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吾輩は猫である。名前はまだない。

…なんつって。

猫なのは本当だけど、名前ならある。ラーナ。それが今の私の名前だ。今はただの黒猫ではあるが、何がどうなったか、実は別世界の人間だった前世を持っていたりする。とは言え朧気にこんな感じだったなーという程度で前世の一個人としてのものははっきりと覚えていない。今の自分は猫であると自覚はしている。が、やはり前世の感覚や記憶は影響するのか私はあまり猫っぽくない…というか思考や行動が人間に近いかもしれない。猫としてはまだ1歳半程の私だが、精神は産まれた時から成熟していたし、そのおかげで猫として産まれすぐに育児放棄されたにも関わらず冷静に行動出来た。まず自力で生き残ることより速攻で人間探して拾ってもらうことを目的に据えたくらいだ。私に狩りは無理だった。今の世界は前世の世界と異なり魔法が存在するファンタジーな世界だが、生憎と私はただの猫なので毎日昼寝してのんびーり気楽に暮らしている。猫最高。


「にゃーぉ」

「おっとラーナ。眠そうなところ悪いけど、ちょっくら配達行ってくるから店番頼んだよ」


カウンターの定位置。そこで欠伸をしていれば、そんな声と共にスーッと爽やかな匂いがしてちょんと頭を撫でられる。誰かと言えば私の飼い主であるハンナさんである。活気のあるお母さんのようなハンナさんは、いかにも可哀想な雰囲気を出す私を早々に保護し家族にしてくれた命の恩人だ。私の打算もあったが、それがなくてもハンナさんは私を保護してくれただろうと今では分かる。とっても優しいのだ。ハンナさんは薬屋を営んでいて、今回のように店に来られないお客さんに配達に行く。その間すっかり店の看板猫になった私は店番を任せられるのだ。


「にゃー」


行ってらっしゃいの意味を込めて一鳴きすると、ハンナさんはようやく店を出ていった。猫一匹で店番は危ないとか思うかもしれないが、この街は治安がいい方だし、近隣の店同士助け合ってヤバイ客には目を光らせているので何かあっても大丈夫だ。そも店の扉には一時的に閉店を示す板が掛けられているので余程の知り合いじゃなきゃ入ってこない。つまり。寝放題。猫とは不思議なもので、寝ても寝てもまだまだ眠いし寝れる。人間だった時と違うのは、それが許されるってこと。たるみきった生活にすっかり慣れた私は、勿論今日も昼寝をするつもりだった。


「こんにちは」


ソイツが来るまでは。



※ ※ ※



「こんにちは、ラーナ」


キィ、と店の扉が開く音がしてゾワッとする低い声が聞こえる。視線を向ければ黒いローブに身を包んだ男がそこに立っていた。また来やがったな変態め。そいつは相も変わらずコツコツと真っ直ぐに私のいるカウンターに来る。逃げるのも癪で睨みつけてやるが、身体は拒否反応を示すかのように毛が逆立った。わざわざそのグリーンの目を合わせるようにに屈んできたこの男、名前をグリードという。その際にサラリと揺れた銀糸に思わずじゃれつきたい衝動が湧き上がるが我慢。む、無視だ。ぷい、とグリードが視界に入らないよう首を横に向けると、頭上からは何が楽しいんだかクスクス笑う声が落ちてくる。それが嫌でやっぱり逃げようとしたが。


「だめだよ」

「に゛ゃっ!」


気づけばグリードに抱き抱えられていた。何故だ。流石に何回かこうなる経験をして学習したから、窓際に逃げると見せかけて棚上に行こうとしたはずなのに。


「にゃっ、にゃっ!」

「うん、ダメだよラーナ。そんなことしても可愛いだけだから」

「う゛ぅー!」


必死にジタバタと腕の中でもがくが、この男、ひょろっとしている割には力がある。いくら暴れようとガッチリホールドされていて逃げ出せない。爪を立てようがひっかこうが噛もうがビクともしないのだ。別に抱っこはいい。嫌いじゃないから。よく猫好きのお客さんがやるし。しかし私がこうも必死に逃げ出そうとする理由はこの後にある。


「ラーナ」

「にゃ、」


銀糸が顔に纒わり付く。すりすりと頬擦りされる感触と同時に、耳元で名前が囁かれ全身の毛が更に頭のてっぺんからつま先まで逆立った。あ、ヤバイヤバイヤバイ!今日も逃げられなかった!


