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トイレに行ったら推しになった話

作者: 海月らく

ーー国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。



 長いトンネルを通ったわけでもないし、長い時間が過ぎたわけでもない。

 薔薇子(ばらこ)はトイレに行ったのだ。


 たとえデート中であっても生理現象は止められない。たとえ、なので、残念ながらデートではない。薔薇子は、都内で就職した友人・公子(きみこ)と一緒に野球観戦に来ていた。


 子供の頃は父の贔屓のチームが勝った負けた、という程度にしか興味がなかった野球だが、たまたまテレビ中継で「イケメン選手がヒットを打った」場面を見たことがきっかけで大ハマり。テレビ中継を見る頻度が増え、球場に足を運ぶようになった。

 薔薇子は地方在住だ。イケメン選手が所属する父の贔屓チームは東京に本拠地を構えており、球場で観戦するといえばもっぱらビジター球場だった。

 今日は念願のホーム球場現地観戦。青天のもと、球場グルメと野球をつまみにアルコール摂取しつつ応援歌を歌い、あーなんて素敵な日曜日なんだろう!と、ニマニマしながら用を足した10秒後。



「あり?間違った…の…かな?」


 個室から出てきた薔薇子の目に映ったのは、女子トイレにはせいぜい子供用のものしかない、アレだ。何基も並んでいる。ということはここは女子トイレでは無い。


 ちょっとお酒が入ってたとはいえマジか。

 幸いなことに、この空間には誰もいない。誰もいなくて本当に良かった。手を洗って早々に退散すべし!


「ングフォッ!?」


 思わず変な声が出てしまった。

 洗おうと伸ばしたその手は大きく、手のひらには何度も潰れたであろうマメが皮膚を硬くし、見慣れた自分のものでは無かった。恐る恐る前の鏡を見上げると・・・



・・・トイレのドアを開けるとわたしは推しだった?



 いやいやいやいや、なんておいしいことに・・・否、なんていうことになったのか。

 鏡に映る自分であるはずの姿は、どこをどう見ても、東京ペンギンズの4番バッター岩田宗人(いわたむねと)だ。

 野球にハマるきっかけとなったイケメン選手こと岩田宗人。1年目は1安打のみに終わったものの、2年目以降は打撃も守備も着々と成長し、4年目には堂々の開幕4番スタメンを勝ち取った、いまやペンギンズの顔である。


「うっそぉぉぉ・・・これ宗人?本物??あぁ声も低いしこれ宗人の声なんだよね? あ!本物のユニだぁ〜、やっぱさっきまで着てたレプリカとは違うなぁ〜いいなぁ〜プロ仕様ユニ買おうかなぁ〜」


 ユニフォームの手触りを堪能しながら薔薇子は男子トイレを出た。ユニフォームで手を拭いていたわけでは決してない。堪能した結果ユニフォームが濡れただけだ。

 さてトイレを出たまではよい。宗人となった自分はこれからどうすればよいのか。なにも考えずに出てきてしまった。

 今日は消化試合に突入しているせいか、宗人はスタメンを外れベンチスタートだった。せっかくの現地観戦なのに推しのプレーが観られないのは残念極まりない。スタンドで観ていた5回までに出番がなかったわけだが、こんな間近に推しを感じられるとは。


 キョロキョロ辺りを見回していると、球団マスコットのペンクロウが壁にもたれて座っていた。

 ペンクロウはチーム一、いや球界一の人気者と言っても過言ではないベテランマスコットである。愛嬌ある顔に、夢と希望とブラックさが詰まったお腹をもつペンギンだ。いつもならグラウンドへの通路の扉の隙間から試合を観ているはずだが?


「ペンクロウ!どうしたのそんなところでしゃがみこんで?」


 生ペンクロウを近くに発見し、つい素で話しかけてしまった。いけない、自分は今、岩田宗人なんだ。成りきっておかねば不審者にされかねない。


 こちらを見たペンクロウは普段の緩慢な動きとは比べ物にならない速さでやってきてわたしの肩を掴んだ。


「お前誰!?スーさん!?」

「近い近い近い近いくちばし当たって痛い」


 おでこをさすりながら、誰って岩田宗人じゃん忘れたの?と成りきって答える。

 一歩下がったペンクロウの目から光が消えた。ように見えた。



 ◆◇◆◇◆



 トイレに行った。用が済んで出た瞬間、岩田宗人の視界は狭くなり身体が重くなった。ここは確かグラウンドに入る関係者専用通路、ペンギンズのマスコットキャラクター・ペンクロウが待機する通称“鳥小屋”だ。


 後ろからボンボンと衝撃があった。


「ペンクロウさん!後ろつかえてます!前に進むかちょっと端に寄ってください!」


 どうも背中を叩かれたようだが、え?俺に言ってる?ペンクロウさん?

