24.人間って矮小な生き物だな
いよいよ火竜の目の前までやってきたアシュレイ達はまずカーラ達の安否を確認しようとした。
彼女らとは道中に会わなかったためドラゴンと対峙しているのだろうと、アシュレイはそう思っていた。ところが現在戦闘が行われている気配はない。
アシュレイの脳裏に嫌な予感が過ぎり、無意識に生唾が喉を通る。
そしてニルスは岩陰から火竜――ファイアードレイクを伺おうと身を潜め、その地面に手をついた。
ベチャ、と生温く、ぬめった何かがニルスの手についた。見ると彼の手は赤く染まっていた。血だ。
その血が流れる先、そこには一人の男が横たわっていたのだった。カーラが連れていた、ケヴィンという男だった。
彼は数カ所を強く打ちつけた体のまま、生気の宿っていない目で横たわっていた。
「うわっ……!」
思わず声を上げてしまい、慌てて声を噤む。アシュレイも口元を押さえて青ざめている。
「グオオオ……」
やはりというべきか、ニルス達の存在を悟った二頭の竜が近づいてきた。その体長は四肢を地につけながらも彼の四倍近くあろうかという高さを誇り、咆哮のみで風が生まれる。
その威圧感に押されはしなかったが、その巨躯はニルスにとって驚愕だった。
そのためロブストを握った手に力がこもり、つい意識をしてしまう。そのまま竜の腹目掛けて一撃、だが呪いに作用された打撃では致命傷には至らない。
竜は呻いたものの外傷は生じず。やはりドラゴンというだけに硬さは尋常じゃないようだ。
その瞬間、一瞬の隙が生じたニルスに逃げるタイミングを与えまいとファイアードレイクが尾を使って横腹を叩き込んだ。
ニルスは飛ばされ、転げて岩に体をぶつけた。あまりの激しい痛みに、ニルスは気を失いかける。当然こちらも傷はささやかだ。
しかし更なる追撃に痛みがニルスを襲う。火竜が尾を横向きに往復させ、彼の身を叩いたのだ。
口からは血が吹き出る。ああ、先程の男はこのようにしてやられたのかと、ニルスは悟った。
気を失う間もなく猛攻は続く。いかに傷の治りが早いといってもそれすらできないように何度も攻撃を叩き込まれれば堪ったものではない。
全身が、痛みを通り越して麻痺し始める。まるで体が警鐘を鳴らしているかのようだった。
そんな中、ニルスは取り落としていたロブストの棒を拾って立ち上がる。まだ、人体への損傷は大きいわけではない。
そして改めて竜の姿を確認すると、その大きな体躯は自分より小さい者を威嚇するためにあるようだった。
「久々で痛みに慣れてなかったからな……」
強がりでもなく、ニルスはそう告げた。身体の耐久がいくらあろうとも、痛覚はどうにも鍛えられなかった。
こればかりは仕方なく、ここのところ激しい戦闘もなく怪我を負うこともなかったため感覚も鈍っていたのだ。
「グオオオ……!」
硬い表皮からは表情が分からないが、ニルスを嘲笑するかのようにファイアードレイクが吼えた。
頭からは血が流れてくるが別段、体の動きに異常は無いようだった。
彼はその場で僅かに膝を曲げると、すぐに飛び上がる。
力任せに地を蹴ったため、彼がいた場所はひび割れて窪みができながらも、頭上にあった火竜の顎を打つ。重力に逆らったためか、その速度はそこまで速くはない。
しかしファイアードレイクはその衝撃で怯んだ。どうやら顎の骨がわれてしまったようで、悶えるように尾を地面に叩きつける。
それでもニルスは重心をずらすことなく、叩きつけられて割れた地面でもしっかりと足をつけていた。
ニルスの横からもう一体のドラゴンが火を吹いてくる。避けるまでもなく立っていると、熱さとともに僅かに皮膚の焼ける臭いと、その痛みが伝わってくる。
するとそこへ投げ込まれる氷柱。アシュレイが放ったそれらはドラゴンの口内へ放たれて炎は封じられる。
そしてアシュレイは剣を片手に火竜へと走った。
ニルスはそれを横目に目の前の竜へと歩みを進める。火竜は尾を振り回して抵抗するようにニルスを打った。対する彼は、木の棒を盾にして受け止める。
まるで壊れてしまいそうなほどの衝撃だったが、ロブストはその気配を見せない。ヴィオレッタの言う通り、呪いの均衡を保つ性質によっていくらか武器が硬度を増したようだ。
もちろんアシュレイの施した鍛冶によるところも大きいのだろう。ニルスは後で礼を言っておかねば、と心に決めた。
それからニルスは素早く背中に飛び乗り、さらに頭の上へと跳躍し着地した。
「グオオオ!」
ドラゴンの怒りの混じった声が間近に聞こえてくる。
「まあ、流石に頭に乗られたら怒るよな」
ニルスはそこから飛び上がってロブストの棒を振り上げる。そして竜の頭上から振り下ろすと地面めがけて全身の力を込めて振り下ろした。
竜の頭が、首が、腹が、真二つに割かれていく。俊敏に叩きつけられたそれは火竜の体を潰すことなく、切断面は歪に溶かされたようだった。
『壮観ね』
頭の中でヴィオレッタが呟く。思えばニルスの全力を見るのはこれが初めてだった。
