聖女ってなんですか?
「聖女ってなんですか?」
わたしは髭面の男を見上げて言った。
「自身の評価を知らぬか」
まあ実は知っている。
街全体の情報を掌握しているのだから当然だ。
わたしはこの王都に住んでいる数十万人の――正確には24万5634名の情報をすべてインプットしている。
ひとりひとりの生活情報、身分、思想、宗教、考え方の傾向、誰と仲がよいのか、悪いのか、すべてを把握している。
ただ、ひとりひとりの情報にそこまで着目する必要はない。
人間を群体として捉えれば、それで十分に足りる。
情報とは、川の流れのようなものだ。
そのメインストリームに、いくつかの陥穽が生じる。
これが、情報の秘匿というもので、我々が知りたいのは、そういった隠された情報である。
べつにひとりひとりの生活を監視しているわけではない。
あるはずの情報がないのであれば、それは誰かの意図が介入しているのであり、"呪い"という言葉も、おそらくは誰かの情報の圧力によって、そういう言葉が醸成されたのであろう。
呪いは、自然現象ではない。
すなわち、誰かの意図が介入している。
その誰か――というのは、実はまだよくわかっていない。このわたしの知力でも追いきれないということになると、わたしに匹敵するほどのIQを有することになる。
最も奇形を許容する器官が脳である以上、突然変異体としてIQ400程度の人間が生まれても不思議なことではないが、そのような人間が生存するという状況もかなり特異だろう。
わたしの脳は毎日溶かされたように発熱している。
はっきり言えば――、毎日、わたしは死んでいる。
そして夜になるまで知力が低下していくが、これは脳細胞が過熱によって死んでいる面も大きい。
IQが100程度のときと同じような感じを装っているが、知能曲線は今のほうが落ちこみは早いのだ。
記憶については、毎日脳の死とともに消えていっているのか、というとそういうわけではない。
入力された情報はライブラリとして魔法陣の中に折りたたまれて格納されている。
もちろん、わたしたち自身の情報もそこに含まれる。
聖女という評価は、なんともおもばゆいものだったが、しかし、計画が効を奏したということでもある。
この王都に到着してから、早一ヶ月半程度。
わりと早かったほうだろうか。
しかし、聖女とは――。
白痴奴隷少女が聖女とは、わたしにとってみれば、思わず口角があがりそうな評価である。
まちがいなくわたしの人生の中で黒歴史。
が、それもこれも、ご主人様が姫様に会うためにはしかたない。
「わたしが聖女と呼ばれているのは知っていますが、しかしわたしはただ行き交う人を治していただけです」
「無償で傷を治していたと聞いておるが」
「マネタイズできなかっただけです」
「マネタイズ?」
「お金をとるほどのことでもないと思ってました」
「ふむそうか」
「ところで、あなたは誰なんです?」
髭面のむくつけき男。40歳くらいの後半くらいだろうか。
着ているのは身分の高そうな青銅の鎧である。装飾華美な黄金の剣を帯刀している。
その剣にはなんのタクティカルアドバンテージもなさそうだが、しかし、筋肉のつき方を見ると、彼の実力はそこそこのものがありそうだった。
が、そもそも、わたしはゲシュタルトによって、彼を知っている。
「我輩は、レオナードという。王都騎士団の団長をやっているものだ」
「それはそれは。わたしのような卑しい身分のものに声をかけていただけるとは」
「そのような前置きはよい。そなたはこの貧民街で民の傷を癒していた。ということでよいのだな?」
レオナードは念を押すように聞いた。
「正確には違います」
「何が違うというのだ」
「そいつはオレの弟子なんだよ」
物陰から余裕たっぷりな様子で近づいてきたのはご主人様だ。
レオナードは怪訝な顔になる。
「おぬしは?」
「ああ、オレは――」
ご主人様はご自身の名前を告げた。
「我輩はレオナードという。この王都の騎士団長をやっておる。それで、お主が聖女殿の師匠というのは?」
「こいつにヒールを教えたのはオレだ」
「それはまことか」
「ああ。本当だよ」
レオナードの視線がわたしの方に向いている。
確認の意味だろう。
わたしは軽くうなずいた。まあ実際はわたしが勝手に覚えただけともいえるが、わたしの知性はご主人様に与えられたものでもあるし、まちがっているわけでもない。
わたしは立ち上がり、軽く砂を払う。
「わたしはご主人様の奴隷ですから」
「ふむ。奴隷か」
瞳孔の広がり具合や発汗の程度、体温の上昇、その他もろもろから推測するに――。
奴隷に対する侮蔑の感情は含まれていないと判断される。
「巷で噂の聖女殿が奴隷とは醜聞が悪いな。そなた、聖女殿を解放する気はないか?」
「あ?」
ご主人様が一瞬で沸点に達する。
自罰的なところがあるご主人様は、はっきり言うと、奴隷としてわたしを拘束することに罪悪感も抱いている。
なんといえばいいか。
親から何かの仕事を任されて、今まさにやろうと思ってたのに、早くやれといわれたような、そんな気分なのだろう。
「あの、わたしはご主人様の奴隷で幸せなんです」
わたしはおもむろに声を出した。
「しかし、これほどの偉業をなしておりながら奴隷というのは、主人としても狭量と思われるぞ」
「そのうち、解放するつもりだよ」とご主人様。
「うむ……。そなたたちにはそなたたちの事情があろう」
そうなのだ。
わたしとご主人様は奴隷とご主人様という関係を望んでいる。
そこは他人からとやかく言われたくない。
「ところで――」
ご主人様は、自身の態度を反省していた。
もうそれは露骨に内省的に。
でも、それはわたしの知覚能力がご主人様に大部分が振り分けられているからこそ、そう思うのであって、一般的な視点で見れば、仏頂面で、無理やり社交性を出している感じだ。まあご主人様って確か18歳とか言ってたし、世間的には若造なので、これでいいんだと思う。
「おっさん。なにかオレたちに依頼しにきたんじゃないか」
「ああ、聖女殿に頼みたいことがあったのだが、もちろんお主でもよい」
「おう。治してやるぜ」
「頼む。わが息子を救ってやってくれ」
「ああ、わかった。姫様を……って、息子?」
ご主人様が驚いている。
が、そのことも最初の会話の時点で、そうなるだろうことは予測できていた。
レオナードの息子は病魔に犯されている。