遭遇
「はぁっ・・・はぁっ・・・」
胸が苦しく息切れが止まらない、長距離マラソンを完走し終えた後の様だ、走ったことは無いが多分こんな感じなのだろう
右手が痛む、人を殴ると拳が痛くなるとは聞いたことがあるがここまでとは思っていなかった。
「なんだこれ・・・」
一方、目の前で身を屈めている男は痛みに悶えているのではなく、腹の底から湧き上がる気持ち悪さで苦しんでいる
ある意味痛みよりも人を足止めするのに最適な手段なのかもしれない
「よくやったね」
背後から声がし、俺と穂山は振り返る
そこには俺や穂山よりも年上と思われる男性が立っていた。
背は高く、どことなく漂う気品はまさに大人というのに相応しい雰囲気だった。
男性は笑みを浮かべたままこちらに歩いてくるが、俺たちの前では立ち止まらず、俺たちの間を通り抜け、今もまだ不快感でもだえ苦しんでいる男の前で座り込んだ
「後は俺に任せてくれたらいいから」
男性はそのまま俺たちに顔を向けることもなく言う
「え?は?」
穂山は状況が理解できてい無い様だ
だがそれは俺も同じだった、ナイフを持って走ってくる男の前に突然現れたゴミ箱。
投げ込まれたというわけでもなく、今までそこにあったかのように。
どういうことだ・・・?
状況を整理するため、まずそのゴミ箱を探してみる。
・・・あった。だが違う。
それは俺たちの後方、丁度この路地裏に入るための曲がり角にあった。
しかし、倒れていなかった。
あの男が転倒した際、それにつられゴミ箱も倒れたはずだ、それに中身も・・・
「!!」
そこで俺は気が付いた
「さっきまであったゴミはどこに行ったんだ・・・?」
俺が男を殴りつけ、後ろからの声に振り返るまであたりにはゴミが散らばっていたはずだった。
しかし、今ではそれが綺麗さっぱりなくなっている、元々そうであったみたいに。
「早くしないと遅刻しちゃうよ?」
いつまでも動こうとしない俺たちに痺れを切らしたのか、男性は顔だけこちらを向け優しく忠告をする。
「あの!今のどうやったんですか!?」
どうやら穂山は俺と同じ結論に達したらしい、目を輝かせながら男に問う
突然現れ、役目を終えるとどこかに消えてしまったゴミ箱。
そして、突然現れたこの男性。
どう考えてもこの男性が何かやったと思うだろう。
「え?なんかやった?」
男性はとぼけたように言う、そういう体で進めるつもりらしい
「とぼけないでください、穂山はともかく俺はしっかりと見ていました」
「ちょっとそれどういう意味?」
こちらを横目で睨み付ける穂山をよそに俺は話を続ける
「俺はあの時助かる為、あたりを見渡しいろいろと考えていたんです、その中にゴミ箱は無かった、あったら身を守るくらいには使っていたはずです」
「あー、よくみてるねぇ、ばれちゃったか…」
台詞と表情が一致していない、相変わらず男性はとぼけた顔をしていた。
多分次の台詞も嘘なのだろう。
「実は俺マジシャンなんだよ、今回のはそれの応用さ」
なんだその嘘は、横の穂山も困惑を隠せない表情をしていた
男性は満足そうな顔をすると再びもだえ苦しむ男に向き合った
「え?絶対に違うよね?そういうものなのマジックって?」
穂山は小声で俺に問う。
「違うだろ、まぁしかしここはいくら問い詰めてもダメそうだ、大人しく撤退しよう」
俺も小声で答える
「そうだね。本当に遅刻しちゃいそうだし。」
穂山の言葉を最後に俺たちは踵を返し通学路に戻ろうとしていた。
だが突然、男性は立ち上がり
「ちょっと待て!」
と俺たちの背中に叫んだ
先ほどまでと打って変わって荒々しい口調
俺達は思わず立ち止まった
「これどうやった?」
「へ?」
俺達は男性の指さす方を辿る
そこには俺が先ほど殴った男が相変わらず不快感で悶えていた
「そいつがどうかしたんですか?」
俺は単純に意味が分からず男に問う
「とぼけるな、こいつ、どうやらよく見ると痛みで苦しんでいる訳じゃなさそうだ。何というか胸やけか酒の飲み過ぎで苦しんでいるように見える」
男性は俺達を睨み付ける
よく気が付いたものだ、俺の体質の事を知らなければ男はただ悶えているようにしか見えないはず、
そして、俺の疑惑が確信に変わった。
この男は何か知っている、でないとそんな事に気が付くはずがない
「そうですね・・・実は俺もマジシャンなんですよ、今回のは俺のマジックの応用です」
俺の言葉に、男は呆気にとられた顔をする
俺達も先ほどあんな顔をしていたのだろうか
「ふっ、そうか、面白い事を言うな、どうやら自分の置かれている状況が分かっていないらしい」
「状況・・・?」
嫌な予感がした、俺達を睨み付ける男から殺気が漂い始めているのを感じたからだ
「一也、これ逃げた方がいい」
穂山が俺に呟く
賛成だ
俺は穂山に頷くと、後ろを向き走り出す
「逃げられるかよ」
男は呟く
その瞬間俺の右脇腹に何かが通ったように感じた
「ぐっ!!」
そして脇腹に鋭い痛みを感じ俺は立ち止まる
「一也!?」
穂山も俺につられ立ち止まる
「な、なんだ!?」
俺は右脇腹を左手で触る、脇腹はぬめりと湿っていた、何だこれ・・・
「一也!血が!」
穂山が叫ぶ
左手は自分自身の血で赤く染まっていた、と同時に理解してしまった
俺は刃物で脇腹を切り裂かれたのだと
脇腹の鋭い痛みが増す
「ぐうっ・・・」
いままで感じた事のない痛みに俺は再び走り出すこともできず、しゃがみ込んでしまう
「あーちょっとかすめただけか、失敗したな」
後ろからあの男の声がする
俺は顔だけ後ろを向く
男の手には強盗の男が持っていた果物ナイフが握られていた