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最後の祈り  作者: Yuki-N
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聖也②

 聖也は思い出す。

 本当は、何かは出来たのだ。その結果が何も生み出さなかったとしても、何にも繋がらなかったとしても、僕は出来たし、真由はそれを望んでいた。

 でも、僕は逃げた。その道が、どこへも行き場のない、行き止まりの道だからと逃げた。だって、ただの理科オタクの中学生の僕に、いったい何が出来たと言うのだ――?

 それは、今まさに三十歳を目前に控える自分が、クレイグに言い訳として告げた言葉に他ならない。


 おかしいなと思うことは時々あったが、それがはっきりと知れたのは、聖也が十歳、真由が八歳の夏休みのことだ。

 二人は、真由が真由の祖父と住む家の中で遊んでいた。宝探しのようなことをしていたのだ。広く古い屋敷で、玄関ホールは洋館風、吹き抜けの階段が二階へと繋がり、シャンデリアが二階の天井から重々しくぶら下がる。そうかと思えば、畳敷きの和室がいくつも連なり、仏間には巨大な仏壇が置かれ、庭先には大きな灯篭まであって、その側に建てられた離れはちょっとした茶室の風情だった。祖父は、その茶室を趣味のアトリエに使っていた。

 真由の祖父はアトリエに籠ってしまえば屋敷の方へ出てくることはなく、そうなると、母屋には家事を取り仕切る通いの家政婦の老女、翠川しかいなかった。聖也や真由が屋敷の中をいくら駆け回ろうと、翠川は微笑んで二人を見ていた。決して、怒ることはなかった。

 その日、聖也と真由は、宝探しの流れで屋敷の物置部屋の前にいた。いつも鍵がかけられて開かずの間のようになっており、聖也はもちろん、真由も物置部屋の中には入ったことがないのだと言った。真由の祖父は朝からアトリエで、翠川は台所にいた。二人をとがめる目は、どこにもなかった。

 祖父のアトリエから鍵をこっそりと持ち出し、物置部屋のドアを開けたのは真由だった。部屋からは、聖也の嗅いだことのない匂いがした。

 壁のスイッチを入れると灯りがともり、そこはちょっとした異空間だった。複雑な幾何学模様の織り込まれた二メートル四方はあるタペストリーが壁に吊り下げられているかと思えば、その上には、仮面舞踏会に出てくるようないつくもの仮面、さらに目を転じれば、中国の昔のものであろう、陶器の壺が、真由の背丈ほどもありそうな大きなものから、水筒程度の小さなものまで、物置部屋の一隅に雑然と並べられている。そのほかにも、まだまだ、子ども時代の聖也にはすぐに何と判別できないような、海外の民族色豊かな、そしておそらくは高価な土産物たち。

 真由はドアをいっぱいに開くと、近くにあった象の置物で閉まらないようにと押さえた。それで聖也を振り向き、

「入ってみよう!」

 と先に立って物置部屋の奥へと進んでいく。

 物置部屋の窓は陳列棚でほとんど塞がれて、照明も電球一つで薄暗かった。聖也はちょっと気味が悪いと思ったのを覚えている。だが、十歳の好奇心旺盛な少年にとっては怖気づくほどのものではなく、すぐに先を行く真由を追った。

 実際、たいして長い時間、そこにいたわけではなかった。子供にとって見たことのない不思議なものであったとしても、玩具のようなものではなく、ゲームでもなく、祖父が財界に身を置いていた時に海外の賓客から貰った土産物に過ぎない。だから、すぐに飽きた。

 だが、ドアストッパー代わりにした象の置物は軽く、底は滑りやすかった。

 二人がまだ物置部屋の奥にいる時に、置物はドアの重みではずれ、ドアが、きしみながらゆるゆると閉まっていく。

 先にそれに気づいたのは、真由だった。真由の表情が凍り付く。

「やだ!」

 その言葉が口から出るのと同時に、ドアは音をたてて閉まった。真由は聖也を押しのけ、ドアに向かう。ちょうどその時に、電球切れた。

 闇の中、真由の喉から、空気が漏れるような音がした。

「真由?」

 真由の身体が大きく揺らぐ。聖也は咄嗟にそれを受け止めようとするが、二人してバランスを失った。聖也は真由を抱きかかえたまま、豪奢な装飾の大きなガラス器に倒れ込んだ。ガラス器はその隣の壺を押し倒し、それがさらに連鎖して何かを倒し、真由もまたぐったりと聖也の腕の中で動かず、聖也は何をどうしたらいいのか分からず、闇の中で、

「真由? 真由、大丈夫か?」

 とただ叫んだ。

「真由? 真由。真由!」

 何度呼んでも、答えはない。

 ――まさか、死んじゃったのか? 

