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29.なんだ人間サイズの虫か

 教会の神官が呼ばれていよいよ少女の悪魔を払う時が来た。当のアリスは、彼女が座るには少し脚の長い、上質な椅子に腰掛け不安げな面持ちで神官と向き合っている。


「それでは始めましょう」


 神官のその声とともに場の空気が一層緊張感に包まれる。彼女の周りを囲むニルス達冒険者と、その輪から少し離れた場所で静かに見守る少女の母と姉、それから教会のシスター。


「……やはり、相当に厄介な悪魔が潜んでいるようです。早速、引き出してみます」


 そう言って、神官は何かの呪文を唱えていく。早口で並べられていく文言はもはや意味の理解できるものではなかったが、段々とその速度と力強さが増していく中で少女に異変が起きた。


 彼女は首を両手で抑えるようにして苦しむと、彼女の声で少女らしからぬ声を発するのだった。


「ヤメロォ……ヤメロオオ!」


 アリス……もとい悪魔は体当たりで神官を吹き飛ばして立ち上がる。咄嗟に武器を抜くニルス達。しかし何よりも問題なのは、中途半端に悪魔を引き出した状態で神官が気を失ったことだ。


 ニルスの感覚が消えていることから悪魔は戦闘する気で満ちているようだ。さらに厄介なのは傷つけられない少女が相手ということだ。完全に形勢が不利である。


「ミリア、一先ず母親を連れて逃げろ!」


「ニルス様……木の棒など構えて、アリスを傷つけまいとしてくださっているのですね……! 私、心から敬服いたします!」


「そんなのどうでもいいから早く!」


「はい! さあ、お母様」


 一先ずニルスは、狙われてしまうと不味い二人を退散させる。説得の末、ようやくミリアが今は不必要なやり取りをした後に緊張感皆無で去っていく。

 ロブストの棒は別に優しさではないのだが、とニルスは複雑な心境だ。


「ふうゥ……。叩き起こされてオレは最高に気分が悪イ。そうだナ、憂さ晴らしのためにまずはオマエらから始末することにしてやるヨ」


 少女の形をした悪魔は、首をニ、三度傾けて足で踏み込む。そして凄まじい速さで地面を駆けた。外見にそぐわないどころか、その姿でも悪魔を幻視するほどだ。


「ウラァッ!」


 速い。それはカーラのパーティメンバーの一人、髪を跳ねさせた槍男――マリユスを吹き飛ばした。その威力は壁を突き破って遠くの芝生まで地面を削らせる程だ。


「どうしたァ? この姿に対しては本気をを出して戦えないカ? それともオマエ達が弱いだけなのカ?」


 悪魔は嘲笑を浮かべながらニルス達を一瞥する。カーラ達は既に戦意喪失といった様子だが、そのような状況の中でもアシュレイが足を踏み出すのだった。


「リナ」


「うん。『アクセラレイション(加速)』!」


 瞬間、アシュレイは魔力による加速に任せて少女に肉薄する。それに対して悪魔も嘲りを含んだ笑みを浮かべながら応戦する。

 しかしアシュレイの振り下ろした剣は、悪魔が差し出した手によって止められてしまう。辺りに金属音らしき音が響いた。


 驚くべきことに、刃を掴んだのではなく手のひらで止めていた。どうやら体の一部を硬質化させることができるらしかった。


「ふん」


 悪魔は硬直したアシュレイを殴打しようと、空いた方の腕を撓らせる。その攻撃が完全に当たる前に後ろへ身を引く彼女だったが、その動作も間に合わず後ろ側へ飛ばさせる。


「アシュレイ!」


 ニルスは直ぐ様その方向へ跳び、その体を受け止める。たった一撃の、それも直撃でないというのにアシュレイは酷い傷を負ってしまった。


「何やってるんだ!」


「……動きを止めようと思って。あの子には可哀想だけど、手足を切り落として……」


「違う。そうじゃなくて、そんな無茶するんじゃないってことだ!」


 それでも悪魔と相対しようと立ち上がるアシュレイ。ニルスは彼女をそれを押さえ込んで壁に持たれかけさせた。


「リナ、アシュレイを回復してくれ」


「兄ちゃんはどうするの?」


「俺が奴の動きを止める。そういうのは俺が適任だ」


「分かった!」


 ニルスはリナの返事を聞いてから、少女の方へ歩いていった。

 ヴィオレッタとの特訓を通してリナの魔法技術も大分豊かになった。攻撃はもちろん、治療や仲間の動きを補助するため魔法も多く覚えたようだ。


「ハッ! つまんねえナ。この体じゃ、誰も本気を出さないってわけかヨ」


「どうかな? 今俺に手を抜く気はないけどな」


「ふん。ハッタリだナ」


「この状況の駆け引きに何の意味があるんだ? ただ相手を本気にさせて自分が苦しむだけじゃないか」


 そう言うと悪魔は少しだけ考える仕草をして、すぐにやめた。あまり頭が強い方ではないのかも知れない。

 しかし意図していたわけではないが、上手く相手の意識を戦闘から逸らすことが出来ている。ニルスが近づいていっても警戒を強める様子はない。


「それが強がりかどうか、確かめてやるヨ!」


 しかしやはり駄目だったようだ。

 悪魔は手を開き、指同士の隙間を閉じて槍の穂先のようにしてニルスの腹へと突き刺してきた。


「うぐっ……!」


「ほォ……?」


 刺された部分が痛みで痺れる。しかし悪魔は感心した様子でその一点を見ている。貫通させられるとでも思ったのだろうか、生憎手刀は少し深く刺さっただけである。


 するとニルスはその腕を掴んで悪魔を拘束する。さらに続いて飛んできたもう一つの腕を、難なく躱す。拘束によって制限された動きは、彼でなくても容易に避けられたことだろう。

