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家畜の笑い

 崖上であることをものともせず、大蛇が迫ってきている。


 鎌首をもたげると、数十メートルの高さに達し、崖を優に越える。


「に、逃げるのじゃ。わらわの魔法はもう間に合わん」


 緊張しきった声を出すサージ。


 ご主人様も震えていた。


 わたしはとっさに前に出て、大蛇の前に身をさらす。


 こうなってはもはやしかたない。わたしが倒すほかない。


 三秒……二秒……一秒。


 大蛇が観察するように頭をゆらす。


 わたしは観察する。


 反射速度やスピードは人間より速い。しかも、その巨躯から放たれる運動エネルギーは脅威だ。


 だが――。


 魔法とは計算であり、わたしの計算能力は、魔法の構築スピードにも影響する。


 サージが数分かかる計算も、いまのわたしであれば数秒ほどで構築可能。


 ただ、これも――数秒かかるのだ。


 だから、先読みが必要だった。


「シールド」


 蛇が様子見のように頭を振った瞬間、振り子のような勢いで叩きつけてくる。


 それをわたしはシールドで受け止めた。


 音速を超える衝撃にも余裕で耐えるシールドだ。大蛇の一撃をものともしない。


「シールド」


 わたしは再度同一詠唱をおこなう。魔法は計算であり、計算過程は同一魔法であればほぼ同じであるから、連続して使用する際に詠唱を省略できる。


 わたしが放ったのは、自分の周りではなく、大蛇の周り。


 白いハニカム構造のシールドが大蛇をすっぽりと覆った。半透明のゲージに覆われた蛇は怒りのためか、あばれまくっている。


「蛇に生まれたことを後悔してください。凍れ!」


 わたしはシールド内を絶対零度の氷で埋め尽くした。言うまでもないことだが、蛇は変温動物だ。周囲の温度が下がれば動きが鈍くなる。いくら巨躯でも蛇というくくりである以上は、その因果から逃れることはできない。


 やがて、シールドの中の氷で、体温が急激に下がった蛇は、そのまま動かなくなる。


 冬眠だ。


「のう。クリアよ」


 少し疲れた様子のサージが、木の陰からひょっこりと現れた。

 ご主人様の手を引いているところは、偉いと思う。


「どうしたんですか。サージ」

「お主が、わらわが思った以上にすごい魔法使いなのはわかったのじゃが、このような蛇を氷づけのままで放置するというのも、その、危険ではないか? こやつは眠っているだけなのじゃろう?」

「ええそうですね。冬眠しているだけですよ」

「ならば――この蛇を殺してはくれまいか」


 サージの言葉は、とてもストレートで余計な修飾がついていないところがよいところだと思う。

 普通であれば、生き物を殺すのを頼むのは躊躇するところだ。


 しかし、サージは躊躇しない。

 族長としての責任感や、この土地にまつわる愛着もあるのだろうが……、それ以上に、わたしだったらできると考えたから頼んでいる。


 それが、わたしのわずかに残った感情をふるわせる。

 かすかに嬉しいと感じられる。


「いいですよ。殺しましょうか」


 というわけで、わたしは蛇を殺した。

 やり方は簡単。二秒もかからない。氷に手を当てて、振動波でバラバラにする。

 ただそれだけでよかった。

 氷ごとバラバラにされた蛇は、肉の塊として裁断されることになったが、冬眠中だったので痛みはほとんどないだろう。蛇に限らず、そんな他者の痛みに共感しようとするのは、これ以上ないほど白痴の極みであろうが……。




 ☆




 族長の家。

 エルフといえば、木の上にでも家を建てているのかと思ったが、わりと普通の家だった。

 森の開けた区画に、人間と同じように地面に建築している。

 形式としては、やはり木造建築といったところで、耐用年数は結構長そうだ。

 長命なエルフとしてはなるべく建て直すといったことを抑えたいのだろう。


「あー。チャクリよ。少し離れてもらえぬか」

「やです。やっと帰ってきたと思ったら得体の知れぬ人間を連れてきて、お姉さまはいつも自分勝手なのです」


 チャクリ。

 ペルルメントの森。赤の部族、現族長。

 見た目は五歳児程度の矮躯であるが、当然、人間の寿命の比ではないため、少なくとも百歳以上だろう。年相応の子どもっぽい所作も見えるが、わたしたちに視線をあわせようともしないところが、彼女の心境をあらわしている。


