頭の中身は豆腐なの? それとももっと最低なものなの?
この小説はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。
何故、性懲りも無く話し掛けてくるのだろう。
結構分かりやすく拒否していると思うのだが、伝わらない理由を誰か説明して。
そして、人の胸をガン見するんじゃない。その頭、絶対豆腐じゃなくて脳味噌に形状の似たもっと最低なものが詰まっているんだろう。
ほら、あれだよ。冬の味覚で鍋に入れたりする白くてフヨフヨしているやつ。
個人的にはポン酢ともみじおろしで食べるより、味噌汁にするのがオススメだ。
ちなみに、お局の個人的感想なんて純真無垢なお子様は分からなくていい。どうせロクデモナイから。
「田中さん、太田部長が呼んでますよ」
静かで、でもどこか有無を言わせない響きの声に、顔を上げる。
適当に相槌を打ちながらパソコン仕事を片付けていた手が、自然と止まってまるでその人のために頑なに続けていた作業を止めたような状況が出来上がった。
目が合うと、艶消しの銀のフレームの向こうのやや冷たい色を孕んだ瞳が、フッと和らぐ。
あら、素敵。おばちゃん丸出しで心の中で呟くお局の心は、強化ガラスで覆われているので、その程度の攻撃じゃびくともしません。
眼鏡系男子、なかなか良い感じの鑑賞物だよねとか、無表情を装いながら心の中であらぬ事を考える。
その視線が再び動いて、私の傍らにいる不躾で不愉快な男を見遣る。
絶対名前でなんか認識してやりたくもない奴のことを、笑顔で威圧。
うん、良い仕事してくれてありがとう。
心からの感謝を捧げるから、要件を言ったら貴方も退去してください。見てわかるよね、この書類の山。期限は無限ではないから、貴方と雑談する時間はありません。
心の中で呟いていることをおくびにも出さず、仕事を中断して立ち上がり笑顔で言葉を促す。
「原嶋係長。先ほどの書類、何か不備がありましたか?」
「いえ、太田部長にお見せしたところ、見やすいと褒めてましたよ。谷田部課長も良くまとまっているって。流石は坂上さんですね」
嫌味のない、爽やかな笑みを浮かべる原嶋係長の様子に、通り掛かりの女子たちが原嶋係長に熱い視線を、私には鋭い視線を投げて寄越す。
そんなに羨ましいのなら、目の前の男ごと、この無駄な時間を引き取ってくれれば良いのにと、溜息をこぼす。
目の前の男はただ作った資料の評判を口にしているだけなのに、大袈裟な女子たちだなと、心の中で毒づく。
正直鬱陶しい。
私の扱いなど、FAXやパソコンと同列で構わないから極力放っておいてもらえないだろうかと、思う。
新人にしてみれば、気遣いの出来る良い上司に映るのだろう。
惚れっぽい新人が幾人か、遠巻きにウットリと眺めているのを更に遠くから眺めている私がいることなど、彼女たちは知らないだろう。若さがあって、大いに結構だ。是非とも早々に私の目の前から持ち去って行ってください。
心の中で手を合わせて暇すぎる女子たちを拝みながら、唇の端を引き上げて作った笑顔を貼り付けて係長殿の有難いお言葉を拝聴する。
時間を切り売りして対価を得ている身としては、上長の言葉を大人しく拝聴するのも重要な仕事のうちだ。今抱えている仕事が進まずとも、止むを得ない。
「恐れ入ります」
なるべく嬉しそうに見えるよう表情を作り、ゆったりとお辞儀をする。
お局とは、相手が仮にイケメンだったとしてもはしゃがない生き物なのだ。
むしろ、相手が自分と年回りがちょうど良いイケメンであるほど、距離を間違えてはいけない。
礼儀を欠かないよう、しかし傍目に見ても毛の筋ほども個人的な感情を抱いていないと分かるように、線を引く。壁を作る。笑顔で武装する。