 そしてニルスは隙を見て後ろへ回り込み、悪魔を羽交い締めにした。


「なッ……! クソッ!」


 悪魔は高速から逃れようと、宙に浮いた足に高さを加えて後ろに勢い良く振り下げ、ニルスの足へと当ててくる。

 正直めちゃくちゃ痛い、とニルスは表情を歪ませるが腕を離すことはしない。そしてこのまま神官が目を覚まして儀式を再会するまで耐え抜こうと意志を固めた。


「は、図ったナ!」


「誰が戦いで本気を出すと言ったさ」


「クッッソォォオオオ!」


 少女の顔を歪ませながら、隠しきれない邪悪な嘆きが一室に響き渡る。ただ、アリスの顔に皺が残ってしまうのは避けたいニルス。あまりストレスを与えるのも良くないのかもしれないと、やや冷静になった。


 するとそこへ近づく一人の男。


「よくもマリユスを容赦なく殴ってくれたな。俺にも一発返させろ」


「待て、相手は少女だぞ」


「外見はな」


「おい!」


 ニルスが制止しようとするが、大盾持ちの男は聞く耳を持たず握り拳を合わせながらに少女の元へ歩いていく。外道、ここに極まれり。


「食らえぇ!」


――その刹那、悪魔が笑う。


「待て! 殴るのを止めろ!」


 しかしその言葉は間に合わず、というよりはニルスの止めなど聞かなかっただろうが、その拳は少女の頬へと打ち込まれる。


「『パラサイト』」


 悪魔が、何かを唱えた。


 数秒の沈黙。

 すると、男は意識を失ったように地面へ倒れこんでしまう。そこへ慌てて駆け寄っていくカーラ。


「アルマン!」


「待て、近づくんじゃない!」


 そう言った瞬間、少女がニルスの腕から抜け落ちる。それと同時に大盾の男――アルマンがゆっくりと起き上がる。ただ、その表情に邪悪さを込めながら。


「ふっふっふ。中々いい、良い体だ!」


 悪魔が、歓喜を示すように両腕を広げて天を仰ぐ。どういうわけか片言だった言葉も今は正常だ。


「あんなガキと違って、流石に鍛えられているというわけか」


「お前……!」


「どうした? 俺をその馬鹿力で押さえ込む計画が失敗して憤ったか?」


 しかしニルスは逆に考えてみることにした。あの体なら特に加減せずに戦えるから好機とも言えるか、と。最悪殺してしまっても…………そこまで考えが過ぎり、ニルスは首を降って思い直す。そうならないよう、自分は全力を尽くすのみだと。


「……第二ラウンドっていうわけか」


「ああ。始めようぜぇ!」


 敵は笑いながらニルスへと迫ってくる。なぜそんなに楽しそうなのかニルスには理解ができなかった。今もまだ疼く、横腹の傷とも戦っているというのに。


 そして悪魔の腕がニルスの眼前へと迫る。どうやら先程よりスピードが上がっているようだ。ニルスはロブストの棒を手に、その拳をいなしていく。

 素早く直線的なもの、体重を乗せた重く抉るような鋭角のもの、時に予測不能な飛び跳ねを織り交ぜた不規則なものをニルスは後退しながらも確実に受け流していった。


「ふん、そんなものか? いい加減眠たくなってきたぜ」


 対してニルスは規則的に、毎回同じ位置で棒を固定しながら戦うことに努めていた。そうすれば悪魔は突発的かつ変則的な動きへの対応が遅れることだろう。

 ニルスはロブストの棒に拳が当たるタイミング、彼はその一瞬を狙って蹴りを放った。悪魔がそれに気づく、が空いているのは反対側の腕。しかし彼は難なくロブストの棒を支える自身の腕を入れ替えてもう片方でニルスの足を掴む。


 動きの封じられてしまったニルスではあるが、身動きが全く取れないわけではない。ニルスは捕らえられた足を軸に、地についた片足だけで僅かに跳び、回転を加えながら脇腹に蹴りを打ち込んだ。

 その衝撃に動きの緩んだ悪魔にロブストの棒を突き刺す。


「ぐああッ!」


「お返しだ」


 木の棒が突き刺さったアルマンの腹から、鮮血が流れ出てくる。だが、彼はまだ戦意など失っていない様子で睨んできた。


「よくもッ!」


 悪魔はすぐにニルスの眼前まで迫り、拳を突き出してくる。しかしながらニルスはそれを甘んじて受けたのだった。

 頬から伝わってくる鈍痛は少々耐え難いものだったが、肉体的な損傷は大きくない。


「端から勝負は決まっていたようなもんだ、お前が魔法でも使わなきゃな」


 そしてニルスはロブストの棒で肘の裏を叩き、反対の肩も殴打した。


「ガアアッ! そんな、木の棒如きでッ!」


 両腕の力を失った悪魔は懲りずに蹴りを放ってくる。最後の悪足掻きと言ったところか、その一撃には何の脅威も感じない。ニルスは今まで通りロブストで膝を打った。

 片足の支えをなくした悪魔はその運動方向に体を引きずられて倒れる。


「終わりだ。さて、今度は神官様を起こさなきゃな……」


「終わり……? クックック、確かにそうかもなぁ」


「何を笑ってるんだ?」


 そいつは気味悪い笑い声のまま、ニルスを見る。


「残念ながらオマエは既にオレの術中なんだよ」


「……なんだって?」


「こうして戦っても最初から勝敗は決まっていたんだよ。クックッ、笑いが止まらねえ!」


 そして――


「移り込め! 『パラサイト』ォ!」


 何かがニルスの中へと入り込んできた。

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