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成猫になってからの成長なんて、大したことないだろうと思っていた時期が私にもありました。
「…にゃぁ」
なんで。
成長の記録としてカウンター台につけていた噛み跡の高さが、止まることなく伸びている。あれから2週間くらい経ったけど、頭一個分以上は明らかに大きくなっていた。ハンナさんもおかしいわねと首を傾げていたし、私も不安になって頼りになるバルに相談しにも行った。けれどバルでもわからないと言われて、逆に何もできなくて悪いと謝られてしまった。どうしよう、病気なのかな。病は気からと言ったように、日に日に不安と共に眠る時間が増え、元気のなくなる私をみてハンナさんも焦り出したのか、ちょっと待ってなと出かけて行ったのがついさっき。多分獣医さんを呼びに行ったのかな。なんだか何もやる気のなくなってしまった私は、カウンター台の上で丸まって目を閉じた。
「…ナ……」
誰かが近くで喋っている。起きろって?ハンナさん?うん、でもね。眠くてしかたない。それになんだか体が怠い。
「…て、……ラ…?」
間近で話されている。ハンナさんにしては声が違うような?ああ、獣医さんを呼びに行ったんだっけ。じゃあ獣医さんかなあ。一向に起きない私に痺れをきらしたのか、顔の両脇をむにゅっと摘まれたのがわかる。うぬー、諦めの悪いやつだなあ。私は眠いのよー。そのままむにむにされるがままの私だったが、流石に続けば眠気より鬱陶しさが勝つ。もう!むにむにむにむに、
「…鬱陶しい!」
ガバっと起き上がり目を開けると、そこには。
「おはよう、ラーナ」
おやすみ、世界。
「こら、ダメだよ。そろそろ起きて?ハンナさんが心配してるよ」
そう言われてしまえば、もう一度閉じた瞼を開けざるを得ない。再び視界に飛び込んできたのは、満面の笑みを浮かべたグリードだった。
「なんでグリードがいるの」
「ここは診療所で、僕が獣医だからね」
え、そうなの?全然知らなかった。まあ、毎回薬草買ってくれるから、多分なんかに使ってるんだろうなとは思ってたけど。この人、ちゃんと仕事してたんだ。というか、ケモナーさんだからこその獣医?え、大丈夫?そんな顔をしていたのがわかったのかグリードは小さく笑った。
「さて、まずはハンナさんに顔を見せてあげなよ。すごく心配してたからね」
どうやらここは診察室的な部屋のようだ。ハンナさんは様子のおかしかった私を獣医のグリードに頼んで、ここで診てもらってたんだって。グリードは私をひと撫ですると部屋の外に出ていった。私以外いなくなった部屋が落ち着かなくて、きょろきょろ見渡してみる。私は陽当たりのいい窓辺の台にあるふかふかのカゴに寝かされていて、外からの陽射しがちょうど当たって居心地がいい。部屋自体はそんなに広くなくて、診察台のようなものと、デスク、本棚や薬棚くらいでかなりスッキリしている。そう言えばグリードも装飾のないシンプルで清潔な服を着ていた。いつも着ているローブも多少の装飾はあるけどシンプルめ。顔はうるさいんだけどね。
「ああ、ラーナ!」
パタン、と部屋の扉が開いて見知ったハンナさんがこちらに駆け寄って来た。いつも笑顔の顔にはちょっと疲れが見えている。いつもはきっちり結われている髪がまばらに落ちかけていた。駆け寄ってきた勢いのまま、私はハンナさんに抱き上げられてぎゅっと抱きしめられた。あ〜ハンナさんの匂い、落ち着く。
「心配したんだよ!ラーナったら1週間も目を覚まさないんだから」
「えっ!1週間!?」
「えっ!?」
「えっ?」
自分が眠りこけていた長さにびっくりすると、何故か私を抱きしめていたハンナさんもびっくりして目をぱちくり。至近距離で声を上げてびっくりされたもんだから私もびっくり。互いにびっくり顔を見つめる。
「なんだいラーナ!アンタ喋れるようになったんだね」
たっぷり3秒。
「えー!嘘!言葉通じてる!?」
待て待て、そういや私、さっきグリードとも普通に会話してなかった?今まで通じなかったのに!なんで急に?ハンナさんと顔を見合わせてあわあわする私に、ハンナさんの後から部屋に戻ってきたらしいグリードが教えてくれた。
説明するからと椅子に座るよう促されたハンナさんの膝の上で説明を受けた私は、びっくりすることになる。