「ああ、僕だけのものにしたいなあ」


瞬間ゾワゾワゾワッ!耳の先から尻尾の先まで毛が逆立つ。寒気が走った。

一瞬だけ耳がやられて体の力が抜けきってはいたが、本能がようやく機能して隙をつき腕から抜ける。直ぐに手の届きそうにない棚上に避難して縮こまることで、ようやくホッと一息つけた。


「あーあ、今日も逃げられちゃった」


下ではグリードが全然残念そうじゃない声でクスリと笑っている。意味がわからない。そう、全く意味がわからない。

人間であるグリードが、猫である私に求婚してくるなんて。

あの日、ハンナさんに店番を頼まれていた時に図々しくも店に入ってきたグリードは、何をとち狂ったのか唐突に求婚してきたのである。以来、毎日店に来ては私に求婚するのを日課にしているのだ。頭がおかしい。多分前世で言うところのケモナーさんなのだ、あの変態男は。


「あら、グリードさん。今日も来たのかい?」

「こんにちはハンナさん。今日もラーナに会いたくて来てしまいました」

「ははは!ラーナも罪な女だねぇ」


店奥からでてきたハンナさんが、すっかり顔見知りになったグリードを見つけてそんな会話を交わしている。ハンナさん、そこは笑うとこじゃなくて、私の心配をするところですよ。ソイツは敵!仲良くしないでー!悲しいかな、ハンナさんはグリードをただの猫好きだと思っている。


「実はラーナに似合いそうな首輪をプレゼントしにきたのですか、逃げられてしまいました」


グリードが懐から可愛らしい箱を取り出して蓋を開けると、中からは赤い首輪がでてきた。着けたら顎下にくる部分には、小さなキラキラ光る石が揺れている。あの男、私に首輪をつけようとしてたのか。だがしかし私にはハンナさんから貰った銀のプレートが付いた首輪があるもん!


「いいじゃないかい、可愛い首輪だしラーナに似合うね」


着けないからな〜と上から念を送るも、ありがとうねとハンナさんがニコニコしながらそれを受け取ってしまった。ハンナさーん!鳴いて抗議しようも、グリードは来るたびに何かしら私にプレゼントを持ってくるからそれが当たり前みたいになっていてハンナさんも断らない。その分買い物してくれた時はそれなりにおまけしてるんだけど。でもいつもは食べ物が殆どで、首輪みたいなのは今回が初めてだ。それに首輪。なにか裏を深読みしてしまうのは私だけだろうか。なんせ相手は変態だから。


「あ、そうだ。足りなくなってきた薬があるのでコレとコレと、あとコレに近いものがあったら頂けますか」

「はいはい、まいど。用意するからちょっと待ってておくれ」


残念ながらハンナさんにはコイツの危険性が伝わっていない。実際よく薬を買ってくれる客だし、人当たりも良い。おまけにイケメンとかいうやつだから厄介だ。ハンナさんは求婚のことを知らないのでこのグリードという男の変態具合がわからないのだ。イケメンだろうが猫に熱あげてる時点で有り得ん。一旦店裏に戻って行ったハンナさんを恨めしく見送る。下からヤツのジットリした視線を感じるが必死に気付かないふりだ。だってこわい。そのうちハンナさんが戻ってきてようやくグリードが帰ることになった。


「君との追いかけっこ、何時まで続くのか楽しみだね、ラーナ」


帰り際、明らかに私に向けて不穏な言葉を残して行ったグリードに、私は震えるしかなかった。





 

あれからしばらく。赤い首輪を着けられてヤケ気味な私ではあるが、最近はグリードに会わないため精神をすり減らすことが減ってきた。何故なら!店にいるとヤツが来るので学習した私は店にいる時間を減らしているからだ。ここ数日はなるべく太陽のあるうちは店の周辺から離れている。

猫と言えば他の猫の縄張りに入ったらヤバイのかと思ったりしたが、案外寛大な猫が多い。言葉が通じるから存分に会話できるのが何より楽しい。ハンナさんに拾われてから今まで外にでても店前周辺だったことが惜しまれる。そして今日も勿論、店から離れた場所に逃げているわけなのだが。


『ラーナ』


肉屋の裏。日当たりのよい積み上がった木箱上でうとうとしていれば、名前を呼ばれた。隣にやってきた気配の正体は茶トラのバル。バルの右耳にはワイルドな切れ込みが入っているが、それは縄張りをかけた争いの結果だ。バルはこの辺りで一番大きな縄張りを持つ雄猫で、ボス的存在故に喧嘩することも多いらしい。バルは自分の縄張りに弱い立場の猫が入ってくることを咎めない。喧嘩をするのは縄張りを奪おうとしてきた相手だけだ。縄張りとかあまり意識したこともない上本能が弱い私には遠い話だ。


