39.使命を受けし勇者③
ユーリは自身の新しい力を確認するように、右手を握った。先程兄が修得した、マナを扱う力である。
結局ニルスは倒れたものの大事はなかった。彼は今頃寝室で安静にしていることだろう。
そしてマナを、ユーリは既に習い身につけていた。それも一日訓練を行っただけで熟練した使い手を驚かすほどに。
ニルスが二、三度受けただけで大気中のマナを集約させることができるようになったことも破格であったが、やはり勇者という名に恥じぬ柔軟さだ。
彼は手を開き、魔素を手の上に集める。集った物質は今でこそ無色だが、そこへ風の属性を付与することによって緑色へと変化し、性質もそれに伴い変わる。
風のマナ、それは何処ともなく吹き荒れる風のように、空間を加速して定めた方向へ飛んでいく。
やがてマナはユーリの支配から逃れ、散るようにして消えるのだった。
ユーリはさらに赤、青と色を変えてマナを操作する。
『凄いです! やっぱりユーリさんは、勇者の力を持つに相応しい方です!』
『褒めすぎだよ。僕は昔から、手先だけは器用な方だったんだ』
『謙虚なところも……ああ、私、精霊という身でありながらその、憧れてしまいます』
脳内に響くイーリスの声を聞きながらユーリはさらに黄、黒、そして白に彩ったマナを次々に作る。
『思ったけど、マナって魔法と何が違うの?』
『えっと……私の言葉に対しての返答はないんですね……。あ、はい。確かにマナは魔力と成分は同じで、加えて元素を用いる点では魔法と変わらないですが、その差はマナの量にあるんです』
ユーリの威圧に負け、イーリスはおどおどと説明を入れる。それらはユーリにとっても人間にも、目ぼしい情報であったが、精霊達には常識でしかなかった。
『魔法は少量の体内に存在する魔素で元素を引き出す行為、つまりその際の魔力は現象を起こすための補助でしかないんです』
『それに対して純粋な魔素を扱うマナはその魔素の方がメインってわけだね』
『その通りです』
ユーリの解答にイーリスは嬉しそうに返答した。
『でも、魔素ってそもそも何者なの?』
『精霊の木の破片が、粒子となったものです』
『は……え? そうなの?』
『はい。それにあの木だって、意思を持たない小さな精霊が寄り集まって木の形を保ってるだけなんですよ』
つまり木の破片も精霊で、魔素と思われていたものも精霊ということになる。
その精霊は小精霊と呼ばれ、物質に紛れることや人々の体内で魔力として作用することによって、徐々にその身を昇華させていくのだという。
『これが……精霊? あの、ぞんざいに扱っちゃってるけど大丈夫なの?』
その手にはマナが握られていた。ユーリはその形も自在に操れるようで今はナイフを象っている。
『大丈夫ですよ。むしろその方が、精霊にとっての経験に繋がりますからね』
イーリスが答えると「じゃあ遠慮なく」と呟いて黄色い短剣を投げ、木に突き刺す。
それ以降、王城の植え込みには一本だけ細い切れ込みが奥深くまで入った不可解な傷のある木が存在すると、人々の話題に上がるのだった。
それはともかくユーリは二度目の来城を果たしていた。報告するのは、魔王城散策の報告。
「おお、ついに魔王城を攻略したと申すか」
「ええ。しかし……」
「うむ、不可解であるな。魔王が姿を消したとは」
国王は俯き、僅かに考え込むと再び顔を上げる。
「しかしここでの熟考はさして意味のないものであるな。引き続き、魔王の捜索と討伐を頼むとしよう。……して、同行した者の活躍ぶりはどうだ?」
「それが……」
ユーリはいずれ聞かれるものと思っていたが、ここに来て発言を躊躇う。はっきり言ってあれは国王に対して不敬にあたるだろう。
しかし黙っているわけにもいかず、彼は戦士達との実力差について述べていった。
これでは何らかの罪を背負うことになるに違いない、そう構えていたが、返ってきたのは思わぬ言葉だった。
「そうか、やはり彼の者らでは勇者の足元にも及ばなかったか。……よいよい、余は正直を好む。王国の兵をぞんざいに扱ったとして、それは仕方のないことであっただろう」
国王はそう言って笑うが、ユーリはこの国の存続をこの王が握っていても果たして大丈夫なものか気になった。
しかし気になっただけでそれはユーリにはどうでもいい話、魔王さえ倒せればいい、それだけを考えていた。
――――――――
「あ、ユーリ兄ちゃんお帰り。あれ、ただいまって言った方がいいのかな」
一度帰宅したユーリは丁度旅から帰ったばかりのリナ達に出くわした。その表情から察するに、旅は大変有意義だったに違いない。
「おお、リナ達か。うん、楽しんだようで何よりだ」
「お父さん、ただいま!」
部屋からスティードが出て彼女達を迎える。しかしその表情は申し訳なさげだ。
「すまないな、次から旅に出るときは俺が同行しなきゃならないことになった。怒るなよ、これでも妥協してもらった方なんだ」
そう言って視線を一度、リゼットへと向ける。調理中の彼女は振り返り、帰宅したリナに告げた。
「お帰りー。話はスティードから聞いてるよ。まあ、無事みたいだから良かったけど、あたしは心配で仕方なかったんだからね。もうこれ以上不要な外出は避けてよね」
