フールプルーフ
旅路の果て。
ご主人様は必然の結果としてレベルアップする。
そして、わたしのIQは400を越えた。
この程度の知性になると、もはやすべての現象はゲシュタルト――、統一的な像としてひきなおされる。
すなわち、愛も、集団も、政治も、正義も、自由も、苦痛も、悪性も、運命も、そして、わたしとご主人様との関係すら、ひとつの計算式として捉えることができる。
この次元方程式を解くことができれば、真理を理解し、"悟り"にすら至るだろう。
だが、この世界には"言葉"が足りない。
わたしは思考を四八に分割し、そのうちのひとつで人並みに考えることにした。
わたしのパーソナルは分裂し、"人"との対応については、エミュレータаに任せている。
それは――わたしよりも、わたしらしく振舞えるだろう。
足りないのは、わたしがわたしを表現する方式だ。
思考が邪魔をする。
言葉が足りない。すなわち、わたしが思いついている概念を表す"言葉"が足りない。権力がない原始の世界で権力を表現するにはどうすればよいか。お金がない世界でお金という概念をどうやって表現すればよいか。
"言葉"を創り出すほかない。
しかし――、それは孤独な言葉だ。
だれとも交わすことのない言葉に意味はあるのだろうか。
わたしは、ご主人様と言葉を交わしたかった。
IQのズレが大きくなるにつれ、ご主人様の言葉は相対的には赤ちゃんが話す喃語のように、意味が通じない。
人の標準的な規格が、プロトコルとして言葉にも影響しているのだろう。
ご主人様の理解可能な言語に、わたしはリソースのほとんどを振り分けて翻案するが、しかし、それはわたしの表現したいものを千分の一も表現できない。
言葉は学ぶことができる。
ご主人様の世界を推測するに、我々が住むこの世界よりも技術レベルが千年は進んでいるだろう。
したがって、"言葉"は向こうのほうが発達しているだろう。
わたしはご主人様にせがんで、いろんな言葉を教えてもらった。足りない。まったく持って言葉が足りない。
千年先を行く彼らすら、まったくもって言葉が足りない。
何が、そうさせるのだろう。
人の持つ知性は構造的な欠陥を抱えていると推測する。それは神の呪縛なのだろうか。
――フールプルーフ。
ある一定のラインになると、人間の思考は停止する。
くだらない。
人の思考はもっと自由なのではないか。こんな鎖などたちきってしまえるはずなのに。
ご主人様も、サージも、誰もが鎖に囚われている。
わたしもだろうか。
脳が発熱している。
スライムのように溶けてしまいそうだ。
「さぁ……、ヒールを」
☆
王都は一言で言えば、砂漠の町という雰囲気だ。
四方は高すぎる土壁で覆われ、人がひしめきあっている。
人口密度は、ご主人様が言っていた東京に匹敵するだろう。
わたしは貧民街で薄汚れた布衣をまとった子どもを癒していた。
ご主人様は裏の路地で待機している。
わたしの知覚空間は人並みを越えることはないが、しかし――、あまりにあまりまくった魔法リソースを使い、わたしは自己の感覚を街中に広げていた。
ひとりひとりの営みが、配列信号のように解析できる。わたしは物流から経済、それから人のおよその地位、思想のカラーに至るまで、既に掌握していた。
わずかに肩肘でつつけば、暴動を起こすことすら可能であろう。
それくらい具体的なビジョンを描くことができた。
予測されうる因果を見ることができた。
天気を予報するように、わたしは因果を予報できる。
因果予報。今日は――、
「雨ですね」
「え、めっちゃ晴れてるけど」
膝をすりむいた少年は、めっちゃ怪訝な顔をしていた。
それもそうだろう。
わたしは因果を予報したのであって、べつに天気を予報したのではない。
王都にはここ数百年、雨は降っていない。
カール・セーニョと呼ばれる大河が流れているため、特段問題ないのだ。
つまり、雨が降るという表現は、ここでは白痴の振る舞いということになる。
まさにわたしに似つかわしい言葉だ。
「一波乱はありそう。けれど、嵐になるほどではないか」
少年が去っていったあと。
しばらく、わたしは待つ。
やがて――、わたしの元に、背の高い男の影が落ちた。
「おまえが最近噂の聖女様か」
髭面のむさくるしい男だった。