51.魔族の少年の苦悩③
ニルスが洞窟からエドガーを担いで出る。時を同じくして王都に構えられたささやかな居城ではエミールの向かいにリナが座る形で、二人が寛いでいた。
そんな中、リナが上目遣いで告げる。
「ねえ……エミール。また行きたくなっちゃったな、ベスティアに」
「ん? ああ、じゃあリナの親父さんに付き添い頼まないとな」
「うん、ありがとう……! 行ってくるね!」
そうしてスティードの部屋へと駆け込む。幾らか時間を置き、中からは寝癖のついた髪の男が共に出てくる。
その目は眩しそうに細められていた。もう夕方近いというのにひょっとしてまだ寝ていたのだろうか、大人が聞いて呆れると、エミールはため息をついた。
そして今度はリゼットを説得するリナ。これまた呆れたように顔を顰める母の姿があった。
「また突然だねぇ」
「突然じゃないよ! また行きたいってずっと思ってたんだ」
「それにしても、何もこの時間に出発することないでしょ」
「今出ないと到着が中途半端な時間になっちゃうんだよ」
必死に食い下がるリナに、その母はついに折れる。
「はあ……分かったよ。行っておいで、その代わり思いっきり楽しんでこないと駄目だからね」
「うん! ありがとうお母さん!」
リナは笑顔で言うと、スティードとエミールを連れて外へ出る。エミールはつくづく甘い両親だと内心苦笑した。
「さて、この時間だと馬車は動いてるのか?」
「その必要はないよ」
エミールの問いにリナは首を横に振る。そして二人の手を取り、「『ウイング』」と静かに唱えた。
「うわっ!」
そして三人の背から生えた鳥のような巨大な翼がはためき、ゆっくりと浮き上がっていく体、上昇とともに頬を撫でる風が、夕空の下の残暑に心地良い。
上空から眺める町の様子も壮観で、まるで全てを手に入れてしまった錯覚に陥らなくもなかった。
「リナ……あらかじめ何をするか言っておいてくれよ。寝起きに障る」
スティードが横で心臓を押さえながら流し目をリナに向ける。やはり、先程まで眠っていたらしい。
「お父さんが今まで寝てたのがいけないんだよ!」
「はは、こりゃ手厳しいな」
スティードは苦笑いで返す。飛行の魔法は各自にかけられているようで、風に舵を取られると落下も危うい。
しばらく空の海を泳ぎ、その心配もなくなったところで本日の目的地である村へ到着した。
「あれ、ベスティアまでは行かないのか?」
「うん。明日の早朝に出て、間に合うようにするから」
波音が夜の静けさに合わせて穏やかに耳をくすぐる。ベスティアには朝に用があるのだ。
そして、ここへ来たのは時間の調整のためだけではない。
「ねえ、あっち行こうよ」
「わっ!」
リナはエミールの手を取り海辺へと誘う。
眼の前に広がっていたのは、無数の光だった。
仄暗い海を彩る光の装飾は、まるで夜の星々のように煌めいてリナ達の心を動かした。
「うわー、きれいだね」
「圧巻だな……」
どこまでも広がる海辺の星達の上を、彼らは歩く。すると光が弾けるように飛んで、再び落ち着く。
歩くたびに道が出来上がっていく、まるで星を満遍なく用いて作った絨毯を広げるかのようだ。
「海蛍っていうんだって。この間商人のおじさんに教えてもらったんだ」
「良い事を教わったな」
「可愛い嬢ちゃんだ、って特別に教えてくれたんだよ! えへへー、可愛くて助かったなー」
「それ、自分で言うのかよ」
「えー、エミールは私のこと可愛いと思わないの?」
リナは頬を膨らませながらエミールを睨む。予期していない発言に少年はたじろいだ。
「そ、それは……なあ……」
「やっぱり可愛くないんだー……」
「いや……そんなことない。十分、可愛いよ」
内心、言ってしまった、と全身が熱くなるのを感じる。
「ふふ、だってお母さんの子だもん。当然だよ!」
「えぇ……」
半ば決意めいたものを込めて言ったがリナはそれを意に介さないようだった。
確かめるような口調は何だったのか、とエミールは落胆にも似た感情が襲う。
「え、どうしたの?」
「いや、スティードの言う通りだなって」
不思議そうに顔を覗かれるものの、エミールは苦笑を浮かべながら顔を上げる。
出発前にスティードが吹聴したことは「リナにはまだ早い」の一言であったがエミールがそれを理解するには十分だった。
そのまま宿へ足を運ぶと、椅子に腰掛けていたスティードが振り返って「な、言っただろ?」と歯を見せて笑う。
「見てたのかよ」
「娘の成長を見守るのが親の努めだからな」
もっともその言葉が指す成長はまだ達成できていないものであったが。
「リナは中々手強そうだぞー?」
