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ほかちめご

作者: 詩から歌詞

 

 季節は夏。

 社会人二年目になる私は、夜行船に乗って、今しがた祖母の家がある離島へと帰ってきた。

 仕事の繁忙期が終わり、ようやく落ち着いてきたので、まとまった休みを取って帰省する事にしたのだ。


 離島の夜は暗い。

 都会から帰ってくると、余計にそう感じる。

 時刻は夜の十一時。

 都会だとまだ賑やかな声が聞こえる時間だが、人口の少ないこの島で起きている人はほとんどいない。

 港にいた受付の女性も、私が降りたのを確認すると、さっさと車に乗ってどこかへ行ってしまった。


 一人になった私は、月明かりだけを頼りに、今は亡き祖母の家へと向かうことにする。

 誰も住んでいない家だが、同じく島に住んでいる叔母がたまに来て掃除をしているらしく、別荘として使うにはちょうどいい。


 さざめく波の音。

 潮の香りが染み付いたアスファルトを辿り、帰路へ着く。

 虫の声と風の音。それ以外は聞こえない。

 暗くて静かな田舎の夜だ。


「なんだか、今日は熱いなぁ」


 あまりの静けさに、怖くなった私は大きく独り言を呟いた。

 ぼうっと、暗闇に声が呑まれた気がして、余計に怖くなってしまう。


 そういえば昔、祖母と手を繋いでこの道を歩いたっけか。

 しわしわの手がやけに熱かったのを覚えている。

 帰省できる夏休みの間、毎日暗くなるギリギリまで遊んでいた私に、祖母はあの話をしたのだ。


「健太郎、夜は『ほかちめご』がおるから。絶対に一人で出歩いちゃいかんよ」


 ほかちめご。

 何だか新しい米の品種のような名前だけれど、幼い頃はその名前がやけに恐ろしく聞こえたものだ。


『ほかち』と言うのは方言で『連れていく』を。

『めご』は『迷子』を表しているらしい。


 ほかちめごはその名前の通り、夜一人で出歩く子供を連れ去ってしまう妖怪である。

 何でも『ほかちめご』は、その子供の親に化けて、着いてきた子供を海へと引きずりこんでしまうのだとか。


 この話が怖くて、私は中学生になっても祖母の言いつけを律儀に守って、完全に暗くなる前に家へと帰るようにしていた。

 私が高校生になる頃には、祖母は病気で都会の病院に入院していたため、終ぞ私が一人で島の夜を歩くことは無かったというわけだ。

 

