20.餌に見えて困る
翌日、依頼のためにニルスはアシュレイとともに湖のほとりへと赴いていた。そこには昨日新たに加わった精霊の姿もある。
「ところでニルスはその木の棒でどうやって戦うのかしら?」
「単に叩くだけだな」
「え……?」
呪いを負ってもなお、攻撃をしようとするニルスに、どうやら彼女は驚いたようだ。
「今からニルスに攻撃を意識しないで戦ってもらおうと思ってる」
「あー、そういうことね」
呪いが意識の範疇で作用することをヴィオレッタは知っているのだ。とはいえ、ニルスは呪いを関係なくロブストを振るうことができるのだが、彼女はその事実を受け入れないだろう。
「武器が木の棒なのは呪いに関係するのかしら?」
「ああ」
ニルスが手にする武器は重量が増す。これは感覚だけの話ではなく、彼が触れていれば性質自体に変化が生じるのだ。
「そういえば、ニルスはその棒をどのくらい重く感じてるの」
す
「え、そうだな……」
説明をしようとして言葉に詰まる、武器だけが重く感じるという性質が彼にのみあるという中では、何か他の物で例えなければ意味がないのだ。
「……水桶に水を入れたくらいの重さかな」
「分かりにくい。多分それは私が使ってる剣くらいの重さだと思う」
アシュレイの長剣は一般的に用いられる物と比べて重量も変わらず、力量のあるものなら軽々と振り回すことができるだろう。
説明の伝わりにくさを言い咎められ、ニルスは声には出さないものの不服そうにする。彼には妥当な例えだと思ったというのに。
「まあニルス、そう怒らず。でも……それが呪いなら、何らかの形でニルスに加担してくれる働きもあるはずよ」
本来は変化と静止、それぞれの性質を持ってバランスを保っている。その呪いの片方しか持ち得ないニルスだが、その不安定な状況を支えるにはどこかで埋め合わせが必要なのだ。
そしてその性質は呪い同士、似通う傾向にある。
「えっと、武器が重くなるように変化してるから、武器に関する静止の働き?」
「そうね。これは私の推測だけど、この場合、何が呪いと決まってないからその時々によって働きが変わると思うのよね。武器で攻撃を受けるときは静止させるように働いたり、物質を構成する元素の静止……硬化とも言えるかもしれないけど、そうして働いたり」
世界の理に引かれているようで、実はその柔軟性は豊かそうであった。その事実に惹かれたアシュレイは更に問う。
「意外と便利?」
「確かに、効果を縛られていない分、こちらの方が有用かもしれないわね。他にも、触覚がなくなるっていう呪いもあったと思うけど、その静止に対して別の感覚、視覚だとか聴覚が変化して発達する。そういう経験ってないかしら」
「そういえば……」
戦いの際は視覚もあてにできなくなるため、音に集中していたが、異常に聞き取れていた気もしなくない、とニルス。
「ま、探してみたらもっとみつかると思うから今度から意識してみるのもありかもね」
そしてニルス達は徒歩で湖畔まで歩いていった。距離としては中々にあるようで、日もすっかり昇りきってしまった。
「着いた」
湖はかろうじて反対側の陸が見えるほどの大きさであった。水質は悪くなく、飲んでも腹は痛くならなそうだとニルスの野外生活の勘が告げていた。
しかしそれは彼が水を掬う前に感覚を消すことで遮られる。
「敵か……」
彼が反応するまでもなく、それは容易に視認できた。駆除対象であるカエルの魔物、ポイゾナスフロッグはその繁殖力で数を増やし続け、一帯の生態系に害を及ぼすほどに大量となっていた。
「そうしたら、ニルスには昔みたいに戦ってみてほしい」
「昔? ……あまり覚えていないけど、こんな感じだったかな」
昔とはニルス達が初めて会った頃のことを指す。あの時は狼の肉を貫いて魔石を直接取り出したり、アシュレイに危害を加える人間の鼻をへし曲げたり拳を破損させたりした。
そのようなことを朧気に思い出しながらニルスは魔物へと近づいていく。
そしてカエルの口をこじ開け、中から舌を掴み出すと引きちぎる。その勢いで、血が飛び散った。
「うえっ、随分と容赦ないのね。……アシュレイは無表情だけど」
「いや、あれで結構我慢してるな。となると、やり方は改めないといけないか」
「我慢なんか、してない。私のことはいいから次」
アシュレイは既に両生類の湿った表皮に気色の悪さを感じていた。正直、限界は近いと言っていいだろう。だがここで音を上げるようではニルスに相応しくない、そう思ってしまったのだ。
そして四、五匹と数をこなしていったニルスは、危害を加えることを前提としない動きに慣れたのか、木の棒を振るい出す。
