その百合(はな)は血で染まっている
ユキちゃんが死んだ。自殺だった。
夏のうだるような暑い日に、ユキちゃんは校舎の屋上から飛び降りて死んだ。
部活の朝練の時には笑っていたのに、そのわずか数分後、ユキちゃんは自ら命を絶ったのだ。
「ホームルーム始めるぞ~。座れ~」
いつも通り先生が教室に入ってきて、ホームルームが始まる。
「起立。礼。着席」
日直の掛け声もいつもと一緒。ただ一つ違うのは、私の斜め前の席に、ユキちゃんがいないということだった。
私はユキちゃんの机に置かれた花瓶を、ぼんやりと見つめていた。
「おい、薫! ホームルーム終わったぞ。大丈夫か?」
声をかけられ顔を上げると、海斗くんの顔が目の前に迫っていた。
どれほどの時間ぼんやりしてしまったのだろう。気がつけばホームルームは終わり、教室には数人ほどしか残っていなかった。
「次教室移動だから、早くしないと授業遅刻するぞ」
海斗くんはユキちゃんの幼馴染で、こんな私のことも気にかけてくれる。
「ごめん。ぼーっとしてた」
「雪菜のことでまだ調子が出ないなら、やっぱり学校休んだ方がいいんじゃねえの?」
「ううん。大丈夫。今は休んでる場合じゃないし」
私の言葉を聞いた海斗くんは、眉を少し下げて言った。
「まだ調べる気なのか? もう終わったことだろ」
「そんなことない! 勝手に終わらせないで!」
私が急に声を荒げたことで、教室に残っていた数人が一斉にこちらに視線を向ける。
でも、私にはそんな視線は関係ないことだった。
「ユキちゃんが自殺するなんて……。信じられないの。私はユキちゃんがなんで死んでしまったのか理由が知りたいの。あんな遺書だけじゃ納得できないよ……」
ユキちゃんが飛び降りた屋上には、綺麗に並べられた上履きと遺書が置いてあった。遺書には、家族や友達に対する感謝と謝罪の言葉が書いてあり、自殺の理由としては一言「もう疲れちゃった」とだけ書かれていた。
ユキちゃんはいかにも優等生という感じの、勉強ができて、周りからの信頼も厚い可愛い女の子だった。そして、私がなにか落ち込んでいるとすぐに相談に乗ってくれる優しい子だった。
「薫には私がついてるからね。なんでも相談してね」
ユキちゃんはよく私にこう言ってくれた。そういう時のユキちゃんは、いつも優しい微笑みを浮かべていた。その言葉と笑顔は、今も強く私の頭の中に残っている。
ユキちゃんがいたから、今の私がいるのだ。入学してすぐの頃、ユキちゃんが声をかけてくれなかったら、きっと私は今ひとりぼっちだっただろう。
それなのに、ユキちゃん自身は私に何も相談することなく逝ってしまった。
なんで。どうして。そんな考えが頭の中に渦巻く。ユキちゃんにとって、私はそんなに頼りなかったのだろうか。
ユキちゃんはこんなこと望んでないかもしれない。こんなことを調べてもユキちゃんが戻ってくるわけでもない。
それでも、私はなぜユキちゃんが自殺したのか理由を知りたいのだ。
最近、分かりやすいほど周囲から人が離れていくのを感じていた。それもそのはずだ。半狂乱で親友の自殺の理由について調べまわっている奴に、私なら関わりたくない。
頭では分かっているのだ。しかし、私の心が冷静に考えることを拒否していた。
「次はどこ行くの?」
あんなことを言っていた海斗くんも、結局調査に付き合ってくれるようだった。
「どうして一緒に調べてくれるの?」
私はつい気になってそう聞いた。
「え……。そんなの俺だって雪菜の幼馴染だし、気になることには気になるだろ」
なにか別の理由もありそうだったが、まあそんなものかとそれ以上聞くことはしなかった。
「私といると、海斗くんも友達いなくなっちゃうよ」
「なんで?」
「最近、私が避けられてるの知ってるでしょ」
「なにそれ、知らない」
そう言った海斗くんはきょとんとした顔でこちらを見つめ、こう続けた。
「まあ、仮に薫が皆に避けられてたとしても俺には関係ないし」
そう笑った海斗くんの笑顔は、どこかユキちゃんに似ている気がした。
海斗くんと一緒に色々と調べた結果、どうやらユキちゃんには、二藤恭平という家庭教師がいたらしい。彼は某有名大学の在校生で、表面上はいい人に見えるものの、裏では女の子を食い荒らしていると評判だった。
「会いに行くの?」
「もちろん。何のために調べたと思ってるの」
「だよな。じゃあ」
おそらく「俺も行く」と続いたであろう海斗くんの言葉を遮る。
「海斗くんは来ないで。ここからは、私一人でカタをつけたいの」
私はそう言うと、海斗くんを置いて走り出した。
後ろから「どうして」とか「待て」とか、色々聞こえた気がしたが、そんなのは全部無視した。
心優しい海斗くんをこれ以上、巻き込むわけにはいかなかった。
海斗くんが私のことを好きかもしれないということは知っていた。前にユキちゃんから聞かされたことがある。
「この間さ、海斗が薫のこと可愛いって言ってたの。絶対アイツ薫のこと好きだよ」
あの時も、ユキちゃんは笑っていた。いたずらそうな笑顔が可愛くて、よく覚えている。
本人から好きだと言われたわけではないため、本当かどうかは分からない。ただ、私のことを心配してくれていただけかもしれない。
どちらにしても、海斗くんの優しい笑顔を歪ませるわけにはいかないのだ。
私がこれから何をするつもりかなんて、海斗くんはまだ知らなくていい。
