閑話 女神と天使ちゃん②
「勇者一行の旅もいよいよ佳境を迎えましたね」
「はあ、そうなんですか?」
「いえ、言いたかっただけです」
「どう考えても魔王を見つけることができていませんしね。女神様の頭空っぽの発言、流石です」
今日も天界ともしれないこの場所で女神と天使は語らう。いや、ほとんど女神が適当なことを言っているようなものだが。
「相変わらず辛辣な物言いですが、私は天使ちゃんの投げキッスで許すくらいの寛容さを持っていますよ」
「嘆キッスなら構いませんよ。腕の一本や二本、惜しくなければですが」
「ああ、一体何をされてしまうのでしょう……! 楽しみで仕方ありません」
艶めかしく体をくねらせるその姿はもはや女神の神聖さを纏っていなかった。これに関しては元からであるが。
「収拾がつきませんね」
「それならいい人材が丁度用意できたところなのです」
女神はそう言って、その人物を呼び寄せる。そこへ入っていったのは、紫色をした精霊だった。
「精霊……いえ、顕精霊ヴィオレッタ。あなたを本日付けで私の会話のまとめ役に任命します」
女神は毅然とそう告げた。その名付けや役にまず疑問を呈したい所をヴィオレッタはどうにか抑え込み、返答する。
「はあ……光栄に存じます?」
「いけませんね。そのように畏まられては私も困ってしまいます」
「あ、そうなの」
ヴィオレッタとしても誰かを敬わねばならないのは苦痛でしかなかった。すぐさま訂正を加えて口を開く。
「ええ。天使ちゃんのおかげで敬われることに嫌悪感を抱く体になってしまいましたから」
「そういう理由なの⁉」
女神の清純さは既に腐っているが、敬われる尊厳が形だけでも残っているならまだマシと言えるだろう。
「その意気です! あなたの仕事はまさにその話を聞き的確に切り返すことです。安心して下さい。時給銀貨2枚からの簡単なお仕事ですので」
「あ、結構もらえるのね……って、なんだか日雇いみたいだわ」
「ちなみにその給料は漏れなく私の天使ちゃんスリスリ券に換算されます」
女神は天使の手を掴み、頬を擦り寄せようとするもすばやくかわされ、頬は虚しく空を撫でる。
その様子に、僅かに身を引くヴィオレッタ。その中でも天使は通常運行であった。
「女神様の精神擦り擦りでしたら何なりと請け負いますよ」
「何それ語感が怖い」
「一体どんなことをしてくださるのでしょう」
「私が女神様を一ヶ月間無視します」
「ひいっ!」
途端に女神は引きつった声を上げ、「やめてそれだけはやめてください……」と狂ったように呟く。
目の前の醜悪な生物に流石のヴィオレッタもドン引きである。数々の呪いを見てきた彼女でさえ耐えられる代物ではない。
「うわぁ……」
「これが通常です」
「天使様……も苦労してるんですね」
思わずヴィオレッタが敬語を用いてしまうほど、日常は凄惨だった。そんな様子の精霊に「敬称などつけず、気軽に天使ちゃんとお呼びください」と天使は微笑んで告げる。
『ちゃん』が敬称に入らないのか疑問に思ったヴィオレッタだが、一先ず頷く。
「ああ、でも放置されるというのもそれはそれでありですね」
そして突然目に正気を取り戻した女神が語る。もう、かける言葉は見当たらない。
「……しかし私も考えるのです」
女神の語りを阻止するべく天使は「何を」と聞こうとするヴィオレッタに釘を刺す。聞いてはいけないと。
しかしそんなことに構う様子もなく女神は壮大な夢を語る。
「天使ちゃんの心が私のものにならないのならば、せめて他の忠実な男子を集めて私のパラダイスを作りたいのです。美男子に限りますが」
「以前もそんなくだらないことを言っていましたね」
それでも天使一人に対しての欲求を賄える程ではないと女神は思っていた。そして「だってぇだってえ、生まれた時から贅沢なんて一度もしたことないもん!」との幼児退行ぶり。
これにはこれ以上の暴走を避けるためにも慰めが必要か、と天使も折れる。
「……今まで大変でしたね」
「あぁ! 天使ちゃん……すりすり」
しかしその愚行は見るに素早い技巧により躱されてしまった。