彼の制御されていない、その筋力で叩かれたポイゾナスフロッグが無残に飛び散ったため、辺りは先程よりも酷い惨状となった。
しかし、彼がやはり全力を出せるのには攻撃という意識を働かせないことが、呪いの作用も打ち消すのだと確信に至ることができた。
「……見える範囲だとこんなもんか?」
「うん。お見事でした」
しかしその目はどこか虚ろだった。一度どこかで休ませる必要があるだろう。
そう思い、ニルスはアシュレイの膝裏と背に腕を入れる。
「少し移動しよう」
「あっ……」
ニルスがアシュレイを抱きかかえると彼女は短く声を上げた。その声に、精神以外には異常がないことをニルスは確認し、少し安堵する。
「……しかし、あまり襲われなかったな」
ポイゾナスフロッグは戦闘能力に関して言えばそこいらの子供よりも劣っていた。それらがこの湖畔で繁殖し続けられたのには毒を持っていることに理由があった。
周辺には毒を処理する能力の持った魔物がおらず、天敵のいないポイゾナスフロッグ達は悠々と数を増やすことができたのだ。
彼らのような厄介な生物を含め、前例のなかった生息域の異なる魔物の自然的発生がここのところ問題となっている。
しかしそんな問題もニルスには関係がなく、毒を持つポイゾナスフロッグでさえ食することができそうだと考えていた。
「ニルス、ありがとう。もう大丈夫だから」
アシュレイは落ち着きを取り戻しニルスに降ろすよう訴える。というより、彼に抱き上げられているこの状況に耐えられなかったのだ。
「いや、敵だ」
ニルスは感覚が消え失せるのを理解するとすぐに対象を探す。しかしどうしてか見つからない。それを自然と視界に入る角度の違うアシュレイが発見する。
「ニルス、上!」
アシュレイが叫んだその先を目で追う。そこには三匹の大きな蜂がいた。
「でかいな」
「気をつけて、あのメガホーネットは毒を持ってる」
「分かった」
ニルスはアシュレイを降ろし、すぐさま真上に向けてロブストを投げる。何も考えずに。そう、投げて取る、それだけの単純な動作だ。
しばらくすると振り上げていた手に木の棒が戻ってくる。皮膚感覚のかわりに痛覚を持ってそれを知らせたのだった。
「二匹撃破、流石」
そう言うと同時に蜂達が地面に落ちてきた。二匹とも原型を留めていなかった。それほどまでに殺傷能力は高い。
そしてニルスは残りのメガホーネットの突き出した針を躱し、難なくはたき落とした。
その後も絶え間なく襲いかかる巨大蜂をアシュレイと駆除しながらさらに湖畔を進むと、木々によって守られた少し開けた空間にそれはあった。
「巣……?」
人間が収まってしまいそうなほどの特大なそれが吊るされているのだった。それを守るようにして佇む女王蜂とその配下の無数の蜂達。
「でかいな……」
「ギガホーネット。あいつの毒は子竜も殺すって言われてる。気をつけて」
メガホーネットの倍ほどある体躯を持つ女王蜂。流石の肩書きもあって、その姿には畏怖の念さえも感じられた。
「分かった」
ニルスは感覚の無くなった手でロブストの棒を握りしめる。そこへ、耳障りな羽音を立てて蜂が数匹飛んでくる。
そしてニルスの放った木の棒の一閃が一匹を仕留める。そのまま二匹目に狙いを定めてロブストを飛ばす。
降ってきた木の棒を受け取ると未だに襲ってくる蜂へと目を向ける。
しかしそれは飛び上がったアシュレイによって切り刻まれる。
「ニルス、後ろっ!」
アシュレイが叫ぶ。
流石は一国一城の主である。ニルスが気づかないはずはなかったが、絶え間なく耳を埋め尽くす耳障りな羽音のせいか、接近に直前まで気が付かなかった。
振り向くとそれは毒の滴る針を向けている。ニルスはすぐにロブストを女王蜂へつきたてる。驚くべきはその速度、筋力に任せてそれはギガホーネットへと向けられたのだった。
しかしながらそこで予期せぬ事態は起きる。
「ぐっ……」
動かない。動かなかったのだ。まだ慣れはじめの攻撃手段では、いざという時に癖が出てしまう。今のニルスは呪いに制御され、動きを止めてしまっていた。
仕方がない。ニルスは歯を食いしばった。
ここへ来た目的に反する行為かもしれないが、力を限界まで振り絞ることにしたのだ。
それはやがて呪いの許容量を超えると僅かに前へと押し出され、女王蜂の腹部を貫く。
「うぐっ……」
しかしニルスの方も無傷とはいかなかった。目の前の光景が明滅し、頭痛が激しく襲う。
そうかと思えば毒が体を回ったのか、今度は意識が朦朧とし始める。
「ニルス!」
遠くからアシュレイのそんな声を聞いた気がして、何故か安堵したニルスはそのまま意識を失った。