 そう思った途端、聖也は胸を刺すような恐怖に襲われた。

「真由! 真由!」

 聖也は大声で呼び続けながら、真由を抱きかかえて進み、ドアを開けると廊下へと転がり出た。真由は死んだように動かず、顔色は白い。でも、聖也の腕の中で息をしている! 聖也は神様に感謝した。

「誰か! 誰か来て!」

 聖也は、力いっぱいに叫んだ。


 ガラス器や壺がいくつも壊れたが、聖也の予想に反して、真由の祖父は聖也を叱ることはなかった。失神した真由は自室のベッドに寝かせられ、眠り続けていた。聖也は、祖父が来て指摘されるまで気づかなかったのだが、ガラス器に倒れ込んだ時に右手の甲から手首にかけてのあたりをザックリと切っており、流れ出した血が聖也のシャツだけでなく、真由のワンピースにも飛び散っていた。一見すると惨劇でもあったかのようにみえた。

 真由の失神は珍しくはないようで、往診した医師はさして驚くでもなく診察を済ませると、このまま寝かせておいていいでしょうと言った。そして、

「それよりも、君」

 と聖也の腕を取り、

「とりあえず応急措置をしておくが、君はこのまま病院に来なさい。縫った方が良いかもしれない」

 と告げた。


 病院には真由の祖父が付き添い、聖也の伯父まで呼ばれて、ちょっとした騒ぎになってしまった。伯父は聖也を叱り真由の祖父に謝ったが、逆に真由の祖父も聖也をかばい、大人たちは礼儀正しかった。病院を出ると、聖也は真由の様子が気になるから、真由の家に戻りたいと言った。伯父はご迷惑になると渋ったが、真由の祖父は是非見舞ってやってほしいと聖也に味方してくれた。

 家に戻ると、真由はまだ眠っていた。その様子を少し眺めた後、祖父は聖也をアトリエへと連れていった。聖也を色の褪せたキャンバス地のディレクターズチェアに座らせ、小さな冷蔵庫から麦茶を取り出して絵の具のついたマグに注ぎ、聖也に勧める。

「真由の失神、いきなりで驚いただろう」

「すみません」

 反射的に聖也は謝ったが、

「君のせいではない」

 と祖父は手を振った。

「あの子は、以前、怖い思いをしたんだ」

 祖父は、小学生にも分かるように、そして小学生には必要以上のことを悟らせないように、慎重に言葉を選びながら言った。

「いろいろ、怖い思いをした。暗い場所に長い時間、閉じ込められていたこともあった。だから物置部屋でドアが閉まって、電球が切れて真っ暗になり、その、以前の怖かった時のことを思い出した。――そういうことが時々ある。だから私たちは、真由と一緒にいるときには、とても気を付けて暮らしている。真由が早く、以前の怖かった記憶を忘れることができるように」

「――やっぱり、すいません」

 聖也はもう一度、謝った。

「僕が思い出させてしまった」

「いや、だから、謝ることはない。私や翠川さん、あの家政婦さんだけれど、私たちもふとしたことで真由を怖がらせてしまうこともある。悪いのは君ではない、私でも翠川さんでもない。悪いのは、かつて真由をたくさん怖がらせた奴らだ」

「それは、――誰なの?」

「それは、またいつか話す。話すべき時に、話すべき相手に。それは君かもしれないし、そうでないかもしれない。それまでは私が真由を守っている。でも、ずっとじゃない。私は年を取っているから。だから、代わりに誰かが真由を守って欲しいと思っている。それが君であればいいなとも思っている。実際、今日は君が真由を守ってくれたね」

 老人は微笑んだ。


 手の甲の傷は三針縫った。傷痕はその後も消えずに残った。その夏の間中、傷痕を触られるとむず痒くて仕方なかったが、真由は「勇者の証だ」と言っては、触りたがった。別に身を挺して真由を守ったわけではない、咄嗟に気づかずに、切っただけのことで、だからそんなふうに言われること自体も、聖也にはむず痒かった。


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