 ひとまず端に寄る。後ろにつかえていたチアグループやスタッフが早足で通り過ぎていった。


 足元を見れば大きな白いお腹が見えた。手を見れば黒いぬいぐるみのようだった。間違いない、これはマスコットの中に入っている。自分はいつの間に何故マスコットの中に入ったのだろうか。

 ペンギンズのマスコットには唯一無二のベテランの魂が存在する。ベテランの魂に何かあったのだろうか、だとしても自分が入るのは変だ。スタメンを外れているとはいえ、ベンチ入りしているわけで。

 バックヤードへ行ってスタッフに聞いてみようと宗人は歩みを進めた。



 小さな段差に躓いた。



 宗人は座り込んでいた。

 お、スーさん珍しいねこっちに来るなんて。現場スタッフの中でもエライ人が自分を見るなり声をかけてきたのだ。また飲みに行こうな、なんて言いながら去っていった。

 「スーさん」その一言だけで宗人がペンクロウの中にいることは知らないし、そういう非常事態が起こったわけでないことを示していた。「スーさん」とはペンクロウの事ではない。唯一無二の存在の事だ。


「どういう事だよ・・・スーさんは?・・・ってかこれ俺の声じゃない!?」


 その時声をかけられた


「ペンクロウ!どうしたのそんなところで座り込んで!」


 声の主は自分だった。声のする方を見ると、自分はここにいるのに自分がいる。視線の先の自分はもしやスーさんなのかと、つい掴みかかってしまった。距離感は掴めずに。


「誰って岩田宗人じゃん忘れたの?」


 自分じゃない自分が自分をケロッと名乗った。



 ◆◇◆◇◆



 大丈夫かな?宗人に成りきれたかな?ばれてない??

 薔薇子はぎこちない薄い笑顔でいた。


「いや、お前は岩田宗人じゃない」


 ばれた。何故だ、何も変な事は言ってないはずだが、もしかしていつもは敬語だったりするのだろうか。緊張感で冷や汗が出てきた。お腹が痛くなりそう。


「よく聞けーー」


 一歩下がっていたペンクロウの大きな頭がジリジリ迫ってくる。

 冷や汗と手のひらの汗が尋常じゃない。


「岩田宗人はーー」


 グーキュルキュルキュー


 薔薇子は身体に異変を感じた。


「アウッ、お、お、お腹がっ・・・」

「えっ、あっ!ああ!!おおおおおい、ト、ト、トイレに行ってくれー!頼む!もらすなよ!!」


 慌てるペンクロウが薔薇子を男子トイレの方へ押す。


「え!いや、宗人で!?うそっ無理!あ゛あ゛あ゛こっぢも無理ぃぃぃ!」

「無理とか言うな!俺はもらしたくない!!さっさと出してこい!!いやお願いしますトイレに行ってくださいぃぃぃ」



 恥ずか死ぬ。



トイレから出てきた薔薇子はスッキリついでにあっさりカミングアウトした。


「すいません自分は岩田宗人じゃありません諏訪というもので今日は初めてここに観戦しにきたただのペンギンズファンなんですがなんかいきなり岩田宗人になっちゃって1軍デビューからの推し選手だったもんでちょっとテンションあがっちゃった部分もあったり宗人のフリしておかないと不審者扱いされたら困るしなりきってみようとしたけどバレちゃって挙句の果てに推しの姿でトイレとかもう天国なのか地獄なのか本当にすいません粗相はしておりませんので何卒何卒」