しかしニルスは一頭の火竜を引き受けているアシュレイが気になり、その方へ駆け出す。
そしてそのアシュレイは、遠くからファイアードレイクの倒れる音が聞こえたため振り返った。
彼女はニルスのことを端から心配してはいないが、まさか竜すらもあっさり倒してしまうとは。そんな彼女に、彼の隣にいたいと思うなら竜を討つべし、と闘争心が湧き上がる。
アシュレイはすぐに交戦中の火竜の口目掛けて魔法を撃ち、走る。
「ニルス、手出しをしないで」
彼が呪いに立ち向かうように彼女も、高い壁に立ち向かっていかなければならないと感じていた。
思考を続けながら、尾の届かない場所で剣を構える。あの一撃は強力だ。あんなものはニルスでなければ無事でいられるか分からない。
すると、ファイアードレイクはアシュレイに攻撃が届かないと悟り、距離を詰めながら炎を吐き出してくる。
彼女はこれをむしろ好機と捉えて炎を避けながら近づいていく。やがて一度に放出できる炎の限界量になり、炎が弱くなったその瞬間、竜の口目掛けて氷を撃ち込む。
身じろぎした竜に更に攻撃を加えていく。大きく開かれた口に剣先を突っ込み相手の口内を抉る。
苦しむ声を聞きながら、アシュレイは剣を素早く抜く。抜くが早いか、口からは炎が吹き出てくる。そしてアシュレイは飛び降りながら竜の腹に剣を突き立てる。
しかし傷をつけることは叶わなかった。相当に硬いようだ。
「……次で決める」
自身の意志を定めるようにそう呟いた。
再び炎が肩を掠める。今度はアシュレイが近づいていくと尾を使って薙ぎ払おうとその身を捻った。
それを跳んで躱し、もう一度氷柱を口に放り込み入り口を広げると、剣で舌を切った。
火竜は悶え苦しみ、地を揺らす。アシュレイはその間も鮮やかな振る舞いで硬い鱗を複数回斬りつけることでその防御を突破する。
やがて創傷は多く、足下の出血もままならなくなってきたところで、その動きは止まった。
――――――――
重量のある何かが落ちてきたような、大きな音と地響きとともにニルスの意識は覚醒する。どうやら、痛覚が受ける絶え間ない刺激に精神が耐えきれず、気絶していたようだ。
目を向けた先にはアシュレイが剣を構え、息を切らしながら立っていた。
ニルスは立ち上がろうとするが、立ちくらみのため思わず膝をついてしまう。先の戦いで思ったよりも多く血を失ってしまったらしい。
「だ、大丈夫……?」
すると、誰かがニルスを支えて起き上がらせる。
なんとそこにはカーラの姿があった。なるほど、アシュレイはそれを見て火竜の討伐に精を出したのかもしれないとニルスは考えたが、それもまた事実だった。
見返す時は今だと、わざわざ彼らの見ている前で一人で戦ったのだ。
「生きていたのか……」
側には取り巻きの男達もいた。犠牲になったのはケヴィンというあの男だけのようだ。
彼女達はあまり傷ついているように見えなかったため、心の澄んだ生き物にはありえない話だが生贄にと差し出したのかもしれない。
「あんた、一体何者なのよ。紫の癖にドラゴンなんか倒しちゃって」
「言っただろ。見かけの色だけで判断するのはよくないって」
「はっ……! もしかして訳あって実力を隠してるってことなのね!」
「等級の色って見かけなのか……?」
感心するカーラと、その横で疑問を浮かべる大盾を抱えた男に構うことなくニルスはアシュレイの元へと駆ける。
「アシュレイ、大丈夫か?」
「こんなの平気」
「はあ……私もまだまだなのね。わかってたわよ、橙等級になれたのも、ほとんどアシュレイのおかげだったってね」
カーラはギルドで会ったときよりも幾らか丸くなったように見えた。自身の実力はそれなりにわかっているようだった。
ひょっとしたら、カーラ達にもあの竜は倒せていたのかもしれない。もう一体の竜の存在という不測の事態がなければ。
しかし冒険者と言われるものならばいかなる困難も跳ね除けなければならないのだ。それが危険を隣り合わせに活動するという、彼らの生き残る術だから。
それならばニルスは冒険者に――呪いさえも克服できる冒険者になりたいと思った。
『いや、もう克服しているようなものだと思うけど』
そんなニルスのやや強い思念が伝わり、ヴィオレッタはやや呆れて呟いた。
「ねえ、それなら私達と一緒にパーティー組みましょうよ!」
「え……そこは鍛錬に励む意気込みを見せる場面じゃ」
突拍子もない勧誘にニルスは驚きを隠せない。
確かにニルスさえいれば討伐依頼で困ることもないだろう。カーラ達にとって、彼を誘うということはそれなりに楽をするためにあった。
「カーラ、指見て」
「っ、そんなものまた見せびらかして……こ、婚姻結んだからってパーティーを同じにする必要ないじゃない。考えるだけならただなんだから、じっくり検討しておいてちょうだい!」
カーラはそう言ってそそくさと立ち去り、落ちていた魔石の一つを拾い、もとい盗んで姿を消した。