 今考えれば、あの怪談はよくある躾の類だったのだろう。

 日が沈むまで遊ぶ私を心配した祖母が、私を怖がらせるために作った作り話。


 そう考えると、何だか少し微笑ましく思えて。

 私は、いないであろう『ほかちめご』を探してみることにした。


 岐路を左に行けば祖母の家に着くが、あえて右を選ぶ。

 右の道は鬱蒼とした林があり、そこを抜けると海が見える。

 少しだけ海に浮かぶ月を見たら、改めて祖母の家に向かおう。


 そう決めた私は、松の枯葉が落ちる右の道を進み始めた。

 しゃく、ずなっ。しゃく、ずなっ。

 落ち葉と腐葉土の積もる道を歩く度、不思議な音がする。

 空を見上げると、月に照らされた真っ黒な枝が、今にも襲いかかってきそうだ。


 吸い込まれそうな暗闇と、林の向こうからうっすらと聞こえる烏の鳴き声に。

 私は祖母と手を繋いで歩いた、島の夜の恐ろしさを思い出した。


「よし、やっぱり戻ろう!」


 怖気づいた私は、これまた大きな独り言を呟いて、今来た道を引き返すことにした。

 岐路からここまで、歩いたのは十五分くらいだ。

 大丈夫、今ならすぐに戻れる。

 そう思い、振り返ったその時。


 私の前方に、ぽわっと白い光が見えた。


 車のライトかと思ったが、それにしてはやけにゆっくり近づいてくる。

 それに、ここは車両が入れるような道ではない。


 よく見ると、白い光は人の形をしているように見えた。

 近づいて来るにつれ、その姿が明確になる。

 もやもやとした胴体に、はっきりと手足が付いているのがわかった。


 そして、その人の形をした何かは。


 一人の幼い子供を連れていた。


「……あ、あの!」


 すれ違いざま、私は恐怖で声をひきつらせながら、何かを呼び止める。

 白いもやはピタッと止まり、私の方を振り向いた。


「…………」


 もやは何も言わずに、ただこちらを見ている。

 手を繋いだ子供は、小学一年生くらいの男の子だった。

 男の子は不思議そうな顔をして、白いもやの顔を見上げたあと。


「お母さん、どうしたの?」


 確かに、そう言ったのだ。

 驚くべき事に、男の子にはこの白いモヤが母親に見えているらしい。

 間違いない、こいつは『ほかちめご』だ。


「その子、返してください!」


 確信した私は、震える声でそう叫んだ。

 私の言葉を聞いたほかちめごは、子供の手をぐいぐいと強く引っ張った。


「おいでおいで」


 ぞっとするような声で、ほかちめごが呟く。

 死神がいるとしたら、多分こんな声だ。


「痛い、痛いよお母さん!」


 痛がる子供の声が林に響き、彼の身体がずるずると引きずられていってしまう。

 それが母親に見えているからか、男の子は抵抗しようとしない。


 パニックになった私は、「うわぁぁあ」と叫びながらほかちめごの腕を払おうと試みたが、実態のないその腕はするりとすり抜けた。


 このままでは、この男の子は海へと引きずり込まれてしまう。

 その時、私はふと祖母の言葉を思い出した。


『ほかちめごは赤い物が苦手だから、もし出会ったらこれを投げなさい』


 私は急いで鞄のポケットをまさぐり、それを見つけた。

 幼い私に祖母が持たせてくれた、学業成就の真っ赤なお守り。

 私は祖母の形見でもあるそれを、無我夢中でほかちめご目掛けて投げつけた。


「あぁぁあぁぁぁああ!」


 音がいくつも重なったような、おどろおどろしい叫び声をあげ、ほかちめごは男の子の手を離した。

 男の子が地面に倒れ、きょとんとした顔をする。


「お、お母さん? お母さーん!」


 男の子は母を呼びながらきょろきょろと辺りを見渡すが、当然そこに母親はいない。

 いるのは苦しそうに雄叫びをあげる、真っ白な姿をした化け物だけだ。


「僕、行くよ!」


 私は急いで泣き喚く男の子を抱き抱えると、祖母の家の方向へと走った。

 後ろを振り返る余裕はなく、ただひたすらに前を向いて走る。

 どちゃっ、どちゃっ、どちゃっ、どちゃっ。

 川の水でぬかるんだ土がまとわりつく。


 後ろから同じ音が付いてくるのを感じた私は、走るペースをぐんとあげた。

 久しぶりに走るからか、肺が痛みを訴えた。


 いったい、どれくらい走ったのだろう。

 気づけば後ろからついてくる足音は消えていた。

 恐る恐る振り返るが、そこにあるのは夜の闇だけだ。

 私は目的地だった祖母の家への岐路を通り過ぎ、港前の道路まで出てきていた。


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」


 息切れをする私の顔を、子供が心配そうに見つめる。

 ついこの前まで学生だったと言うのに、我ながら情けない。

 私は子供を地面におろし、「もう大丈夫だ」と自分に言い聞かせるように呟いた。


「おじちゃん、お母さんは?」

「あれは君のお母さんじゃないよ。ほかちめごって、聞いたことないかい?」

「……知ってる。お母さんが夜一人で歩くと、ほかちめごが出るって言ってた」

「そう。あれがほかちめご。またさらわれないように、早くうちに帰らないとね。僕、家はどこかな?」


 男の子はあたりを見渡した後、「あっち」と商店街の方を指さした。

 私は男の子の手を握って、商店街へ向かって歩き始めた。

 しばらくすると、人影が前から走ってくるのが見えた。

 思わずぎょっとしたが、人影の姿は白いもやではなく、ちゃんとした人間だった。


「めぐ!」

「お母さん!」


 走ってきた母親らしき人物は、勢いそのままに男の子を抱きしめる。

 