 土下座する勢いで思うがままに言い切ったし土下座した。


「いやいやいや何かこちらもすいません、頭を上げてください。自分が岩田宗人です」

「は?」

「いやだから、岩田宗人の意識っつーんですかね?今外側ペンクロウですけど魂の中の意識?一瞬にしてこん中入ってた感じで」

「だから私が岩田宗人では無いと」

「そうです。初めは自分がペンクロウの魂になったのかと思ったのですが・・・」

「え?もしかして私たち」

「二人と一体で入れ替わってるかもしれないっすね」


 二人ならラブコメになりそうなものの何故ペンクロウも!ただのコメディじゃないか!と薔薇子が一瞬思った事は内緒だ。


「ところで諏訪さん、野球のご経験は?」

「無いです!もっぱら観る専門です!」

「体育とかでは?」

「無いです!!」


 バッティングセンターに行った事もなければ、キャッチボールもした事がない。かろうじて野球盤を子供の頃にやったくらいだ。


「はぁそうですか・・・自分は今日控えなのでもしかすると試合展開によっては代打で起用される可能性があるんですけど」

「はぁ」

「その時はよろしくっす」

「へ!?」

「守備はないはずです!」

「いやっ、でも!」

「ちなみにもう一つお願いが」



 もう一つのお願いはすぐにやってきた。

 薔薇子はトイレに駆け込んだ。



 ◆◇◆◇◆



 試合は7回へと進んでいた。1対3、ペンギンズは今年の優勝チーム・ビッグマンに二点のリードを許している。

 宗人の話によると、今朝は何ともなかったが、試合前練習中から何度もトイレに駆け込むようになり、お腹の“コンディション不良”としてスタメンを外れたらしい。どのくらい時間がかかるかわからない守備に出る事は無いわけだ。


「宗人さん腹の具合ヤベーっすねwケツ大丈夫っすかwww」

「オ、オゥ、何とかな」


 宗人とは自主トレを一緒に行う、後輩選手だ。

 普段の薔薇子ならば、選手から話しかけられるなどテンション爆上げ案件ではあるが、今はなるべく話しかけられたくない。しかもケツの話など以ての外である。


「無茶するからっすよー。牛乳嫌いなくせに1L一気飲みとか」

「ハハッ・・・」


 アホか!?アホなのかー!?なんで試合前にそんなことするんだよバカモーン!!


「まぁでもカッコ良かったす」

「そうかなぁ!?」


 こいつもアホだったか。小学生じゃあるまいし。男子はよくわからん生き物である。



 試合は7回表が終了し、裏の攻撃の前にラッキー7(セブン)の応援が始まった。ペンギンズの応援必須アイテムの傘に照明が反射し、キラキラと輝いている。

 せっかく買ったのに新しい傘で傘振りしたかったなぁ。(きみ)ちゃん、私がこんな事になってること知らないよね。どうやって戻れるのだろう?戻れなかったらどうしよう・・・お父さんとお母さんにも会えなくなるのかな・・・。ダメだ泣きそーー


「アッハハハハハ!なんなんペンクロウ!!」

「ペンクロウ、バタンキューネ!」

「今日おかしくね?まじヤバイわwww」


 ベンチの選手が笑い出した。

 グラウンドに出てきていたペンクロウの方を向いてみると、突っ伏してバタバタしている。どうやら転んで起き上がれない様子だ。胴体が太く、腕と脚の短いペンクロウの()では起き上がるのは困難に違いない。


 よし、推しの好感度あげてやりますか。


「岩田さん大丈夫ですか?」


 ベンチから出てペンクロウの側に寄り、小声で声をかける。


「無理・・・足でも手でも支えられなくて起き上がれない・・・」

「フフッ、この姿もかわいいですけど、ちょっと転がしますねー」

「へっ?」


 胴体を押してゴロンと仰向け状態にする。うぉお、という声が聞こえたが気にしない。


「はい手伸ばして下さい、引っ張るので立って下さいよ。せえのっ」


 スタンドからもベンチからも拍手がおこり、「岩田くん優しい」「かっこいいぞ岩田」「よかったねペンクロウ」などと老若男女の声援が飛ぶ。


「ありがとうございました・・・死ぬかと思った・・・」

「そんな大袈裟な」

「いやわりとマジです・・・スーさんマジ尊敬・・・」

「多分ね、下向き過ぎですよ。頭重くて下向いてりゃ前に転けますって。前向きにいきましょう。じゃ、自分はこれにて」


 7回の裏の攻撃では、牛乳一気飲みカッコいいと言った選手のホームランで1点返した。



 ◆◇◆◇◆



「ムネ、次出たら用意しとけよ」


 9回表、3アウト取ったところでヘッドコーチから声がかかった。

 2対3、1点ビハインドのペンギンズは7番打者からの攻撃だ。9番打者の投手のところで、代打に入るということである。

 もし前の打者が出塁していれば岩田宗人なら同点、もしくは逆転サヨナラ勝ちという歓喜の瞬間が期待できるところだ。


 そう、岩田宗人ならね。


 期待値0!チームの皆様ファンの皆様申し訳ございません!ご覧いただく岩田宗人は無経験ズブのド素人でございまぁす!ファールボールよりも信頼度の急降下にご注意くださぁい!本人にも申し訳ないしああああああああ重圧ううううううううでもおおおおおおおお