――遺恨がある。


 それも相当根が深い。

 サージが人間に捕まったいきさつは知らないが、チャクリの視点からしてみれば、敬愛している姉をさらった蛮族であるに違いない。


「のう。チャクリよ。この者たちは悪い人間ではない。わらわもこの者たちと旅をしていたのじゃぞ」

「けれど、人間は我々を殺します」

「それもごく一部だけじゃ。エルフにだって凶悪犯はおろう。一部によって全体を推測するのも族長としては必要な能力だが、いつもそれが正しいとは思わないことじゃ」


 さすがに500年以上は生きていた老獪だけのことはある。

 見た目十二歳くらいでも、サージの言葉には深い含蓄があった。

 ほっぺたが種を口いっぱい含んだリスのように膨らんだのは、チャクリ。

 それから、やっとわたしのほうを向いた。

 いや、正確には、隣で落ち着きなくきょろきょろと周りを見渡していたご主人様のほうか?


「なんですか。この男は――、このような気が触れたような男が、お姉さまは好きだというのですか?」

「それには事情があるのじゃ」


 サージが呪いについて説明する。

 しかし、チャクリの怒りはおさまらないようだ。


「呪いだろうがなんだろうが――、いま、この人間の知性が我らと比較して家畜のように劣っているのは事実でしょう」


 冷笑。


 そして――、わたしの一部は、確かにと考える。


 わたしは少し昔の記憶を参照した。


 村長はあれからしばらくして――、


 そっと


 山に棄てられた。


 村長にも身内はいたはずだが、どうやら遠い国に旅立っているらしく、連絡もとれない状況だったらしい。


 わたしは白痴で、ひとりで生きていくことすら困難な状況だ。


 村長を見守るということは、わたしもセットでついてくることになる。


 貧しい村だった。


 だから、そんなリソースはなかった。それは、わたしも理解していた。IQが84しかないバカでも、肌の感覚で理解はできる。村長はいつか暴力を振るってくるかもしれない。気が触れて、理不尽に怒鳴り散らすかもしれない。だれもとばっちりをうけたくない。


 だれも、そんなキタナくて危ない存在に近づきたくない。


――わたしはいつか村長に意味もなく殺されるかもしれない。


 そこには殺意すらないのかもしれない。

 最後には、人はただの現象になって人を殺すのかもしれない。

 排泄物が爪の隙間に入り込んだ手で首を絞められて、


 わたしは

     村長に

        殺される。


 


 正直に言って、わたしは村長が怖かった。


 けれど、その恐怖以上に、もらったリンゴを想った。


 わたしには事実上、村長からもらったリンゴ以上のモノを他人からもらったことはなかったから。


 村の中で、村長の行く末が決まったとき、まだわたしは村の一員として認識されていたから、説明を受けた。


 わたしは抵抗した。むちゃくちゃに暴れた。

 それこそ白痴の特権を活かして、かわいらしい服を脱ぎ捨て、泥を顔や手や身体中に塗りたくって、村中のドアというドアにウンコをまいた。


 わたしは笑った。

 本当に気が狂ったように笑った。


 それで結局、わたしは家畜になった。

 わたしを名前で呼ぶ者は、村中に誰もいなくなった。


 人間にとってすら、知性が足りないというたったそれだけの理由で、同じ人間を棄てたり、家畜にできるのであるから――、エルフにとってもそうであるのだろう。


 わたしは彼女に冷笑を返した。


「実に――人間らしい考えだと思います」


 わたしは、家畜よりもキタナイ笑いを浮かべている。


集中力を保って毎日書き続けるのって、とてつもなく大変ですね。

他の作者様のパワーに圧倒されまくってます。

それと、読んでくださっている皆様。ありがとうございます。

もう少しだけがんばります。

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