もののけ草子 -風の狸-
林に響き渡った、鋼の音。
しばし続く、人のうめき声。
「戯れにもののけを狩るべからず……」
頭上から発せられた重厚な声。
そして――枝が揺れ、物音はしなくなった。
「ちっきしょう、彼奴は化け物か!?」
「もののけだから……、そうだろうよ」
いつの間に斬られたのか――。
傷口からの痛みが身体中を走り、立ち上がる事すら許さない。
もののけ狩りを生業としてきた二人が、こうも簡単にあしらわれるとは。
「なんとまぁ、ふがいない事だ……」
「まったくだぜ……。なっさけないよな、俺ら……」
木々の間から垣間見える三日月の光を、その瞳に映しながらぼんやりと呟いた。
* * *
最近、人間どもによるもののけ狩りが活発になってきた。
昨夜もまた、狸の里が壊滅させられたらしい。
だが、故郷を捨てた我が――仇討ちをするなど、この上無くおこがましい事。
故に先刻は、降りかかる火の粉を払ったまでだ。
「さて、これから……、どこへ行くべきか」
裾と袖に唐草文様が並べられた藍染めの着物を、袴や羽織を一切つけない着流しの『スタイル』で着こなした、角刈りの剣士。
彼は、一際高い杉の木のてっぺんで、三日月を睨みながら途方に暮れた。
「そなたが行くのは、地獄しかあるまいに……」
虫の音が止まった林に、しんしんと雪が降りしきる。
声が聞こえたのは、木の根元から――。
「クックック、忠告も聞けぬバカがもう一人いたか」
「畜生が偉そうに吼える……な!」
フォンと、鋭く空を切る音が鳴った。直後、足元がぐらりと傾く。
「ハッ!」
杉の木が傾いて、倒れてゆく。
角刈りの剣士は、気合いと共に木の幹を力強く蹴り、雪交じりの風に身を躍らせた。
続いて、舞を踊るかのように身体に回転を加え、地に降り立つ。
「バカにしては、少しはやるようだ」
角刈りの剣士は、周りに神経を張り巡らせる。気配は二つ。
――一人は、目の前にいる。
白地に金糸をあしらった有職文様の狩衣を纏った青年。狩衣とは、平安時代の貴族が愛用していた『カジュアルな』普段着である。
一見、良家のお坊ちゃんという感じだが、彼から発する気配は尋常ではない。
「冥土の土産に我の名を知るがいい。我こそは、はぐれ風狸・紋次なり」
「畜生如きが、名など持つな……」
――もう一人は、その坊ちゃんより後ろ。
大木に隠れているつもりなのだろうが、チラチラとこちらを見る際、身体の一部が出ている事に気付いていない。
スミレ色の長い髪と、初秋のこの時期に雪を降らせる能力から察するに、雪女あたりか。
おそらく調伏されて、この者に協力しているのだろう。
もののけが人間に協力して同族を狩るなど、故郷を捨てた我より質が悪い。
ここは――先手必勝。
「畜生と侮った事、後悔するがいい!」
紋次は、身体全体をぐっと落とし、地を這うように疾走。
多くの血を啜った――されど無銘の太刀が、坊ちゃんの足を斬り払おうとする。
「畜生の分際で、よくしゃべる……」
その太刀筋を阻む、月明かりを伝わらせた一筋の銀光。
だが、刃が打ち合った今が、紋次にとって絶好の機であった。
「爆ぜよ! 疾きこと風の如く!」
太刀から荒れ狂う風が一気に放たれる。いきなりの暴風に、坊ちゃんはよろめいた。
「そのまま死すべし!」
「むぅ……」
必殺の袈裟切りを、坊ちゃんは受け流した。これにはさすがに目を丸くする。
そして、坊ちゃんの太刀筋が三日月の形を描いた。
一歩退いてそれを捌き、さらに軽快な『ステップ』で間合いを離す紋次。
しかし――。
「ばっ、ばかな!」
自分に付けられた二つの突き傷と、その痛みを知り、紋次は狼狽える。
何故だ?
確かに、受け止めたはず。
「予の技、三日月。一振りで三太刀の傷を与える伝家の秘剣だ……」
想像以上の狩り手だ。人間でここまでの奴がいたとは――。
「だが! 所詮人間ごときが、我を狩ろうとは笑止!」
風すら吹かない静かな林の夜に、もののけの力による風が荒れ狂い、すべてを吹き飛ばす。
はずだった――。
「ま……さか……」
そう、チラチラと顔を覗かせていた雪女が、吹雪をぶつけて風を相殺したのだ。
「おっ……おのれぃ、この裏切り者がぁ!」
地を蹴り、木の幹を蹴り、坊ちゃんの頭上を越えてその後ろへ迫る。
初めて、もののけの血を啜ろうと、無銘の太刀が風に唸る。
林に溶け込む、か細い悲鳴。
しかし、その刃は彼女に届く事はなかった。
間際、真一文字に払われた坊ちゃんの太刀に、わずかな月明かりが伝った。
痛みも、感じる暇があらばこそ。
上半身と下半身。
真っ二つに別れた我の身体が、その変化を解いた。
* * *
おそるおそる、大木の影から身を出す雪女。
彼女が、しゃがみ込んで手を合わせた先には、うつぶせに倒れ込み動かなくなった血まみれの狸。
「畜生にしては、なかなかであった……」
そう言って、太刀の血糊を拭って鞘へ滑らせる。
「お殿さま……、わたし達もののけは……、みんな死なないと……、いけないの? このタヌキさんも……」
大粒の涙をこぼしながら狸の死体を埋めたそんな雪女に、紋次の持っていた太刀を手にする青年。
「これを見よ……。こやつの持っていた太刀は、多くの罪なき命を奪った。故に、成敗されたのだ……」
そして、土饅頭にその太刀を真っ直ぐに突き立てた。
再び訪れた静かな夜。
その林に佇む太刀の墓標は、誰の目にも止まる事は無かったという。
とある新人賞に落選した長編小説の番外編として書きました。
ライトノベルを意識していますが、外来語の表現をどうすべきか悩んでいます。
とりあえず拙作では『』を使っていますが、どうでしょうか。
現在の実力を知る為に、評価・感想をよろしくお願いしますm(_ _)m