「よかったぁ……ごめんね、めぐ。私が目を離したばっかりに……」


 涙ながらに子供に謝る姿を見て、私は安堵した。

 この人はほかちめごではなく、この子の本当の母親だ。


「この人は?」

「ほかちめごがでたの。おじちゃんが助けてくれた」


 拙い言葉で話す男の子。

 一連の経緯を聴いて、母親の顔から血の気が引いた。


 後から叔母に聞いた話だが、ほかちめごの怪談は島ではかなり有名な話らしい。

 数年に一度、同じ場所で起こる水難事故。

 それが大昔に自分の子供を探して海に飛び込んだ女性の霊の仕業だと、島の人々は知っていた。

 

 学校でも『くれぐれも夜は一人で出歩かないように』と再三注意されるくらいには、ほかちめごは島の人々にとって脅威とされているようだ。


「ありがとうございます。本当に、どうお礼をすればいいのか……」


 子供を大事そうに抱きかかえながらお礼を言う母親に、私は「子供さんが無事でよかったです」と言って、その場を後にした。

 今度は岐路を左へ行き、久々の祖母の家にたどり着く。


『ゆっくりしていきなさいね』


 叔母の丁寧な書置きとともに、布団が敷かれていた。

 煌々とした明かりに包まれ、疲れていた私は泥のように眠った。



 次の日の夕方。

 私は小さな花束を持って、ほかちめごの住処と言われている岬へ向かった。

 そこは昨日ほかちめごに襲われた林道の先にあるらしい。

 昼間の林道は明るくて、とても昨日と同じ場所だとは思えない。


 道中、道端に赤いものが落ちているのを見つけた。

 それは昨日私が投げた、学業成就のお守りだった。

 土を払い、拾い上げる。

 

「おばあちゃん、ありがとうね」


 私は噛み締めるようにお礼を言った。

 昨日あの子を助けられたのは、間違いなく祖母のおかげだ。


 林道を抜けた先にあったのは、立ち入り禁止と書かれてある錆びついた看板と、近寄るだけで足がすくんでしまうような切り立った崖。


 私が止めていなければ、今頃あの子はこの崖の下に。

 そう思うと、恐ろしさで肌が粟立った。


 私は持ってきた花束を海へ投げ入れ、目を瞑る。


 匂い立つ、生臭い潮の香り。

 私は海以外でこの香りがする場所を知っている。

 祖母が亡くなった直後の病室だ。


 海は死の匂いがする。

 どこか懐かしさを感じるこの香りは、幾つもの死が積み重なってできたものなのかもしれない。


 目を開けると、水面に浮かべた花束は消えていた。

 ただ波にのまれただけなのか、それとも……


「おいでおいで」


 強く吹いた風に紛れて、あの声がする。

 彼女はこの先も、子供を探して夜を彷徨うのだろう。


 離島の夜は暗く、恐ろしい。

 私は身震いをして、時計を見た。

 時刻は18時。

 日が長い夏といえど、もうすぐ日が沈む。


『暗くなる前には、必ずおうちに帰ってきなさいね』


 お守りを握りしめた私は、祖母との約束を思い出し。

 中学生だったあの頃のように、斜陽に染まる帰り道を急ぐのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] まさに「実家への帰り道」のお話で、しかも救う側の話になっていたところが、予想外でした。 それ以上に、海に近い田舎の雰囲気がよく出ていて(ひとりぼっちになると怖いですよね)、楽しませて貰いま…
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