「トイレ行って準備してきます・・・」


 ベンチ裏に下がると、想定内だったのだろう、宗人がいた。


「次出たら行けって?」

「はい…」


 打ち方やサインを教えてもらおうとベンチ裏に来たものの、徐々に緊張と不安とが入り混じって混ざり過ぎて何も考えられなくなってきた。

 出来ることなら無理ですって断りたいのが薔薇子の本音だ。


「別に出なくても良いっすよ?」


 薔薇子の顔を覗き込んで宗人がなんてことなさげに言った。


「さっきは『代打よろしくっす』とかなんとか言ってたじゃ無いですか」

「いや、顔に『無理』って書いてあるし・・・自分の顔だけどさぁ」

「出ます。無理だけど、出ます!」


 薔薇子の本音はひとつではない。


「だって岩田宗人見たいじゃないですか!」


 ファンとしての本音。


「出来るならスタンドで岩田宗人が出てるところ見たいですよ!イワタオル両手で掲げて応援歌歌いたいですよ!!たとえどんな結果になろうとも推しが出るのと出ないのとじゃ観戦後感違うんですよ!!!」


 “イワタオル”とは岩田宗人のフルネームがデザインされたフェイスタオルである。宗人の打席ではファンが両手でタオルを掲げて歌いながら閉じたり開いたりして応援するスタイルで、とびきり楽しい時間なのだ。それだけを楽しみに現地観戦している人もいると聞く。


「さっき岩田さんだってペンクロウの仕事果たそうと頑張ってたじゃないですか」

「それは今はペンクロウだし、スーさんには遠く及ばないけどやらないとスーさんに迷惑が」

「わたしだって今は岩田宗人だし、岩田宗人の仕事をわたしのできる限りやるんです。もちろん結果が全てっていうこともわかってるし、結果は期待できないのはご迷惑になるでしょう。無理だって断ってチーム内のあなたの評価を下げたくない。牛乳1L飲んだくらいで代打に立てないようなヤツだって思われて欲しくない」



 さっきまでの怖気付いた心持ちが宗人へのよくわからない所信表明演説でどこかへ行ってしまった。「いやそんくらいで評価下がらないから」という声も耳に入ることなく、薔薇子は鼻息荒くベンチへ戻っていった。


「そういえば初めてこの球場に観に来てくれたって言ってたよな・・・観て欲しかったな・・・」


 歯痒い気持ちになりつつも、宗人も自分の仕事を果たそうと持ち場へ戻ろうとした。


「ちょっとサイン!サイン教えて!ください!」


 戻ったはずの薔薇子に肩をグッと掴まれ、ペンクロウは後ろに転けた。




 ◆◇◆◇◆



 ーー9番、樫山に代わりまして、岩田。いわたーむねとー!


 ウグイス嬢が代打を告げた。

 スタンドがウォオオオと地鳴りのような響きをあげ、一斉にイワタオルを掲げる。


 岩田宗人はヘルメットの鍔をつかみ審判とキャッチャーへ挨拶をし、バッターボックスに入った。バットの先で軽く地面を2回叩いた後、バットを立てて腕を伸ばし深呼吸を1回、そして構えに入る。

 ノーアウト1・3塁。相手投手・原田は今シーズンセーブ王の最有力候補で、今オフにはメジャー挑戦を目されている。

 キャッチャーのサインに2度首を振り、3度目でうなずく。セットポジションから投げられた白球がキャッチャーミットに吸い込まれる。

 ストラアアアアアイク!


 ーーノーボールワンストライク。岩田、1球見送りました。ビッグマン原田良いですね、先ほどは2者連続ヒットを許してしまいましたが、建て直してきましたね。

 ーーそうですねぇ、でも今の際どかったですよ、私も現役だったら見送ってるでしょう。

 ーー原田、投げましたっ、ああっっと危ない!岩田の胸元へボールが飛んで行きました!キャッチャーよく捕りました!岩田はのけぞり尻餅をついています!