そう言って今度は豪快に笑いながら部屋へと戻っていく。その後に続きながらエミールは、言い返せないもどかしさに不満たっぷりに顔を歪めた。
――――――――
翌朝早く、まだ陽の光も出始めたような時間にリナ達は出立した。
今度ばかりはスティードも驚きはしなかったが非常に眠そうだ。
「日頃の不摂生が祟ったんだろ」
「……おかしいな、睡眠はよくとってるはずなんだけど」
エミールが悪態をつくとスティードはわざとらしく顎に手を当てる。その様子にエミールはため息をつくだけだった。
村へ着くと薄暗い中にも数人動きのある者がいる。どうやら既に仕事を始めているようだ。
「良かった。間に合ったみたい」
エミールの隣で少女は呟くが、早朝の行事とやらが間もなく始まるらしかった。
待つこと四半刻、ついにそれはやってきた。
太陽に火が灯るその瞬間を祝福するように、重く、しかしどこか温かいような金属の音が響く。
「っ! ……酷い音だな」
「そうかな?」
エミールが僅かに顔を顰めるものの、リナには理解できなかったようで首を傾げている。
それどころか朝日が灯る直前、辺りが暗転し火花が弾けるように空へ広がったのに気づいていない。
どうやら魔族にのみ感知できる魔法が仕込んであるらしい、エミールはそう感じた。
「魔族の人達は人間と比べて耳が良いからあの鐘の音で皆目を覚ますんだって」
それだけでなく、視覚も当然優れている。故に、この村で目を覚ましていないのは、宿屋の少女だけだった。
なぜ彼女が宿の広間で眠っているのかはさておき、エミールはやはり、と横目で確認しつつ通り過ぎる。
一方、叩き起こされ、眠い目を擦って現へと意識を呼び戻したプエンテは、ぼやける視界でエミールを捉えた。
「あれ? あれはあの時の……。ちょ、ちょっと出かけてきます!」
「お、おい⁉」
止める宿屋の主人の声も聞かず、「ごめんなさい!」と駆けていった。
「へえ、駐屯地なんかあるんだな」
エミールが建物に入りつつ、所感を述べる。とはいえ駐屯地と言えども物々しい武器などはなく、体内の魔力生成を促すマナ飲料がずらりと並べられているだけであったが。
「おっと、ここは子供の入る場所じゃないぜ。人間の嬢ちゃんと……混血の坊や」
すると、獣の耳を生やした若い男性が彼らの前に立ちはだかる。その特徴からして狼か。
それよりも今は、エミールを純粋な魔族だと見破ったことに問題がある。
「分かるのか?」
「ああ、人間の匂いがプンプンするぜ。俺らは鼻が利くんだ」
「ってことは、あの魔族に見せかけた女のことも」
「んああ、プエンテのことだろ。ほらちょうどそこに」
狼の青年が指差した方向を見ると、息を切らした羊角の少女がいた。
「ど、どうも……」
「つまり、上手く紛れ込んでたつもりでも、こんなの全く意味がなかったってことだ」
エミールは彼女の角を素早く取り上げる。「あっ、やめてくださいよ……!」と抗議の目を向けられるが気にしない。
「まあ、な。人間と敵対してるとはいえ、俺達も無益な争いを好まない。結局知らず関せずを押し通すのが一番なんだな」
「だ、そうだ。いっそのこと人間として暮らしてもいいんじゃないか?」
「ああ待てよ、お前さん勘違いしてるぜ。確かにプエンテが魔族じゃないことは肯定した、純粋でないって点でな。だがな、こいつはお前と同じ混血の匂いがするんだぜ」
「あ、よく見たら二人とも似てるね」
「そうだな。匂いっつっても細かな差異があるもんだが、これまた酷似ときた。双子なんじゃねえのか?」
「僕らが、双子…………プエンテ……?」
エミールは青年の言葉に、何かを呟いて黙り込む。その側では名を呼ばれたと勘違いして素っ頓狂に「はい?」と応えるプエンテがいた。
それでも少年は想起を続ける。混血の少女、同じ匂い、そしてプエンテという名。
そこまで考えて、母の言葉が蘇る。
『プエンテ、ポント。お前たちは、人々の架け橋に……』
そう言って母は息を引き取った。確かに、自分達の名を呼びながら。
「……思い出した。ポントが、僕の名だった」
エミールという名、それはかつて名すらも忘れてしまった彼に老婆が名付けたものだった。
「ポント? ポントって、お母さんの夢に出てくる……」
「ああ、あれってやっぱりお袋の声なんだな」
「じゃあひょっとして、あれは夢じゃなくて……」
「夢なわけないだろ。あんなにはっきり聞こえるんだ」
「そっか、私達……お母さんの元から離れ離れになっちゃったけど、やっと、やっと会えたんですね」
「ああ。肉親なんて、とっくにいないと思っていたけど……こんな所にいたんだな」
エミールの言葉に、プエンテは「もう、そっちが離れてっちゃったんじゃないですか」と涙ぐむ。そして二人、笑いあった。




