世界に落ちたシミを考えると夜も眠れない。
この小説はフィクションであり、実在の人物および団体には一切関係ありません。
「ただいま」
玄関を開けて入っても出迎える人はいないから、居間のドアを開けるまで私は笑顔を省略出来る。
それを楽だと感じる程度には、疲れているんだろう。
何に疲れているのかは、あえて考えないし、触れない。
物事を深く考えたらおかしな行動を取っていたことが何度かあるから、それは触れない。パンドラの箱みたいなものだ。飛び出してきたものと残ったものは、きっと私の場合逆だろうけど。
「ただいま」
返事がないから、居間のドアを開けて念のため笑顔を作り、真っ暗な室内を見渡す。
真っ暗な部屋の中で、煌々とテレビの画面だけが冷たい光を放っている。
控えめな音量でつけられたテレビの音を子守唄がわりに、眠る母をじっと見下ろす。
数年前に病を患ってから、寝ていることが多くなった母は、ここ最近更に体力が落ちて随分と老けた。
本人には決して言わない事実が胸を刺す。
私はきっと、孫の顔を見せてあげることは出来ないだろう。
基本的にキツイことと厳しいことしか言わない人だから、私の中には愛情と同じ分量の負の感情があることを私は知っている。
人知れずこじれてしまった関係だから、私はそれを口に出来ない。
それは真っ白な紙に落ちてしまったシミのようだ。
世界の調和をぶち壊す、そんな汚い何かだ。
そういうものは、人の目に触れないように片付けておくべきだ。
だから私は、普段は自分の感情に厳重に封をして、道化の仮面をかぶる。
「ん。あ、ごめん。寝ちゃってた? お帰り」
目をこすりながら起き上がる母に、いつから寝ていたのかとか、なぜテレビが付けっ放しなのかとか、そういう瑣末なことは言わない。
この人の存在だけが私をここに留めている楔だとよく分かっているから、くだらないことは言わない。
その代わりに、笑みを浮かべた母に応じるように微笑んだ。
私は、その日外であった悲しいことも辛いことも持ち込まない。
それは分かち合う必要がないものだから、うっかり話さないようにそういう日は会社での出来事は言わない。
「体調どう? お夕飯、何か作ろうか?」
「お夕飯はもう作ってあるから、後片付けだけお願い」
「分かった」
ニュースからバラエティー番組に変わったテレビが、白々しい笑いを振りまく。
妙に耳に残って不快感を煽るその声に、他人を嘲笑する女子たちの笑い声が重なる。
「チャンネル適当に変えて良いよ。ご飯あっため直してよそるから」
「はーい」
わざと伸ばして間の抜けた返事を返し、部屋着に着替えてうがい手洗いをする。
私はどこにいても、いつでも自分自身を演じている。
そのことに疲れても、やはり自分自身の役割を、割り振られた役を演じるように演じている。
誰でもそうだろう。自覚しているかいないかの別はあっても、皆多かれ少なかれ自分自身という役割を演じて生きている。
その証拠に、人格という意味の英語、パーソナルはペルソナ、つまりは仮面という言葉に語源があるという。
ただ、気付いてしまった後の気分は千差万別だ。
私は自分の中の感情を上手く処理できずに澱ませてしまってから、ずっと拭い去れない感覚を抱えている。
私は正にこれから文字を書こうとして広げた、上質なまっさらな紙の上に落ちた不粋なシミのようだと思う。
力一杯筆を振るったために飛び散ったしぶきでもなく、意図した点でもなく、誰かがうっかり紙の上に落としてしまったシミのようだ。
それがあるせいで、作品が作品として成立しなくなってしまった、忌むべき汚点だ。
そのことを考えると、その汚点を消しゴムで消す空想に囚われて眠れなくなる。
天井を見上げながら数え続ける羊までブチだらけで、それは悪夢のような光景なのに妙に笑いを誘う空想で、ひとしきり声を殺して笑った私は、ようやく明け方に眠りについた。
自分自身が思っているよりもだいぶ図太いらしい自分自身に、年は取るものだと苦笑した。