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好きなんです。薔薇の形のクリームが可愛くて。

この小説はフィクションであり、実在の人物および団体には一切関係ありません。

 何が悲しくて、無駄なイケメンを引き連れて日用品を満載した夕方のお母さん状態で人混みの中を練り歩かなきゃいけないのだろうか。

 散れ散れ、私は見世物じゃない。

 そこの学生、法律の勉強しとけ。世の中には肖像権ってものがあるんだよ。インスタ何それ美味しいの? オバちゃんインスタントラーメンしかわかんなーい。

 とか、相変わらず心の中でどうでも良い現実逃避を垂れ流しながら心を無にして歩く。

 うん。いつか悟りを開けるかなぁ。

 もう嫌だ、こんな目立つ人間と一緒に歩くの。

 見比べて笑うんじゃない、私だってもうちょっとまともな格好の時に捕獲されたかったよ。どうせなら。

 ネギとか大根とか満載じゃなくって、せめて洋服とかバッグとか靴とかの荷物の時に襲来しろ、無駄なイケメンめ!


「やっぱり持とうか、その荷物」


「いえ、結構です。食料品を元上司に運搬させるとか有り得ないので、謹んで辞退致します。原嶋係長」


 わざわざ慇懃な口調を作り、役職を強調して発音した私の意図を察して、原嶋氏は器用に片眉を上げて面白がるような笑みを浮かべた。

 その笑みが、少しばかり物騒な色を滲ませて深くなり、私に向けられた視線にイタズラを仕掛ける直前の悪童のような輝きが加わる。

 そんな様子に、思わず足を止めた私の顔を覗き込む原嶋氏は、うんざりするほど楽しそうに見える。


「そういえば言い忘れてたんだけど、俺先日課長に昇進したんだ」


 はい? パードゥン?

 もう一回プリーズ。

 あんまりにも予想の斜め上の言葉に、思わず口が半開きになった私の間抜け面は不可抗力だと弁明させて欲しい。


「いや、あのね、坂上さんには関係ないと思うけど、俺今課長なんだよ」


 私のあまりにも身もふたもない驚きっぷりに、若干テンションが下がった様子の原嶋氏に、ノンストップグイグイな押しが少しばかり弱まって私は内心息をつく。

 いやいや、それよりもっと重要なこと、サラッとこの人言わなかった?

 って何か。

 あなた様は無駄にイケメンなだけでなく、無駄に有能で超特急出世コースだとでものたまいますか。

 もう良いよ、そういうギャグお腹いっぱいだよ。

 むしろ世の中のお父さんたちに謝れよ!

 頭髪も嫁の機嫌も子供からの信頼も犠牲にして、社畜として日々無い能力を振り絞って出世レースのどん尻をチンタラ走ってる世の中のお父さんたちに謝れ!

 ん? あれ? なんか私、フォローするつもりで全力でディスってる?

 嫌だなー。気のせいだよ、気・の・せ・い。


「……坂上さんって思っていたより随分愉快でフランクな人だったんだね。知らなかったよ」


「えっ?」


「さっきから、なんか心の声が一部実際の声に出てるみたいだよ?」


「oh……マジか」


 さすが無駄なイケメン、撃墜力も半端なし。

 私の中のなけなしのオトメゴコロが瀕死の重傷デス。


「いやー、良い意味で期待を裏切られたかも、俺。どうやって素を晒してもらおうか結構これでも真剣に悩んでいたんだけどね、こうやって思わぬ形で悩みが解決して最高に喜ばしいよ」


 本当だよ、とか言いながら、堪え切れない笑いに語尾どころか全身が小刻みに揺れているとかどうよ。

 ねぇ、それって本心なの?って、心の中で大いにツッコミを繰り広げる私は悪くないと思う。

 ってゆーか、今チラッと黒い笑みが垣間見えた気がするんですけど。

 怖いわ!


「ああ、そうそう」


 ようやく笑いの波のピークが過ぎ去った様子の原嶋氏が、ニヤッと今度こそ見間違えようなくハッキリと黒い笑みを浮かべる。

 それにビクッと不自然に姿勢を正してしまった私は悪くない。絶対悪くない。

 イケメンのドSな微笑みはむしろご褒美ですから!

 相手が自分の好みドストライクで、そんな人が最高に危険な匂いのする微笑みを浮かべたら、もうキュン死しないのが偉いって状況だと思うんですよね。

 ダカラワルクナイ。ワタシ、ワルクナイ。

 まだ人間としての体面を保ってますから。

 で、なんだっけ。

 ああ、そうそう。目の前の無駄なイケメンだった。どうしようかね、コレ。

 世の中の腐女子諸君よ、半分以上精神的にレッドゲージ突入中な状態でも、現実に帰って来た私を褒め称えて欲しい。

 だからこの妄想トリップ中に原嶋氏が重要な宣言をしていたのを聞き逃した残念な私も、現実逃避している私に原嶋氏が、困ったような残念な子を発見しちゃたイケメンそのもののような、そんな自分を憐れみつつ諦めつつなような、複雑かつアンニュイなため息を漏らしたのも私の女子スペックの低さのせいなので、しょうがないよね。

 うん。諦めてクダサイ。


「お勧めの喫茶店ってこの先?」


 地下街の一際古びた一画に足を踏み入れれば、そこは飲食店が集まっている駅ビルの地下に当たる区画で、そこには私の母が子供の頃からあるという老舗の喫茶店がある。

 磨き抜かれた木のカウンターと、木目調のテーブル席が5つ。

 窓に見立てた大きなガラスの仕切り壁には、落ち着いた深い赤の、ビロードのカーテンが掛かっている。

 ビルの中だから日の差し込むことがない店内は、いつでも黄色味を帯びたような電灯に照らされ、低く流れている有線放送のジャズ音楽がそこにたゆたう時間さえもセピアに染め上げているようだ。


「ええ、ここです。本格的なサイフォン式のコーヒーを出してくれるので、原嶋さんも気に入ると思います」


「へぇ」


 扉に掛けた自分の手を見つめる形で俯き加減になってしまった私は、彼の漏らした感嘆の意味を解釈しあぐねて、より一層顔を上げられなくなってしまった。


「良い雰囲気だね。こういうの、俺好きかも」


 何気なく呟かれた言葉を意識してしまうのは、私の側に問題があるからだと、知っている。

 人の言葉全てに、計算が尽くされていたら私は生きていくことが出来ないだろうと思う。

 それでも、何気なく零れ落ちた言葉を計算された言葉よりも敏感に拾い上げてそこにある熱量を量りたくなるのは、最早私の癖みたいなものなのだろうと思う。


「コーヒーも美味しいのですが、甘いものがお好きでしたら私はこちらのココアがお勧めです」


「へぇ、ココアか。確かに、最近飲んだ覚えがないな。坂上さんはそれにするの?」


 さり気なく上座を勧めて自分も座る、原嶋氏が私の視線を受けて柔らかな笑みを浮かべる。

 ああ、この人は今この時間を愛おしんでいるのだと感じる、職場で見慣れた笑顔と少しだけ違う寛いだ雰囲気を含む笑みに、目を奪われる。


「ええ。好きなんです。薔薇の形のクリームが可愛くて。子どもの頃、憧れだったんです」


 だから私も思わず、懐かしい気分に浸りながら表情に微笑みを乗せる。

 恥ずかしくなって俯きがちに微笑んだ私は、だから原嶋氏が私の表情に口元を覆ってあからさまに自分の表情と呟き隠したことを、知らなかった。

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