうして?」
「いや、なんとなくだけど」
「ちょっと興味があってね」
「何に」
「んー。男子」
「はあ?」
「の面子の中の一人?」
そう言って楽しそうに俺を見あげる。
語尾上げ言葉はこの場合破壊力満点だった。
「安藤くんってさ」
しみじみとした口調で。
「な、何?」
後ろの席から猫が伸びをするみたく身を乗り出してくる。俺が多少構え気味に引くと、耳もとで、
「カッコいいよねえ……」
「え……」
「名前が」
ぐ……。
今日は絡みかたがいつもとひと味違う、お茶目な人気者さん。一体何があった。
「『優威』って、優しいけど、でも威厳も持ち合わせている──そんな人に育って欲しいっていうご両親の願いとか?」
「いやもっと安易な感じだと思うけど」
字面は後付けなのだ。俺の場合は。
「そっか」
と柚原は納得したように頷く。
「わたしも、名前で呼ぼうかなあ……。西本くんたちみたいに『ユウイくん』って」
「お願いだからやめてくれ」
「どうして?」
「少なく見積もっても三十人くらいから袋に遭いそうだから」
「そうなの?」
驚いたように目を見開いて、ころころっと笑った。
半ば強引に会話を切って前を向きかけると、まだ何か言い足りないのか、
「安藤くんの背中……」
「な、何?」
「大きいね」
「そ……そう?」
たったいまの台詞の語尾にハートマークを幻視したのは気のせいか。
この女子は何が言いたいんだろうなあまったくもう。
そういうことを軽率に言うから、男の子は勘違いしちゃうんだぞ。
そう窘めようとしたところ、
「たまに黒板が、見えない」
ぐ……。
「なんなら今すぐ代わってやろうか? 机持って移動しちゃう?」
「いや、いいわ」
「何で? 全然代わるよ? 俺の背中のせいで黒板が見えないのは申し訳ないからな」
「安藤くんにつねに背後をとられてると思うと、それはそれでもう耐えられそうにない」
何が言いたいんだろうなあまったく。
「ねえ」
「な、何?」
今度は何を言うつもりだ。
もう何を言われても絶対取りあわないぞと決意しつつ。
「そう言えばこの前の数学の小テスト、どうだった?」
そうなのだ。
それに関しては柚原に礼を言っておくべきだった。
予想してもらったヤマが的中して、かなり良い点をとることができたのだった。
「八十五点。教えてもらったところがバッチリ出たよな。助かったよ。ありがとう」
「それはよかった」
と、満足げ。
「柚原は?」
「八十二点。わたしが教えてあげたほうなのに、負けちゃったね。こんどは安藤くんから教えてもらおう。うん」
と勝手に納得して頷いている。
「柚原は」
俺は聞く。彼女は重ねた手の甲に乗せた形のよい顎を傾けて、
「ん?」
「本当はやればもっとデキるのに、なんかセーブしてる気がするな」
「どうしてそう思うの?」
「さあ。なんとなく」
「ふうん」
一応頷き、納得したかはわからないが、言葉を続けた。
「わたしね、自分のリソースを勉強なんかにはあまり割きたくないのよ」
その言葉はハッキリ『やればもっとできる』宣言と捉えてよいだろう。
小憎らしい。
「てことは、なにか他にやりたいことでもあるのか?」
「そうね……。ちょっとうまく言えないけど、友達と遊んだり、安藤くんとこういう会話したりとか、そういうことを真剣にやりたいっていうか」
「はぁ? そんなのそこまで気合入れてまでやるものじゃないだろ……。フツーに当たり前にやればいいんじゃ……」
「当たり前にできる? 本当にそう思う?」
そう言われるとちょっと自信がなくなる。
少しの間考えてから、
「いや、やっぱりフツーにできるはずだ」
遊んだり会話したりはとくに気張ってやるものではないだろう。
そのとおりを返すと、また、
「ふうん」
と言う。こんどの『ふうん』はちょっと不満げな感じが混ざっている。
「今だってね、全身全霊をかけてあなたとの会話に興じているのよわたし」
「うー」
俺は呻いて眉根をよせる。
それだと俺が柚原のリソースをほぼ奪っているということになりはしないか。
苦し紛れに、
「ごめん、俺にはよくわかんないや」
「わたしだってべつに、そこまで明確に意識しているわけじゃあないのよ。まあとにかく、お茶漬けの素はわたしが用意しといてあげるから、よろしくね」
「は?」
「釣ってくれるんでしょ? 岩魚」
柚原美梨花はそして猫みたいに笑った。