二藤が通っているという大学に着くと、高校生が珍しいのか、じろじろとこちらを見つめる視線が少し気になった。
事前にスマホに送ってもらっていた写真を見ると、人のよさそうな笑顔を浮かべ、いかにもモテそうな綺麗な顔立ちをしている。
辺りを見回してみるが、それらしき人物は見当たらない。
もしや、今日はもう帰ってしまったのだろうか。そんなことを考えていたが、まだ帰ってなかったらしい。目の前から、二藤と思われる男が歩いてきた。
「あの、すみません。少しお時間よろしいですか?」
私がそう声をかけると、二藤は私を上から下まで舐めるように見たあと、うさんくさそうな笑顔を浮かべ、「いいよ」と答えた。
「どこか座れるところに行こうか。ファミレスとかでいい?」
「いえ。……あまり人に聞かれると恥ずかしい話なので、二藤さんの家に行きたいです」
「え。俺の家?」
二藤は少し驚いた顔をしたあと、目を細めた。
「いいよ。行こっか」
そのまま二藤について行くと、どうやら一人暮らしのようだった。ある程度予想はしていたが、好都合だ。
二藤の部屋は、特に変わったところはない普通の大学生の部屋だった。
「好きなところ座って。お茶飲む?」
「あ、はい」
ユキちゃんの話を聞くためとはいえ、男性の部屋は緊張する。
「で? 君の名前はなんていうの?」
そう聞かれて初めて、まだ名前を名乗っていないことを思い出した。
「あ、宮地薫です」
「薫ちゃんね。それで薫ちゃんは、俺に何の用なのかな?」
きた。私は一呼吸おいてから、覚悟を決めて話し出した。
「ユキちゃんの、……川島雪菜について話を聞きたいんです」
私がそう言うと、二藤は明らかに表情を変え、口調が乱暴になった。
「は? なんだよ。俺と遊びたくて来たんじゃねえのかよ」
「ユキちゃんの自殺について、何か知っているなら教えてください」
「なんも知らねえよ」
「本当ですか? 二藤さんが、裏では女の子を食い荒らしているという噂を聞きました。ユキちゃんにも同じことをしたんじゃないんですか」
「食い荒らしてるなんて酷い言い方だなあ。俺は女の子が抱いてくれっていうから、抱いてあげてるだけだよ。もちろん雪菜もね」
「……」
二藤の何も悪いと思っていない態度に、怒鳴りたくなる気持ちを抑える。黙っている私を横目に二藤は話し続ける。
「抱いてって言うから抱いただけなのに、アイツ、俺の彼女面し始めてさあ。あれは困ったな」
「ユキちゃんのこと弄んだんですか」
すると、二藤はおかしそうに笑った。
「弄んだっつーか、アイツが勝手に勘違いしただけだし。一回寝ただけで彼女面しないでて言っただけで、死ぬし。ほんと迷惑な奴だったよ」
「……は?」
私の呟きに二藤は気がつかないまま、なお話し続ける。
「ね、そんなことよりさ、薫ちゃんも俺とのセックスに興味ない?」
そう笑う二藤の顔を見た瞬間、何かがブツンと途切れる音がした。
気がつくと、目の前には二藤の死体が転がっていた。
手には、この日のために用意したナイフが握られている。
確かにユキちゃんの自殺の原因が二藤であったなら、殺してやろうと思っていた。しかし、本当に殺してしまうなんて。
やっぱり海斗くんを連れてこなくてよかったと、心からそう思った。
それからしばらく二藤の血で染まった両手を見つめていた。
こんなことをしてユキちゃんは喜ぶのだろうか。いや、きっと、絶対、ユキちゃんは喜ばない。
では、なぜ二藤を殺したのか。それは私が殺したかったからだ。私からユキちゃんを奪う原因となったこいつが憎らしかったのだ。
しかし、二藤を殺してもなんだか気分は晴れなかった。結局、二藤を殺してもユキちゃんは帰ってこない。そんなこと分かりきっていたはずなのに。このもやもやは一体なんなのだろう。
……ああ、そうだ。もしかしたらユキちゃんと同じ屋上から飛び降りれば、このもやもやは晴れるかもしれない。
私は二藤の死体とナイフをその場に残し、学校へと急いだ。
学校に向かう道中で出会った人は皆、私を見て悲鳴を上げた。当たり前だ。顔も手も服も二藤の血で真っ赤に染まっているのだから。中には私が怪我をしていると思って声をかけてくれた人もいたが、その人には申し訳ないことをしてしまった。
ようやく学校の屋上まで来ると、外にはパトカーが数台止まっていた。血まみれの私を見て、通報した人がいたのだろう。
予定より外野が少し騒がしくなってしまったが、そんなことはどうでもよかった。
私はこの屋上から飛び降りることで、ユキちゃんと気持ちを一つにできそうな気がした。
屋上にあるフェンスを乗り越え、足を一歩踏み出した。体を傾け、完全に宙に浮いた時、なぜかふと、「ああ、私はユキちゃんが好きだったのかもしれない」と思った。
いつから好きだったのだろうか。ユキちゃんの優しさに触れるたびに徐々に? あるいは、出会った瞬間の一目ぼれだったのだろうか。
親友とはいえ、こんなにもユキちゃんに執着していたことに自分自身、ずっと何かが引っかかっていた。
そうか。ユキちゃんのことが恋愛の意味で好きだったのか。
その考えがストンと自分の中に落ちてきたと同時に、先程までの胸のもやもやがさあっと晴れていくのを感じた。
もうすぐ地面とぶつかりそうという時に、校庭で私を見ている群衆の中にぽつんと、微笑むユキちゃんの姿が見えた気がした。
初めての百合です。