なんと、私はただの猫ではなく、猫の獣人だったらしい。所謂、猫の姿と人間の姿をもつ種族。獣人の成長は二段階にわかれていて、私が再び成長し始めたのはその二段階目にあたるそうだ。獣人の獣形はただの獣より大きいそうで、ひとまず私が成長してたわけも病気じゃなくて一安心。ちなみに今までも人間の姿になろうと思えばなれたし、人間の言葉を喋ろうと思えば喋れたんだって。そもそもなれると思ってなかったし、意識しないと形態を変化させることはできないらしいから仕方ない。ハンナさんも獣人について知識があるようで納得したみたい。「これからはたくさんお喋りできんだねえ」なんて言われたら、お喋りするー!ってハンナさんに抱きつきたくなってしまった。いや、抱きつきましたけども。
「あ、でもひとつ疑問があるんだけど。私はなんでいきなり喋れるようになったの?」
「声帯を少し刺激してあげたんだ。本来は人の言葉を話す時に使える部分をね。一度何かしらのきっかけで出し方がわかれば、今のラーナのように話せるんだ」
ここらへんだよ、とグリードが私の喉をなぞる。手つきが無駄にいやらしく感じるのは気のせいだと思いたい。それにしても声帯を刺激したっていうけど、一体どうやったんだろうか。変なことしてないだろうな?とグリードを不審に見上げても、いつもの微笑を浮かべるだけだから判別がつかない。何だか聞くのは怖くてそれ以上は深く聞かないことにした。獣医だから、この男。大丈夫、だよね?
「でもラーナの場合は人と暮らしていたのがよかったね」
「どういうこと?」
「獣人も半分は獣だから、全く人に関わらず獣のままある程度成長しきってしまうと、人の言葉を理解したり話すことが困難なんだ」
確かに言語を習得してから、新たな言語を習得するのは大変だよね。グリードの話をきくと獣と獣人の声帯は違うらしくて、獣人は人の言葉を発せるような作りになっているみたい。でも使わないと段々退化してしまうんだって。
「ラーナの親は獣人ではなく猫だったかな?」
「うん、多分。すぐ放置されたからあんまり記憶ないんだけど」
「うん、仕方ないんだ。彼らは本能で自分達とは違う存在だとわかるから。そういう出自の獣人は大概が幼少期に親から独立せざるを得ない状況になるから、かなり早熟になる傾向がある」
というより、身体的な適応能力が高いらしい。獣人は人間と同じスピードで成長するけど、環境によっては凄まじい適応をみせることがわかってるんだって。
「現にラーナは産まれて2年経ってないくらいでしょ?獣人だったらまだ赤子だけど、君はもう身体も精神も大人だろう?」
「うん」
自分が子供だって思ったことないし、それなりに大人になった自覚がある。まあ、前世人間だった自覚もあるからだとは思うけど。2年生きた猫としては正しい成長の仕方だ。でもそれが獣人としての成長にも影響するなんて、獣人って身体どうなってんだろう。と。
「ちょっといいかい?」
ハンナさんが困惑したような表情を浮かべて口を挟む。
「ラーナは獣人なんだろう?だったら親がただの猫ってのはおかしくないかい?」
「あ、言われてみれば確かに」
私が獣人なら、親も獣人じゃないとおかしいよね?ただの猫に見えて実は獣人だったのかな?でもうっすら残る記憶からはただの猫だったようにしか思えない。
「そうですね。獣人は獣人の血を引く親からしか産まれない」
「じゃあ、」
「でも、獣人の血を引いていればその子孫に獣人が産まれる可能性がある。それが直接の親と子の関係じゃなくてもね」
「…てことは、私の母親はただの猫だったけど、先祖に獣人の血が入ってたってこと?」
グリードが肯く。
「大昔は獣人も一生を獣の姿で生きることが多かったらしいから、その結果だろうね」
ごく稀に獣人ではない親から産まれる獣人もいる。親は人間だったり動物だったり。ただの動物から産まれる獣人を野良と呼ぶらしいけど、蔑称になるから口にしないほうがいいって。ただ動物から産まれた獣人は現在でもわかっているだけで殆どないらしい。そういった環境で産まれた獣人は、大体が自分を獣人だと自覚しないまま、獣として一生を自然界で終えると考えられている。私も、本来ならそうなるはずだった。
「まあ、ラーナは僕が気づいたから」
「よかったよ、グリードさんが気付いてくれて。あたしは全く気付けなかったから。でも、どうやって気付いたんだい?」
「ああ、匂いですよ」
「匂い…ああ、そういうことかい」
急にでてきた匂いという若干どうなんだというようなワードに納得したように肯くハンナさんと、微笑を浮かべるグリード。2人だけは何かわかってるようだが、私は首を捻るしかなかった。