「おい、話が違うじゃないか」
「だって、二人きりで旅なんて重荷すぎるじゃん。そこにスティードが加わったところでそれは変わんないでしょ」
「エミールの想いに水を差すようなこと言うなよ」
エミールとリナを二人は交互に見比べる。ユーリも椅子に座ってその様子を見ていたが、リナは首を傾げている。
「リナは分かってないようだけどねぇ」
「……僕の関係ないところで勝手に話を広げるなよ」
エミールの不満げな呟きに、スティードは「悪い悪い」と悪びれた様子もない。
そんな彼はリゼットに向き直り告げた。
「でも見てみろよ、リナはあんなに嬉しそうなんだ。あの子の気持ちも尊重してやってもいいだろ?」
「……はあ、あんたはどこまでも親バカだよね。そんな男に絆されちゃう私も私だけどさ」
どうやら説得に成功したようで、スティードはわかり易くリナに親指を立てて見せる。
その様子に「目の前でそれをやっちゃう辺りもね……」と呟く。傍観するユーリも似たような気持ちだった。
「それで実はね、エミールから話があるって」
そう切り出して、リナが彼を見て頷くと、エミールから力が暴走するように溢れ出す。
その魔の気配にユーリは剣を構える。
「待ってユーリ兄ちゃん!」
リナが制止し、ユーリも一度は彼女を見るも、警戒は緩めない。そして、魔力が高まると角を生やしたエミールが姿を現す。
「魔族……!」
「兄ちゃん、違うよ! エミールも何でわざとらしいことするの!」
その声にエミールを纏っていた魔力は一瞬にして圧を失う。その中に困った様な表情の彼の顔が見えた。
「いっそ斬りかかってでもしてくれれば、僕の気が晴れたのにな」
「もう、そんなこと言ってないでエミールからちゃんと説明してよ!」
「……見ての通り、僕は魔族の血を引いてる。今まで騙してて悪かった」
「違うでしょ? エミールは、魔族と人間のハーフなんだよ!」
言葉の足りないエミールに代わってリナが手振りを加えて説明する。だがユーリの柄にする手はますます力が籠もるばかりだ。
「改めて君が何者か説明してくれないかな。場合によっては交戦もやぶさかじゃない」
睨みを利かせるユーリに、エミールは物怖じすることなくその目を向けた。
「何を話せばいいかわからないが、取り敢えず僕の生い立ちでも話そうか?」
「話してみなよ」
「分かった。……生まれた時の記憶は定かではないから、詳しくは分からない。お袋は魔族で、親父は人間だったらしい。だがお袋は声しか知らないし、親父に至っては何も伝えられていない」
それでも孤独だったわけではない、とエミールは語る。
初めて意思が芽生えたのはとある人間達の村。生まれてすぐの母の声しか記憶にない彼は一人の女性に抱えられていた。
物心がついたとはいえ人で言えばまだ瞼も十分に開かない年齢。やはり生まれてすぐの記憶がある点といい、魔族は人間とは時間の感覚が違ってくるのだろう。
そんな彼にも悲劇が起こる。それまで庇護してくれた女性が病により亡くなってしまったのだ。
そして村の子供達は角の生えた奇妙な存在を虐げるようになっていく。
彼はまだ幼く、醜悪な心を水鏡のように映し出し、自らの生き方へと変えていく。その頃には角を魔法で誤魔化す術も覚え、人々から盗みを働くことで生きていたという。
そして彼に二度、出会いが起こることによって彼の人生は再び変わっていく。
一人目は育ての親とも呼べるあの老婆で、初めは彼が家の物を盗もうとしても咎めないばかりか生活に困窮していないかしきりに気にかけていた。
やがて養い手を買って出た彼女のもとへエミールは転がり込む。しかし待ち受けていたのはこれほどまでかという人格形成を伴う教育だった。
彼女がそういった道の専門家だという事実に後に気づいたエミールだが既に遅かった。
引退して長いとはいえ、いかなる子供も引きつけてしまう術や更生させる手腕は確かで、根本の性格や口調は直らなかったもののエミールは明確に変わっていった。
そこへ追い打ちをかけたのが二度目の出会い――リナとの出会いである。
長くを共にした親との別れに打ちひしがれる心さえも彼女の強引さに救われた。
「……君は盗品で生きていた」
「そういった時期があったのも事実だ」
ユーリは未だに警戒を解かず、エミールだけを見ていた。話の間中気を張り巡らすのにはかなりの精神を必要としたがそこは彼の地力が為せる技だった。
「端的に聞くよ。正体を明かした目的は? 今の君の生きる理由は何かな?」
「素直に、懇意で置いてもらっているのに申し訳ないと思ったからだ。僕は、今は救い出してくれたリナのために生きていこうと思っている」
言葉尻で僅かに俯いたが、嘘をついていないようだった。しかしそれ以外の者は文言が気にかかったようだった。
「それってプロポーズか?」
「やるじゃないの! あたしは歓迎しちゃうよ」
リナはやはり分かっていないようだった。ユーリもそういった反応を期待していたわけではなかったのだが、ため息をついて剣を持つ腕の力を抜き、ぶら下げる。
姿勢も戻したユーリは、両親の緊迫のなさにやる気を削がれ、不問にすることとしたのだった。




