35.魔族の少年の苦悩②
「何か反応してくれもいいじゃない!」
そうユーリに対して嘆く精霊の新しく出来上がった体を見ながら、エミール自身もどうでもいいと思っていた。
「ヴィオ、思ったより可愛いかったねー」
「そうかな……?」
階上から眺めていたエミールだったがいつの間にかリナが隣りにいる。
ヴィオレッタの容姿はカールがかった紫のロングヘアーに露出多めの衣服。正直なところ妖艶なイメージの方が強いと思っていた。
「あーっ! もしかしてエミール見とれてるの?」
「そんなわけないだろ」
彼はリナのからかいを一蹴した。純粋に年が上の者は好みではなかった。ましてや相手は数百年以上も長く生きている。
「えー?」
リナは冗談交じりに笑う。彼女も本気で聞いたわけではないのだ。
そしてニルスがユーリに連れられて出ていくと他も徐々に解散していき、残るのは自分達と、リゼットに加わって食事の支度を始めたアシュレイのみになった。
あとはスティードが部屋にいるくらいか。
するとリナは強請るような表情へと変わる。
「ねえ、魔族の人達が住んでいる場所に行ってみたいな」
「え……?」
「ちょっと興味あるんだよね。私達と姿は似たようなのに、暮らし方は全然違うんだって」
「へえ。……もしかして、今から?」
エミールの問いに、さも当然のように「うん」と頷く彼女。その姿に少年は呆れる。また、短くはあるが突拍子もなく旅が始まるのだ。
だが彼自身その誘いは嬉しいものだった。思わず微笑する。
「分かった。行ってみよう」
道中は馬車を用いた。魔族の領土までは遠く、日数を要する旅になるだろう。
スティードには話を既につけてある。彼なら上手く家族を絆してくれるに違いない。
目的の場所へは、幾つか馬車を乗り継いで行かなければならない。だから時々気ままに歩いて景色を楽しみながら北を目指す。
こういった散歩じみたものもたまにはいいものだ、とエミールは思う。爽やかな風に当たるたびに見えるリナの笑顔は、見ていて飽きない。
しかし次の町に辿り着く前に日は暮れ、野営を余儀なくされてしまう。
「『ディフォーム』」
リナはそこそこの大木に手をかざし、唱えると小屋へと姿を変えさせる。その魔力に感心するエミール。中の造りも非常にしっかりとしていて住み心地は良さそうだ。
ところが、魔物というものは鼻が利く。リナが寝息を立てる頃、その気配に気づいたエミールは飛び起き、扉の近くまで移動する。
しかし警戒する必要などなかった。その魔物は、扉の狭い隙間からいとも容易く侵入し、不定形なその姿を見せたのだ。スライムである。
もちろん、鼻があるわけではなかったが獲物を察知する能力は他に劣らないのだろう。
「まずいな……」
エミールは呟く。相手は地を水に変化させる光属性の持ち主、迂闊に触れれば肉を溶かされてしまう。
見ると、木製の扉は少しずつ溶解し始めていることに気づく。
急いで倒さねば、睡眠中のリナにも被害が及んでしまう。
倒す方法は一つ、その生命維持の核である魔石を壊すことのみだ。
エミールはすぐに行動を開始した。腰の短剣を叩きつけ、魔石を狙う。しかしスライムは器用に短剣の刃を包み込み、衝撃を吸収する。
そして衝撃がその粘液を伝うと全て流しきれなかったのか弾けるように飛び散る。
いや、恐らくわざとなのだろう。それらを飛ばして獲物を効率的に上体からも溶かしていく。中々賢いやり方だ。
「つっ!」
腕に粘液が付き、焼けるような痛みが伴う。
ただ斬るだけでは駄目なのだ。ではどうすれば、そう考えるうちにスライムは動いていた。もとい、跳ねていた。
付いたのはエミールの足。慌てて彼は足を動かし振りほどこうとするが離れない。
そして溶解が着実に進んでいき、スライムは自身を薄く伸ばすことで両足に絡みつき、さらに確実に溶かすことを可能とした。
だがその時に勝機を見たのはエミールだ。薄く伸びた弊害で、魔石が剥き出しにも近い状態になっていたのだ。
彼はすぐさま痛みを堪えながら刃を付き立てる。
しかし相手は一筋縄ではいかなかった。
スライムは魔石の周囲にある粘液を寄せ集め、魔石の盾となるように盛り上がらせると、上手く刃が逸れるように動かし、受け流して見せた。
結果、傷ついたのはエミールの足だ。
「うぐっ……!」
当然、傷口にスライムが入り込み、さらに侵食が進む。そればかりか、その粘性体は上へと体を伸ばしてくる。
腕で払おうにも、むしろ貼り付いて取れなくなる。
「ぐあああッ!」
全身を覆う熱のような痛みにエミールは苦悶する。その声に少女は目を覚ます。
「エミール……?」
戸惑う声は耳に届いてはいたが、それよりも湧き上がる衝動を抑えることに必死だった。
感じていた熱は、何も錯覚だけではないのだ。
「うああああああああッ!」
それはまるで獣の咆哮のような、悍ましささえも感じさせる叫びだった。それに伴い、闘牛のような角が生えてくる。