お前なんてただのハンコでしかないと、心の中で突き放す。
ハンコの材質がどれほどお高そうで美しかろうと、ハンコはハンコだ。
私がFAXやパソコンと同列なように、上司とは須くハンコでしかない。
「でしたら、最終版ということで30部手配しておきます。明日の朝イチで席までお持ち出来るように、製本依頼出しておきますね」
「お願いします。……それで、」
あくまでも事務的に受け答えをする私に、原嶋係長は顔を覆うようにして眼鏡を直す。
あ、これ、まずい傾向だ。
緊張している時にする仕草だと知っている私は、私の望まない展開に思わず組み合わせていた手を握りしめる。
原嶋係長が何かを言い掛けた瞬間、黒い女豹が飛び込んで来た。
「原嶋くぅーん!!」
濃い化粧、真っ赤な口紅、真っ黒なパンツスーツ、飾り気のない白シャツにガッツリ開けられた胸元。しかし細過ぎて色気皆無の枯れ果てたオバサン。いつ見てもパサパサ音がしそうな上に、顔面の配色が目に優しくない。
しかしてその実体は、恐ろしいほどの遣り手ババアなのだ。
こうすると決めたら、このオバサンは汚い手とか汚い手とかもっと気汚い手とかを使って、徹底的にことを成就させるまで邪魔者を蹂躙する。
ハッキリ言って、一度ターゲットになったら一介のお局でしかない私など、間違いなく骨どころかチリひとつ残さず消滅させられる勢いだ。
だからそっと気配を消し、ひっそりと何事もなかったかのように仕事に戻っても、誰にも責められる筋合いはないと思う。打ち合わせは終わっているし、これ以上の会話は必要性を感じない。
女も自分が女であることを恨む瞬間があるのだから、イケメンも自分が無駄にイケメンであることに多少絶望感を抱いたって良いと思う。
うん。
ワタシワルクナイ。
「わっ、ちょっと、生田課長、掴まないでくださいよ。打ち合わせもう終わりましたし、最終確認も済みましたよね」
無駄のないいわゆる細マッチョな原嶋係長の、薄い灰色のジャケットに手形がつきそうというか、毒々しい赤と紫に彩られた爪が軽く食い込むぐらいの握力で捕獲された生贄原嶋氏が、女豹生田にドナドナされていく、なう。
誰に対してでもなく、自分の心の中だけでツイートする。
私は景色の一部です。むしろ壁紙。だから見るな触るなロックオンするな。
それはもう、カメレオンとかナナフシもびっくりの擬態ぶりでひたすら仕事をこなす。
悪霊退散。南無阿弥陀仏。成仏してください、係長。主に私の心の平安のために。骨なんか拾いませんけど。
「折角だから、夜景の綺麗な店に納涼会の下見に行こうって言ってたじゃない。予約取ったから、付き合ってよ。これも仕事のうちなんだから!」
女豹の言いっぷりに、思わず堪え切れない笑みが浮かぶ。
必死に抵抗していた原嶋係長が、そんな私の表情に思わず目を奪われている隙を見逃さなかった女豹に完全に連行されていったとか、それを新人ちゃんたちが闘志に燃える目で見ていたとか、そんな諸々に私は気づかないまま、その日もガッツリ残業してフラフラになるまで自分を搾り尽くして帰宅して、燃え尽きるように眠った。
だから夢の中に夜景の綺麗なバーと、やたら糖度過多な微笑みを浮かべる原嶋係長が出て来たのは、きっと女豹の毒気に当てられたんだと思う。
だって私は知っている。
原嶋係長が田中係長の視線を追って私の胸見ていたのも、その後さり気なく視線を逸らしたものの耳が赤かったのも知っている。
何を思ったかなんて、大体のところ予想がつく。男なんて、皆そんなものだ。
イケメンだとしても、その頭には豆腐より最低な何かが詰まっているに違いない。
だから、見た目にも言葉にも、惑わされたりなんてしない。
惑わされたりなんて、しないのだ。