『お邪魔してます』

『ああ、構わねぇ』


バルはそう言って隣に腰を下ろした。バルは勝手に縄張りに入ってきた私にも優しく、ここに好きな時に来てもいいと許しを貰っている。まあ、猫好きな人間という変態の話をしたせいか、同情してくれてるからだけど。流石はボス。余裕がある。


『そういやお前、ここに来るまでに他のやつ()に会ったか?』

『他の?会ってないけど?』

『そうか。ならいい』


ここにたどり着くまで、今日は(だれ)ともあってない。よくわからないが満足気に納得したらしいバルはご機嫌なようでゴロゴロと喉を鳴らした。そのままザラザラした舌で私の毛繕いを始めてくれたので、お返しのつもりでバルを毛繕いする。暫くそうしていたのだが、ついうとうとしてしまった。実は私、なんとなく前世の感覚が抜けずに外で気を抜いて寝ることができない。どうも外でリラックスして寝る無防備感が怖くて出来ないのだ。けれども、ここ数日はグリードから逃げるため一日の大半を外で過ごしているせいで日課の昼寝が出来ずに寝不足なのだ。加えて毛繕いがとても気持ちしポカポカな陽気なのも悪い。


『眠いなら寝ろ。起きるまでいてやるから』


それを知ってか知らずか、そんな頼もしいバルの声を聞きながら私は久々の昼寝に深く沈むのだった。


※ ※ ※



「おかえり。あら?ラーナ、そういやあんた少し太ったかい?」


うっかりバルのところで爆睡してしまった私は、すっかり日が落ちた頃にハンナさんの元に帰ったのだが。まさか出会い頭にこんなことを言われるとは思わなかった。一応私、これでも年頃の雌である。これでも体型には気を使っていたのだが、そうか…太ったか。いや、昼寝ばかりしてたらそうなるに決まってる。ショックから固まっているとハンナさんは私の前足付け根に手を差し込み持ち上げた。ぷらーんとした状態のまま、確かめるように左右に動かされる。


「うーん、太ったというより、あんた全体的に大きくなったのかねえ」

「にゃ?」


首を傾げたハンナさんに私も首を傾げる。うん?太ったんじゃない?大きくなった?太ったというわけじゃないことに歓喜しつつも変だなと思う。私の成長期はもう終わってるはずなんだけどな。気のせいかな、とハンナさんが言っていたので私も気のせいだと思うことにした。



思うことにしても、事実は無情にも現実を突きつけてくるものでした。はい。どうやら私、やっぱり成長しているみたいです。というのもすっかり習慣化したバルのところでのお昼寝の時、何を隠そうバルに言われたのだ。俺よりでかくなってないか?と。バルはそこらの雄猫より1回りデカイ。最初に会ったとき私もデカイなと思ったくらいだ。けれどそれを指摘された時改めて確認して見ると、なんと私、バルより大きくなっていたのだ。年頃の雌としては雄より大きいというのは如何せん複雑である。太ったら痩せればよいが、成長は流石に止める術がない。ショックを受けた私はしばらくバルのとこでの昼寝を取りやめることにした。流石に自分が雄より大きくなった事実を態々突きつけられに行く程図太くない。


「珍しいねラーナ。今日は散歩行かないのかい」


最近なら既に店を出ている時刻になってもカウンターにいる私に、開店準備を始めたハンナさんが不思議そうに首を傾げる。


「にゃん」

「もしかして、身体が大きくなった影響かい?具合が悪いとかじゃないだろうね?」


サッと不安気な表情を浮かべたハンナさんは、慌てて私の元に来て触診するように私の身体を確かめる。うーむ、擽ったい。特に具合も悪くないし病気ではないとは思うよー。そんな意味を込めて「にゃーん」と鳴いてすりすり。でも、体調は悪くはないけど、まだ成長するなんて変だよね?私、異常な個体なのかな?うっすら記憶にある母猫は普通サイズだった気がするんだけどな。なんだか不安になった私は、そっとカウンターから降り立つ。成長しているというのなら、木製のカウンターの足に成長記録をつけてみようと考えたのだ。本当はお座り状態での頭の位置に爪で跡をつけたかったが、いかんせん前足がてっぺんまで届かなかった。代替案として、お座り状態のまま、カウンター台の足に噛み付いて噛み跡で高さを記録付けることにした。

とりあえず初日はここに、っと。

綺麗な牙の噛み跡が残った。


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