「どうやら私からよほど擦り擦りを受けたいとお見受けしますが?」
「ぎゃああ! やめて、天使ちゃんに似合わない悪い笑顔なんて!」
もはや口調を取り繕うことも失念して女神は純白の天使に縋り付こうとする。
騒然とする場にヴィオレッタはただ、今後の自身の身を案じるのみだった。
「はあ……」
「おっと、取り乱しました。すみませんでしたね、ヴィオレッタ」
「誰っ⁉」
「失礼ですね。私は紛うことなき女神様ではないですか」
先程の乱れようから、どうしてここまで切り替えることができるか。これが、年の功というやつだろうかと、ヴィオレッタは一人納得する。
「だ、誰が熟れに熟れた果実ですか!」
「そこまでは言っていないけど……考えが筒抜けなのは少し厄介ね」
「南国の果実は腐りかけが最も美味だと聞きますから、女神様にお似合いですね」
女神の奇行にヴィオレッタは目を細める。
「ところで、精霊の中では女神様がこの世界を創ったことになっているけど、その認識は合っているのかしら」
「いえ、実はその話には複雑な事情があるのです。半分合っていて間違いである、と言えますね。それと私は腐りかけではなく、食べ頃甘い果実ですのでお間違いのないように」
「私達天使もそこまで詳しい話を知っているわけではありませんが、原初の世界には闇しかなかったとか。女神様が食べ頃でしたら、人類は皆種子以下ですね」
「ねえ、言葉尻で言い争わないでくれる?」
天使も時に女神に便乗して遊んでしまうのは良くない癖だ。身勝手な人達だと、ヴィオレッタはやはり逃げ出したい気持ちが高まっていく。
それを察してか、女神が口を開く。
「ああ、ヴィオレッタの雇用条件ですが、必要があれば招集する形になるので基本は自由にして頂いて結構ですよ」
「えっ! ほんとに?」
「女神様との会話時間が少なくて羨ましい限りです」
「あ、はい。お気持ちお察しします」
天使の憂いを秘めた口振りと表情に、ヴィオレッタはその心中を読み取る。
「でも、どうりでここで働いている精霊が見当たらないと思ったわ」
「……なんの話でしょう?」
「え、だって精霊はいずれ女神様に遣えることになっているんじゃ……」
「ああ、申し出の際にそんな事も言いましたね。あれは嘘です」
「精霊は皆、別の役割がありますので、それを外れたヴィオレッタさんはある種特別ですね」
天使に微笑みかけられるもののヴィオレッタはどうにも喜ぶ気には慣れなかった。
「どうして私がこの役割を?」
「きっかけは些細です。ヴィオレッタの単純作業を良しとしない、言ってしまえば道を外れた性格はまさにこの仕事が似合ってると思っただけなのです」
「やっぱり褒められてなかったのね……」
彼女は落胆する。特別扱いでも同族の輪から外されたものと変わらない。すると天使は「安心して下さい。私も女神様も同じようなものですから」と養護する。
それはヴィオレッタがいずれ同じ存在となることを示唆していたのだが、それを彼女は想像もできなかった。
「さて、私は私のための天国を作るための準備でもしましょうか」
「他の天使では駄目なのですか? 皆、私と違い女神様をお慕いしていたようですが。恋愛対象としても」
「よくありませんよ。天使ちゃん以外は女性ではありませんか。あ、一人筋肉質の男とも女ともとれない輩がいましたね。あれはもちろん、除外です」
「あ、もう慕われてないって間近に言われても気にしないのね」
女神は既に天使に何を言われても思うことはない。むしろその言葉に棘があるほど興奮するまでになっていた。
「それにしてもあのゴリエルとかいうのは不愉快です。はっきり言って需要がありません。今後相見える機会があったとしても一切口を開かせないようにしておきましょう」
「名前、違う気がしますが女神様の言う事ももっともですね。ぜひそうして頂きたいです」
こうして、ただの生理的嫌悪感から未来永劫言葉を失った天使の男が出来上がった。
「女神様を怒らせるとやばいわね……」
ヴィオレッタは一時的に職務から開放されると、そのように独り言ちたのだった。