結局はこの程度の魔物さえ、魔族の――本来の力を使わなければ倒せないのだ。その事実にエミールは絶望した。
「『ウィンド』」
魔法による風はエミールの体を包み込む、それもスライムの間に入り込むようにして引き剥がす。
そして捕えた魔物を吹き飛ばして壁に当てると、そのまま張り付け、突風に晒した。
露わになった魔石に向けて、エミールは短剣を風に乗せ飛ばした。加速する刃は見事に魔石を打ち砕き、スライムだったものは光となり霧散した。
はあ……、と息をつくエミール。
「リナ」
呼びかけるが返事はない。
「起きてるんだろ?」
「……やっぱり知られたくなかったよね」
しかし出てきたのは予想外の言葉だった。その表情は驚いたものではなく、窺うようでもあった。
「え……? ひょっとして知ってたのか?」
「うん、エミールが一人で出かけたあの日にね。倒れてるエミールを見つけたんだけど、その時は角が生えてるのにびっくりしちゃって……」
正体が魔族だということに気づいた時には驚きはしたが怯えも蔑みもしなかった。エミールはエミールでしかない。
「でも、正体を隠してるってことは何か理由があるのかなって思ったら知らないふりをするしかなくて、この旅だって他の魔族の人と会えばエミールも元気を取り戻すかもと思ってお願いしたの」
リナは自分自身のためではなく出会った時から常に落ち込んでいるようなエミールに、少しでも笑みを取り戻してもらいたかったのだ。
「そうか……。でも僕は純粋な魔族じゃない」
「え、そうなの?」
「ああ。父さんは人間だった……らしい。両親は二人とももういないから、記憶の中でしか知らないけどな」
「あ……そっか。ごめんね、私余計なことしちゃったみたい」
魔族なら魔族の元へ行くことがより必要とされているという考えが間違っていたのだ。
両親の死という現実を思い出させてしまったことにも、罪悪感が募る。
「気にするなよ。十分、楽しいから」
エミールはリナの顔こそ見ていなかったが、月夜に照らされ黄昏るその表情には、僅かに笑みが浮かんでいた。
――――――――
そして翌朝。
「うわー、ほんとに魔族の人達がいっぱい!」
「あんまりはしゃぐなよ。中立だと謳っていても友好的な奴ばかりじゃないんだ」
たどり着いたのは魔族の住むベスティア村。人間のリナが訪れる上で最も安全とされる場所だった。
「ある程度見て回ったら帰ろう」
「えーっ、明日までいようよ!」
「……仕方ないな」
ここへ来たのは自分のためではなかったのか、とエミールはリナの懇願に苦笑する。
「じゃあ、ここの宿に泊まろうよ! ね!」
そう言ってリナは宿の中へと走っている。出発前にスティードから受け取った硬貨を握りしめて。
「えっと、一部屋を一泊お願いします」
「はいよ」
リナを、壮年の男性が応対している。
「それと、食事は……」
「食事? ああ、すまないな。今担当がいないから用意できないんだ」
その男は少し申し訳なさそうにする。リナが不思議そうに首を傾げると、代わりにエミールがその疑問に答える。
「魔族は食事を必要としないんだ。だから僕達はどこでも食べ物を扱っていないことを見越して用意してきたんじゃないか」
彼が担いでいる背嚢には獣の肉やら魚が入れられている。
「あ、そっか」
リナは納得したように手を打った。
そして彼らの観光が始まる。言ってしまえば魔族の村は人間にとって面白みのあるようなものはなかった。
食事どころか衣服も鱗やら体毛、あとは僅かばかりの布や外套で済ませている。ある種犯罪的とも言える格好だが、その種族的な着飾らない性格から村は殺風景だった。
それでもリナはどこか安心感を覚えていた。
奇異を見る視線に些か鈍感であったことも影響し、故郷に似ているような、それでいて虐げられることのない村には良い印象があったのだろう。
そればかりか人間とは違う、耳や尻尾の生えた種族を見回り、大層興味を抱いた。珍しそうに眺める姿は、どうやら楽しんでいるようだとエミールは僅かに口角を上げる。
機会があればまた来よう、そう思った。
「ふう……どうやらまだ大丈夫みたいですね。あれ、人間さんですか? あっ、もしかしてうちの宿に泊まっちゃった感じですか⁉ ごめんなさい! お食事出ませんでしたよね?」
監視塔のような場所から姿を現した魔族の少女が早口にまくし立てる。
するとエミールが少女に近づいて手を伸ばす。
「な、なにを……?」
そして彼女の角――羊の角を取り上げた。容易く外されたそれは作り物のようだった。
「ひぇっ……!」
「あんた、魔族じゃないだろ」
エミールの指摘に、少女は頭を押さえながら涙目になる。
「うぅ……何するんですかぁ」
「まあ、どうでもいいや」
「ごめんね。突然取っちゃって」
彼女の元に角は返される。何故魔族のフリをしているのかは謎であったが、自分には関係ないことだと彼らは踵を返し、帰路についた。
ふと、彼女の姿が思い起こされる。全くの初対面のはずだがどこかで会ったような、不思議な感覚に陥った。