「なに泣いてんの・・・」

「・・・めっちゃ怖いって・・・や、え?あ、怖いだろうなぁと思って・・・あ゛あ゛あ゛ぎみ゛ぢゃあ゛あ゛あ゛ん゛!」

「なに!?なに!?なんで今日そんな情緒不安定なの!ほらほら薔薇ちゃんの好きな岩田選手、しっかり応援しなきゃ」


 ね?と公子は薔薇子に微笑んだ。公子が隣にいて、後ろのおじさんのラジオから実況が漏れ聞こえ、グラウンドを見れば宗人がバッターボックスに立っている。さっきまで()()()()立っていたところに。


 ストライク判定の球でも速くて手も足も出なかったのに、あわやデッドボールものだなんて

恐怖でしかない。ひぇえ、と腰が引けて後ろに転けたら、元に戻っていた。ボール球を避けて推しの身体に怪我をさせなかったことは、我ながら褒めてやりたい。

 応援歌を歌い、イワタオルを掲げ、願う。どうか、どうか、お腹がキュルキュルしませんように、集中して打てますように。


 カーンと打球音が響く。応援歌は消え、皆がその打球の行方を追う。いけ、いけ!

 米粒だった白球が徐々に大きさを増す。外野手が後ろへ下がる。グングンと向かってくるボールは勢いを失うことなく、ライトスタンド上段へ突き刺さった。

 鳴り止んでいたタイコやメガホンの音、そして拍手と大歓声が沸き上がる。ハイタッチするもの、雄叫びをあげるもの、抱擁するもの、皆一様に最高の笑顔だ。


 ーー放送席、放送席、そして青山スタジアムにお越しのペンギンズファンの皆様!今日のヒーローは、見事代打逆転サヨナラホームランを放った、岩田宗人選手です!おめでとうございます!

「ありがとうございます」

 ーー胸元を抉るボールからの、一発でした。感想をお聞かせください。

「そうですね、あのボールで目が覚めたというか、火がついた感じですかね。ランナーを1人でも返してやろうと思いました」


 尻餅ををついたあの時、やはり宗人もちゃんと元に戻ったようだ。ヒーローインタビューのお立ち台の横にはコクコクと頷くペンクロウがいる。“入れ替わり”があったのはだいたい1時間くらい。本来手の届かないものなのに、うっかり触れてしまった。元の手の届かぬ位置に戻ったことで、ぽっかり穴が空いたような寂しさを感じる。


「あのー、ちょっと思うところありまして、言っておきます」


 最後にファンへのメッセージを求められたところで、不穏なことを言い出すヒーローにスタンドからは悲鳴に似たブーイングがおこる。


「や、あ、別に辞めるとか悪いことじゃ無いんで!」


「こうやって僕ら毎日試合して、ファンの方に応援してもらっているんですけど、ファンの方は1人1人はずっと同じじゃないと言うか・・・中継が見れる日と見れない日があったりとか、球場で応援して下さってる方もよく観に来てくださる方もいれば、初めて来られる方や滅多に来られない方がいらっしゃってるわけで・・・元々毎試合勝つつもりで頑張ってるんですが、各試合がファンの方1人1人のオンリーワンだという事をもっと胸に試合に臨まないといけないなと思ったんです。今日ホームラン打てたのはそう思ったおかげかもしれません。 明日からもより一層頑張りますので、応援よろしくお願いします!」


 安堵の歓声が沸き起こる。


「公ちゃん、これ宗人がわたしに向けてしゃべってる・・・?」

「いやいや、初めて来た人、私もだからね?」


 それでも確信している。ぽっかり空いた穴はすっかり塞がった。

 より一層岩田宗人を推していくことになる薔薇子は、手始めに岩田宗人選手プロ仕様ユニフォームを注文するのであった。


 おわり


〜蛇足〜


宗人「スーさん、俺スーさんになって、ファンの人が俺になってたんだけど、スーさんはファンの人になってた?」

スー「そうだよ〜、ふぁんのみんなとおうえんできて、たのしかったよ〜」

宗人「普通に楽しめるスーさんスゲェっスね」

スー「でもちょっとそわそわしちゃったな〜」

宗人「?」

スー「かわいいおんなのこ、ちゃんとなりきれたかなぁ〜」

宗人「え!?女の子!?」

スー「そういえば、むねとくん。おなかぴーぴーだいじょうぶ?」

宗人「普通に男性ファンだと思ってたけど女子…女性ファンに…トイレ…これは…恥ずか死ぬ…」

スー「せくはら〜」

宗人「不可抗力だ!」

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